エピローグ
それから、数日後。
魔国では戴冠式を終え、キャッタが正式に魔王の座についていた。
「な、なんで、こんなことに……」
ぼそっとそんなことを呟いたキャッタは、大きなため息をついた。
魔王が早くも変わっただの、また人間が魔王になっただの、と騒がしかった魔界もすっかりいつも通りである。
保守派と呼ばれる魔族たちも、一番強かったであろうグラートが負けたのを切っ掛けにして、「人間も強くなった」、「強いものが魔王になるのだから、魔族よりも人間が強いなら仕方ない」と、本来的な魔王の取り決めのシステムに納得したものも多いらしい。
もちろん、そうでない者も少なからずいたのだが、グラートを倒した者に対して挑むほど力に自信を持つ者はいないので、魔王というのは命の危険もなく過ごせる良い立場ではあった。
毎食とても美味しい食事を食べきれないほどに出してくれるし、仕事らしい仕事も少なく、時たま書類に指印を押したりすることくらいだ。
ずいぶんと良い生活である。
孤児院出身のキャッタからしたらあり得ないほどの生活。
ラクレットと出会ってからの生活もずいぶんとおかしかったが、料理を作っていただけ、まだ働いていた気がする。
キャッタも今ではそんなことすら思っていた。
いったいどうしてこうなったのだろうか。
魔王になってから何度目か数えるのも煩わしいくらいのため息をした。
そして、そのため息のカウントがまた一つ増えた。
その時、一人きりの部屋にノックの音が飛び込んできた。
「失礼します、魔王様」
聞き慣れた少女の声。
でも、その声を聞くのは久しぶりだった。
扉を開けて部屋に入ってきたのはシキ。
「報告したいことがありましたので、ここに参じた所存でございます」
恭しい態度でシキはそう言った。
「なにかな、シキちゃん」
「はい、いつもの通り、勇者様にかけた呪いの解除法を調べていたところ、一つ大変気になる情報が出てきましたので、それをご報告したいかと……」
シキはそう言った。
シキとラクレットもまた、キャッタ同様に魔界にいた。
その理由としては、人間界にはない書物を見て、呪いの解除法を探ろうとしたからであった。
その力の入れようはすごいものであって、戴冠式を終えてから二人には会えていないほどだった。
なにやら解除の手がかりが見つかったとかで、珍しくラクレットも一緒になってそれを探っていたらしい。
「では、ご報告させていただきます。この度分かったのは、皆さんのことです」
「皆さん?」
キャッタが首をかしげる。
何を言っているか分からない様子であるが、まだ言葉が足りない以上、それも仕方の無いことである。
「ええ、勇者様……いえ、ラクレット様、グラート、魔王キャッタ様のお三方の正体……と、申しますか。その起源と言えば良いのか分かりませんが、それが分かったのでございます」
異様な魔力量と異様な力のラクレットとグラートはなかなかに不思議な存在であった。
そして、それに対して、なぜか効果のある魔法を使え、ラクレットにかかった呪いを無視できる料理を作ることの出来るキャッタもまた不思議な存在であった。
「そうなんですか?」
確かにラクレットとグラートはすごいと思っていたが、別におかしいとは思っていなかったキャッタは当然自分が変わっているとも思っていなかった。
つまり、なんでそれを特別なことのように言うのか分からなかったのだ。
でも、シキちゃんがそう言うならそうなんだろうと、きゃったはとりあえず相槌を打った。
「まず、一つ確認しますが、確か、キャッタさんは孤児院暮らしだったのですよね」
なぜそんなことを訊くのだろうかと疑問に思いつつも、「うん」とキャッタは答えた。
「失礼ですが、親の顔とかは?」
「うーん、知らないけど。何かあるの?」
キャッタの返答を聞いて確信を得たかのような顔をしたシキは口を開いた。
「おそらくですが、キャッタ様は僧侶でございます」
