31話 イシガミ
「それにしても、なんて血の量だ。これじゃあレーティング通らないだろ。確認して良かったぜ。VFX班に別の演出に変えてもらわないと……ってふぁあああ、眠い……」
まぶたを擦りながらそう訳の分からないことをブツブツと口走り、目の前の人間は呆れながら服についた汚れを振り払う。
先程まで夜空を覆っていた魔王イルヴァの姿は真っ二つに裂け、そこにはただの肉塊の山だけが残されていて、もはやピクリとも動かない。
イルヴァが倒された? ただの人間に? そんなバカな。
キリリンは目の前で起きていることが全く理解できなかった。
イルヴァは七天魔王の序列の中では4位に格付けされてはいるが、奈落の魔王であり、亡者ども従わせる力を持ち合わせるだけでなく、自らの肉体も不滅で幾度となく蘇らせることができるはずなのだが……。
少なくともただの人間に一撃のもとで屠られるような存在ではない。
「貴様……。一体、何者だ……」
瀕死寸前にまで追い込まれたせいなのか、キリリンの口からは掠れた声だけが紡がれる。
その声を聞いて血まみれの男はキリリンの方に向き直り、お、と呻いた。
「んん? なんだぁ……。この世界のNPCか? それにしても珍しいアセットだなぁ」
男は聞き慣れない単語を発しながら、倒れたままのキリリンに近づき、中腰になって彼女の顔を不思議そうに覗き込む。
「お前、どこかで会ったっけ?」
虫のようなか細い息を吐くキリリンに、男は慌てる様子は一切見せずに寝ぼけ眼で見つめて問いかけてくる。
「じろじろ、見るで、ない……。この不逞者、め」
残された力を振り絞り、キリリンは男を睨みつける。
男は自分の前髪を僅かにかきあげて、静かに笑ってみせた。
「その気の強さ、俺の企画に出したキャラとどこか似てるなぁ。……まぁ、ボツったんだけど」
また、訳の分からないことを……。
そんなやり取りをしながらもキリリンの意識は今にも消えそうになっていて、気を失ってしまうともう二度と目覚めないのではないかと彼女は思っていた。
「なんかNPCとは言え、見殺しにすると後味悪いよなぁ」
うーん、と男はしばらく考え込むと、指で宙をなぞるような仕草を見せた。
「んー……。まぁ、いつかやらなきゃいけないし、テスト用の回復アイテムでも試してみるかな。たしか、まだデザインが決まってないキャンペーン用のアイテムが実装されたんだよな……」
なんの魔法を使ったのか、いつの間にか男の手にはとあるアイテムが握られていた。
それは青や赤などの原色であしらわれた筒状のアルミ缶でだった。
男がその筒の上蓋に指を引っ掛けると、カシュッっと軽快な音が鳴り響き、爽やかな香りが漂い始める。
「ほら、飲んでみろ」
「そ、そんな怪しげなもの飲んでたまるものか……」
上半身を起こされながら、キリリンは男に無理矢理フルーティな香り漂う缶を口元を近づけられて、ヤダヤダと必死な抵抗を試みる。
しかし缶の中からほんのりと香る芳香を嗅いだ瞬間、キリリンの頭の中で悪魔のような誘惑が沸き起こり、とうとうその缶に口をつけてしまった。
ゴクリ、ゴクリと小さな喉を鳴らしながら、キリリンはシュワシュワと刺激のある液体を飲み込む。
するとキリリンはカッっと目が見開き、缶を男から奪い取り自らその液体を口の中に注ぎ込んだ。
美味い。美味すぎる……。
この味は一体なんだ? 辛いのか、それとも甘いのか? いずれにしてもこんな味覚を味わうのは生まれて初めてだ。
身体が、細胞が、いや魂がこの液体を求めている。
その液体を飲むたびに、感じたことのない快感が全身を駆け巡り、身体中に染み込んで傷口がみるみると塞がるだけでなく、擦り切れた精神も回復していく。
「すごい飲みっぷりだ……。余程気に入ったみたいだな。もっと欲しいか?」
一体どこから出しているのか、男は同じアイテムを次々と生み出してはキリリンに手渡す。
「あれ? この缶のデザインって……」
目を擦りながら自分が手に持っている缶をくるりと回転させると、何故か男の顔がみるみるうちに青ざめていく。
「暗くてよくわからなかったが、これよく見るとこれデザインがヤバいやつじゃないか!? これ、まんま……」
急に自分の手の中に収まっている缶の外装を見て男は慌てふためき始めた。
「まんま、REDKILLじゃねーか! なしなし、これはなし!」
すると男はキリリンが抱えている大量のREDKILLを奪い取ろうとする。
「おい、無理矢理飲ませておいてなんだが、それ使っちゃダメなヤツだった。頼む、返してくれ。代わりにこのハイポーションをやるからさ」
目の前でちらつからせられたハイポーションをしばらく見つめていたキリリンであったが、くんくんと瓶の匂いを嗅ぐと、プイッとそっぽを向ける。
「猫かよ!? いいからそいつを返しやがれ!」
「イヤだ! これはもう妾の物だ! 一度人に譲ったものを返せというのは、あまりに下賤すぎて万死に値する! 恥を知れ、恥を!」
