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3.死者が幸せに眠る丘(1)

 アシュリーは地図を睨んでいた。

 ひなびた小さな宿の一室。埃っぽいベッドの上で、色褪せた地図に指を滑らせる。季節は晩秋。室内なのに、地図に乗せた手がかじかむ。

「アシュリー」

 目的地は、ひとまずは大陸南部にある小国。ウォーグ王国する。

 ここは小国ながら、交易や観光に開かれていて、人々の行き来が多い。大きな冒険者ギルドもあるため、仕事も情報探しにも便利な国だ。

「ねえ、アシュリー」

 対して、今いる場所は大陸の東部、のはずだ。町に置いてきた少女を撒くために、めちゃくちゃな道を通ってきたため、居場所が把握しづらい。

 森を突き抜け、山を迂回し、おそらくはこの川沿い。このどこかにいるはずだ。だが、場所が特定できない。今いる町は、地図上には存在しない。

 地図が古いせいか。あるいは最近できた町なのか。この周辺は滅んだ集落がいくつかあるから、生き残り同士で集まって、新しい町を作るということも、ないわけではない。

「アシュリー、あーしゅりー」

 地図を睨むアシュリーの背後。後頭部に、なにかがぐりぐりと押し付けられる。同時に、アシュリーの頭を、大きな手がおさえつける。おさえつける、というよりも、両手でわしわしと撫でられているような感覚だ。

「ねー、構って。地図よりもこっちを見てよ、アシュリー」

「ノエル、うるさい」

「せっかくの僕の時間なのに。ずっと地図ばっかり見てる。ひどい! ずるい!」

 嘆きの声とともに、いっそう頭をぐりぐりされる。正体は、ノエルの額だ。アシュリーの背後から、ノエルが自分の頭を押し付けている。

 頭に触れることを許してから、彼はたまに、膝の上に乗らないことがある。目線を合わせて頭を撫でたり、額を当てたり。ただし、こうして背後から頭を合わせてくるのは、今回が初めてかもしれない。

「仕方ないじゃない。やっと落ち着けたんだから。今まではずっと森の中で、地図なんて役に立たなかったし」

「そうだけどさあ。僕がいる間は、僕のことを見てよ。地図なんかより、僕の方がずっと面白いよ!」

「面白いから地図を見てるわけじゃないわよ」

 自分の今いる場所と、今後向かう場所を確認しなければならない。せいぜい、川くらいしか特徴のない町だ。ろくな準備もしないで飛び出せば、延々と森をさまよう羽目になる。冬の差し迫るこの時期。森での野宿暮らしは、下手をすれば命にもかかわるのだ。

「だいたい、ノエルだって見ても面白くないし」

「そんなことないよ! もっとじっくり見て!」

 憤慨したような声が背後から聞こえる。アシュリーを撫でる手も、感情を表すように雑になり、髪をくしゃくしゃにしてくる。

「君のために、僕はいろいろ整えたんだよ。顔はもちろん、体格も、筋肉のつき方や、骨の浮き出る部分。胸に手を当てれば、心臓の音もする」

 思い切りくしゃくしゃにして、ふとノエルは手を止める。押し付けてきた頭も離す。地図を見るアシュリーには、背後で彼がどんな顔をしているかわからない。

「君が喜んでくれるように、どこもかしこもきれいにした。僕の体、人間と変わらないよ? 君だけに見せるために作ったのに、見てくれないなんてもったいないよ」

「毎日見てるじゃない」

「毎日、見えないところも」

 耳元でノエルが囁く。アシュリーにだけ聞こえる、かすれた小さな声だった。

「この服の下、君だけが見て良いんだよ。君だけが触れて良い。どこもかしこも、触れて、いじめて、君の物にして?」

 ノエルが手を伸ばす。背後から回ってきた手は、アシュリーの持つ地図を奪った。

 そして、ベッドの上に放り投げる。地図はちょうど、アシュリーの背後あたりに落ちる。

「あっ! こら!!」

 叱るようにそう言って、アシュリーは投げられた地図に手を伸ばした。反射的に――背後のノエルのことを忘れて。

「ひゃっ」

 と声を上げたのはノエルだ。体をひねったアシュリーの手が当たってしまったらしい。ノエルは後ろ向きに倒れ、ベッドの上に転がる。

「アシュリー、だいたん」

「わざとらしい!」

 ちょっと手が当たっただけだ。倒れるほどの力はないし、たとえアシュリーが本気でノエルを押したとしても、彼はびくともしないだろう。それくらいの力の差があるのだ。

 だから、ノエルが倒れたのはどう考えてもわざとだ。子供っぽいいたずらだ。

 じとりとノエルを見やれば、彼ははにかんだように笑う。

「やっと僕を見た」

 ベッドに寝そべり、彼は目を細める。その笑顔も、どこまでいっても歪みない。偽物の顔が作り出した偽物の笑みだが、少しだけ、スライムだったころのノエルを思い起こさせる。

