表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/14

1.ウィッチ・ガーデンを探して(2)

 ノエルはもともと、祝福ノエルの森に住んでいた最弱魔物のスライムだった。

 出会ったのは、アシュリーが十歳の誕生日だった。魔力持ちのアシュリーが、聖教会で魔女審判を受け、忌み子として森に捨てられ、途方に暮れていた時。格好の獲物として襲い掛かってきたのがノエルだった。

 アシュリーは、唯一覚えていた《魅了》の魔法で難を逃れたのだが、その先がおかしかった。

 魔法の効果が切れたのに、スライムは彼女を追いかけ、ついてきた。そして、再び魔法を使うことを強要したのだ。


 以来、彼は森をさまようアシュリーから離れなかった。戦う力のないアシュリーに変わり、他の魔物と戦い、その対価として魔法を求めた。

 戦ううちに彼は強くなっていった。はじめは、最弱と名高い無冠のスライム。多くの魔物と戦い、大きくなったラージ・スライム。アシュリーの魔法に含まれる魔力をため込み、魔法を使えるようになったマナ・スライム。

 森を出るころには、彼はスライム以外の姿を取れるようになっていた。この時点での種族名は、水人形リキッド・ドール。人形を模した姿で油断させ、近づいた瞬間に襲い掛かってくる中級の魔物で、もうスライムの名前すらないけど、一応は派生種の一つだ。


 ノエルの名前は、アシュリーがつけた。

 祝福ノエルの森のノエル。聖教会の忌み嫌う魔物相手に、なんという皮肉だろうか。

 だけど、子供のころからそう呼んでいたし、今ではすっかりなじんでしまっている。


 アシュリーとノエルが約束らしい約束を交わしたのは、森を出るころだった。

 今後も、ノエルはアシュリーを守る。代わりにアシュリーは、ノエルに定期的に《魅了》の魔法をかけること。魔法は最低でも、一日一度。《魅了》中は、必ず傍にいること。

 幼いアシュリーは、深く考えずに彼の条件を呑んだ。彼のおかげで森を生き延びることができたのだ。《魅了》の魔法自体は難しくもない。魔法にかかった彼は、甘えてすり寄ってくるだけで、身の危険に晒されるようなこともなかった。

 だから、これで彼が付いてきてくれるものなら、安いものだと思った。

 それから六年間。アシュリーが十六になった今も、この関係が続いている。


 〇


「アシュリー、君はほんとうに魅力的だ」

 アシュリーの膝を枕に、ノエルは嘆息した。生気のない頬が、微かに赤く染まっている。常に感情の見えない彼の顔に、今は満面の喜びがあふれている。

 アシュリーはたまらない。膝の上の重みもたまらない。

 スライムのころは良かった。甘える仕草は愛らしく、体を撫でればぷるぷる震えて、それがまた可愛かった。手をかざせば、自分から伸びてきて撫でられに来る辺りは、猫みたいだった。

 そう。ペットみたいな感覚だったのだ。だからこそ、アシュリーは膝に乗る彼を止めなかったし、両手でわしわしと撫でてもみせた。

 その習慣を、ノエルはまだ続けている。丸いスライムだったからこそ許された、膝の上で撫でられるという習慣を、アシュリーに強要し続けているのだ。

 現在のノエルは、スライムからかなり変異し、オーバーと呼ばれる魔物にまで変わっている。人型魔物の最上位種の総称だ。ノエルのように無機の魔法生物から派生した場合は、これにエレメントと添えられることがある。オーバーエレメント。もはや、ただの物質ではないということだ。

 ここから先に変異すると、次はもう魔物とは呼ばれなくなる。魔族、魔人、そういった種になってしまう。

 そうなると、もう本当に人と変わりない。今は冷たい手も、油断すれば溶ける体もない。今は切れば透き通る緑の液体が滴るけれど、そのうち血が滲み、肉を持つようになる。

 膝の上が落ち着かない。身じろぎをするたびに感じる、ノエルの頭の重みに、アシュリーはそわそわした。

「頭を撫でて、アシュリー」

 目を細め、ノエルはアシュリーの手を取った。そのまま強引に、自分の頭に持って行く。

 触れた額の感触に、アシュリーは戸惑った。額には体温が感じられない。夜の空気を吸って、ひんやりとしている。濃緑色の髪は、絹糸みたいに繊細で、やわらかい。本物の人間みたいだ。

