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3.死者が幸せに眠る丘(2)

「ろうそく買った?」

「買った」

「油は?」

「買ったよ」

「薬草」

「売ってなかったね」


 滞在二日目。アシュリーはノエルと、町を回っていた。

 目的は買い出しだ。明日には森を抜け、まずはウォーグ王国への道が拓かれている町を目指す。となると、今日は不足している旅の荷物の補充が最優先である。

 この小さな町に、長居はできない。

 町へ続く道は狭く、訪れる人もない。人々の行き交う大きな町の街道と異なり、冬になり雪が積もりはじめれば、道を見失ってしまうからだ。


 季節は晩秋。天気は良いが風が冷たい。もうじき訪れる冬の気配に、アシュリーは身震いした。

 上着を着てきたのに、まだ寒い。町は活気がなく、家も人もまばらで、余計に寒々しいのかもしれない。

 転々とした家々の間は、収穫期を過ぎ、すっかり枯れ果てたが埋める。石畳の道は苔むしていて、長らく手入れがされていない。石畳は町の北にある小高い丘に続いており、打ち捨てられたような古い墓場で途切れる。

 町沿いには、大きな川が流れている。この川と、町と、墓場を、冬も枯れない濃緑の木々が、ぐるりと取り囲んでいた。

 ――静かな町だわ。

 石畳を歩きながら、アシュリーは心の中で漏らす。雑貨屋での買い物を済ませ、これから町の集会場へ向かうところ。寒い時期だからか、子供の遊ぶ姿も見かけない。ときおりすれ違う人は無言で、俯きがちに去っていく。

 先ほど訪ねた雑貨屋も、まるで活気がなかった。店構えからして陰気で、黒ずんだ石の壁を、一面蔦が覆っていた。

 見渡す限り、町で唯一の店であるだろうに、客の姿は一人もない。店員の愛想は悪く、ついでに商品の質も悪かった。

 油は古く、ろうそくは色あせ、一度溶けて再度固まったような、不自然なゆがみがあった。絶対使用期限切れだ、と思いつつも、背に腹は代えられない。だけどカビた固焼きのパンだけは、どうしても買う気にならなかった。

 この分だと、町の集会場というものも期待はできない。宿で聞いた話によれば、簡易な食堂を兼ねていて、自然と町の人々が集まってきているらしいとのことだが、集まるだけの人の気配すら感じられなかった。

 ――人が居れば、情報でも聞けたらと思ったんだけどな。

 無駄足になりそうだ。とは思っても、他にめぼしい場所もない。とりあえずは、覗くだけ覗いてみよう。駄目だったら――そのときは、そのときだ。

 最悪、川沿いを下れば森は出られるはず。森の切れ目と川を目印に地図を見直して、位置関係は把握できるだろう。しかしそのためには、道のない道を強行することになり、魔物や獣、盗賊などと出くわす危険性が高い。

 となると、やっぱり――――。


「薬草、今ある分だけだと、絶対に足りない。魔物避けの香水もなくなっちゃったし。どうしよう……」

「自分の魔法で回復すればいいよ。魔力は僕が分けてあげる」

「ば――――ばか、ノエル!」

 さらりと口にした『魔法』という単語に、アシュリーは慌てて袖を引く。ほとんど出歩く人がいないと言っても、ここは町中だ。どこで誰に聞かれるかわからない。

 普段は注意深いくせに、どうしたのか。見上げれば、彼は涼しい顔をしている。

「大丈夫、誰も聞いてないよ」

「……そうみたいだけど」

 すれ違う人もなければ、立ち話をする人もない。家々は静かで、人の気配がない。誰も集まって来ないあたり、本当に誰にも聞かれなかったのだろう。

「心臓に悪いわ。…………《治癒ヒール》はあんまり得意じゃないし」

「君が得意なものなんて、《魅了チャーム》くらいでしょう」

 む、と不機嫌になりかけるが、事実ノエルの言う通りだ。

 アシュリーは魔女だけど、実際のところ、ほとんど魔法を使えない。

 これは、祝福の森に捨てられた子供にありがちな話だった。貴族に拾われるほどの魔力はなく、魔女同士の関係が立たれた現状、師事できる相手もない。指南書となるべき魔法書は、大陸からはほぼすべて失われていて、独学で学ぶことも困難だ。

