ランガ
カミュ達は、月夜達の案内で村の東の山に向かった。
程なく熊の足跡が見つかったが、猟師たちが言うように足跡は途切れ、追跡は困難なようだった。
「やっぱりこっちの山にいるのかしら?」
「足跡がこっちの方が新しいですから、おそらくそうでしょう」
「月夜さん、街で罠を買ってきたんだけど、これ使えないかな?」
そう言ってカミュは背負っていた袋から、ベアトラップを取り出した。
猟師の一人が驚いた声を上げる。
「随分大きな奴だべ。オラの持ってんのの倍ぐらいありそうだ」
「これで動きを止めたいんだけど……」
「これなら、あのデカ物もどうにか出来るかもしれねえ」
カミュが猟師にベアトラップを渡すと、彼は罠の匂いを嗅いだ。
「まずは、油を落として匂いを消さねえと」
猟師は小川でトラップを洗い、油を落として布で拭いたあと、土を全体に塗り込んだ。
「これで大分鉄臭くなくなったはずだ。あとはどこに仕掛けるかだども……」
そう言うと猟師たちは、地形や水場などについて話し始めた。
設置場所については彼らに任した方が良さそうだ。
手持ち無沙汰になったカミュは周囲を見回した。
これだけ広い山なら、カミュの目に動物が放つ信号が見えてもおかしくない筈なのだが、信号は僅かしか見えず、鳥の声も少ししか聞こえない。
動物たちも異質な怪物を警戒し、姿を隠しているのだろうか。
「月夜さん、この山にはどんな動物がいるの?」
「私も聞いただけですが、鹿に猪、うさぎや熊。狼も数は多くありませんがいたようです」
「ふうん。でも今は鳥の声も殆ど聞こえないわね」
「……そうですね。そういえば、北の山であいつと戦った時も鳥の声は無かったように思います。猟師殿達もこんな静かな山は初めてだと言っていました」
「皆、熊に怯えて逃げ出したのかな?」
「そうかもしれません。今日の朝、北の山を捜索した時は鳥の声を聞いたように思います」
動物が熊を避けている。
それなら、気配のない方へ行けば、熊を見つけられるかもしれない。
「動物がいない方に進めば、熊の痕跡があると思うんだけど、どうかな?」
カミュは罠について話していた猟師に問いかけた。
「そりゃそうかもしれねぇが、オラ達だって足跡やフンなんかを頼りに獲物をさがすんだ。そこまではっきり、いるいない何てわかんねぇぞ」
「私なら、動物がいるかいないか見分けられるわ」
「カミュ殿、そんな事が出来るのでござるか?」
「まあね」
カミュは視線を巡らせた。
木々に遮られて確認しづらかったが、北東の方角は明らかに獣の気配がなかった。
「こっちには鼠一匹いないわ」
「ホントかね? まあオラ達も探しあぐねている訳だし、行ってみっか」
猟師達に先行してもらう形で、北東に山の中を進んだ。
何度か方向を変え、獣の居ない方へ歩を進める。
日も西に傾きかけた頃、猟師達の足が止まった。
「人の足跡だ」
猟師の言うように、ブーツの跡が地面に残されている。
足跡は持ち主が、北西から来たことを示していた。
「どういう事。私達以外にも山に入った人がいるの?」
「んにゃ。熊に牧場が襲われてから、村のモンは誰も山には入っていない筈だ」
村人ではないとすれば、一体誰が……。
旅人なら街道を使うはずだし、盗賊だろうか?
「とにかく、足跡を追ってみましょう。旅人が迷い込んだのだとしたら危険だわ」
「そうでござるな」
「わかっただ。こっちは熊よりは追いやすいだ」
カミュ達は薄暗くなってきた山の中を足跡を追って進んだ。
一時間程進むと、前方から嗅いだ事のある臭いが漂ってきた。
血だ。この先で大量の血が流れている。
「カミュ殿」
雪丸も血の臭いを感じとったようだ。
月夜も猟師達も顔をしかめている。
「行きましょう」
カミュは臭いのする方へ慎重に足を進めた。
足を一歩進めるごとに、臭いは強く強烈になった。
鉄さびのような臭いの中を進むと、開けた場所に出た。
辺りには見慣れない鎧を着た死体がいくつも転がっていた。
死体には鎧を剥がれ、はらわたが無くなっている物も見受けられた。
「人を食べてる……」
「カミュ様、洞穴があります」
月夜が指差した方向には、真っ暗な穴がぽっかりと口を開けていた。
「でけえ足跡が残ってる。あの熊の穴で間違いねぇだ」
「中にいるの?」
「ああ……死体を引きずり込んだみてえだな」
猟師の一人が地面を見ながらそう口にした。
「どうするの?」
「逃がすわけにはいかね。人の味を憶えちまったら、殺さねぇと今度は家畜じゃなくて村人が襲われる」
「分かったわ。私達はどう動けばいい?」
「あんた等には止めを頼みてぇ。オラたちは煙で熊をあぶり出す。この罠で足を止めて矢を射かけっから、弱った所を仕留めてくれ」
