6話・今日はとっても不味い日。
なんかすごい間が空いて申し訳ないです。
ラクレットから自分の屋敷に住まないかとお誘いを受けたキャッタはいまだに安めの賃貸に住んでいた。
むしろ、物理的な距離が少し離れたくらいで、それまでは、たまにラクレットの屋敷に泊っていたが、ラクレットの正体が勇者と知ってからは毎日家に帰っていた。
想う相手が勇者と知って、彼との間により大きな差を感じてしまったのだ。
自分とラクレットは釣り合わない。最初に出会ったその時からそう思っていた。
勇者であると知ってからはさらに強くそう思えてしまった。
決して諦めたわけじゃない、ラクレットと一緒にいることを。
ただ、自分がその位置にいてもいいのか分からないでいた。
彼女には、そこにいる自信が無かった。
「うん、今日も美味いぞ」
ラクレットはよくキャッタの頭を撫でるようになった。
キャッタもそれが嫌でない、むしろ撫でられていて心地良いと思っているくらいので、それを阻むようなことはしなかった。だが、心地良さと同時にいつまでラクレットとこうして一緒にいられるのかという不安も感じてしまう。
ラクレットが自分と一緒にいるのは気まぐれで、いつかこんな生活は終わってしまうとその未来に恐怖していた。もちろん、ラクレットにその気はない。
むしろ、キャッタにはずっと隣にいてほしいと思っているほどだ。
そこに恋愛感情は一切ないが、それでも、呪いが解けた後、キャッタが一緒にいたいと言えば、今のシキのように屋敷に住まわせて生活費を出すくらいのことはするだろう。
少なくとも、呪いが解けるまでは何があろうと手放しはしないだろう。
「あっ……」
キャッタの頭からラクレットの手が離れる。その度にキャッタは少し寂しい気持ちになる。孤児院を出た時と同じような、そんな感覚。
撫でられている間は、とても心地良いがこの瞬間が来ると思うと、撫でられることそのものに複雑な感情が生じる。
「どうした? もっと撫でてほしいのか?」
「え、あ、その……いえ」
本当はもっと撫でてほしい。けれど、それよりも恥ずかしさが先行してしまい、そんなことを言うことは出来ない。
しかし顔には、もっと撫でてほしいというのが表れている。そんな彼女を見たラクレットは、小動物を愛でるような気持ちになってつい撫でてしまう。
二回目に頭を撫でられるときは、不思議と終わる瞬間も寂しさを感じない。なぜだか、また次があるのだと、まだ一緒にいられるのだと思えて安心する。
キャッタは恥ずかしさと嬉しさで顔を赤くして俯いた。
実にいつも通りである。
最近はいつもこんな感じなのだ。ラクレットもキャッタの様子から、二回撫でてほしいということを察していて、毎回撫でる時は二回撫でる。
その少女が持つ恋心には気付くこともなく。
そうして、二人がいちゃいちゃしていると(ラクレットにその気はないのだが)部屋にシキが入って来た。
「お取り込み中のところ済みませんが、ご主人……いや、もうキャッタさんの前ではいいんでしたっけ? 勇者様、国の方からお手紙が届いております。それも内容から察するに三日前に」
普段、ラクレット周辺のあらゆることの管理はシキがやっていたのだが、最近、彼女はよく部屋に引きこもっており、滅多に外に出て来なくなっていた。
なので、ラクレットはいろいろなことがおろそかになっていたりする。
ある程度はキャッタが気付いた時にやってくれてはいるのだが、それでもキャッタにはキャッタの生活がある以上、住み込みで家事や様々な事をしてくれていたシキには及ばない。
だからキャッタ一人では、色々なことに手が回っていなかった。
美味しいご飯が食べられればそれでいいと、ラクレットはラクレットで大して気にしてはいなかった。だが……。
「国からか、それは確かに無視できないな」
「思いっ切り無視していましたけどね……三日も」
ラクレットも少しは周りに目を向ければいいのだが、今、ラクレットは、二年間失っていた幸せを取り戻している真っ最中であった。だから、並大抵の事には興味が無くなっている。
もともとシキに任せっきりなところがあったのもあるが、今はキャッタにいろんな料理を覚えてもらえるようにすることだけで頭が一杯で、いつも以上に他の物事を考えられない状態であった。
