2.人が幸せに暮らす町(3)
翌日のギルドは騒がしかった。
「冒険者、レイ・ロード。あなたに魔女の疑いがかかっています」
人の出入りの最も多い、昼を迎えたばかりのギルド。
これから旅立とうとする者、新たな仕事を求めてきた者。ギルドが運営する武器屋や防具屋をのぞき、旅の準備を整える者。
人のあふれ返ったギルド内に、よく通る女の声が響き渡った。
「魔女でなければ、抵抗はしないように。抵抗はすなわち、魔女とみなします。逃亡は考えない方がよろしい。この建物は、すでに封鎖しています」
食堂で人を待っていたアシュリーは、反射的に身をかがめた。ノエルがレモン水を舐めつつ、そんなアシュリーの態度を咎めるように視線を向ける。落ち着いていなければ、こちらまで魔女と疑われるのだ。
騒動の中心は、食堂から離れたギルドの受付付近。一人の青年冒険者が、鎧で身を固めた聖騎士たちに囲まれている。
聖騎士たちよりも、一歩前に歩み出ているのは、背の高い黒髪の女だった。彼女が声を発しているらしい。顔はよく見えない。長い黒髪を後ろで結び、茨を模した飾りを編みこんでいる。特徴的な髪形から、聖教会の聖女の一人だろうと予想できる。
――黒髪の聖女……珍しい。
高貴な人々に、黒髪はほとんどいない。黒は魔に近しい色だからだ。聖教会に連なる人々も、おおよそ黒は忌避される。いない、ということはないが、聖騎士を導けるような立場となると、かなり限られているはずだ。
「この町に、魔女の痕跡がありました。街道沿いの森にも。火刑された魔女の家が荒らされていることに心当たりは?」
「し、知らない! 俺は魔女じゃない!」
青年冒険者が首を振る。聖女が彼を一瞥し、息を吐く。
「知らない、ということは嘘ではないようですが、魔女であることには間違いないようですね」
「な……! ま、魔法か! 俺に《看破》の魔法をかけたんだな!?」
《看破》は、嘘を見破る上級魔法だ。ギルドの公認魔術師が、依頼達成の確認をするために使う魔法でもある。
ざわり、と酒場が静かにざわめく。《看破》持ちの聖女に、嘘は通じない。
――たとえ嘘でなくとも。
そもそも、一度魔女と疑われた人間の言葉を、彼女たちは聞いたことがあっただろうか?
「魔法ではありません。私の力は神の思し召しにより与えられた、聖術です。が、あなた方にとってなじみのある術では、そう言うのでしょう。嘘は効かないと思いなさい」
ぐ、と青年冒険者は言葉を詰まらせる。それから。
それから、彼は何かを探すように、視線をさまよわせ始めた。
数人の冒険者が、さりげない所作で立ち上がる。騒動に人々が目を奪われている隙に、そっと逃げ出そうと言うのだ。
だが、それよりも早く、青年冒険者が誰かを見つけてしまったらしい。
「なら! こ、告発を!」
裏返った青年の声が響く。必死の彼の様子を、ギルドの大半の人々は、見世物のように楽しんでいた。
「俺は他の魔女を知っている! それを教えるから、助けてくれ!」
「……もしも魔女ではない善良な市民を告発した場合、あなたの罪に偽証が上乗せされますが」
「偽証なんかじゃない! 本当に魔女だ! だから、俺を……」
「ならば、言うだけ言ってみなさい」
青年は安堵したように頷いた。そして、冒険者たちの集団の中の一人を指し示す。
「あいつだ! あいつが魔女だ!」
「ち、違う……! い、いや、嘘は効かないのか……な、なら俺も告発を――――」
あとは、ただ、連鎖的に魔女があぶり出されて行くだけだった。
一人の魔女が、一人を告発するわけではない。助かりたいがために、知っている魔女をすべてあげつらう魔女も少なくない。告発が告発を呼び、増やし、もはや誰が発端になったのかもわからない。
魔女が魔女を売り続ける。罪の押し付け合いに、歓声が上がる。酒に酔った冒険者たちが、笑いながら惨状を眺め、囃し立て、罵声を浴びせていた。
逃げ出さなかったのは失敗だったのか。いや、《看過》の魔法をもつ聖女がいた時点で、どうしようもなかったのか。
