17話 オルサの街
「そっかぁ、キリリンはオルサの街を目指してるんだね」
メルカは手際よく火を起こし、荷物からウサギの肉とフライパンを取り出し調理をしながら語り始めた。
よく焼けたウサギの肉を包丁で削ぎ落とされると肉汁がたっぷりと溢れ出てくるのを見て、キリリンはヨダレを垂らす。
この世界における食材を俺が転生する前の世界、すなわちリアル世界にある物で再現している。
食材には鮮度がありそれで作られた料理は、腐った料理となって食べた者にランダムでバッドステータスが与えられる。メルカが先ほど言っていた食あたりもその一つだ。
もっとも先ほどメルカに売りつけた『REDKILL』はポーション扱いなので鮮度は設定されておらず、賞味期限が切れることはおそらくないと思うのだがその辺は実際のところどうなのだろうか。
そう考えているうちに削ぎ落とされた肉はそのままフライパンに入れられ、その次に刻まれたキャベツやレタス、玉ねぎ、パプリカ、キノコが放り込まれると、肉から溢れた肉汁が油の代わりになって、野菜の水分をパチパチと弾いた。
具材をよく炒めるとメルカはカバンからコッペパンを取り出し、表面を軽く炙ると包丁で切れ目を入れて、塩を少しふりかけて味付けされた野菜とウサギの肉をパンに挟み込んでキリリンにはい、と差し出す。
「あたしもオルサの街を目指してたんだけどさ、なんか道中で胡散臭い話を聞いて旅路を変更したんだ」
俺はそれを聞いて、何かオルサの街に関する情報が得られるのではないかと思い、キリリンに耳打ちをする。
『そのオルサの街の噂について聞いてみてくれ』
「その、むぐむぐ、オルサの街の噂とは、むぐむぐ、なんなのだ?」
キリリンは口いっぱいに料理を頬張りながら、メルカに噂について聞いた。
メルカは黒く焙煎された豆を細かく砕き、それをコップの上に被せられた薄い布の上に乗せてから、小さなケトルで沸騰させたお湯を布の上にゆっくりと垂らしながら淡々と語った。
「なんかオルサの街では変な失踪事件が相次いでいるのは知ってる? まぁ街で急に人がいなくなるって話。その後すぐに人は戻ってくるからそれほど大ごとにはなってないんだけど、その出来事を不審に思ったエターニア王国から調査団が送り込まれたの」
メルカは黒い液体が入ったカップをあったまるよ、と言いながらキリリンに差し出した。
あれは俺の転生する前の世界にあったコーヒーに近いものだろうか。キリリンはその黒い液体をおそるおそる啜ると、ニガい! と舌を出して顔をしかめ、それを見てメルカはあははは、と笑って僅かなミルクと蜂蜜をキリリンのカップに注いでかき混ぜた。
「しばらくして調査団が城に戻ってくるんだけど、その調査結果は『異常は見られなかった』っていうのよ。……だけどね、人から聞いた話だと、その調査団の性格が無気力な感じになったというか別人みたいになったらしいんだけど、薬も魔法も使われた痕跡もないみたいなの。ね、怪しいでしょ!? まぁ、それはあくまで噂なんだけどね」
なるほどな、とキリリンは相槌を返すが、空腹が満たされたのもあって1日の疲れが急に押し寄せてきたのか、うつらうつらと頭で船を漕ぎ始めている。
「それでね、大切なのはこの先なんだけど、あの街ではどうやら違法な商売が横行しているっていう噂もあって、オルサで商売をすると変なことに巻き込まれるかもしれないからって商人たちが……」
話の途中でトサッ、と乾いた音を立ててキリリンは唐突に倒れて横たわり、そのまま寝息をこぼし始めた。
「そっか、疲れてたんだね……」
メルカはキリリンが飲み干したカップを拾い上げると、優しく毛布をキリリンにかけてあげて、あたしも寝るかな、と自分の寝床を用意し始めた。
「おやすみ、キリリン……」
そう言うとメルカは自分も毛布を被ってそのまま目を閉じた。
──
俺は二人が寝静まった後、静かに燃え続ける焚き火を前で考えを巡らせていた。
さっきのメルカの話が気になって俺は眠る気にはなれないでいたのだ。
オルサの街に訪れた者は、人が変わったようになると言うのは金髪の女性の話と一致している。
メルカの話によるとさらに情報は追加され、その者達には何か薬や魔法が使われていた形跡はないと言う。
そしてさらに気になる情報として、オルサの街では違法な商売が行われているという噂だ。もちろんそんな怪しげな設定をオルサの街に加えた覚えはない。