今、ラクレットの脳にあるのは、キャッタの事ばかりである。その三割、いや一割でも恋愛感情が含まれていれば、キャッタはいくらか救われただろうに。考えていることは料理の事ばかりだ。
キャッタもラクレットに恋愛感情がない事は、頭では理解している。でも心では、少しくらいはラクレットが恋愛感情を持っていると思っている。いや、そうであって欲しいと願っている。あくまで希望的観測に過ぎなかった。
「それで、内容はなんだ? パーティとかならもう行くつもりはないけど。基本的には」
「そもそも、勇者様はパーティにあまり行っていないでしょう。ほとんど断っていますし」
「行ってもあまり得しないからな」
「まぁ、そうですけど、付き合いは大事ですよ。そんなですから、この手紙の内容が分からないんですよ、情報に疎すぎます。これだけ贅沢できる環境に住んでいながら、どうして世間から離れているんですか、まったく」
シキは大きなため息をついた。
「どうしてお前にため息をつかれなければいけないんだ」
「別にいいじゃないですか、ため息くらい」
シキは内心少しイライラしていた。
しかし、ラクレットに当たるわけにもいかないので、ため息をしたのだが、それを指摘され、少しムカッと来ていた。
彼女は、キャッタの料理を口にして以来、毎日のように徹夜をしていた。
その一方で、ラクレットはキャッタといちゃいちゃしているだけで、身の回りの事を何もしていないということに気付き、腹が立ったのだ。
シキは欲求不満のサキュバスである。それが、自分の欲も何もかも全て封じて、人のために頑張っているというのに、その相手が別の人とずっといちゃいちゃしていると気付けば、それは腹も立つ。
だが、その頑張る原因を作ったのも、今、幸せそうにしているラクレットから幸せを奪ったのもまた自分なので文句は言えず、心の中でヤキモキとしていた。
もちろん、魔王に仕えていただけあって、キャッタとは違って、そういった感情が顔に出ることはないが。
「それで、どんな内容なんだ?」
「そうですね、討伐依頼だそうです。なにやら、近頃この辺りには本来いないはずの強力な生物が多いらしくて」
「そうなのか?」
「ええ、そうです、巷でも噂になっていますよ、この前にお城の図書館へ向かう途中、ちらほらと聞きました。そういうところが世間知らずなのです、勇者様は」
「あー、まぁ、あんまり興味ねぇしな……で、そうなのか? キャッタ」
と、シキの皮肉も特に気にすることもなく、キャッタにそう尋ねる。
それを見て、またいちゃいちゃしているとシキは思った。
皮肉ならいくらでも湧いて来るが、自分が言っていい立場にいるわけでもない。
言われるはずのない言葉たちは呑み込まれた。
「え、あ、その、なんでしょうか?」
キャッタもキャッタで、どうやらラクレットの話を聞いていなかったような反応を見せた。
シキと仲良く話しているラクレットを見て、嫉妬していたわけではないが、どこか寂しい気分になったのだ。
出会って一ヶ月ちょっとの自分よりも、シキの方が自然に接せるのは当然で、こんなふうに気安く会話しているのも当たり前だ。キャッタはそう思った。
どうしたらラクレットともっと親しくなれるか、そして、親しくなれたとして、自分が親しくなってしまってもいいのか。と、そんなことを考えている時にラクレットから声を掛けられ、大事な話だったら、よく聞いていなかった自分は嫌われてしまうのだろうか。
そうだとしたら、どうしたらいいのだろうか。と、恐る恐る聞き返した。
「その、な、なにを話していたのでしょか」
「だから、あれだよ、あれ、この辺りにいないはずの強い害獣が、うんたらかんたらってやつ」
その話には聞き覚えがあると、キャッタはそのことを話した。
「え、あ、はい、そうですね、確かに薬草の採取に行こうとしたら、生態系的に在り得ないような生物が出るらしいから危険だと、門番さんに止められました」
「ああ、なるほどな、だから最近は毎日朝昼晩と作ってくれているのか」
「それもありますけど……」
そう小さな声でキャッタが呟いた。
確かに、薬草取りなどにいけないから、一日中ラクレットの屋敷にいることが多くなっていた。
朝早く来て、家事や食事の用意をして、夕暮れになると帰る。まるでメイドのような生活をしていた。だが、理由はそれだけではない。
そもそもキャッタは薬草なんて取りに行く必要などないほどの金額を貰っている。
