4話・ムクリ、プクリ、バタリ。
目を覚ましたキャッタは、見た事もない部屋にいた。
ここは、ラクレットの屋敷だろうか、しかし、この部屋は見た事が無い。一応、始めて来た時に隅々まで案内してくれたのだが……こんな部屋は見た事がない。
キャッタはにわかに心配になって来た。ここは何処なのか、何故ここにいるのか、誰に連れられてきたのか。
まずここは何処だろうか、それはキャッタには分からなかった。何せ来たことのない所だ、ただ、豪華そうなところだから、その辺の人に連れ去られたとかではないだろう。
次になぜここにいるのか。それも分からない。こっちは完全に理由が分からない。なんで私はここにいるのだろうか……
誰に連れて来られたか……思い出せない……。今日、私は一体何していたのだろうか。
キャッタは、今日一日、何をしていたのか思い出そうとした。
まず、今日は確かラクレットさんの屋敷に行った。それは、料理を作るため。そして、料理を作って、それをラクレットさんが美味しいと言ってくれた。
ここまでは覚えている……そして、そのあと……そうだ、デートのお誘いを受けたのだった。
そうして、気付いたら街中に連れ出されていて、それで、服を見にいって、色々試着して、そのあと……あれ? その後の記憶がない。
キャッタがその後の記憶を思い出そうと頭を捻っていると、部屋の扉が開かれた。
そうして部屋に入って来たのは……ラクレットだった。
「ら、ラクレットさん」
「お、キャッタ。目を覚ましていたか。いや、急に気絶するからびっくりしたぞ。あんまり心配させんなよ」
と、聞く限りでは、どうやら気絶していたらしい。キャッタはなぜ自分が気絶したのかを思い浮かべる。
今、身に着けているものは、上も下も両方とも私が持っていた服ではない。きっと、これを購入したのだろう。
……本当にそうだっただろうか。
本当に、これだけだっただろうか……。そうだ、何か忘れている。
キャッタは自分の記憶のより深く、その奥底を思い出そうと考えた時、ラクレットが一枚の紙を持っているのを目にした。直感か、あるいは、僅かに残っている記憶の断片か、キャッタはそれが自分の失われた記憶に関係すると思った。
「えっと、ラクレットさん。それ……」
キャッタは、ラクレットの手にする一枚の紙を指差した。
「ああ、これか」
「はい、それを見せてもらっても、よろしいでしょうか……」
「もちろんだぜ。なんせ、お前のために貰って来たようなものだしな」
「そうですか……では」
自分のために貰って来た。そう言われて、キャッタはより一層その紙が気になった。それと同時に、その紙を見ることに恐怖を覚え始めていた。
もしかしなくても、あの紙は私が気絶したことに関係している。そして、その紙を見たら、また気絶する可能性がある。なんとなく、そう感じたのだ……。
気絶せぬように気を張り、ラクレットからその問題の一枚を受け取った。そうして、その表側。きっと、気絶した原因があるであろう面を見た。
そこには、大量の衣服のリストと多額の明細が書いてあった。
またしても、キャッタはくらりと気絶しそうになったのだが、気を張っていたおかげもあり、すんでのところでなんとか堪えた。そして、キャッタは今までラクレットの前では出さなかったほどの大きな声で叫んだ。
「な、な、なっ……」
「どうした、キャッタ。なにかあったのか?」
「だ、だって、これ……」
「なんだよ? なんか、足りなかったか? あ、もしかして、実は欲しかったやつが買われていないとかか?」
「どれだけ買っているんですかーっ! ラクレットさんのバカっ!」
普段は比較的に物静かでおとなしいキャッタが叫んだので、ラクレットは少々、驚き、怯んでいた。
「こんなに一杯なんか貰えませんし……一着一着も高いですし……それなのに、量もとんでもないですし……」