キャッタはシキの言葉が分からなかった。ここだけ聞いたら、分からなくても無理はないが。
「そして、グラートが魔王。ラクレット様が勇者であります」
もっと訳が分からなくなった。ラクレットが勇者というのはともかく、他が分からない。グラートが魔王で、自分が僧侶という情報をキャッタは理解できていない。
「うん?」
だが、一応相槌は打った。
「申し訳ありません。説明が足りませんでしたね。詳しく説明させていただきます」
シキの話では、こういうことらしい。
この世には勇者になるべくして生まれた者と、魔王になるべくして生まれる者がいる。
昔はそういった者が実際に勇者や魔王を務めていたらしいが、そもそも神に選ばれた者という風習が消えつつあるので、今は人間たちは人間たちで、魔族たちは魔族たちで、それぞれその役目を果たすものを選んでいるらしい。
話によれば勇者は絶大な力を持ち、仲間を三人引き連れるものであるらしい。
それに対して、お供を引き連れていない魔王はその分強大な力を持つ。
だから、ラクレットは一人で戦った際、勝てなかったのだとか。
だが、勇者のお供もそれぞれ強力な能力を持っているので、四人揃えば魔王と互角に戦えるようになるということで、バランスを取っているらしい。
勇者、そのお供、魔王は、それぞれ神に選ばれた者であるが、その中には星子と呼ばれる者もいる。その星子と呼ばれる者は人の身からは生まれてこない。
直接その大地に産み落とされる。いわば、神の子のような存在らしい。
「でも、なんで、私が僧侶なんです? 武闘家と魔法使いもいるんですよね? 私、どっちかというと、魔法使いじゃ……」
キャッタは素朴な疑問を口にする。
「それについてでしたら簡単です。先ほど言ったとおり、もうすでに、神に選ばれた者というのが文化として消えてしまっているのです。ですから、自分が神に選ばれた存在であると気づかずに生活する者が大半で、自分を選んでくれた神々に対応する職業に就く人は実際のところほとんどいないそうですよ」
「へぇ~」
キャッタはいろいろと納得したように相槌を打った。
「で、なぜ、キャッタさんが僧侶かと申しますと」
シキは続けて説明する。
救世神に選ばれた者が勇者、術学女神に選ばれた者は魔法使い、武術神に選ばれた者は武闘家に、そして、救世の女神に選ばれた者が僧侶になる。
魔王は悪魔神に選ばれるとなるらしい。そして、魔王は全て星子であるのでどうあっても、弱い存在にはなり得ないらしい。
キャッタがなぜ僧侶であると判断したか。それは、キャッタの能力である。ラクレットにかけられた呪いを無視できるその能力。それは、僧侶に備わる基礎能力の一つで、それに似たことが書き記してあったからだ。
“あらゆる呪詛をはらい、あらゆる防壁を抜け、全てに対しその魔法は届くだろう。”
この一文があったから、キャッタは僧侶であるとシキは判断したのだ。
「じゃあ、私は、本来僧侶になるべきだったってことでしょうか」
「神に従うなら……ただ、そんなに気にはしないでも良いと思われます。そうでない方が多いので」
「そっか、じゃあ、そうするよ、シキちゃん」
シキは長く喋ったので、キャッタに了解を得てから、少し水を摂取した。
「えっと、シキちゃん」
シキが水を飲んでいる最中、不意にキャッタが言う。
「はい、なんでしょうか、魔王様」
「シキちゃん……仰々しいんだけど……いつもの通りのように接してはくれないの?」
心からの声だった。
先ほどの話をしている間、シキはずっと片膝を付いていたし、言葉遣いはいつも通りでも、雰囲気はいつもよりずっと堅苦しかった。
「いえ、魔王様相手ですから、当然の対応ですけれど。これが普通ですよ」
キャッタはなんだかドラコの上でのシキの気持ちを味わった気分になった。
「ごめんなさい」
「何がですか? 魔王様」
自然と謝っていた。急に心の距離が離れた気がして、キャッタは涙目にすらなっていた。
「ごめんなさい、シキちゃん、あの時は悪かったから、いつものように接してっ」
