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3.死者が幸せに眠る丘(3)

 リサの家は、町はずれの墓場の隣にあった。墓場と敷地を共にする、墓守の住む小屋だ。

 粗末な小屋だが、中は人が暮らせる程度の広さがある。入ってすぐに居間らしき部屋があり、その奥にさらに扉がある。寝室か台所か、あるいは単なる裏口か。アシュリーには判別できない。

 アシュリーたちが通されたのは、その居間らしき部屋だった。

「ごめんなさい、散らかっていて」

 リサの言う通り、部屋の中は雑然としていて、片付いているとはお世辞にも言えなかった。

 北向きの窓がある壁以外は、すべて本棚で埋まっている。粗末な椅子がいくつか転がり、物であふれた文机がある。部屋全体から、なにか腐ったような甘い匂いがして、アシュリーは無意識に自分の鼻をおさえた。

 ――…………この臭い。

 丘の上にある小屋は、遮るものがなにもない。風が小屋に叩きつけ、窓がガタガタと揺れた。どこからか、季節外れの発情した猫の声が聞こえる。犬の遠吠えまでよく響いていた。

「お茶を用意しますので、ちょっとお待ちくださいね。椅子は、どれでも。好きなところに座ってください」

 リサはそう言うと、扉の奥へと行ってしまった。


 それからしばらく、アシュリーはノエルと二人、待ちぼうけを食らっていた。

「…………戻って来ないね」

 居心地悪さに、アシュリーはついついノエルに話しかけてしまう。

「お願いってなんだろう」

「さあねえ」

「変なことじゃないといいけど……」

「そうだねえ」

 ノエルの返事は適当だ。あまりに暢気な答えに、アシュリーはむっとする。

「他人事みたいな態度ね」

「そうかな?」

 アシュリーの不機嫌にも、ノエルは涼しい顔だ。感情の欠落した無表情で、アシュリーを淡々と見下ろす。

「僕だって考えているよ。依頼内容はさておき、君が無事でいられるかどうかは僕にとっても重要だからね」

 アシュリーがいなければ、ノエルに対して≪魅了チャーム≫をかける人間がいなくなる。それはノエルにとっての死活問題だ。

「あの女に君への敵意はなかった。万が一あっても、勝てると踏んだ。依頼は変なことかもしれないけど、君に危険はないはずだ」

「危険って……」

 アシュリーは息を吐く。物騒な考え方だが、間違ってはいない。旅人の身分は、定住している人間よりもずっと危険だ。

 今の時代、人間はそれだけで価値がある。金のあるなしは関係ない。その身一つでも、それなりの金になる。捕まえて、奴隷商あたりに売り払って小銭を稼ぐ人間もいる。

 特に旅人は、足がつきにくく、体力のある者が多い。若ければなおさら価値がある。返り討ちにされる恐れを除けば、いい商品だった。

 こんな町はずれにのこのこついて行けば、不意打ちで襲われてもおかしくない。アシュリーだって、自分一人だったら行かなかった。

 ノエルがいるから大丈夫だと、無意識に判断していたのだ。


 それ以上続ける言葉もなく、アシュリーは無言で頭を振った。

 敵意がないというのなら、彼女は本当に、アシュリーに頼みごとがあるのだ。だとすると、いったいどんな依頼だろう。どうして彼女は戻って来ないのだろう。

 待ち時間の手持無沙汰に、アシュリーは椅子に座ったまま、ぼんやりと雑多な部屋を眺める。

 部屋を囲む棚には、乱暴に本が詰め込まれている。テーブルの上は散らかっていて、がらくたがごろごろと転がっている。ところどころ転がり落ちて、地面まで散らかしていた。

 丸めた紙に、こぼれたインク。投げ出されたペン。倒れた小瓶から、滴る謎の液体。

 アシュリーは部屋の奥を一瞥すると、恐る恐る小瓶に近寄った。ノエルは横目でアシュリーを見やるが、それだけだ。止めもしなければ、付いても来ない。


 文机に近寄れば、甘く据えた臭いはますます強くなる。

 小瓶の口からこぼれるのは、粘性を持ったほのかに赤い液体だ。甘く香っている。これが、部屋の臭気の源らしい。

 アシュリーは目を眇める。

 ――魔法薬だ。

 アシュリーが建前で作る、香水の類とはわけが違う。魔力を溶かし込んだ、強力な魔女の薬だ。

 どんな薬であるかは、香りだけでは判別できない。液体に触れた机や紙の様子を見るに、そこまで危険なものではないように思われる。香りが思考に作用している気配もない。誰かを傷つけるような薬ではないのだろう。

