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3.死者が幸せに眠る丘(4)

 宿に戻ると、アシュリーはすぐに荷物をまとめ始めた。

 本当はもう少し滞在したかったが、仕方がない。明朝、日の出とともにこの町を出るつもりだ。

 旅をしていると、こういうことも稀にある。ないはずの場所に町があり、いるはずのない人がいる。その正体は魔物だったり、幽霊だったり、あるいは魔法だったりする。

 いずれにせよ、長居は危険だ。失われたはずのものに偽る存在が、まっとうであるわけがない。相手を刺激する前に、すぐに逃げ出すのが定石だった。

「ノエルは気付いてたのね」

 袋に薬草を詰め込みながら、アシュリーは不服を口にした。

 だから、町でも平気で魔法の話をした。『今のところは危険もないみたいだし』と言ったのは、この町の正体に気がついていなければ出てこない。リサへの警戒も、アシュリーとノエルでは別物だったのだ。

「どうして言ってくれなかったの」

「言う必要があった?」

 アシュリーに対する、ノエルの返答は淡白だ。彼は必死に荷造りをするアシュリーを横目に、ベッドの上に一人寝転がっている。どうやら、あまり機嫌が良くないらしい。

「この町から、君一人を守ることは難しくない。街道から離れた森の奥で、誰かに見とがめられる心配もない。僕が傍に居る限り君は安全だ」

 寝そべったまま、ノエルはアシュリーに顔を向ける。

「それに、君は体を休める必要があった。余計なことを言えば、君は町に寄らずに森を突っ切るつもりだったでしょう?」

「そうだけど……!」

 気持ちの問題なのだ、と言っても、ノエルには理解されないだろう。

 昨日の自分がどこで眠っていたのか。今、自分がどんな場所にいるのか。この目に見えている世界は、どこまで本物なのか。なにが真実で、なにが幻なのか。足元のわからない不安が、アシュリーの背筋を寒くさせる。

 ノエルの思考は効率的で、感情を抜きにすれば、いつだって最善手だ。だが、アシュリーはそれだけでは割りきれない。

 ――そうだけど…………教えてほしかった。

 言葉を飲み込み、アシュリーは頭を振る。乱暴に薬草袋の口を閉じると、荷物の中に放り込んだ。

「不満に思うくらいなら、無理矢理にでも言うこと聞かせればいいのに」

 ノエルは起き上がる気配も見せない。興味のまるでない視線が、アシュリーの手元を見つめている。

「君にはそれができるんだ。アシュリー、今日の分の魔法がまだだよ」

「それどころじゃないでしょう!」

 強く言い返してから、アシュリーはハッとした。ノエルの不機嫌の理由に気がついたのだ。

 急いで荷物をまとめた後、早朝の出発のために、アシュリーは短い仮眠を取るつもりでいた。いつものようにノエルに魔法をかけ、甘えさせてやる時間はない。

 そのことを、ノエルは責めているのだ。

「僕との約束を破りたいって言うなら、それはそれで仕方ない。君を守るのもここまでだ」

 ノエルは言いながら、何気ない様子で窓の外に目を向ける。

 外は暗い。月明りのない夜だ。冷気が開け放たれた窓から、部屋の中に流れ込んでくる。

 もうじき日付の変わるころ。日中でさえ静かな町は、いっそうの静寂に包まれている。


 はずだった。



 かすかに、人の鳴き声がする。

 ――鳴き声だ。言葉として意味を成さない、無数のうめき声が聞こえる。

 同時に、甘い腐臭がする。

 アシュリーは、そっと窓に近寄った。窓枠から外を窺い見る。

 目に映るのは、真っ暗な町だった。明かりの灯る家はどこにもない。ただ、家の影だけがぼんやりと浮かび上がっている。

 その暗闇の町に、うごめくいくつもの人影があった。この闇の中でも、たいまつすら持っていない。ぼんやりとしたその影は、緩慢な動きで、同じ方向へ進んでいる。

 アシュリーたちのいる、この宿を目指している。


 ドン、と部屋に振動が走る。

 アシュリーは、喉元まで出かかった悲鳴を噛み殺した。無意識にノエルに手を伸ばしかけ、それも引っ込める。空のままの手を握りしめると、アシュリーは音の方向へ目を向けた。

 再び、ドン、と音がする。音とともに、部屋の扉が大きくきしむ。取っ手が回される気配はない。部屋の外からは、ただひたすら、重たくぶつかる音だけがする。

「あのまま、すぐに町を出るべきだったね」

 ベッドの上で半身を起こし、ノエルが慌てた様子もなく言った。

「アシュリー、どうするの?」

 ノエルは場違いなほどに落ち着いた声で、アシュリーに問いかける。澄んだ緑色の瞳は、アシュリーを映しているけどそれだけだ。このままなにかが乗り込んできて、アシュリーが蹂躙されたとしても、同じ色でアシュリーを見つめることだろう。

 アシュリーは空の手を強く握りしめる。

 ノエルの言う通り、警告を受けた時点で出て行くべきだった。翌朝を待つなんて悠長な考えだった。そもそも、地図にない町の時点で、本当はアシュリー自身で疑うべきだった。

 無数の後悔が、手の中で握りつぶされる。

「――――ノエル」

 扉が軋む。アシュリーは観念して息を吐いた。

 アシュリーとノエルの関係は、これがいつも通りだ。アシュリーが《魅了チャーム》をかけるかわりに、ノエルがアシュリーを守ってくれる。ノエルにとっては、アシュリーほど安全な魔女はなく、アシュリーにとってノエルほどの護衛はない。 

 ただ、アシュリーが必要のない意地を張っていただけだ。馬鹿馬鹿しい。

「わかったわ」

 アシュリーが言うと、ノエルが笑みを作るように口を曲げる。

 とにかく、まずはこの場から逃げて、安全な場所に落ち着こう。ノエルに魔法をかけるのはその後だ。《魅了》状態でもノエルの戦闘能力は変わらないが、今は魔法をかけられない。十分に甘えられなかったと拗ねて、延長を要求してくるからだ。

 魔法は後――そのことを告げようと、アシュリーが口を開いたときだ。

「――――すみません、遅くなって」

 扉の外から、女性の声が響いた。

 ――いや、もはや外ではないだろう。幾度もの衝撃を受けた扉は、ついにその役割を保てなくなった。扉の金具が弾け飛び、部屋の内側に叩きつけられる。

 勢いよく開いたその扉の先に、声の主はいた。

「私のお願い、聞いていただけますか?」

 扉の外に、昼間と同じ姿のリサが立っている。


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