2.人が幸せに暮らす町(1)
ティアフ大陸全土に広がる聖教会は、大陸から魔女と呼ばれる存在を消した。
魔女とは、魔力を持った平民のことである。
性別、年齢は問わない。平民が魔力を持っていれば、それはすなわち魔女と呼ばれる。
魔力とは、すなわち魔物に属する力。
魔物とは、その邪悪さと残虐さから、神に見捨てられた存在。
清廉なる神の徒である限り、持ってはいけない力だった。
ただし、王侯貴族の中でも、選ばれた血筋だけは別だ。彼らは神に許された魔族の末裔。一度は魔に堕ちながらも、清い心でもって神に認められ、人の輪に戻ったのだ。
ゆえに、王侯貴族が魔力を持っていることを、聖教会は歓迎する。彼らは試練を乗り越えた聖人たちの末裔だからだ。
あるいは、金を持っているものに限り、国から『公認魔術師』の資格を買うことができる。
公認魔術師とは、魔の力を人々のために役立てると誓った者の証。たとえ平民であっても、彼らは神の試練受けているものとして、存在を許される。
公認魔術師の資格は、毎年更新が必要で、更新料は資格取得時の半額で良い。良心的な金額設定も、神の代理人たる聖教会が定めた。
魔力は迫害される一方で、ひどく便利な力でもある。
魔物討伐、遺跡探索、戦争、研究。役立てる場所は無数にあり、望むものも少なくない。
強い魔力があれば、貴族や金持ちに召し上げられて、公認魔術師として生きていくことができるだろう。
人々は、十歳の誕生日を迎えると、最寄りの聖教会へ赴き、聖隷の儀式を行う。
聖隷の儀式。すなわち、神への忠誠を誓い、神の代理人たる聖教会の信徒となる儀式だ。
別名、魔女審判と呼ばれるそれは、魔力持ちをあぶり出すための儀式でもある。この儀式で、神の定める国民にふさわしいかどうかが判定される。
儀式の中で、魔力持ち、あるいはその他の理由で相応しくないと判定された場合、その子供は捨てられる。
捨てる先は、決まって祝福の森と呼ばれる場所だ。聖教会には必ず存在する広大な森で、神の祝福から外れた者たちが押し込められる。いわば、祝福のゴミ捨て場だ。
魔物。罪人。魔女の子ら。燃やした魔女の灰。魔女の持つ邪悪な書物。すべてがここに集められる。
捨てられた子供たちが生き残ることは、まずありえない。森の中には魔物が溢れ、身一つで放り出された子供になすすべはないからだ。
魔女の子は死によって祝福される。
故に子供を捨てることは罪ではなく、善行である。
聖隷の儀式をすることで、新たな魔女の誕生を防ぎ、清い神の国へと近づいて行くのだ。
〇
とはいえ、生き残ってしまう魔女の子は、少なからずいるものである。
〇
「で、アシュリー。あの色男とはどこまでいったの」
飲みかけのはちみつ酒が気管に入った。アシュリーはごほ、と苦しい咳をする。
息苦しさに口をおさえつつ顔を上げれば、興味深そうな瞳を向ける女旅人の姿がある。
彼女の隣には、揃いの旅装を着た男性が一人。アシュリーとノエルと共に、同じテーブルを囲んでいる。
冒険者ギルド一階。に併設された、安くて早くて不味いと評判の食堂。冒険者で賑わう店の一角で、アシュリーは食事をとっていた。
相席するのは、顔なじみの冒険者二人組。レイラとアランのカップルだ。
アシュリーが薬草駆除の結果報告をしているとき、ちょうど彼らは、新しい依頼を求めてギルドに顔を出していたらしい。そこで声をかけられ、そのまま一緒に食事をすることになった。
「どこもなにも、なんもない!」
「本当?」
まるで信じていない様子で、レイラは首を傾げて見せる。赤みがかった巻き毛がこぼれ、彼女は大人びた所作で、髪を耳に掛け直した。
レイラはアシュリーより、おそらく三つか四つ年上だ。細身の剣を手にした、女剣士と自称している。アランはレイラと同い年。黒髪で背が高い。体つきは細いが、彼も一応剣士のはずだ。
――一応。
「あるわけないじゃない。だって……知ってるでしょう?」
アシュリーは顔をしかめ、ノエルをそっと指し示す。ノエルは食事をとらないが、水と酒だけは人間と同じように飲む。だが、彼が酔ったところをアシュリーは見たことがない。