だとしたらこの世界の仕様とは異なる要因、異端によるものである可能性があるということだ。
そうなればもしかしたら愛架がその村にいるのかもしれない。
「愛架……お前は一体どこにいるんだ」
夜空を見上げながら彼女の顔を思い浮かべて思いを馳せるが、当然答えなど返ってこない。
……そう言えば俺も腹が減ったなぁ。
俺はなにせ蚊だから人間の食べ物は食べることができない。
人間だったらさっきの夕食にもありつけたかもしれないのに。
ちくしょう、何んだってんだ。
俺が転生するときにあのクソ女神は、異世界だって捨てたものじゃないとか言っていたが、今のところ転生して良かった事なんて全然ありはしないじゃないか。
そう不満を募らせていると、キリリンの方から寝息混じりの声が聞こえてきた。
「んん……トウリ……空腹で眠れないのか?」
「すまない、起こしてしまったか?」
俺はなるべく気を使って羽音などを立てないようにはしていたが、それでも無意識に音を立てていたのかもしれない。
そんな俺の言葉にキリリンは小さく首を振ると、自分にかけられた毛布を深く被り口元を隠した。
「妾の、血、吸ってもいいぞ……」
顔を赤らめさせながら微かな声でつぶやくキリリンに、俺は慌ててぷ〜ん、ぷ〜んと飛び回った。
「ば、ばか、メルカが起きたらどうすんだよ! なんか知らんが、は、恥ずかしいだろ……」
俺はそう言い繕うが、キリリンはさらに毛布を深く被り、ムスリと拗ねたようなそぶりを見せた。
「金髪の子の血は吸ったくせに……。トウリはああいう子が好みなのか……」
めんどくせぇ! この女、めんどくせぇ!
「わ、わーったよ! 吸えばいいんだろ、吸えば!」
俺は半ばやけくそ気味にキリリンに近づいていった。
するとキリリンは自分にかけられた毛布をそっと捲り上げて誘ってくる。
「トウリ、きて……」
俺は一切の迷いを捨ててキリリンの首筋にゆっくりと自分の針を突き刺す。
「はっ……んぁっ……あっ……んん……」
するとキリリンから甘い吐息が微かに聞こえてくる。
俺はキリリンの魔力は吸わないように気を付けながらもキリリンの血液を吸い上げる。すると俺の身体の中にキリリンの血液が流れ込み、溜まっていた疲れが癒され、空腹が満たされていくのを感じた。
血を吸えば吸うほど欲望が高まっていき、俺はどんどんキリリンの血を吸い出した。キリリンの身体はどんどん快楽に包まれているのか、身をよじらせながら体温がどんどん上昇していく。
「はぁ、はぁ……トウリ、もうダメ、……トウリっ! はぁんっ! ……んっ……んっ」
ビクンッビクンッとキリリンは身体を何度も痙攣させると、俺は急に我に返り、思わず自分の針をキリリンから抜いてしまっていた。
キリリンはその後、はぁ、はぁと荒く息を吐いていたが、やがて呼吸は穏やかになりそのままスー、スーと寝息へと変わっていった。
……俺は、一体何をやっているんだ。
俺は賢者モードに陥りながらも、更けていく夜空を見上げながら心の中でそう呟いた。
──
「メルカはこれからどうするのだ?」
朝、目覚めた後のキリリンの肌はなぜか艶やかであった。昨日のアレで魔力が全回復したということだろうか。
最初に目覚めた場所でキリリンと話した会話の中でそう語られていたのを思い出す。確か血を捧げた者が眷属となり、血を捧げられた主は自らの魔力を眷属に供給する代わりに眷属からは永遠の忠誠と生命力が得られる、だっけ。
それで俺の空腹は満たされ、キリリンの魔力も回復したってことなのか。
「あたしは海洋都市ティルニアに行くつもり。あそこには色んな国の商会が集まってるから、チャンスに事欠かないし。それに思わぬ収穫があったからね!」
メルカはそう言うとウィンクをしながら、『REDKILL』を見せた。
「本当はキリリンに護衛を頼みたいんだけど、あなたにはオルサの街に大切な用事があるみたいだから、ここで一旦お別れかな。あたしは商売をしながらゆっくりとティルニアを目指すよ。気が向いたらティルニアまで尋ねに来て。お土産においしい儲け話とかあれば最高よ!」
メルカはキリリンに自分の右手を差し出して握手を求めた。
俺としてはメルカにも俺たちの旅に同行して欲しいのは山々だったが、オルサの街が異端に侵されている可能性がある以上、彼女を危険に晒すわけにはいかなかった。