 それでも、生き残った魔女たちは、なんらかの運に恵まれていた。たまたま良き師に巡り合えたか、魔力はなくとも魔法を編み出す才能に優れていたか。

 アシュリーの場合は、幼少期に読んだ魔法書のおかげだった。魔女として処刑された叔母。彼女が残した本の中に、魔法書が隠れていたのだ。

 《魅了》も《治癒》も、その本で知った。うっすらと覚えていた記憶を頼りに、それをどうにか魔法にまで仕上げたけれど、その威力は貧相なものだ。

 なのに《魅了》だけは、毎日使っていたおかげで、妙に上達してしまった。なんとなく不満である。

「別に、得意になりたかったわけじゃないんだけど」

 しかめつらのアシュリーに、北風が吹き抜ける。そのあまりの冷たさに、アシュリーは両腕をさすった。もうほとんど冬だ。

「でも、得意にならざるを得なかったでしょう? 君の命を守るためには」

 震えるアシュリーの肩が、少し重くなる。同時に、風の冷たさが少し和らぐ。

 なにかと思えば、ノエルの上着が被さっていたせいだ。人肌の名残はなく、空気と同じ冷たさの革のジャケット。だが、一枚隔てるだけで風の威力は段違いに変わる。

 アシュリーは思わず立ち止る。肩にかかるジャケットに手を置いて、ノエルを見上げた。

 ジャケットを脱いだ彼は、薄手の長袖シャツという、見た目にも寒々しい格好をしている。

「僕がこんなことをしてあげるのは、君に魔法があるからだからね」

「…………ありがと」

「どういたしまして」

 アシュリーの礼に、ノエルは感情のない声で答える。《魅了》中は大喜びの言葉も、今の彼には価値がない。アシュリーの体を気遣うのは、魔法が使えないほど体調を崩し、そのまま呆気なく死なせないためだ。

 それでも礼を言ってしまうのは、おそらく長年の習慣みたいなものだろう。与えられたものを無言で受け取れるほど、アシュリーは豪胆になりきれない。

 上着を脱いでも、ノエルは涼しい顔をしている。オーバーにまで変異しても、彼の本質はスライムだ。暑さ寒さは感じない。服を着ているのは、単に人間に擬態するためだ。

 その上、彼は食料や睡眠も本来は必要ではない。薬草がなくとも、魔力さえあれば傷つかない。彼が生きていくには、多少の水分と魔力さえあればいい。

「どうしたの?」

 じっと見つめるアシュリーに、ノエルは首を傾げる。光のない目を見ていられず、アシュリーは目を逸らした。

「スライムはいいよね」

 ぽつりと零すように言ってから、ため息を挟み、言葉を付け足す。

「…………寒くなくて」

「羨ましいの?」

 ノエルはアシュリーを見下ろし、あまり興味のなさそうな声で尋ねる。

 羨ましいか、羨ましくないかで言われたら、寒さを感じないのは羨ましい。風邪を引くことも、寝込むこともない体も、欲しいと思うことがある。

「じゃあ、君もスライムになる?」

「……は?」

「僕に飲み込まれて、溶けてみる? 僕が魔力を注げば、すぐにスライムに生まれ変われるよ」

 さらりと口から出る凶悪な言葉に、アシュリーは絶句した。

 対するノエルは、穏やかな無表情のまま、眉一つ動かさない。

「君がしたいなら、別にいいよ。たいした手間でもないし、やってあげる。運が良ければ、君は人だったころの記憶を残していられるかもね」

 アシュリーは息を呑む。心臓が不穏さに脈打つ。

 ノエルはそれを、望んでいるわけでもなく、かといって拒んでいるわけでもない。やれ、と言われればやるし、やめろ、と言われれば止めるだけ。淡々とした言葉は、ただ無感情だ。