建物はすでに封鎖されている。逃げようと早くから席を立った人々も、外に出ることができず、ギルドの入り口近くで右往左往しているところだ。
魔女。一度魔女の疑いがついた時点で、町を去るべきだったのだ。
「アシュリー」
レイラが告発される。彼女はアランを見て、アシュリーを見て、少し悩んでから、一人の少女を告発した。昨日、アシュリーたちに声をかけてきた新米の冒険者だ。
少女は顔を強張らせ、うつむいた。助かる手段を必死に探している。まだ新米の少女には、知り合いは少ない。誰か、いないか。誰か――――。
「……あの人を」
少女が顔を上げる。
指を向ける先は、アシュリーだ。
「証拠はないけど、確証があるわけじゃないけど…………でも、あの人は魔女だと思うんです!」
ひどい告発だ。普通だったら、こんな告発は棄却される。誰も聞かず、一笑に付すだけだ。
だけど今回の聖女は、《看破》を持っている。彼女がアシュリーに、「お前は魔女か」と聞けばおしまいだ。
「アシュリー」
ノエルが耳元で囁く。
「君も告発するんだ」
「で、でも、相手がいない」
「いや、いる――――二人組の片方が余っている」
ノエルの視線は、アランに向かっている。レイラとアラン、二人組の冒険者。剣士なのに、剣士特有の特徴がない――二人とも。
「二人とも魔女だ。アシュリー、今ならまだ間に合う。先手を打ってやるんだ」
――わかっている。
「みんなやっていることだ。早くしないと、誰かに先を越されてしまうかもしれない」
わかっている。アシュリーだって、売られたのだ。
早い者順。告発される前に、告発してしまえ。最後の一人になった時が、一番悲惨な目に遭う。
――でも。
一緒に酒を飲んだ記憶がある。身の上話をした覚えがある。レイラとのむつまじさを見てきた。
喉の奥が乾く。一緒のテーブルで、酒を酌み交わした相手を売らなければ、魔女は生き残れない。親しい相手ほど、自分から裏切らなくてはならない。先に見捨てた者だけが生き残る。
声を出せないアシュリーを、観衆が騒ぎ立てる。次に誰が出てくるかを、期待して見ている。彼らにとっては、魔女たちの見苦しい争いも、ただの楽しい見世物だ。
魔女。人間。魔力があるかないかの違いだけ。貴族だったら許されるのに、自分たちはなにが違っているのだろう。
そう思うと、足元が震えた。
――どうして私たちは。
死にたくない。でも。
――どうして、騙し合い、見捨て合わなければいけないの。
「アシュリー!」
ノエルがアシュリーの肩を掴む。力の入らない体は、自然と彼にもたれかかることになった。息が荒く、目の前が霞む。告発の言葉は出てこない。呼吸さえも、今のアシュリーには満足にできなかった。
顔をしかめたノエルが見える。彼は今、アシュリーに苛立っているのだろう。アシュリーの元で告発の連鎖は止まった。この無為な騒動が、ここで終わるのだ。アシュリーを、捕まえるべき魔女と定めて。
「――――哀れな」
黒髪の聖女が、静かになったギルドを見回して呟いた。
「全員連れて行きなさい。仲間を売る魔女など、汚らわしい」
聖女は髪を掻き上げる。黒髪の下、線の細い美しい顔がアシュリーからも見えた。
鋭い瞳、確固たる口元。揺るがない正義が、彼女の横顔に浮かんでいる。一見して、年は二十半ばくらい。だが、彼女の実年齢がもっと上であることを、アシュリーは知っていた。
――導きの聖女、マリアン。
彼女は聖女の中で、おそらく誰よりも有名な人間だ。
元平民。元魔女。そして黒髪。
忌み嫌われる魔女だった彼女は、聖教会の信頼を得て、偉大なる聖女となった。誰よりも厳しく、誰よりも無情で、誰よりも多くの魔女を火刑に処した――死出への、導きの聖女。
実年齢は、四十手前くらいだったはずだ。神の寵愛を受けている彼女は、老いを知らないのだと言われている。聖女は未婚が条件であり、若い娘が大半を占める中、彼女の存在はあまりにも異質だった。
