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3.死者が幸せに眠る丘(5)

「…………お願いってなに?」

 アシュリーはそう言いながら、リサから距離を取るように足を引く。

 リサは困ったような苦笑を浮かべた。その表情のまま、ゆっくりと部屋の中に入ってくる。

「受け取ってほしいものがあるんです」

「受け取ってほしいもの?」

「受け取って、この町を出て行ってほしいんです。十分なお礼は、できるかわかりませんが……」

 リサの歩みに合わせて、アシュリーは下がる。ほのかに甘い匂いがする。匂いから逃れるように、さらに一歩。

 そこで、肩がなにかにぶつかる。ぎょっとしたが、すぐにノエルだとわかった。少し前まで無関心だったノエルが、立ち上がってアシュリーの肩を支えているのだ。

 アシュリーは無意識に息を吐く。足を止め、もう一度リサの姿をうかがった。

 リサは会話をしようとしている。アシュリーの問いに、きちんと答えを返している。少なくとも、正気ではいるように思えた。

「リサ……」

 アシュリーの呼びかけに、リサは視線で反応する。

「あなた、何者? ここの町はどうなっているの?」

 リサは立ち止る。

 窓の外には無数のうごめくものの気配がする。町全体を、甘い腐臭が包んでいる。

「ここはすでに滅んだ町」

 リサはアシュリーを見つめ、それしか表情を知らないように微笑んだ。

「私はリサ。魔女として処刑された人間です」

 リサは視線を伏せると、そのまま扉の外に視線を向ける。目で、付いて来いと合図をしているのだ。

「お渡ししたいものの場所まで、案内いたします。詳しいことは、道中でお話しましょう」



 〇



 バード。ねえバード。

 犬は好き? この町は狩りで成り立っているから、どこの家も犬を飼っているの。

 バード。この町は好き?

 なにもないけど、いつまでもいていいのよ。

 バード。

 ……バード、子供は好き?

 私は子供、大好き。でも、自分の子供なら、もっと好きになれるわ。


 バード。ねえ、私のこと…………。

 ううん、聞かないよ。

 だって、知っているもの!



 〇


「アシュリー!」

 ノエルがアシュリーの腕を引き、背後に投げ捨てる。彼はそのまま、暗闇に向けて蹴りあげた。

 目の前の黒いかたまりが、もろもろと柔らかく砕けて落ちる。腐臭が、さらに濃く漂った。

 暗闇の中で慣れたアシュリーの目が、砕けた後も蠢く塊を捕らえた。ぼんやりと浮かび上がるその影は、できそこないの人間だ。

 ノエルはその塊を、鬱陶しそうに踏みつぶす。完全につぶれて、ようやくそれは動かなくなった。

「まったく、きりがない。こんなもの、食べても腹にもたまらないし」

 不服そうに言いながら、ノエルはアシュリーを助け起こす。

 彼が不機嫌なのも無理はない。暗闇の町の中は、アンデッドが溢れかえっているのだ。

 予想はしていたが、アシュリーも気分が悪い。アンデッドは、魔物の中でも特に苦手な存在だ。

 アンデッドは、死者の体を操る魔物の一種だ。その種類は幅広い。他人の死骸に、エレメントが宿ったもの。死に損なった魂が、生前の体に宿ったもの。寄生型の魔物に操られたもの。様々いるが、今回のアンデッドは、その中でも最低だ。

 ――人工的な魔物だ。

 どのアンデッドにも、同じ魔力が少量ずつ宿っている。体に魂はなく、術者の魔力によって動かされている操り人形だ。この手の魔物は、たいがいが自分の意思を持てず、術者の命令を聞くか、生前の行動を単調に繰り返すことしかできない。