「アシュリー、最近の君は根を詰めすぎだよ。久々の宿なんだから、もう少しのんびりしてもいいんじゃない?」

「のんびりなんて……」

「今のところは危険もないみたいだし、ゆっくり休もうよ。なにかあっても、僕が守るから。絶対に君を傷つけさせないよ」

 む、とアシュリーは口をつぐむ。まっすぐにノエルを見ることができず、思わず視線を逸らせば、彼は笑みを深め、「えへへ」ととろけたような声を出す。

「アシュリー、照れてる。――嘘じゃないよ。君はもっと気楽にしていればいい。僕がなんでもしてあげる。君を甘やかしたいんだ」

 甘やかしたい、と言いながら、ノエルは甘えた表情を浮かべ、アシュリーを見上げる。

「あの魔女を置いてきたこと、不安なんでしょう? これで良かったのか、悩んでいるんでしょう? 僕が慰めてあげるよ。おいで」

 ベッドにあおむけになりながら、ノエルは両手を広げる。飛び込んでおいで、と言わんばかりだ。

「いらない。ノエルの体冷たいし、それに変なことされそうだし」

「…………本当に慰めたいだけなんだけどなあ」

 ノエルはしゅんとした様子で、息を吐く。それから、億劫そうに身を起こした。足を曲げ、膝を抱え、アシュリーを覗き込むように、下から見上げてくる。

「アシュリー、僕のこと信じてないの?」

「そういうわけじゃないけど……」

 ――甘えたところで、空しいだけだから。

 《魅了》が解けたら、ノエルはこんなことを絶対に言わない。

 甘えた表情も浮かべないし、甘やかしたいとも言わない。普段のノエルにとって、アシュリーは少し便利な道具のようなもの。あると役立つ。替えは効くけど、敢えて交換するほどでもないから使い続けている。その程度の存在だ。

「僕に心がないから?」

 アシュリーの内心を見透かすように、ノエルが言葉を吐く。視線はアシュリーに固定されたまま、熱っぽく見つめている。

「アシュリー」

 ノエルがそっとアシュリーに近付く。自分の頭を、アシュリーの頭にこつんとぶつける。

「心がないせいで君がつれないのだとしたら、僕は心が欲しい」

 ノエルの手が、アシュリーの手を握る。手に込める力は強いけれど、絶対にアシュリーを傷つけない。

 ひたすらに、アシュリーに優しくて、甘い手だ。

「心があれば、ずっと君を好きでいられるのに。君の気持ちも、もっとずっとわかるのに。アシュリー、ねえ、僕は心が欲しいな」

「そんなもの」

 反射的に、アシュリーは声を出していた。普段よりも少し低く、冷たい。自分でも、こんな声が出るのが不思議だった。

「ないほうがいいよ」

 言ってから、アシュリーははっと自分の口をおさえる。ノエルはアシュリーから頭を離し、不思議そうに瞬いていた。

「…………アシュリー? 僕に心があるのは嫌?」

 口元をおさえたまま、アシュリーは目を逸らした。ばつが悪い。こんなこと、言うつもりじゃなかった。でも。

 ――だって、ノエルが心を持ったら……。

「僕が、他の人を好きになるかもしれないから? 君の魅了を必要としなくなれば、君自身も要らなくなるから?」

 アシュリーは黙っている。否定も肯定もしないし、視線も逸らしたまま戻さない。

 そんなアシュリーから、ノエルは視線をそらさない。アシュリーの横顔を見つめながら、首を傾げている。

「そんなわけないのに。僕は君だけを好きになるよ。こんな風に心を埋め尽くす人が、他にいるなんて考えられない。だから少しも心配することはないんだよ」

「……ノエル」

「たしかに君は、そんなに美人ではないけど……でも、僕には世界一かわいい人だよ。無鉄砲で考えが甘いけど、それも守りがいがあるし。君には金も身分もないけど、その分自由だよね! あとは――――」

「ノエル」

 アシュリーの口から、さっきよりもさらに低い声が出た。

 ようやくノエルに向かった瞳は、氷点下の冷たさを誇る。それを見てさえ、ノエルは嬉しそうに目を細めるのだから、《魅了》の効果は恐ろしい。

「あとはね、僕は君の手が」

 続くノエルの言葉を遮り、アシュリーは怒りの声を上げた。

「――――自意識過剰が、すぎる!!」

「あいたっ!」

 怒声ついでに、彼の額を指で思い切り弾くと、少し浮かれた悲鳴が響いた。

 けっこうな音がしたのに、ノエルは赤くなった額に触れながら、どことなく嬉しそうな顔をする。

「えへへ、アシュリーの付けた傷だ。一生消えないでほしい」

「ぜんぜん堪えてない!」

 むしろ喜んでいる。

 だから、《魅了》は嫌なのだ。


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