「わかった。また会える事を楽しみにしているぞ」
キリリンも細く笑みを浮かべながらメルカの手を握り返しながらそう言った。
思えばキリリンも随分メルカに自然と気を許すようになったものだ。もしかして餌付けされたのか? 相変わらずチョロすぎる奴だ。
メルカと別れた後、俺とキリリンはオルサの街を目指して猛スピードで移動していた。
魔力が回復したキリリンの足の速さは音速のように早く、馬だと半日かかるような距離でもものの数分で移動することができた。
例によって俺はキリリンの腰に巻きつけられた皮袋の中で大人しくしているだけなのだが、それでも全身にのしかかる慣性質量に押し潰されないように必死に耐え続けていた。
しばらくしている内に地平線の彼方から大きな街のような物影がぼんやりと浮かび上がるのをキリリンが発見した。
「見えた。どうやらあれのようだな」
俺はキリリンの猛スピードに耐えながらも、皮袋から顔を覗かせた。
「何だ、あれは……?」
見てみると傲然と高くそびえ立つような分厚い石の壁がぐるりと街全体を取り囲んでおり、街というよりもはや何かの要塞のようだ。
「おいおい、巨人の進撃でも阻んでいるのかよ……」
もう外観を見ただけでも、俺が知っているオルサの村の片鱗すらなくなってしまっている。
あれだけのグラフィックを表現するのに一体どれだけの工数がかかるのだろうか、と転生前の職業柄、目の前のオブジェクトを見たときに無意識に頂点数を数えてモデリングの見積りをしてしまうのだが、今はそんなことをしている場合ではないとかぶりを振った。
とにかくオルサの村をあんな仰々しい感じで制作を依頼した覚えはないし、誰があんな物をこさえたのか全く想像もつかないでいた。
「……どうやら街の入り口で検問をしているようだぞ」
「え、マジで!?」
外壁の左側には巨大な鉄の門が備え付けられており、そこの下には多くの人や馬車で人だかりが出来ていた。見ると鎧を纏い剣を腰に携えた兵士が何人も配置されていて、通行人の荷物などを確認しているようだ。
もちろんそんな検問も兵士も用意した覚えはない。
「……とりあえず行ってみるか」
「うむ」
俺の提案にキリリンは小さく返事を返すと、怪しまれないように普通の速度で歩きながらその門に近づいていく。
「止まれ。この街に何の用だ」
すると武装した兵士の一人が門を通ろうとするキリリンを呼び止めた。虫の姿をした俺が喋ってる所を見られると怪しまれて面倒なことになりそうなので、俺は皮袋の奥の方に身を潜めている。
皮袋の中には金髪の女性と別れ際にそっと渡されたハンカチが入っていたので、その影に隠れることにした。
「妾は見ての通り冒険者だ。旅の途中に必要なアイテムを揃えるために立ち寄った」
「…………」
兵士はキリリンの仰々しい物言いに気を悪くした様子もなく、彼女の出で立ちを探っているようだ。
「……腰の袋には何が入っている?」
ルーティン気味に兵士は興味なさそうに腰の袋の中身を訪ねる。
「この通り袋の中は金と小物しか入っていない」
そう言いながらキリリンは袋を兵士に差し出し、兵士はためらう事なく袋の中を覗き込んだ。
その様子をハンカチの影からそっと覗き込むと、俺はハッと思わず息を飲んだ。
袋の口から覗き込まれた大きな目は、生気を感じることができず瞳孔がパックリと開いている。
そして瞬き一つすることもなく左右の目がギョロギョロと別々に動かしている様子は、もやは自然な人間のそれではない。あまりの不吉な凝視を前にして、俺は身の毛がよだつ思いでとっさに頭をハンカチの影に隠した。
「通ってよし」
俺のことはゴミか何かだと思ったのか、それとも目につかなかったのか兵士は皮袋を閉じるとキリリンに向かって力なくそう告げた。
なんだ、街の周りにはこんな巨大な壁があって警備も厳重な割には簡単に通してしまうのだな、と俺は違和感を感じた。
キリリンは自分の腰に皮袋を結び直すと兵士にこう尋ねた。
「おい、ここはなんと言う場所だ?」
すると兵士はレトロゲームRPGに出現するNPCのように無機質な返事を返す。
「……ここはオルサの街だ」
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