 死者を操るのは、当然簡単なことではない。入念な下準備と、膨大な知識と魔力が必要だ。アシュリーにも死霊術の知識はなく、今の状況を想像することしかできなかった。


 アシュリーたちは今、宿の外にいる。リサの手引きで、裏口から外へ抜け出したのだ。

 裏口はアンデッドであふれていた。ノエルを頼って強引に突破した後は、追ってくるアンデッドを撒くために、物陰に身を隠している。

 彼らはそれほど賢くはない。夜目は利くが、隠れているものを探し出せるほどの頭はないので、大人しく隠れていれば散ってくれる。

 遠ざかっていくアンデッドたちを見送り、アシュリーは息を吐いた。このまま町を出てしまおうか、と内心で考える。ノエルも、その方が喜ぶだろう。

 実際、いつものアシュリーなら、自分の保身優先だった。なぜ、危険を冒してまで町の残るのだろう。

 リサのため。彼女の依頼に興味があるから。あるいは、魔女の情報を集めるために、もう一度あの小屋に向かいたいから――。

 ――いや。

 アシュリーは内心で首を振る。

 理由はアシュリー自身で、なんとなくわかっている。

 この依頼の内容を、想像してしまっているからだ。


「こっちです」

 リサがアシュリーたちに視線を投げる。彼女はアシュリーを見てから、次に向かうべき場所を目で伝えていた。

 彼女の視線は、暗い街道の先。墓場へと近づこうとしている。


 〇


 リサは不自然な歩き方で、アシュリーたちを先導する。

 彼女の進む先は、どんどんと寂れ、荒れ果てて行った。石畳は剥がれ、家の壁は崩れ、柵は朽ちている。

「魔女狩りがあったのは、二年くらい前です」

 リサは前を向きながら、ぽつりと言った。アシュリーたちには振り返る気配もない。

「町の一人が密告したんです。あの墓場には魔女がいる、って。奥さんが妊娠していて、お金が欲しかったんです。この町は貧しいから……」

 アシュリーはリサの足元を見た。のろのろとした歩き方は、ひどく奇妙だった。手は振れていない。体だけが上下に揺れている。

「町に異端審問官が来て、あっという間に処刑は執り行われました。火あぶりは町の中央で行われて、町の人たちがそれを見に来ました。石を投げたり、笑ったり、目を逸らしたり。それだけなら、よくある話です。異端審問官の方々も、すぐに帰りました」

 甘い匂いが薄れ、腐敗臭が強くなっている。アシュリーは鼻を手で覆った。

 足元は不確かで、がれきが転がっている。木々は枯れ果てていた。昼間に見た光景と、今目に映る光景が異なっている。

「でも、魔女は許さなかったんです」

 リサのスカートが破れている。風にはためいて、破れて、黒くボロボロになって消えていく。

 ――幻覚だ。

 アシュリーは町を振り返る。目に入るのは、蠢く人型の影と、朽ちた建物たち。

 この場所は、ずっと廃墟だったのだ。

 甘い匂いは、もうほとんど感じられなかった。

 そうか、とアシュリーは理解する。最初にあの薬を見つけたとき、なにも変化が起こらなかったのは、すでにアシュリーが幻覚にかかっていたからだ。

「魔女は密告者を許さなかった。笑いものにしたことを許さなかった。石を投げたことを許さなかった。黙って見ていた誰も彼も、許せなかった」

 黒い髪が風に流れて、溶けて消えていく。

「魔女は町を滅ぼしました。町を捨てて逃げ出した人々も探し出し、この町へ引きずり戻して殺しました。それでも魔女は許さない。たとえ死んでも、静かに眠らせてはやらなかった。――――いえ」

 服も、髪も消え、リサに残るのは、ただ黒い人型のかたまりだ。彼女の両手は焼け焦げて、胴に癒着している。足は曲がらない、ただの棒だ。

 星明りの下、黒く焼け焦げた体がアシュリーに語る。

「もしかしたら、私のためだったのかもしれないわ。私が寂しくないようにって。バードの考えそうなことだもの」

バード?」

「そう。渡り鳥みたいだったから」

 リサの影が不自然に曲がり、アシュリーを見やる。黒く焦げた顔に瞳はないが、星明りの加減なのか、光っているように見えた。

「本名を教えてもらえなかったの。でも仕方ないわ、ただのしがない墓守には、不釣り合いな人だったもの。頭が良くて、字が読めて。私の小屋を、あっという間に本で埋めちゃって。傷が治るまで休んだら、すぐに飛んで行ってしまえばよかったのに」