キャッタはぶつぶつと呟き始める。それも無理はない。服を買ってもらうとういう話だったとはいえ、こんな金額になるとは想像が出来るはずもない。
明細に書いてある数字は、どう考えても衣服にかかるお金とは思えないほどの物である。キャッタが今までに触れて来た金品全てを合わせても届かないであろう金額である。
そんな金額の分の服をくれると言われれば、誰だって気が気ではいられないだろう。
「え、えっと、きゃ、キャッタ……なにか、気に入らなかったか?」
気後れしながらも、ラクレットはそうキャッタに声を掛ける。
「……そのですね、ラクレットさん」
「な、なに?」
「こんなにたくさんもらっても困ります。今、身に着けているこれだけで十分ですっ!」
「いや、でも……」
「こんなにいっぱい貰っても、私、どうしたらいいか分かりませんし」
キャッタからしたら、自分がラクレットにしたことと、この大量の衣服は釣り合わない。一般的に考えても、それは確かに釣り合わないものだ。
シェフでも何でもない普通の人が、毎日料理を作ってあげる。そして、この大量の服とは別にちゃんとお金は貰っていて、その金額も毎日料理を作るというものには釣り合わないほど多額である。
でも、ラクレットからしたら、キャッタとの出会いは奇跡のような出会いであって、そして、自分の食べられる料理を作るというのもキャッタにしかできない仕事である。
それに、二年越しに食べ物と呼べるもの……もちろん、それがラクレット以外には食べ物とは思えないものだとしても、ラクレットが食べ物だと思えるもの、それを食べさせてくれた人である。
二年間、彼は控えめに言って地獄を体験してきた。
どんなに美味しそうな見た目であろうと、匂いであろうと、それらを口に含めば最後。
それらは食べ物でも何でもなくなり、異界の種とも呼べる口に異界を生成するだけの恐怖の物質にしかならなくなる。いつでも、どんなものでもそうだった。
何度も期待はした。
もしかしたら、今回は大丈夫かもしれない。何かの奇跡が起きて、一口だけでも、一瞬だけでもちゃんと味を感じられるだろうと、なんだかんだ言いつつも毎回のように、色々な物を食べていた。だけども、その度に、捨てきれない希望は当然のように裏切られていく。
そんな中で現れたのだ。キャッタが……自分が求めていた願いを叶えてくれた人が……
だから、ラクレットからしたら、どれだけの事をしても、キャッタには感謝切れないし、やり過ぎとは思わないのだ。
キャッタが求めるならばなんでもあげるだろうし、どんな事だろうとするだろう。国が欲しいと言われたら、作ってプレゼントするくらいの気持ちでいる。
ラクレットからしたら、この程度ではまだまだ感謝し足りないのだ。むしろ、キャッタが控えめ過ぎて、どうお礼をしたらいいか分からなかったくらいだ。
だから、服が欲しいと言われて、ここぞとばかりに買ってしまった彼にもまた非はない。むしろ、純粋な好意であった。
つまり、今回の一件はお互いの価値観の相違から生まれたものであった。
……というよりも、ラクレットの一般常識の無さというのが大きいという気もしないではないが……。
「ラクレットさん、正直やりすぎです……」
「え、あ……悪い」
キャッタに叱られて、ラクレットは戸惑った。
キャッタにこう言った事を言われるのも初めてだったので、少し落胆した。
その様子を見て、キャッタも少し言い過ぎたと思ったのか、冷静さを取り戻した。
すると、貰っておいて怒るのもおかしいと、善良で素直なキャッタはそう思ったのだ。
ラクレットのしたことはあまりほめられたことではないのだから、怒ってもいいのだが、そこはキャッタである。そう思ったのだ。それに、キャッタには、言い過ぎたと思ったことには、もっと大きな理由がある。
キャッタは、あまり言い過ぎてラクレットに離れられても困ると思ったのだ。
それは、別にお金がどうとか、そういうことではない。ラクレットと出会ったあの夜の事が忘れられないのだ。ただ、それだけの事であった。
