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1.ウィッチ・ガーデンを探して(1)

 アシュリーがスライムに魔法をかけたのは、もう七年も前のことだ。


 聖教会の裏手に広がる、祝福ノエルの森。

 光を閉ざす深い森の中で、襲い掛かってきたスライムに、アシュリーは《魅了チャーム》の魔法をかけた。

 生まれてはじめて使った魔法は、スライムの丸く透き通った体を包み、淡い光を放つ。同時に、魔力を放ったアシュリーの指先は裂け、血が滲み出した。全力で走ったみたいに息が上がる。体が熱を持ったように熱い。

 魔法の衝撃と痛みに、アシュリーはその場に座り込んでしまった。もう一歩も動けない。

 そんなアシュリーの前で、スライムはぷるんと大きく揺れた。

 襲い掛かる手をひっこめ、代わりにそれはおずおずと、へたり込むアシュリーの手に触れる。草原の緑を透かし、うっすらと緑に色づいた手は、ひやりと冷たかった。


 それが、すべての間違いだった。


 〇


 今、アシュリーの手に触れているのは、スライムの手ではない。


「アシュリー」

 男性にしては、やや高い。甘えるような声が、森の野営地に響いた。

 日はすっかり暮れている。街道沿いに広がる森は鬱蒼としていて、昼間は常に聞こえる馬車の音も、もう聞こえなくなっている。

 獣の声は遠い。野営地の焚火を中心に、魔物避けの香水を撒いたおかげで、魔物の気配もない。

 近ごろ町で噂の通り魔も、ここに至るまで出くわすことはなかった。人の首もスパスパ切り裂く万能の剣を持つ盗賊、なんて噂だから、眉唾物だったのだろう。

「ねえ、アシュリー」

 燃える焚火の横。ギルドの依頼を確認しようと、アシュリーは荷物の横に座り込んでいた。

 受けたのは、森の奥に群生する薬草の駆除だ。もともとは魔女の薬草園だったものが、魔女狩りにあって持ち主がいなくなり、増えたい放題になってしまったらしい。他の植物を侵食する勢いで増えているので、対処してきてほしいと言われた。

 成果物として、ギルドから指定された袋いっぱいに薬草を集める必要がある。袋以上に集めても、報酬には加算されない。半分くらいで切り上げて、これしかなかった、と嘘をついても報酬はもらえない。ギルドには、言葉の真実を図る『公認魔術師』がいるからだ。

「アシュリー、聞こえているでしょう?」

 依頼票を見つめながら、魔女の薬草園の位置を確かめていると、不意にアシュリーの手が取られた。

「こっちを向いて」

 握るのは、節のある大きな男性の手だ。彼の親指が、アシュリーの手のひらから指先までを撫でる。

 強引で、ひどく艶めかしい動きだった。

「無視しても駄目だよ。わかっているよね、アシュリー? 君の小さな手が、これからするべきこと」

 だけど彼の手には、人にあるべき体温がない。

「……ノエル」

 その言葉に、彼は顔を上げた。アシュリーの手から、彼女の顔に視線を移す。

 アシュリーを映す瞳は、透き通る緑色だ。宝石めいた目が細められ、笑みをかたどる。

 緑の目を縁取るまつげも、濃緑色だった。一見すると黒いけれど、焚火の灯りに照らされると、緑に光る。不思議な色をしていた。

 宝石の目を嵌めた彼の顔は、息を呑むほどに美しい。中性的な顔立ち。細い頬は、生気が感じられないほどに白い。顔には傷一つ、歪み一つなく、嘘くさいほどに整っている。

 そして、彼の姿は実際に嘘だ。

「アシュリー、僕にもう一度魔法をかけて。君を守る代わり、あの心地よい魔法をかけて。そのために僕は、ここまで強くなったんだ」

 作り物の顔を近づけて、ノエルはアシュリーの手を握りしめる。アシュリーは思わず身を反らし、目も逸らした。

「……また?」

「うん。また」

「まだ、やることあるんだけど……」

「後でいいよ、そんなの。君が真っ先にするべきことは、僕に魔法をかけることなんだから」

 ノエルは柔らかい笑みを浮かべる。偽物の瞳には、しかし感情らしいものが見えない。宝石、と形容した通り、彼の目は冷たく無機質だった。

「それが条件だったはずだ。本当はずっとかけて欲しいのに、僕は君のために譲歩さえしているんだよ?」

 にこやかだけれど、有無を言わせない。ノエルの声には、言葉以上の圧力がある。

「ねえアシュリー。魔物と交わした約束を反故にしたって、ろくなことにはならないよ」

 ぐ、とアシュリーは息を詰まらせる。

 握りしめられた手が痛い。この男は、アシュリーを脅しているのだ。

 事実、彼がやろうと思えば、アシュリーなんて一捻りだろう。

 ノエルが最弱の魔物だったころは、もう遠い昔。彼はアシュリーを置いて、どんどん強くなっていった。

「アシュリー、お願いだよ」

 それなのに、彼がアシュリーの傍にいる理由。

 孤高の魔物が人となれ合う理由。

 力で圧倒していても、アシュリーを乞う理由。

 ――それは。

「…………わかったわよ!」

 観念して、アシュリーはそう吐き出した。

 感情なんてないくせに、ノエルはぱっと瞳を輝かせる。アシュリーを握っていた手を離し、両手を膝の上に置く。犬みたいな態度だ。

「今日は本当に、一回だけだからね!」

「わかってるわかってる」

「変なことはしないでよ!」

「もちろん!」

「変なところを触るのも駄目!」

「僕からは、君に手を触れない。約束する!」

「……じゃあ」

 苦々しくも、アシュリーは手を上げた。指の先に魔力を集め、古代語で精霊に呼びかける。

『麗しき、心に住まう花の精。心を奪う肉食樹。彼の心に根を張り、埋め尽くせ。我が求むる力の名は――――』

 言葉が紡ぎ出すのは、人の心を操る魔法。魔法使いの中でさえも、邪道で外道と呼ばれる

忌み嫌われし術。使う者は蔑まれ、使われたものは嫌悪する。

 心を奪い、塗り替え、染め上げる――。

「――――《魅了チャーム》」

 指先から魔法が溢れ、ノエルの体を淡い光で覆う。精神魔法に必ず伴う、相手の抵抗は感じられない。ノエルは塗り替えられていく自分の心を、心地よさそうに受け入れ、目を閉じた。

「……こんなの、変態の所業だわ!」

 ノエルがアシュリーに従う理由、それは。

「《魅了チャーム》にかかるのが好きだなんて、絶対におかしい!!」

 ということである。


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