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2話 愛架の声

「……さん、石神さんっ!」


 暗い意識の奥底から、誰かが俺の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。


「うぅ……」


「石神さん、大丈夫ですかっ!」


 うなされながらもゆっくりと目を覚ますと、傍で女の子が必死で俺の身体を揺さぶっているのが見えた。


 彼女は高卒で会社に入ったばかりの後輩だった。


「だ、大丈夫だ……。わりぃ、知らない間に寝落ちしてた」


 俺は目を擦りながら時計を確かめる。


 時間を示す針は3時。


 ただし窓の外は暗く、昼ではなく夜中であることがわかる。


 でも何日目の午前3時だ。


 周りを見渡すと暗いオフィスでモニタの明かりが煌々と灯る中、生気をなくした人間たちが生きる屍のように黙々とキーボードを叩いている。


 よく見ると各自同じ作業を何度も繰り返しており、周囲はあたかも賽の河原のようであった。


 俺は家庭用ゲームを開発している会社で、5年間の大迷走をしているタイトル「ラピュセリア・クロニクル」にディレクターとして働いている。


 そのゲームはなぜか開発時には発生していなかった原因不明のバグが多発して進行できなくなっており、不良品を市場に出したということで会社の株価は暴落、皮肉にもネットではSNSのフォロワー数が急増し大炎上していた。


 開発当初から担当していたプロデューサーも逃亡し、プロジェクトはディレクターの俺を含む数少ない開発メンバーで修正プログラムを急ピッチで作っている最中だ。


「大丈夫なわけないじゃないですか! 汗まみれですよっ!」


「え? ああ……」


 言われてみれば身体は不自然なほどに高熱を帯びていて、大量の汗で上着やズボンがぐっしょりと濡れていた。


「ま、まさか先輩、例のウィルスにかかったんじゃ……」


「そ、そんなわけないだろ!」


 そう言うと後輩は青ざめた表情で後ずさり、周りのスタッフからの突き刺さるような視線を感じて慌てて俺は否定した。


 ゲームが発売されるとほぼ同時期に、世間では新型ウィルスによる世界的なパンデミックが発生していた。


 その新型ウィルスというのは、「蚊」を宿主として人だけでなく動物にも感染する非常に珍しいタイプで、感染すると急激に体温が上昇し数日たった後、凶暴化して暴れ出すのだという。


 アメリカでは感染患者を銃器で押さえ込もうとしたが、傷を負わせても構わず襲いかかってくるので、警察はクラスタが発生した町から撤退している。


 日本でも感染者は何名か確認されているが、手がつけられないため患者は隔離というより、強固な密室で拘束されているそうだ。


 最近になってその病原体を持つ蚊を捕獲することに成功したようで、ワクチンの生成が各国の研究機関や製薬会社が行っているようだが、市場を独占する主導権争いが勃発して混迷を極めていた。


