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2.人が幸せに暮らす町(4)<終>

「君はいつもそうだ」

 ノエルの声は不満げだった。

 アシュリーの膝の上に寝そべりながら、口をとがらせて彼女を見上げている。

 すっかり日の暮れた森の中。一日一度の約束の時間だ。

「せっかく助かる機会があっても、いつも結局は黙っている。これでもう、何回目?」

「今回は、どっちにしたって駄目だったじゃない!」

 む、とアシュリーも顔をしかめる。膝の上のノエルの頭を、その手でくしゃくしゃに掻き乱した。ノエルはくすぐったそうに目を閉じる。嬉しそうだ。

「そんなことされても、許してあげないよ。僕が居なかったら、君は確実に死んでいたんだから」

「ノエルが居ないことなんてないでしょう」

「そうだけど。…………君、僕を喜ばせようとしているの? 叱られるとわかっているから」

 赤らむ頬を、ノエルはぱちんと叩く。《魅了》状態で、これだけ自制しようとしているあたり、彼は相当に怒っているらしい。

 アシュリーにも、自覚はある。今回に限っては告発も無意味だったけれど、それは結果論だ。生き残りたいなら、誰かを告発しなければいけない。

 アシュリー自身に、あの包囲から逃げる力はない。口を閉ざしていたのはすなわち、ノエルが助けてくれることを前提にしていたからだ。

「僕にとっては、君は弱みだから、そりゃあ助けるよ。今の僕なら命も惜しくないし、たとえ今の僕じゃなくても、死なない限りは君を守る。君が居なくなるなんて考えられないもんね。でも、いつだって安全なわけじゃない。君を連れて転移する魔力も、馬鹿にならないんだから」

「わかってるよ!」

 言いながら、アシュリーはいっそうノエルの髪を乱す。濃緑の髪が、手の中で鳥の巣みたいに変わる。でも、すぐに元通りだ。ノエルの髪は妬ましいことに、乱れとも寝癖とも無縁だった。

「わかってない」

 そんなアシュリーの手を、ノエルは握りしめる。右手に左手、左手に右手。両手を掴まれる。

 ノエルはアシュリーの両手を掴んだまま、半身を起こした。アシュリーと同じ目線で、彼はまっすぐに見つめてくる。

「君は危機感がなさすぎる。僕にとって、どれだけ大切な人なのかわかっていない」

「そんなこと――」

「ある」

 アシュリーの言葉を、ノエルが奪う。

「君の周囲が、どれだけ危険かを君は自覚するべきだ。君は魔女なんだから。他人を信用してはいけないし、万が一の場合は裏切れるようにならなきゃいけない。それがたとえ、知り合いでも。じゃなきゃ、君が死ぬんだ」

「……知ってるよ!」

「実践できなきゃ意味がないんだよ。あんまり君が迂闊なことばっかり続けたら、僕だって我慢できなくなる。君を守るために、君の手足をもいで、どこにも行けないようにするよ」

 ノエルの手に力がこもる。締め付けられる感覚に、アシュリーは身を引いた。このままノエルが力を込め続ければ、アシュリーの手をちぎり落とすこともできるのだ。

「やんないけど。君が嫌がることを、今の僕は決してやらないけど」

 けど、と言いながら、ノエルはアシュリーに顔を近づける。手以外に触れない、という言葉通り、近づくだけで決して触れはしない。

 ただ、かすめるほどに傍に顔がある。彼が言葉を発するたびに、冷たい空気が動く。彼は人のふりをして、する必要のない呼吸までしていた。

「そうしてしまいたいと思っている。手足をもいで、深い森の奥で、魔女とも、魔女狩りともかかわらずに暮らしていきたい。誰にも君を傷つけさせない。僕が君を守り続ける。楽園ガーデンなら僕が教えてあげるのに」

「いやだよ!」

 アシュリーは身を震わせた。ノエルの手を振り払おうとするが、ぴくりと動かない。

「やりたいだけ。まだやらない。僕が、本当に我慢できなくなるまで」

 ノエルの目は、アシュリーから一度たりとも逸れない。アシュリーは視線をさまよわせる。まっすぐに視線を受けることも、見つめ返すことも、今の彼女には難しかった。

「人間の世界は危険だ。君はそれを自覚して、反省して」

「…………うん」

 頷く他にない。ノエルの言葉は正しい。アシュリーが甘かった。人々の中で生きようとする限り、アシュリーが魔女である限り、どこまでも危険なことを、もっと自覚するべきだった。