 リサは寂しそうに微笑んだ。――微笑んだ。黒く焦げた顔でも、アシュリーにはそう思えた。

 もしかしたら、リサがずっと微笑んでいるのは――それが最期の表情だったからかもしれない。

「バード。でも、鳥を逃がさなかったのは、私のせい。あの人に鳥かごを作ってしまった――――ああ、ほら、つきました」

 リサが立ち止ったのは、昼にも見た墓地だった。暗闇の中に、無数の墓石が倒れている。

 地面は荒れ果て、まるで掘り返された跡みたいだった。

 丘の上にあるからか、風が絶え間なく吹き抜ける。リサの到着を待っていたかのように、犬の遠吠えが聞こえはじめた。かすかな、猫の鳴き声も。

「リサ、渡したいものってどこ?」

 アシュリーは暗闇を見回しながら尋ねた。あまり長居はしたくない場所だ。町にいるアンデッドたちも気になる。

「こっち」

 リサは手招きするように言うと、アシュリーたちを墓場へ導く。倒れた墓石を踏み越え、墓場の中ほどへ。犬の遠吠えがどんどん大きくなる。猫の鳴き声も大きくなる。

「ここ」

 立ち止ったのは、ありふれた墓の一つだった。掘り返された墓場には、石の棺が埋まっている。すでに開けられた形跡があり、蓋が半開きになっている。大きめの棺は、数人まとめて放り込んだかのようだ。だが、死体は一つも入っていない。

 代わりに、棺の中から顔をのぞかせたのは、二匹の大きな犬だった。彼らが遠吠えの主だ。犬はオスとメス。毛足の長い、賢そうな顔つきをしていた。

 犬が出てくると、ふにゃっとした猫の声がした。

 猫――――いや。

 アシュリーは棺の中に下りると、その奥に目を凝らす。暗闇の中、蠢く塊に息を呑んだ。すぐに引きずり出す。

 ――やっぱり!

 アシュリーが引っ張り出したのは、やせ細った赤ん坊だ。赤ん坊はアシュリーの腕の中で、怯えたように身をすくめ、それから弾けるように泣き出した。手足をばたつかせ、発情期の猫にも似た声を張り上げる。

「リサ、この子は……」

 誰の子だろうか。

 ――リサの?