と、あまりに可愛そうになってきてしまったので、いたずら好きのシキにも流石に少し罪悪感が湧いてきた。
「は、はい、ごめんなさい、キャッタさん。私が悪かったですって。さすがにやり過ぎました」
いつもの様子でシキはそう言った。もちろん片膝はついていないし、その雰囲気も堅苦しいものではない。
「し、シキちゃーん……」
心さみしかったのだろう、久しぶりに話せる相手が来たので感極まったのか、キャッタは泣きながらシキに飛びついた。
シキは戸惑いながらも、キャッタを慰め続けた。
キャッタが泣き止むまで五分くらいかかった。
「えっと、あと、本題なんですけど、もう一つ用事があって」
自分と同じくらいの身長のキャッタを、股の間に座らせながら、シキはそう言った。
「そうなんですか?」
キャッタの問いに対し、「ええ」とシキはうなずく。
「今から、勇者様の呪いの解除を行います。見に来ませんか?」
シキに誘われて、ラクレットの念願、呪いの解除のその瞬間。その場に居合わせることとなった。
場所は城の外、何もない草原。
見物人はキャッタの他にグラートがいた。あの戦闘以来、グラートは何かとキャッタを気にかけるようになって、よく付き纏うようになった。
さながらストーカーである。
「それで、これから何かするのでしょうか、魔王様」
「ええ、ラクレットさんにかかった呪いを解くのだろうです」
「あの男にかかった呪い? もしや、あの男は呪いにかかったまま俺と戦っていたのか?」
「え、ええ、まぁ、そうなるのでしょうけど」
「そうか、ならば、三対一というのも、より納得できる。そうだったのか……」
戦闘に影響するような呪いではないとは言える感じじゃなかったので、キャッタは黙っておいた。
ラクレットを囲んでいる魔方陣がエメラルドグリーンに強く光り出した。
「あ、始まるみたいです」
シキが地面に手をつけ、魔力を魔方陣に流していく。
「ようやくか……」
自然とラクレットの口は動いていた。
「ようやく、元の体に……元の味を知ることが出来る」
今まで、口に放り込んできた数々の異界。
それら全てが思い浮かべられる。
この長い地獄ともおさらばだと思うと、不思議と心が軽くなったように感じられた。
魔方陣はより強く光り出す、その光は強く、強く。どんどんと強くなっていく。
ラクレットは、全てが光に飲み込まれる感覚を覚えた。
その光は、ラクレットとシキを完全に飲み込んだ。そして……爆発した。
「ら、ラクレットさーんっ!」
草原にキャッタの声が響いた。
その爆発があまりにも強大なものに見えたのだ。
キャッタは二人が無事もではないかもしれないと思ってしまい、思わず叫んでしまっていた。
キャッタが急いで駆け寄ってみると、その煙の中からは二人の咳き込む声が聞こえてきた。
「よ、よかったぁ……」
キャッタの安堵の声。煙の中から現れた二人は無傷そのものだった。
「びっくりさせないでください」
キャッタは両頬を膨らませながら、全く怖くない怒り顔を見せた。
当然、そんな彼女を見ても、二人は怖がるわけもなくただ可愛いとしか思わなかった。
「悪かったって、でも、失敗に見えてこれは成功だと思うぞ。なんたって、なんかよく分からんが、何かが流れてくるのを感じたからな」
ラクレットはそう言って水筒を取り出した。
「この中には、その辺の井戸で汲んできた水が入っている」
そう言うと、ラクレットはその中身を少し口に流し込んだ。そして、それを何事もないかのような様子で飲み込んだ。
「ふぅ……どうやら、成功だぜ。やっぱりな」
口の中には、清涼感が広がっていた。
水とはやはりこういうものでなければならない。
ラクレットは、残りの水を一気に飲み込んだ。
「さぁ、今日は、美味いものを食うぞ!」
ラクレットは空の水筒を掲げ、声高らかにそう叫んだ。
そうして、その夜。キャッタの「いつもより豪勢に」の一言によって、まるでパーティでも開かれるほどの料理が食卓の上に並んでいた。