 スライムだって人間だって、ノエルにとってはたいした違いがない。記憶の有無さえ重要ではない。

 ――わかってはいたけど。

 ふとした瞬間、彼の無機質さに改めて気がついてしまう。自分がどういう生き物を連れているのかを理解させられる。

 肩にかけられたノエルのジャケットが冷たい。アシュリーには少し大きすぎて、飲み込まれているような気がした。

「――――なんてね」

 しばらくして、ノエルの口から出たのは、彼にしては珍しく軽快な声音だった。

「僕たち魔物は、人の魔法が使えない。《魅了アシュリー》の代わりがいない限り、君はずっと人間だし、僕はなにがあっても君を変えるつもりもないよ」

「そ……」

 アシュリーは視線を落とす。苔むした石畳は、ところどころ砕け、黒ずんだ跡がある。それを踏みつけ、アシュリーは一歩前に足を踏み出す。

「――――そもそも、私はスライムになりたくないから!」

 人間で結構!

 言いつつ、アシュリーは早足で歩き出す。ノエルは一拍遅れるが、すぐに追いついて横に並んだ。

「スライムもそれほど悪くないんだけどなあ」

 とぼけた顔を横に聞きつつ、アシュリーはジャケットの前を合わせた。

 吹き抜ける冷たい風は防げるのに、寒さは消えなかった。


 〇


 集会場は、一見するとただの食堂だった。

 レンガ造りの集会場は狭く、壁や床が、黒くまだらに変色している。

 中には長テーブルが二つほど並び、奥には小さなカウンターがある。椅子は十脚程度しかない。これが、この集会場の定員なのだ。

 集会場は案の定静かで、テーブルの端に老人が一人腰かけているだけだ。彼は木でできた深皿を、延々とスプーンで混ぜている。たまに口に運び、また混ぜる。なにを食べているのだろうか。とても美味そうには思えない。

 カウンターの奥は厨房らしいが、物音は聞こえない。もしかして、誰もいないのかもしれない。

 ――まあ、食べに来たわけじゃないし。

 宿は食事なし。大きな町の宿と違って、併設された食堂もない。だから、どこかできちんとしたものが食べられれば、と思わなかったわけではない。が、ここではとても何か頼む気にはなれなかった。

 しかし、目当ての情報もなさそうだ。食事中の老人に声をかけるのも忍びない。

 せめて町の名前か、街道に出るための道順くらいは知りたかったけれど、これはもうどうしようもない。

「川沿いを下るしかないみたいね」

「そうなると思ってたよ」

 アシュリーのため息に、ノエルは肩をすくめる。それから、何気ない仕草で背後を見やる。背後は集会場の出口だ。早く帰ろう、というのだろう。

 しかし、こうなると残り一日やることがない。時間は午後に差し掛かり、出立するにも機を逃してしまった。宿ももう一泊取っているし、明日早朝の出立に備えて、荷物の整理をするしかないだろう。

「とにかく、宿に戻ろっか」

 持て余した気持ちでそう言って、集会場を出ようと振り返ったときだ。

「……あの」

 不意の声に、アシュリーは叫びそうになった。喉の奥で堪えたが、「ひぃ」と少し漏れ出てしまう。

 振り返った目の前に、一人の女性が立っていたのだ。

 アシュリーよりも、五つか六つほど上だろうか。若い女性だ。黒髪は長く、顔立ちはやや地味。美人ではないが、優しげな面立ちで、目元はどことなく、故郷の母を思わせる。

 ――いつの間に。

 この静けさの中で、足音にも気づかなかった。真後ろにいたはずなのに、気配も感じなかった。

 だが、先ほど背後を見ていたあたり、ノエルは気がついていたらしい。これはたぶん、アシュリーが鈍いだけだ。

「な、なんでしょうか」

 女性に応えつつ、アシュリーは胸に手を当てる。心臓の忙しない鼓動が手のひらに伝う。今日の心臓は、ちょっと過労気味だ。

「あの、旅の方ですよね。私、この町に住んでいるリサと申します」

 リサと名乗った女性は、そう言って丁寧に頭を下げた。思わずアシュリーも会釈を返す。

「すみません、旅の方にお願いしたいことがありまして。――もしよろしければ、お話を聞いていただけないでしょうか」

 アシュリーとノエルは、そろって顔を見合わせた。

 女性は頬に手を当て、優しげな風貌を心底困ったようにゆがめていた。


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