「昨日の社内検査でも感染者はいなかったろ。もう何日も缶詰め状態なんだから実質隔離されているようなもんだ。それにもう熱は引いたよ」


 俺は元気をアピールをするために、必死でポーズをとって見せるが後輩の心配そうな顔は一向に変わりそうもない。


「新型ウィルスに感染していないのはわかりました。で、でも石神さんは休んだ方がいいと思うんですよ……」


 休みたいのは山々だが、今はチーム全員が辛いと思っている。


 ディレクターの俺が休んでたら頑張っているみんなに示しがつかない。


「大丈夫だって。もう体調も良くなったから」


「じゃ、じゃあ……石神さん、なんで……」


 俺の表情を訝しげに窺いながらも、後輩の女の子は途中で言葉を詰まらせた。


「……なんで、泣いているんですか?」


「え……?」


 そう言われて俺は自分の左頬を触れると、左目から涙が溢れて止まらないことに気がついた。


 慌てて涙を袖で拭うと俺は慌ててヘッドマウントディスプレイを装着する。


「こ、これは、その、アレだ! そう、デバッグのしすぎで目が疲れたんだ! まだ20代なのに老眼かなー、あはははは……」


 さ、仕事仕事、と言いながらもおもむろにゲームの開発環境を起動させると、隣で後輩の女の子が呆れたようにため息を吐くのが聞こえてくる。


「……あんまり無理しないでくださいね。石神さんが倒れたらこのプロジェクトだけじゃなくて会社の存続も危うくなるんですから」


「大丈夫、大丈夫。分かってるって」


 俺はそう呑気に返事を返すと、後輩の女の子がこの場から去っていくのを感じた。


 その途端に俺の両眼から涙が溢れ出し、ディスプレイの底が波打って見える。


 ──俺はいまだに死に別れた幼馴染のことを忘れられないでいた。


 彼女が他界したというもの、俺は今までまるで魂をなくしたように生きている。


 ゲーム業界に5年以上働いてきたにも関わらず、担当してきたプロジェクトの多くは開発途中で打ち切られ、世の中に送り出せた作品は数少ない。


 何のためにゲームを作っているのかも分からず、何度も転職を繰り返した。 


 初めてディレクターとして任されたゲームである本作「ラピュセリア・クロニクル」も度重なる仕様変更で疲弊しており、バグだらけではあるものの販売できたのも奇跡に近かった。


 愛架、俺は一体どうすればいいんだ……。


 しばらく焦燥感に打ちひしがれていたが、いつまでもこうしているわけにはいかない。


 今もこのゲームを待っているユーザーたちがいるのだ。


 俺は自分の頬を叩き、カフェインを多分に含んだエナジードリンク「REDKILL」を飲み干して気合を入れた。


 画面はゲームを始めたにも関わらず、突然フリーズしてしまっている。


 早速出たか。


 俺はデバッグツールを開いてプログラム処理のログウィンドウを開いてバグの原因を探った。


 その瞬間、デバッグツールまでもフリーズしてしまい、画面が暗転してしまう。

 

「おいおい、マジかよ……」


 キーボードで強制リブートのコマンドを打ち込んでみるも受け付けられる気配がない。


 すると今度は暗転した画面にとある文字が表示され、登録したはずのない女の子のボイスが再生される。


「たすけて」


 俺はその声を聞いて心臓が掴まれるような思いをした。


 愛架だ。


 再び俺は先ほど見たばかりの夢のことを思い出す。


 間違いない。このボイスは確かに愛架の声だ。


 だがこんなバグが発生するなんて報告では聞いたことがない。


 他のスタッフも俺と同様のバグが発生したのか、周囲がざわめき始めている。


 プレイしているタイミングが違うはずなのに同時に見たこともないバグが発生するなんて考えられない。


 これは普通のバグではないのか。


 そう思った途端、急に胸のあたりが締め付けられるくらい苦しくなってきた。


「ぐっ、ぐああああああああああああっ……」


 ヘッドマウントディスプレイの画面に例の文字が溢れるように表示されて俺の視界を埋め尽くした。


「たすけて たすけて たすけて たすけて たすけて たすけて たすけて たすけて たすけて たすけて たすけて たすけて たすけて たすけて たすけて たすけて たすけて たすけて たすけて たすけて たすけて たすけて たすけて たすけて たすけて たすけて たすけて たすけて たすけて」


「あああああああああああっ!」


 連日の疲労のせいか、はたまたカフェイン中毒のせいか胸の異常な鼓動はだんだんと早くなっていく。


「か、かはっ……」


 おさまれ、おさまれ、おさまれ……。


 おさまれ、おさまれ、おさまれ、おさまれ、おさまれ、おさまれ、おさまれ、おさまれ、おさまれ、おさまれ、おさまれ、おさまれ、おさまれ、おさまれ、おさまれ、おさまれ、おさまれ、おさまれ、おさまれ、おさまれ、おさまれ、おさまれ、おさまれ、おさまれ、おさまれ、おさまれ、おさまれ、おさまれ、おさまれっ!


「あ……」


 俺は自分の胸を何度も叩きつけて強引に押さえ込もうとしたが、突然自分の身体が糸が切れた人形のようにデスクの上に崩れ落ちるのを感じた。


 確かに心臓の激しい動悸はおさまった。


 しかし、同時に心臓の動悸そのものまでもが停止したのを感じた。


 遠退いて行く意識の中、音を立てて散らばる「REDKILL」の空き缶に赤いピクトグラムで「蚊」のデザインが施されているのが見えた。

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