キリリンは男の手をパシンとはたきREDKILLに被さると、がるると唸りながら大声でわめき散らした。
しばらくキリリンと男の間で、返せ、返さないなどのやり取りが繰り返されるが、男は諦めたように自分の手を引っ込めた。
「まぁ、あとでデザインを差し替えればいいだけの話か。バグチケットを作るの忘れないようにしないと……。それにしても、もう眠気が限界だな……。注意力が散漫になってきている」
「なんの話だ?」
独り言の多い男だ、とキリリンは思った。
ブツブツと所在なさげに呟く様を見ていると、この男が強大な七天魔王を葬った人間であるということを、信じられなくなってきていた。
「いや、こっちの話だ。それにしてもだいぶ回復したみたいだな。もう歩けるのか?」
「あ、ああ、そうだな……」
キリリンは転送魔法を発動し、手にしたREDKILLを城の宝物庫に移送することに夢中になりすぎて、自分の体が瀕死の状態から回復していることをすっかり忘れてしまっていた。
「ど、どうやら身体は動かせるようになったようだな。貴様には世話になった。礼を言う」
「そうか、そいつはよかったな……。ふぁああああ……」
ついさっきまで魔王イルヴァを葬ったとは思えないような、へらへらとした笑顔を浮かべながら大きくあくびをすると男は腰を起こした。
「やらなきゃいけないこと色々あるし、俺はそろそろ行くわ。それじゃあな」
「ま、待て! き、貴様、名は何と言う?」
人から名前を名乗られることは慣れていても、自分から聴くのは慣れていないのか、キリリンの口調はかなりぎこちないものであった。
「名前かぁ……」
男は少し考えながらポツリと呟く。
「俺の名は、イシガミって言うんだ」
「イシガミ? 聞いたことのない名だ」
きょとん、と首を傾げるキリリンにイシガミと名乗る男はしどろもどろになりながら答える。
「ああ、イシガミって言うのはだな……。その、ここから東方に住んでいる神の子孫の一族に付けられた姓なんだよ、多分……」
「神の子孫……。なるほど、だからあんなに強かったのか」
「ま、まぁそんな所だ」
ポリポリと頬を掻きながら軽々しい口調で語る男に、キリリンは納得したのか何度もイシガミの名を呟いた。
「それで、お前の名前は何て言うんだ?」
「わ、妾のか?」
不意に名前を聞き返されられて、らしからぬ雰囲気でキョドり始めるキリリン。
いつもと違う心の動きに戸惑いながらも、コホンっと咳払いをして気を取り直す。
「よ、よく聞くがいい。妾の名はキスリル・リリラル・リリスヴェリリオンだ」
自信満々に胸を張りながら名乗りを上げたキリリンに、男は重いまなこを擦りながらキョトンと生気のない視線を向けた。
「キリ……なに?」
その不遜な男の態度が癪に触ったのか、ピキピキと眉間にシワを寄せるキリリン。
「ま、まぁ貴様には世話になったしな。一度くらいの無礼は許してやらんでもない……。寛大な妾に感謝するのだな。ではもう一度、妾の名はキスリル・リリ……」
「いや、なげぇよ、お前の名前。ただでさえ寝不足で記憶力がほとんどない状態なのに。もうお前の名前は今日からキリリンな。キリリン。俺が考えたキャラの名前なんだ」
「知るか! キリリンだと! ふざけるな! 妾は認めないぞ、そんな名前!」
必死で抗議の声を上げるキリリンであったが、フラフラと頭を揺らしながら虚空を見つめる男を見ていると何を言っても無駄なように思えた。
「ま、まぁ良い。それでイシガミはこれからどうするのだ?」
「これから? まぁ適当にこの世界をぐるって回ってみるつもりだ。色々試さないといけないことで山積みでさぁ。しかも寝不足ってこともあって、もう何を確認したのかしてないのか記憶も曖昧になってきた……もう一週間も寝てないんだ……。やべ、もう意識が……このままだと寝落ちしそう……」
「な、なら、もし貴様が、良かったら……」
もじもじとキリリンは視線をそらし口をモゴつかせる。
一体自分の心の中はどうなってしまったのだろうか。キリリンは戸惑った。
もしかしたらまだイルヴァに犯された精神が完治していないせいなのだろうか。
目の前の男を見つめていると自分が自分ではないように思えてしまう。
「ももも、もし良かったら、妾と一緒に世界中の魔王を倒しに行く旅に出ないかっ!?」
目を固く瞑りながら、今までの人生で振り絞ったことのない勇気を以って、キリリンはようやく言いたい言葉を口から吐き出した。
……。
ん? 返事がない。この男はただの屍か?
そう思いながらそっと目を開けてみると、そこにいたはずの男の姿がどこにもなかった。
「おい、イシガミ、どこに行ったのだ……?」
そう言いながら周囲を見渡すがそこには人影一つなく、辺りには夜が開けてゆっくりと差し込む日の光だけが取り残されていた。
──そしてあれからキリリンはイシガミの姿を見ることはなかった。
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