 思わず手を引こうとしても、ノエルはアシュリーを逃がさない。手を握りしめたまま、彼は不思議そうにアシュリーを見やった。

「アシュリー、いつもみたいにしてくれればいいだけだよ。昔は、僕の全身を撫でてくれたのに」

「変な言い方しないで!」

「変かな? 僕は頭だけじゃなくて、いろんな場所を撫でてほしい。だって、こんなにかわいらしい手なんだ」

 言いながら、ノエルはまたアシュリーの指先を撫でる。もてあそぶようでいて、触れ方はひどく優しい。

「君の手は、僕のどこを触れてもいい。僕は君が、どこに触れてもうれしい。君が触れたくなるように、僕はこんな姿になったんだよ」

 アシュリーを見上げて、ノエルはほころぶように笑った。言葉通り、本当に嬉しそうだ。

 ノエルがどのような変異をしてきたか、傍にいたアシュリーはよく知っていた。

 魔法生物であるノエルは、体内の魔力量が一定以上になると、別種に変化する。

 スライムにとって、魔力を増やす方法は複数ある。何らかの魔法を受け、その魔力を吸収するか、他の生物を消化、吸収し、その生命を魔力に変換するかだ。

 ノエルの場合は、アシュリーを守るために他の生物を捕食し、アシュリーが定期的にかける魔法を受けてきた。そのおかげもあって、彼は加速度的に成長してしまったのだ。

 ノエルは魔力をためると、人の姿に近づくように変化していった。元は無性であったが、人型になるとき、男性に性分化することを選んだ。

 姿かたちは、アシュリーが好む方へ変化していった。背はアシュリーより高いが、高すぎることはない。年は、アシュリーよりも一つか二つ上くらい。昔、アシュリーが好きだと言ったから、透き通る緑の体は、今はその色を瞳に残している。

「頭だけじゃなくてもいいんだよ。手も、足も、この体全部、君のものだ。興味ない? 触ってみたいと思わない?」

「ない! ないない!!」

 ひっ、と悲鳴じみた声を上げ、アシュリーは首を振った。とんでもない。

「一度くらいは、見てみたいと思わない? きれいな体だよ。なんなら、傷つけたって、いじめたっていいんだ」

「へ、変態!」

 思わずアシュリーは、ノエルに握られた手を引いた。そして、そのまま彼の額をぱちんと叩く。それを受けて、ノエルはますます笑みを深くした。

「うん。もっと言って。もっとやって。君から受ける仕打ち、なにもかもが愛しいんだ」

「ううう、この、変態! 変態!!」

「ああ、うん。君の羞恥、いいね。すごくいい」

 細められた淡い緑の目は、酩酊したように揺らめいている。青ざめながら赤くなるアシュリーを見つめ、逃れた手を再び握りしめた。

「もっとその顔が見たいのに。僕は君の体に触れることができないなんて。君が触れてくれるのを待つだけなんて。こんなの――――たまらない。ぞくぞくする」

「へんた……い、いや、ううう……」

 もはや、なにを言ってもノエルを喜ばせるだけだ。アシュリーは言いかけた言葉を飲み込み、小さくうめく。

 《魅了》とは、そもそもそういう魔法なのだ。相手の心を奪い、どんな命令でも喜んで聞くようにさせるもの。自分の代わりに戦わせたり、秘密の情報を聞き出したり、なにか目的をもって使用し、使用後はすぐに相手から離れる。

 さもなければ、魔法が切れた瞬間に、相手の怒りを買うからだ。無理矢理に感情を塗り替えられた相手は、多くの場合、術者を嫌悪し、憎むもの。自分にされたことが、気持ち悪くて仕方がない。そう思われてしまうもの。

 だから、このスライムは相当な変わり者だった。

 魔法が解けたとき、アシュリーを憎むどころか、再度の魔法を望むのだから。

「僕はねえ、アシュリー。君に夢中でいることがとても気持ちいんだ」

 とろけそうな宝石の瞳が、アシュリーを映す。宝石には似つかわしくない、薄汚れた小娘を、世界で美しいものでも見るかのように、見つめる。

「無機物の僕が、心無い僕が、自分以外のことで埋め尽くされる感覚が。自分の命よりも大切なものがあるってことが」

 一度目を閉じると、彼はゆっくりと身を起こした。膝の重みが失せ、アシュリーは内心ほっとする。

 が、それも一瞬だ。突風が吹くと同時に、アシュリーは強い力で肩を押された。不意のことに抵抗もできず、地面に背中から落ちる。

 ――押し倒された!?

「ノエル! 変なことはしないって――」

 言ったのに。

 その言葉を、アシュリーは飲み込んだ。怒りと困惑に顔を上げ、視線を向けた先。アシュリーを押し倒し、覆いかぶさるノエルがいる。膝を地面につき、半立ちになったような彼の体。そして、アシュリーを見下ろす首が。

 ない。

 うなだれるような首の断面だけが、アシュリーの目に映る。

「ノエル!!」

 アシュリーは悲鳴を上げた。全身の血が引いて行く。

 首のないノエルの体に、アシュリーは手を伸ばす。その手が、彼の首元に触れた瞬間。


「切り落とされちゃった」

 えへへ、とどこか照れくさそうな、ノエルの声がした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