ノエルはアシュリーの視線に気づくと、反射のように口元を曲げる。傍から見れば、微笑みかけたように見えるだろう。が、いつものように彼はピクリとも笑ってはいない。
「…………ノエルの正体。人間じゃないのよ」
声を落とし、アシュリーは二人に告げる。もっとも、それはいらない気遣いだ。
ノエルが人間でないことは、冒険者ギルドでもかなり知れ渡っている。戦闘能力のないアシュリーに変わり、戦闘の前面に立つ彼は、どうやっても隠しようがない。そのうえ、彼の目立つ容貌も相まって、人の口から口に伝わってしまっていた。
魔物は聖教会における駆除対象。町に知れ渡れば、もう居場所はないだろう。が、冒険者ギルドに限っては、問題が起こることはまずもってない。
冒険者とは、安価に雇える危険の代行者だ。魔物の駆除や、魔物のはびこる地域の調査、ダンジョン探索に護衛など。国の兵や聖騎士団には依頼できないような、雑多で危険な仕事をするためにいる。
そんな仕事においては、魔物は逆に戦力になる。制御できる魔物はむしろ大歓迎。ノエルのように人型にまでなれるのならば、それだけで強さはお墨付きということだ。
食堂にいる人々を見回しても、魔物連れは少なからずいる。さすがに人型はいないが、獣型の魔物、鳥型の魔物、スライム種を連れている人もいる。
それに、魔物以上に変わった冒険者の姿もある。
大陸北方に住んでいたという、犬に顔立ちの似た獣人に、樹木から進化したといわれる、緑の肌の樹足人。額に三つめの目がついている、頭目人。他にも、異なる特徴を持った人々がいる。
全員、少数民族であり、聖教会における異端者である。魔女と異なり火刑にされることはないが、神の祝福を受けそこなった劣等種として迫害されていることには変わりない。
「魔物で、魔法生物でしょう? みんな知っているわよ」
顔をしかめるアシュリーに、当たり前じゃない、とレイラは笑う。分かったうえで聞いていたのだ。
「でも、それだけきれいな姿なんだし、ずっと一緒にいるわけだし、そんな気になったりしない? お互いに」
「ない!」
アシュリーは勢いづいて否定する。その拍子に、テーブルに置いた酒杯が倒れかける。
あっ、と思うよりも早く、隣に座っていたノエルがおさえた。
「…………僕は」
アシュリーに酒杯を返しつつ、ノエルはまたにこりと笑む。
「そういう関係になっても、一向にかまわないんだけどね。アシュリーが求めるなら、僕は応じるだけだ」
レイラとアランが口元をおさえる。「おやおや」とちょっと浮かれた声を上げたのは、アランの方だ。この二人、自分たちが恋人同士なためか、他人の色恋に興味津々である。
「ノエル!」
――なんてことを言う!
「でも」
慌てるアシュリーを見ながら、ノエルは笑みを深める。彼はいたって平静だ。
「忘れないでほしい。僕が求めているのは、君の『技術』だけだってこと」
声は冷たく、心をひやりと撫でる。酔いがすっと醒めていくようだ。
「僕は君のためになんでもするけど、それは君の『手』があればこそ。僕に溺れてもいいけど、僕は常に君を愛しているわけではない、ということだけは、勘違いしないでほしい」
恋人を気取って、《魅了》を使うことを忘れるようになれば、アシュリーに価値はない。ノエルは婉曲にそう言っている。
アシュリーは眉間にしわを寄せ、ノエルを見上げる。
「わかっている。――――こういう奴なの! 人間みたいに思えないし、そんな気になんてならないわよ」
後ろの言葉は、レイラとアランに向けて言ったものだ。
「長い付き合いだし、心がないことなんてよーくわかっているもの。そんな相手じゃ、むなしいだけじゃない」
「君のそういう、自制心のある所、すごく好ましいと思うよ」
「はいはい」
よく言う、とアシュリーは思う。自制心を剥ぐためにそんな容姿をしておきながら、自制心がなくなった魔女は不要なのだ。
「それで噛みあってるのねえ。つまんないわ」
アシュリーとノエルを交互に見つつ、レイラは面白くなさそうに呟いた。二人の関係に、色っぽいことはなにもないのだ。
「技術って、やっぱり調合のかい?」