だが、なにより名高いのは、類まれなる彼女の才能だ。
「私の前では、すべての魔女が見えています。告発を逃れた者。魔女ではないと偽る者。建物内に身を隠し、やり過ごそうとしている者。告発などは必要ありません」
聖女マリアンは、ギルドを大きく見回した。彼女の視線がかすめるだけで、湧き上がるような恐怖がある。
「魔女による告発が許されるのは、魔力を感知できない未熟な聖女か、異端審問官が相手の場合のみ。協力的な魔女を後回しにし、非協力的な魔女を優先しているだけのこと。魔女はすべて、ひとしく罪深いもの。心得なさい」
「な……た、助けてくれるって言っただろう!?」
そう言ったのは、最初に魔女として捕らえられた青年だった。ひどい裏切りに目を見開き、愕然とする彼を見下ろし、マリアンは淡々と告げる。
「魔女を助けるなど、一言も言った覚えはありません」
言うだけ言ってみなさい――マリアンは、それしか言わなかった。告発者の命の保証は、何一つしていない。なのに、魔女たちは勝手に互いを売り始めたのだ。
誰が魔女で、誰が魔女ではないかわかっていたのに。この悪趣味な光景を、ここに至るまで眺めていたのだ。
「はじめに告げたように、建物はすでに封鎖しています。魔女でなければ、大人しく捕まりなさい。魔女であっても、抵抗はしないほうがいいでしょう。聖女への抵抗は、すなわち神への反逆。聖騎士たちの聖裁が待っています」
力づくで捕まえるつもりだ。抵抗すれば、命はない。彼女はそう言っている。
だからと言って、捕まったところでもちろん命はない。
「ぐ――――」
マリアンの傍で、青年は両手を握りしめた。アシュリーの場所からは、さすがに感知はできないが――傍にいた人間たちは気がついていただろう。
かすかに古代語でつぶやく声と、あふれ出す魔力の気配。
「くそおおお! この悪魔め! 食らえ――――《炎撃》」
「尊き神の御名において――――」
マリアンは悠然と囁く。
「――《天罰》」
吹きあがる炎は、術者ごと消えうせた。後に残ったのは、黒く焦げた人型の影だけだ。
ひりつくような緊張したギルドの中。マリアン一人だけが、すべてを見透かしたように落ち着いていた。
「さあ、もう言葉は不要でしょう――――捕まえなさい! 魔女でなければ大人しく、魔女であっても、抵抗は無意味です!」
マリアンの号令で、聖騎士たちが一斉に動き出す。抵抗をしない魔女はいない。聖騎士に向けて魔法が放たれ、聖騎士たちは剣を抜く。
出入り口は塞がれている。それでも、出口を求めて集う魔女たちに、聖騎士たちが剣を振りかざす。捕まえる気なんて、最初から毛頭ないのだ。元よりここに集まった魔女たちを、彼らは殺すつもりで来た。
悲鳴が上がる。血が飛び散る。めったにない見世物に、観衆は手を叩く。魔女の首が刎ねられるたびに、歓声が起こる。
めまいがした。
「レイラ! 逃げろ!」
聞き慣れた声に、ふと目を向けてしまったのは失敗だった。アシュリーの目に映るのは、決定的な瞬間だ。
見知らぬ魔法を描くアランと、魔法を受けるレイラ。おそらくは、転移に類する魔法なのだろう。レイラを逃がした彼の首には、剣が突き立てられている。
魔法に包まれ、レイラは手を伸ばす。だけどその手は、どこにも届かない。アランの髪をかすめ、彼女の手は消えて行った。
「アシュリー、僕たちも行くよ」
呆然とするアシュリーの頬を、ノエルは両手でおさえる。立ち尽くすアシュリーを見下ろし、彼は目を閉じた。
ぴとん。アシュリーの顔に滴が落ちる。冷たくて、緑色の液体だ。
ノエルの体は、ゆっくりと溶けている。彼の手は透け、顔は崩れ、足元は濡れている。スライムの姿に戻っているのだ。
「体の中に門を開く。たぶん、出口は昨日の森の中だ。いい? ――――呑むよ」
ノエルは透き通る緑の液体になる。伸びあがり、アシュリーを覆うほどに大きくなると、一気に彼女の体を包み込んだ。
冷たくて柔らかい。
全身を包む感触は、まるで抱きしめられているようにも思えた。