「私が悪かった。ごめんなさい」

「本当に反省してる? 君のごめんなさい、もう何度も聞いたよ」

「本当に!」

 ノエルはうろんげだ。これまでのアシュリーを見てきたから、仕方ないのかもしれない。

 彼は少しの間半目でアシュリーを見やってから、ふと思いついたように口を開いた。

「じゃあ、君に触れさせて」

「駄目!」

「変な所じゃない。手以外の一か所で良い。ただし、今後君がへまをするたびに、僕が触れられる場所を増やしていく」

 それはつまり、最初のうちは変な場所ではなくとも、徐々に際どい場所も許すようになるということだ。

「嫌なら、嫌って言ってくれていい。君が本気で嫌なことは、僕もやりたくない。君に嫌われたら、僕は生きていけないから。……ただ、ね」

 ノエルは目を細める。嘘の恋心と、魔物の残忍さと、心を知らない無機物を、煮て溶かしたようないびつな笑みだ。

「僕のこの心は、いつか消えるものだ。あまりふざけたことをすると、心無い僕が、君を切り捨ててしまうかもしれない」

 ねえ、とノエルは首を傾げる。熱っぽい瞳が、アシュリーを捕らえる。酔ったように、頬が赤らんでいる。酒では決して酔わないのに。

「今日のだって。転移しないで、あのまま君を丸のみにすることもできたんだ。今から思うと、そうしてしまえばよかった気もするよ。そうしたら、僕の中にずっと君がいるんだ」

 恍惚めいたため息が、アシュリーの顔にかかる。

 ノエルの指が、アシュリーの指を割る。手のひらを合わせ、ノエルの大きな手が、アシュリーの手と握りあわされる。痛くもないのに、潰されるような気がした。

「手だけじゃない。どこにでも触れていられる。君の体すべて」

「――――ノエル!」

「でも僕は、君が嫌がるから我慢するんだ。だから代わりに、君に触れさせてくれる?」

 宝石めいた緑の瞳が、期待を込めてアシュリーを見ている。先ほどまでの悪酔いは、今は少し鳴りを潜めているらしい。

 だけど、油断ならない。《魅了》は絶対服従の魔法ではないのだ。ただ、相手をむりやり恋に落とすだけ。多くの場合は、恋ゆえに術者を守り、従おうとするけれど、中には恋しているからこそ、かえって術者を傷つけてしまう者もいる。

 アシュリーは落ち着かせるように深く呼吸をすると、ノエルの顔をそっと見やった。

「……どこに触りたいの」

「決めさせてくれるの? ――――ならね、頭が良いな」

「頭?」

「うん」

 ノエルは笑う。今度は、裏のない笑みに見えた。

「僕がされるみたいに、撫でてあげる。元気のない君を慰めたいから」

「…………そ」

 アシュリーは顔を上げた。自分でも気がつかないうちに、目を見開いてしまっている。じわりと、変な汗が出る。それを隠すように、アシュリーは声を上げた。

「そ……それなら! 好きにすればいいわ!」

 自分でも思いがけないくらい、大きな声が出る。カッと赤くなるアシュリーを見て、ノエルは笑うように、小さく喉をならした。

「ん。好きにするよ」

 そう言って、ノエルはアシュリーの両手を離し、代わりの彼女の頭に手を伸ばす。

 アシュリーは自由になった両手を浮かせたまま、体をこわばらせた。ノエルの手は、ひたすら優しく、丁寧にアシュリーの頭を撫でる。

 頭を撫でられたのは、子供のころ。母にされて以来だ。



 〇


 膝の上で幸せそうに眠るノエルを、アシュリーは無言で見下ろした。

 頭には、まだノエルの触れた感触が残っている。自分でも撫でてみて、空しさにくしゃりと髪を握る。


 最初にアシュリーを売ったのは、母だった。

 十歳の誕生日。魔女審判の下った日。祝福ノエルの森に捨てられるアシュリーを、母は無言で見送った。

 檻のついた馬車に乗せられ、泣き叫ぶアシュリーを、母はただ見つめるだけだった。

 アシュリーを何度だって抱きしめた手は、もう二度と触れてくれない。不安で眠れない夜、子守歌を歌った口は、もう言葉を投げかけない。ふとした瞬間、慈しみを込めて見つめていたあの目は、ただただ空虚だった。