行く必要のない薬草取りでもあったが、それでも薬草取りに行っていたキャッタが、毎日ラクレットの家に来ているのにはもっと大きな理由があった。
ラクレットと少しでも長く一緒にいたかった。
いつかラクレットと離れる時が来るだろう。その時まで、少しでも長く一緒にいたいとキャッタは思っていたのだ。
「まぁ、キャッタもそう言うんだし、本当なんだろうな」
「私の言った事は信じられないと?」
不満そうな口調でシキはそう言った。
「いや、別にシキの事を信じていないわけじゃない。だけど、お前も最近頑張っているみたいだしな、今までが全然頑張っていなかっただけかもしれないが。つまり、あまり外出られていないみたいだし、たまたま聞いただけの話で、一匹二匹迷ってきたとかだとという線も考えただけだ。だが、門番が止めるって事は、そうじゃないって考えた方がいいな。突然変異か群れで移動してきたか……」
ラクレットは、普段こそ何もしていないような人ではあるが、勇者である。人々に危険が迫っているのなら、それを払い除け、平和を守る。その気持ちは人一倍ある。
「さて、そんだけの数ってなると、手ぶらってわけにもいかないか。シキ、剣を持って来てくれないか……って、お前も来るか?」
「ええ、もちろんですとも」
シキはシキで行く気マンマンだった。
これはストレス発散のチャンスである。
相手が害獣なら、どんなにボコボコにしても怒られることはないし、迷惑もかけない。むしろ、感謝される。だから、色々と溜まっているものをこの際に発散する気でいた。
「あ、そうだ、キャッタ」
ラクレットは思い出したかのように、キャッタに声を掛けた。
「な、なんでしょうか……」
「いや、お前、最近は薬草採れていないだろ。お前だって必要なはずだし、一緒にくるか?」
「え、でも、今は危ないんじゃ」
「大丈夫だろ、強いって言ってもこの辺じゃってくらいだろ。魔王城を守っていたやつらはもっと強かったぞ。ケルベロスとかめっちゃ強かった」
「当たり前です、あれは、強く育てられたものですから。野生の物と一緒にしないでください。まったく……食費だけでも馬鹿にならないのに、あれで弱かったら本当に役立たずですよ」
シキがそう言った辺りで、ラクレットは小さく声を掛けた。
「おい、シキ」
その呼びかけで、シキはハッとした様子で言い直した。
「あ……その、強く育てられたはずですから、食費も馬鹿にならないでしょうし……多分……」
そう、先ほどの発言は明らかにシキが魔王側に立っていたような物であった。なので、急いでシキはそう訂正した。
「そ、それで、キャッタさんはどういたしますか?」
変に気にされる前に話を元に戻そうと、シキはそう尋ねた。
「え、あ、はい、じゃ、じゃあ、お、お言葉に甘えて」
キャッタは控えめにそう答える。
実際のところ不安はある。
勇者は最強であるともっぱら噂であるし、その力も一度見た。その力にそのものには全くと言って不安はない。
だからといって、強い害獣のいる場所に自分が行ったら、確実に足手まといになるだろう。その結果大きな迷惑をかけてしまわないか不安だった。
それでも、キャッタはついて行くと言った。だが、それに理由はなかった。
単純に、考え事をしていたらラクレットから誘われたので、ついて行くと言ってしまっただけである。
一応危ないというのは分かっているが、ラクレットたちが随分と気楽なので、強いといってもそこまででもないのだろうと思っていたのだ。
実際、どんなものが出て来るかを知っていれば、ここで、はいとは答えてはいなかっただろう。
でも、そこはキャッタである。はいと答えた後に後悔した。
だが、もう既に行くと言ってしまっているし、今から行かないというのも、予定が変わって迷惑をかけてしまうかもしれない。
どうしようか、悩み考えた末に「あ、あの、やっぱりっ」と、勇気を出して、やはり行かないと伝えようとした頃には、時すでに遅し。
「ん? どうした、キャッタ、なんか用か?」
ラクレットは剣を担ぎ、シキは軽い防具を身に着けており、既に二人は準備万端。今更いかないとは言えない雰囲気だった。
「な、なんでもありません、さ、さて、行きましょう」
キャッタには、いつも持ち歩いている短めの杖を一本を握りしめ、少し震えた声でそう言う事しか出来なかった。