猟師はカミュが渡した罠を見せながらそう話した。
猟師達は山から生木を集めて、洞穴の入り口に積み上げ火を起こした。
罠は穴の入り口近くに設置した。
近くに木が無かったので、鎖は近くの岩に巻き付けた。
余り大きい岩では無いので、少し不安だが足止めにはなるだろう。
生木から煙が上がり、洞穴の中へ流れていく。
暫く待つと穴の中から唸り声が聞こえ、生木を蹴散らしながら熊が飛び出してきた。
罠は熊の右後ろ足を捕らえたが、少し動きが鈍っただけで、岩を引きずりながら周囲を威嚇している。
大きい。カミュがコリーデ村の猟師に見せてもらった物は、大人の男より少し大きいぐらいだった。
目の前にいる熊は、あの時見た物の倍以上の大きさだ。
熊はスティーブが言っていたように鎧を身につけている。
その殆どが甲冑で覆われ、露出しているのは足の裏や口元、下半身の一部ぐらいだ。
動きを阻害しないように、関節部分は露出しているが、動いている熊の関節を狙うのは至難の業だろう。
「射掛けろ!!」
熊を取り囲むように周囲で待ち伏せしていた猟師が、次々に矢を放った。
殆どの矢は鎧や毛皮に阻まれたが、何本かは鎧の隙間に刺さっている。
「鎧を剥がさねば仕留めるのは無理でござるな」
雪丸が刀を抜いて踏み込んだ。
振るわれた刃を熊が右の籠手で弾いた。
雪丸は後方に飛んで、横薙ぎの左の爪を咄嗟に躱した。
「スティーブ殿の言うように、斬撃を弾くでござる」
熊の籠手には深い傷が入っていたが、熊自身は傷を負ってはいないようだ。
「鎧が厚い。カミュ殿、拙者が引きつけるゆえ、隙を突くでござる」
「分かったわ」
「義兄上、私もお手伝いします」
月夜も熊の右に回り込むように動き、短刀を構える。
カミュは左側に回り、刀の柄に手を添わせる。
雪丸が熊の正面に立ち、刀を上段に構えると、それに反応したように熊は立ち上がり吠えた。
空気が震え、鼓膜がビリビリと振動するのをカミュは感じた。
「フッ!!」
雪丸が熊の懐に飛び込み、刀を振るう。
以前カミュと戦った時に見せた打ち込みだ。
その稲妻のような打ち込みを、熊は左の籠手で弾いた。
籠手には深く傷が刻まれ、その下の肉体まで切り裂いたようだった。
「少しは効いたか!?」
雪丸が剣を振り下ろした体勢でそう叫んだのと同時に、熊は右腕を振るった。
雪丸は咄嗟に左に飛んだが、間に合わず弾き飛ばされた。
「グッ!!」
「義兄上!!」
「雪丸さん!!」
月夜が懐から破裂竹を取り出し、熊の鼻先に投げた。
破裂竹が爆発し、強烈な光と音を撒き散らす。
カミュは咄嗟に目を閉じて、目が眩むのを防いだ。
熊は光と音を間近で浴びて苦しそうにうめき声を上げている。
今だ。カミュは腰を落とし刀の柄を握った。左手は鞘に添える。
カミュは一気に間合いを詰め、熊の左腕を狙い刀を抜き放った。
鞘から解き放たれた刃は、左腕のみならず、鎧に覆われた脇腹も深く切り裂いた。
熊は苦悶の咆哮を上げ、フラフラとカミュに向き直る。
そして、残った前足を下ろし、牙を剥いて唸り声を上げた。
カミュは一度間合いをあけ、刀を血振りして鞘に納めて、再度居合の構えを取った。
熊は残った三本の足で大地を蹴り、カミュに凄まじい速度で迫った。
カミュは、ジョシュアの動きを思い浮かべ、ゆっくりと息を吸いそして吐いた。
熊との距離が肉薄した時、右に逸れるように踏み込みながら、カミュは刀を抜き放った。
流れるように振りぬかれた刀は、熊の頭を装甲ごと通り抜けた。
熊は突進した勢いのまま、カミュの横を走り抜け、そのまま倒れた。
カミュは再度血振りをして、刀を鞘に納めた。
「ふぅ、なんとかなったわね。雪丸さん大丈夫?」
「カミュ殿……見事でござる。何度かその技は見たが……今まで見た中で一番美しかったでござる」
雪丸は、体を起こしながらそう言った。
月夜や猟師達は何も言わず、倒れた熊とカミュを交互に見ている。
「カミュ様……今のは義兄上が探していた方の技なのですか……?」
「まあね」
「これほどの使い手は国元にもおりませぬ……義兄上が異国に渡ったのも頷けまする」
月夜は感激したのか、目を潤ませながらそう言った。
猟師達は、恐る恐る熊に近づき、死んだことを確認している。
「すげえな。兜ごと熊の頭蓋骨を斬ってる」
カミュは猟師に近づき問いかけた。
「この熊はどうするの?」
「普通の熊なら村の皆に肉を分けたりするんだが、こいつは人を食ってる。さすがに食うってわけにもいかねえから、村に運んで燃やそうと思うだ」
「それがいいかもね」
熊がどこから来たのか、死んでいた者達は何者か、色々分からない事はあるが、兎も角、ローグ村を騒がせた熊退治は終わった。