 アシュリーにもわかっている。仕方のないことだ。

 魔女をかばうことはそれ自体が罪。たとえ自分の子供であっても、邪悪な魔女は捨てねばならない。死なねばならない。

 アシュリーには兄弟がいた。姉が一人。弟が一人。母は、アシュリーだけを守るわけにはいかなかった。

 それに、母はもう慣れていたはずだ。彼女はかつて、自分の妹を魔女狩りに引き渡しのだから。


 ――わかっている。


 アシュリーが告発されたのは、今回がはじめてではない。

 別の町でも、もう何度も売られては、ノエルとともに逃げ出してきた。

 仕方なく売られることもあった。自分が告発されたから、誰かを代わりに犠牲にするために。

 最初から、売るために近付いてくる魔女もいた。

 自分も魔女だと、仲間だと、苦しみ悲しんできたのだと。魔女同士協力し合おうと言って近づき、心を許して魔女と伝えたその日のうちに、捕まりそうになったこともある。


 魔女は邪悪な存在で、誰かを売らなきゃ生きていけない。

 協力なんてできないし、誰も彼もが敵になる。

 家族だって、友だって。


 瞬きをすると、目の前が曇っていることに気がついた。

 髪を握る手に、力がこもっている。

 魔女狩りの興業を笑いさざめく人々の声がする。十字に掛けられ、悲鳴を上げて焼け焦げていく魔女を、歓声を上げながら見る人々がいる。

 これが、この大陸の当たり前だ。魔女に生まれた方が悪い。魔女にさえ生まれなければ、人々は笑いながら生きていける。争いは少なく、手を取り合い、正義の元に清く生きていける。

「…………うぐ」

 アシュリーは奥歯を噛みしめる。喉の奥から漏れ出る叫びを殺して、小さなうめき声を上げる。

「う…………」

 アシュリーは今まで、誰も告発したことがない。ノエルに何度叱られても、何度裏切られても、声を上げることができなかった。

 アシュリーは魔女だ。

 でも、人間でもある。

 優しくあれと育てられた。人を傷つけるなと叱られた。十歳までに、喜びと悲しみを教えられた。

 魔女は邪悪。魔女は貶められるもの。火刑にされたくなければ、人のために他の魔女を売らなければならない。

 わかっている。でも。

 ――どうして魔女は、人のように生きられないの。

 誰も見ていないとわかっていて、アシュリーは目元を隠す。こぼれないように息を殺し、強く目をつぶる。

 ――どうして傷つけあわないといけないの。

 魔女が幸せに暮らせる場所は、この大陸のどこにもない。

 それでも、アシュリーは楽園ガーデンを探さずにはいられなかった。

 傷つけたくない。幸せに生きたい。魔女でも、人と同じように。

 唇を噛みしめると、アシュリーは目元を強くぬぐった。

 こんな顔、誰かに見せるわけにはいかない。ノエルにだって。


 〇


 アシュリーが妙に元気な時は、後で一人で泣いている。

 ノエルはそのことを知っている。

 ――なんで僕に頼らないんだろう。

 《魅了》時限定で、いくらでも甘やかすし、いくらでも慰める。アシュリーを傷つける者はすべて排除する。ウィッチ・ガーデンではなくても、楽園くらいなら作ってみせる。

 なのにアシュリーは、不思議なくらいノエルに寄りかからない。もちろん、護衛としては頼られるけれど、弱い心や傷ついた姿を見せようとしないのだ。

 ――ぜんぜんわからない。

 アシュリーの膝の上、薄れていく《魅了》の効果を感じながら、ノエルは寝返りを打つ。彼女はまだ泣いているだろうから、目は閉じたままだ。

 ――心がないから?

 恋心はあっても、他の心をノエルはまだ知らない。苦しみや悲しみには共感できない。ノエルにわかる感情は、「死にたくない」か「死ね」くらいだ。

 だから、アシュリーはノエルに泣きついて来ないのだろうか。

 ――でも、僕だって慰めるくらいはできる。

 心はなくとも、アシュリーの感情を把握することはできる。嬉しいときに喜んだふり。悲しいときに、一緒に悲しむふりをしてやれるのに。

 それでは、だけどアシュリーには不足なのだ。心というのは、きっと共感の免罪符。同じ行為をしていても、それがあれば許されて、ないなら認められない。アシュリーに限らず、そういう人間が少なからずいる。