 アシュリーは、部屋全体をもう一度見まわした。

 墓守の家にしては、本が多すぎる。背表紙にはなにも書いていない。

 机の上には、丸められた紙の他に、インクのにじむ書きかけの紙がいくつかある。薬の材料なのか、いくつかの植物の名前と、その数が書いてある。他にも走り書きで、人の名前や時間があるが、アシュリーには意味の分からない羅列でしかない。

 ――いや。

 一つだけ、わかるものがある。地図だ。

 無数の紙の下敷きとなっていた、古びた地図がある。


 地図には、この町とその周辺の地形が細かく描かれている。アシュリーの持っている広範囲の地図とは異なり、川沿い一帯のみを描き出した、周辺住民のための地図だ。町の名前も書いてある。

 ――この名前……。

 覚えがある。


 森の奥深く、なんの変哲もない、ごくありふれた小さな町。ギルドもなく、街道からも離れていて、拠点にするにも不便なこの町は、旅人であるアシュリーにとっては価値のない場所だ。

 なのに、その町の名を覚えているのは、アシュリーが魔女の情報を集めているからだ。


 この町は、魔女を輩出した。

 そして、数年前に魔女狩りに遭い、魔女もろとも滅びたはずだった。



 奥の扉が開くのと、ノエルが立ち上がったのは同時だった。

 物音に我に返ったアシュリーの肩を、ノエルは背後から掴む。片手でぐっと引き寄せると、彼はアシュリーを背後に押しのけた。

 突然のノエルの行動に、アシュリーは瞬いた。奥の扉ということは、リサが戻ってきたのだ。敵意はないと言っていたはずなのに、かばうようなしぐさをするのはなぜだろう。

 困惑しながら、アシュリーはノエルの背中越しに、奥の扉を覗き込む。

 そこにいる人間を見て、さらに困惑した。


 扉から出てきたのは、リサではなかった。

 アシュリーと同年代か、少し年上の青年だ。

 髪はぼさぼさで、ひどくやつれている。顔色は、青を通り越して土気色だ。だが、目だけは爛々として、アシュリーたちを睨みつける。

 誰だ――アシュリーが思うよりも、青年が口を開く。

「――――出て行け」

 青年の声は枯れて、絞り出すような息苦しさがあった。

「早くこの町から出て行け……!」

 言いながら、青年はアシュリーたちに歩み寄る。その足取りはたどたどしく、ひどく不安定だ。

「お前たち自身のためだ、今すぐに町を出ろ……!」

 青年が足を踏み外し、よろめく。だが、鬼気迫る様子に、アシュリーには助けの手を差し伸べる気も起らなかった。

「さもなければ、お前たちも――――」

 青年の言葉が止まる。彼は口を固く結び、耳にぴたりと手を当てた。

 静寂の中、聞こえてくるのは風の音と、かすかな猫の鳴き声だ。

 青年の顔つきが変わる。耳に手を当てたまま、彼は周囲を見回した。

「どこだ」

 もはや彼の目には、アシュリーたちは見えていない。怯えと怒りに満ちた表情で、「どこだ」と繰り返しながら、音の出所を探すはじめる。

 不安定な瞳が、音を目で追うように忙しなくさまよう。彼の足は、目に釣られるように、よろよろと前へ踏み出す。体が棚に当たって、本が落ちても、見向きもしない。

 完全に正気を失っているのだ。

「どこにいる……。リサ、どうして…………」

 泣き出しそうな声を残して、彼はよろめきながら、小屋の外へと出て行ってしまった。

 小屋は再び静まり返り、風の音だけが残された。


 そのまま日が暮れても、ついに小屋へ戻ってくることはなかった。

 青年も、リサという女性も。


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