19話 アイシャ・クロイゼル
アイシャ・クロイゼルはゆっくりと目を覚ました。
彼女はラピュセリア・クロニクルの勇者になるはずであった。
そう設定されて生まれてきた。
仲間と共に華々しく初陣を飾り、オルサの村から旅立つ筈であった。
だが、今彼女がいる場所は冷たい硬い石の壁に囲まれた牢獄だった。
何度目覚めてもお気に入りの柔らかなベッドはそこにはない。
アイシャは弱り切った身体を無理やり起こして、虚ろな視線であたりを見渡した。
そこは薄暗い牢獄には外に繋がった窓もなく、光といえば鉄格子の向こうにある通路からわずかな灯火が入ってくるだけだった。
周りの壁は床と同じく分厚い石を積み上げられていて、その隙間から僅かに水の滴る音とネズミの鳴き声が聞こえてくる。
彼女はもうしばらく太陽の光を見ていない。
漂う空気には腐った屍臭で淀みきっており、吐き気が催される。
これだけはどれほど長くここに居ても慣れることはない。
「痛い……」
長時間硬い石に押し付けていたため、身体の至る所の皮が擦り切れ、栄養も不足しているために回復が追いつかず、その傷は深々と肉まで届いていた。
そして不衛生な環境のせいでその傷から菌が入り、そこから化膿してしまっている部位まである。
唇はガサガサとひび割れていて、口の中からは膿が流れ出ていた。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
何日も前にオルサの村でのんびりと過ごしていた生活がまるで嘘のようだ。
アイシャは朦朧とした意識の中で、自分がこの場所に至るまでの記憶を思い出していた。
いつもと同じようにニワトリが鳴く前に目が覚めて、いつもと同じようにパンを焼き、いつもと同じように花に水をやって、いつもと同じようにシスターにおつかいを頼まれて、道すがら幼馴染のゼルに茶化されたものだから文句を言ってやって、それで、それで……。
そこから記憶がどす黒い物へと変わる。
頭の中でノイズが走り、記憶が途切れ途切れに思い起こされる。
『────アイシャ!』
優しかった村の何人かの人々が突然何かに取り憑かれたように他の村人を襲い始めて、村は瞬く間に阿鼻叫喚の巷と化したのだ。
それまでモンスターに警戒しながら暮らしていた人間が、鬼のような怪力で次々と他の村人を服や髪を引っ張り上げ、ズルズルとどこかへ連れ去っていく。
エターニア王国から派遣された武装した兵士達の力も彼らに圧倒された。
豹変した村人達の表情はまるで虚ろで、目の瞳孔が開き、まるで死体のように青ざめた顔をしていた。
『────アイシャ! 逃げろ!』
あの薄情なゼルが、その日に限って自分よりアイシャを守ることを優先した。
情けない声を上げながらもゼルはアイシャの手を引き教会まで逃走し、彼はアイシャを教会の中に蹴り入れると、自分は外に出たまま扉を閉めた。
外から聞こえる鎖と錠をかける音。アイシャは慌てて扉に駆け寄るが、ゼルが外からドアノックの輪っかに鎖を通して鍵を掛けたのか、開けることができない。
ゼルが冒険者の盗賊を目指していて、いろんな錠を持ち歩いては解錠の練習をいつも行なっていたことをアイシャは思い出した。
しばらくして遠くからゼルの叫び声が聞こえた。
その声を聞いてアイシャは扉を叩く手を止め、扉にすがりながら泣き崩れた。
その後、アイシャは失意の中教会の祭壇の中で一人身を隠して夜を過ごそうとしていた。
すると扉の方で鎖が落ちる音が聞こえてくる。
アイシャはゼルが逃げてきたのかもしれないと考え、思わず扉に駆け寄って彼の名を叫んだ。
『────ゼル!』
しかし開かれた扉の向こうには、バラバラに引きちぎられた鎖と青ざめた顔で立ち尽くすシスターの姿があった。
シスターは慌てて逃げるアイシャの首根っこを掴み上げると、そのまま地面に何度もアイシャを叩きつけた。
何度も激痛に悲鳴を上げるアイシャだったがやがてその声は聞こえなくなると、シスターはズルズルとアイシャの身体を引きづりながら教会を後にした。
アイシャが次に目を覚ましたのは、どこにあるかも知れない牢獄の中であった。
牢獄に入ったばかりの時は他の牢獄にも人の気配を感じていたのだが、投獄された人たちが解放されたのか、そのまま死んでしまったのか次第にその気配は少なくなっていった。
アイシャが投獄されてしばらくすると、通路からランタンの光が差し込むのとともに人の足音が近づいてくる。
その人影を見てアイシャは希望に満ちた笑顔をこぼしながら鉄格子に駆け寄る。
しかしアイシャのその笑顔は一瞬で凍りつく。
『────ゼル……、どうして……』
そこにはゼルがわずかな食べ物を手に持ち、生気を感じることのない気配で暗がりの中立ち尽くしていた。
ゼルは無表情で青ざめた顔をアイシャに向けると、乱暴に手に持っていた食物を牢獄の中に放り込んで、そのまま何も言わずに去っていった。
アイシャは空腹であるにもかかわらず、すぐには食べ物に手を付けず泣き崩れた。
今もこうしてアイシャは投獄されたまま時が流れるのをただただ待っている。
もう今が何月何日なのか、昼なのか夜なのかさえもわからない。
「ゼル、みんな……」
過去の出来事を思い返し、恩人の名を呟くアイシャであったが涙は乾ききってしまい流れ落ちることはなかった。
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