 ――……あったら、便利だな、心。

 少女の押し殺した泣き声を聞きながら、ノエルは静かに考えていた。


 ――使い勝手がよさそうだ。


 〇


 翌朝、アシュリーはノエルと旅立った。

 もう町には戻れない。新しく、冒険者ギルドのある町を探さなければならないだろう。

 ギルドの人間は、魔女であることを黙ってさえいれば、深く詮索はしてこない。彼らは魔女の力を含めて、こういう商売をしているのだ。


 街道沿いの森の切れ目。アシュリーはふと、誰かがうずくまっているのを見つけた。

 薄汚い格好の少女だった。見覚えがある。たしか――――。

 ギルドで、アシュリーを告発した少女だ。聖女たちの手から、どうにか逃げおおせたらしい。だが、その際の苦労は、格好から見て取れる。服が破け、髪はぼさぼさ。膝を抱える手には無数のあざがある。

「だ、大丈夫?」

「アシュリー、ばか」

 思わず声をかけたアシュリーを、ノエルが小声で叱った。

「君っていっつも、同じ間違いを繰り返す」

 ノエルは不機嫌だ。長らくアシュリーに付き合っているのだから無理もない。が、今のアシュリーは、ノエルよりも少女に目を奪われていた。

 アシュリーの声に、少女は頭を軽く振る。それから、ゆっくりと顔を上げた。

「…………大丈夫に見える?」

 少女の顔は、半分が潰れていた。ひどい火傷だ。魔女狩りの火か、聖女の魔法かは、判別がつかない。よく見れば、ボロボロの服にも焦げ跡がある。

 この状態で、何とかここまで逃げ出して、力尽きてしまったのだろう。

「いいの。もともと死ぬはずだったから。生きていたのがおかしいの、私は魔女なのに」

 黙ってしまったアシュリーに、少女は焼けた口元で笑んで見せた。

「祝福の森で死んでおけばよかったの。なのに、見苦しく逃げたりするから」

 笑っているけど、残った片目で泣いている。大粒の涙が、目の端からぼろぼろと落ちることに、少女自身は気がついていないようだ。

「大人しく死ねばよかったのに。どうして、私、まだ生きているんだろう」

 膝を握る手に、少女は力を籠める。服の裾が引っ張られ、スカートの下に隠れた、焼けた太ももが目に入る。焦げてひきつった足は、歩くのも痛いだろう。それでも、彼女はここまで来た。

「死んだ方がよかったのに…………」

 少女はつぶやく。

「死にたくない」

 潰れた顔を歪ませて、片目で泣きながら、かすれた声を絞り出す。

「私、死にたくないよぉ…………」

 アシュリーは目を伏せた。両手を握る。なにかを察したのか、ノエルが「アシュリー」と制するような声をかける。

 が、アシュリーは聞かないふりをした。

「じゃあ、一緒に来る?」

 少女が泣き顔を上げる。ノエルが隣で、うんざりしたように顔に手を当てていた。

「次の町までだけど。そこで別れるけど。それまでは、私が生き方を教えてあげる」

 嘘のつき方。魔女であることの隠し方。調合の仕方に、他の冒険者との付き合い方。

 それから、魔女同士の別れ時の見極め方。

 互いを魔女と知った相手とは、同じ町では暮らしていけない。はじめは仲良くしていても、いずれは疑い合うようになる。だから、同じ町には入らない。これが、アシュリーの別れ時だ。

 少女はしばらくアシュリーを見つめていた。

 瞬きを繰り返し、言われた言葉を噛みしめると、彼女はかすかに頷いた。




「アシュリー、これで何度目」

「大丈夫。町に入る前に別れるから」

 前に同じことをしたときは、町に入るなり魔女の告発をされたことがあった。同じ町に入らないのは、それ以来のアシュリーの鉄則だ。

「そういう問題じゃないでしょ。わざわざ自分を危険に晒すような真似して」

「ごめん」

「君って、口ばっかりだ」

「…………ごめん」

 ノエルは呆れた顔で首を振る。

 彼の言うことはもっともだ。未熟な魔女を連れることも、魔女と共にいることも、アシュリーにとっては危険なことだ。情を移すのも厄介だし、魔女狩りに遭ったとき、逃げにくくなってしまう。

 ――でも。

「でも、放っておけないの」

 人間の敵は魔女。魔女の敵は魔女。魔女を救う者は誰もいない。一人で生きて、一人で死んでいく。それはあまりにも苦しい。

 人と同じように生きたい。誰かを憐れんだとき、当たり前に手を差し出したい。悲しいときに、与えられる手が欲しい。

 アシュリーにとっての楽園は、それだけだ。

 それだけでいい。


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