 いや、彼女は処刑されているはず。子供が小さすぎる。だとすると、一度逃げ出し、連れ戻された町の誰かの子供なのだろう。

「どうして私に」

 口にしかけて、アシュリーは唇を噛む。考えずともわかる。こんな場所で子供が育てられるわけがない。

 この子だけはと、誰かがこの棺の奥に隠したのか。あるいはリサが、どうにかして守ったのか。アシュリーの頭に浮かぶのは疑問ばかりだ。

「私にこんな……リサ。――リサ?」

 返事がない。

 リサは墓場の前で立ち尽くしている。黒焦げの影は、ぴくりとも動かなかった。赤ん坊の泣き声だけが、止むことなく響き続けている。

「リサ、どうしたの」

「どうもしていない」

 背後から割り込んだ声に、アシュリーはぎくりとした。

 慌てて振り返れば、一人の青年が立っている。手はカンテラを持っており、闇に目が慣れていたアシュリーは、かすかに顔をしかめた。

 青年には見覚えがある。昼間に小屋で、アシュリーたちに忠告をした人物だ。

 彼の背後には、無数の蠢く影がある。光に照らされて、はじめて明らかになるその影は、腐臭漂う人型の死体だった。

「おいで、リサ」

 青年が言うと、リサは素直に青年の元へ歩いて行く。その動作は、感情のない操り人形。生存本能すらない、エレメント以上の無機物だ。

「リサ、また薬を切らして。髪も服も乱れてしまっているじゃないか」

 リサは無言だ。先ほどまで言葉を交わしていたのが嘘のようにさえ思える。

 だが、青年は気にしたそぶりも見せない。リサの頭を撫で、彼女の顔を見つめる目は、狂気そのものだった。

「綺麗にしないと。たくさん綺麗にしないと。やっと見つけたんだ、あいつらの子供を」

 青年はリサを見つめたまま微笑む。

「君を殺した男の子供だ。嬲って、嬲って、嬲って、潰して、殺して。そうしたら許してあげよう。また元通り、君の愛した日々になる」

「殺す……!?」

 アシュリーは思わず赤ん坊を抱きしめた。不快な抱き方をされたせいか、赤ん坊の泣き声はさらに大きくなる。

 犬が青年たちに向かい、唸り声をあげる。人影は青年の意思を汲んだように、アシュリーたちににじり寄ってきた。

「の……ノエル!」

 アシュリーは身をのけぞらせ、背後のノエルに呼びかけた。

 彼は淡々とした目で、アシュリーの手の中の赤ん坊を見ている。

「捨てなよ」

「ノエル!?」

「いらないでしょ」

「だ、だめ! だめ、だめ!!」

 ノエルから伸びてくる手を、アシュリーは慌てて避けた。ノエルは赤ん坊をつまんで、あの群れに放り込むつもりでいる。

 赤ん坊は火がついたように泣いている。ノエルは頼れない。アシュリーは赤ん坊を抱えたまま、ノエルからもアンデッドからも距離を取る。

 アシュリーを守ってくれるのは、二匹の犬だった。赤ん坊を抱くアシュリーの傍に従い、彼らは唸り声をあげる。

 犬が唸りながら、近づいてきたアンデッドに飛びついた。一体を組み伏せるが、別のアンデッドに蹴り飛ばされる。ギャン、と犬の悲鳴が響いた。

 それを、青年は一瞥し、すぐにリサに視線を戻した。そして、かすかに眉をしかめる。

「リサ。そんな顔をしないで。大丈夫、にぎやかになるだけだ。赤ん坊が一人増えて、旅人が二人増えるんだ」

 リサはなにも言わない。他のアンデッドも、言葉らしい言葉は一切話さない。

 魂のない人工アンデッドは、こうしてうめくか、生前の行動を繰り返すだけ。特別に術者に命じられない限り、新たな言葉を喋ることはない。

 それが普通だ。アシュリーたちに話しかけていたリサの方が、本来は異常なのだ。

「ずっとここで暮らそう。君が誘ってくれたように。もうどこにも行かないよ」

 青年の手がリサの頬に触れる。青年の目にはなにが見えているのか、焼け焦げたリサの顔を映しながら、表情を変化させていく。

 悲しみ、苦しみ、痛むように目を伏せた後、彼はもう一度リサの顔を見た。

 その表情が、ゆっくりと喜びに変わる。彼はリサの体を抱きしめた。

 アシュリーにはリサの肩越しに彼の表情が見えていた。喜びの表情は、瞬時に驚愕になり、再びゆっくりと、悲しみと苦しみに変わっていく。

「リサ?」

 青年の声が響いた。アンデッドたちの動きが鈍くなる。

 原因はすぐにわかった。青年に抱きしめられたリサが――彼を抱きしめ返している。動かなかった黒い腕が、青年の体に食い込んでいた。

「リサ、どうして……」

 青年のカンテラが落ちる。中の火が転がり落ち、ちり、と火の粉が燃える。火の粉は下草に燃え移り、リサの足元を焼いた。

 足元から、ゆっくりと火の手が上がる。リサは青年を離さない。ぴくりとも動かない。足元が燃え、胴が燃え、全身が炎に包まれる。魔女の火刑のように。

 炎は青年に燃え移る。肉の焼ける匂いに、アシュリーは息を止めた。生きた人間の悲鳴が上がる。アンデッドを操る魔法は崩壊し、彼らは目的もなくさまよい始めた。

 ――今のうちに逃げないと!

 赤ん坊を片手に、もう片手で、アシュリーは倒れた犬を抱えた。墓場を抜け、とにかくこの町を離れるべきだ。

「ノエル!」

 アシュリーが呼ぶと、ノエルがうんざりしたように頭を振った。それでも、アシュリーの傍へ駆け寄ってくる。犬と赤ん坊を抱えたアシュリーを、彼はさらに抱き上げて、火から逃れるように森へと駆けだした。無事な方の犬も、後に続いて駆けてくる。

 墓場を去る直前。アシュリーは背後を振り返った。

 燃え上がる火は、他のアンデッドにも燃え移っていた。アンデッドたちが墓場で崩れ落ちる中。

 青年が焼けただれた手で、リサを抱き返しているのが見えた。


 〇



 バード。私の渡り鳥。

 あなたが魔女でも良かったの。


 言わなくてもわかっている。

 聞かなくてもわかっている。


 だから私は、焼け落ちる瞬間まで、あなたの代わりになれることを笑っていられたの。


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