代わりに、アランが会話に割って入る。やや細めの、優しそうな目元が、好奇心を持ってアシュリーに向けられた。
だが、この目も優しくない。
「香水を作るんだもんね、アシュリーは。それともノエルは、なにか他の技術に惚れ込んでるのかい?」
――探ってきた。
アシュリーは表情を変えないように、慎重にアランに顔を向けた。
「調合。それも、魔物寄せの香水よ。あんなもの作っちゃったから、こんなのが付いてきちゃって」
「こんなのって、ひどいなあ。君の作る香りは、本当にかぐわしいから。それに、ちゃんと役に立っているでしょ?」
ノエルもアシュリーに合わせてくる。伊達に、長い付き合いはしていない。
冒険者としてのアシュリーは、魔女ではない。香水や薬を作る調合士だ。
魔物避けの香水、魔物寄せの香水。単純に、良い香りのする香水も作るが、基本的には冒険に役立つ物ばかり調合する。
アシュリーは祝福の森に捨てられた魔女の子ではなく、調合士だった両親を早くに亡くした孤児。もともと森深くに住んでいたため、ノエルとはそこで出会い、魔物連れとして町に住めないから冒険者をしているのだ――――と、周囲には説明する。
実際、アシュリーは調合にそれなりの技術がある。薬草を扱う魔女は少なくないため、魔女の資料をあさっているうちに詳しくなったのだ。
「ふうん。魔物寄せなんて、珍しいものを作るんだな。まるで《魅了》の魔法みたいだ」
「意外と買い手はいるのよ。害獣駆除のときなんか、おびき寄せる必要があるから」
――《魅了》を知っているんだ。
にこやかなアランは、失言には気がついていない。アシュリーも、敢えて指摘をするつもりはない。
アランとレイラは、一応剣士。だけどそれにしては、二人の体は細すぎる。剣自体が小さめだから、おかしいと言うには決め手がないが。
――剣の柄、綺麗すぎない?
握られた様子があまりない。手入れを良くしている、と言われればそれまで。手のひらに、剣士特有のマメがないのは?
――どっちかが魔女。
アランは《魅了》を受けた側か、使った側か。探りを入れてくるということは、魔女を探している? ならば彼らは売る側か、売られる側か――――。
「――――あの」
談笑するアシュリーたちに、ふと遠慮がちな声がかけられた。
「もしかして、魔法、って言っていました?」
声をかけてきたのは、十二、三歳ほどの少女だった。服の襟に、冒険者を示すピンを付けている。ピンの様子から、まだ新人だろうとわかる。
「魔法について、なにか知っているんですか? ……もしかして、魔女、だったりしませんか? あの、実は私も」
「いや」
少女の言葉を遮って、アランが首を振る。
「魔女なんて、こんな場所にいるわけないじゃないか。ねえ」
「ねえ」
とレイラが返す。かすかに強張った顔は、嫌悪感と言われても納得する。
「魔物はいるけど、魔女はいないよ」
アシュリーも、ノエルを指さして答える。ノエルは黙ったまま、特に返事をする気もないらしい。
「……すみません、失礼しました」
少女は当てが外れたような顔で、しょんぼりと言った。それから、そのまま席を離れていく。
彼女に連れはいないようだ。魔物もいない。保護者もいない。生き方を教えてくれる者も、守ってくれる者もいない。
無防備で頼りない背中に、アシュリーは思わず手を伸ばしかけ――しかし、すぐに引っ込めた。ここにはアランとレイラがいる。
魔女は人前で、自分が魔女であることを決して明かさない。相手が魔女と思しき相手なら、なおさらだ。
魔女にとって、他の魔女は保険だ。
万が一、自分が魔女と知られたとき。火刑を逃れる手段が、ひとつだけある。
それは、他の魔女を売ることだ。魔女一人と引き換えに、自分の命を助けられる。
もしも魔女を五人告発すれば、異端審問官から目をかけてもらえる。十人告発することで、『公認魔術師』の資格を得るチャンスが与えられる。
「……よく耐えたね、アシュリー。また死ぬ気で魔女狩りから逃げる羽目になるかと思ったよ」
ノエルが耳元で、アシュリーに囁きかける。
魔女の敵は魔女。
七年の冒険者生活で、アシュリーはそのことを身に染みて理解していた。