確かに、あの告白は誤解だとは言われたけど、それが信じられなかった。いや、頭では理解できているつもりである。ただ、心では、そうはいかない。
あの時の告白が、もし、本当に本当の告白だったら。
そうだったらいいという願望が思い込みになったのかもしれない。だけど、その告白が本物であるという考えを、どうしても捨てきれなかった。だから、キャッタは、いつか、本当にそのチャンスが来るまでは、ラクレットから離れたくなかったのだ。
キャッタは言い過ぎた事と、慣れないことをしたこと、自分らしくなく大声を出したこと、今来ている服装、色々なことが相まって、妙に恥ずかしくなってきていた。
そうして、ほんのり顔を赤く染めたキャッタは、ラクレットと顔を逸らして、いつものトーンで話を続けた。
「え、えっと、その、嬉しくないわけじゃないですよ、ただ、私は、その、この量を見て、びっくりしたというかなんというか」
ただ、これがいけなかった。ラクレットは勇者生活の中で、沢山の人々の絶望を見て来た。だから、長ったらしく落ち込むことはなく、立ち直りが早くなっていたのだ。
積もるところ、その言葉だけで、早くも立ち直っていた。元の調子に戻っていたのだ。
「そうか……良かったぜ、てっきり俺は、何か間違ったのかと思ってびっくりしていたぜ……」
「間違っていくこと自体には違いはないんですけども……って、そうじゃなくて、ラクレットさん、そのですね、服をプレゼントされたこと自体はとても嬉しいんですけれども」
「そうか、じゃあ、またプレゼントするよ」
「いえ、そうじゃなくて、ですね。あの、その、確かに服をプレゼントされたことは嬉しいんですけど、そ、そもそも、こんなに貰っても、家に置くところがないですし……」
「心配すんな」
「何がですか……気持ちはとても嬉しいんですけど、こんなに貰っても、私どうしたらいいか」
「だったら、服は俺の家に置いてけばいいんだよ、どうせ、場所はいくらでもあるんだし、もしなんだったら、家、買ってやろうか?」
「い、いえ、流石に、それはっ……!!」
ラクレットならば、やりかねないとここは全力で断った。
流石に家を貰って、正気を保っていられる気がしなかった。そもそも、常人は家をプレゼントされても困るだろう。良い子ちゃんであるキャッタはなおさら悪い気がしてならかった。そんなものを買われてしまっては、自分は何をしたらいいのか分からなくなってしまう。だから、キャッタは全力でそれを阻止しなければいけなかった。
「さ、流石に、それは、駄目ですっ、本当に駄目です、それをやられたら、私はラクレットさんにどうやってお返ししたらいいか分かりませんし、プレッシャーに潰されて死んじゃいますっ、だから駄目ですっ、本当に駄目なんですっ」
そのキャッタの様子があまりにも必死だったため、ラクレットはさっき叱られたこともあり、家は買わないことにした。
「でも、そうなるなら、やっぱ俺の家に置くしかないだろうが……あ、そうだ、いいこと思いついた」
と、ラクレット。渾身のひらめきをしたような表情をして言葉を続けた。
「キャッタ、今、どこに住んでいる?」
「それは、その、安い賃貸のところですけれど……こんなこと聞いてどうするんですか? あ、まさかリフォームですか? そ、それも、ちょっと、流石に、えっと……」
それはそれで困ると、急いで断ろうとするが、その考えはラクレットの考えていたこととは違うので、すぐに分かってもらえたようだ。そうして、キャッタが、とりあえず、一安心したところにラクレットの鋭い一言が突き刺さった。
「じゃあ、お前、俺の家に引っ越してこないか?」
「え?」
最初は、耳を疑った。そうして、聞き返した。心の準備をすることなく……。
「だから、キャッタ、俺の家に住まないか?」
「そ、それは、こくは……」
そうして、キャッタは本日二度目の気絶を果たしたのであった。