「すげぇ、やっとなのか……」
ラクレットは目を潤ませて、料理を眺めた。
悲願だった。美味しい飯を食べるのが。
魔王を倒し、あとは楽な生活を送るだけだった彼の人生は、あの時以来、いかに食事をとるかというだけのものに変わっていた。
いつか美味しい物を食べたい。絶対に叶わない願いを胸に生きてきた。
口に運ぶものが全てゴミ以下の味になることは分かっていた。
それでも、見た目通りの味がする料理を食べるのを諦めなかった。
キャッタの料理が美味しくなかったというわけではない。
キャッタの料理だって、とてつもなく美味しかった。
でも、それはキャッタありきのものだ。
ラクレットが求めていたのは、本来の味覚。
彼は、それを……今日、取り戻した。
「いただきます」
ラクレットは、じっくり丁寧にローストされた鶏肉をナイフで少し切り取り、口に運んだ。
涙があふれる、止まらない。ラクレットはただただ泣いていた。
その様子を見たキャッタは、少し寂しく感じた。
もちろん、嬉しいとも思った。彼の願いが叶ったのは嬉しいことだ。それは嘘じゃない。
だけど、それでも自分が必要とされなくなると考えると、寂しさを感じずにはいられなかった。
「ラクレットさん」
ラクレットのすぐ隣まで駆け寄る。
「その……」
おめでとう?
それとも、ありがとう?
なんと声をかければよいのか分からない。
呪いが解けたのだ、二人は人間界に行くだろうし、これからは会う機会も減るだろう。
なら、言うことは一つしかない。
求婚する。それだけ。
もうこのチャンスを逃せば、ラクレットは他の女性とくっついている可能性だって低くはない。
キャッタは魔王という立場を得たことによって、釣り合わないというコンプレックスがなくなっていた。
だから、今の彼女の勇気でもその言葉を発することが出来た。
「ラクレットさん、けっこ……」
しかし、その言葉は、口に入れたものを飲み込んだ、ラクレットによって阻まれた。
「くっそまずいいいぃぃぃぃぃぃぃっっ!」
「え?」
呪いの解除は……失敗していたっ!
「く、くっそ、きゃ、きゃった、み、みずを……」
「は、はひっ!」
ラクレットの差し出した右手にはコップ。
キャッタはそこに水魔法を使い、水を注いでいった。水がなみなみ注がれるやいなや、ラクレットはその水を全て飲み干した。
「はぁ……はぁ……はぁ……死ぬかと思った」
「え、えっと、どういうことですか? 勇者様」
「いや、分からない。確かに、あの水は大丈夫だったはずなんだが……もしかして……」
ラクレットは、おそるおそるではあるが、スープに手をつけた……。
「まず……くはないが、美味しくもない。というより、味を感じないな」
無味。それには、まるで味を感じなかった。
「次は、これだ」
手に持ったスープをテーブルの上に戻し、ジュースを一口、口にした。
「これは……美味いな」
その味は、実に予想通りの味であった。
あまりにも普通。だが、それが今はとてつもなく美味しかった。
「これは、キャッタが作ったわけじゃないよな?」
キャッタに尋ねるが、当然、首を横に振った。
「そうか……なるほどな」
しばらく考える素振りをした後に、ラクレットは出した答えを口にした。
「俺、中途半端に呪いが解けているようだ。冷たい飲み物は普通に飲める。温度が一定量あると、味がなくなる。それでも、それらはまだ異界にならないだけ全然良い。だが、問題は……固体が全くもって口に出来ない点は変わりねぇってことだ……」
ひどく落胆した様子で、ラクレットはそう言った。
「そ、そうですか……」
シキもそれを見て、少し落ち込んでいるように見える。
だが、ラクレットはすぐに立ち直った。ある少女が視界に入ってきたのだ。
その少女の名はキャッタ。魔王である。
ラクレットは、キャッタの前で片膝をつき、彼女の手を取った。
「これからも、ずっと私にご飯を作り続けてはいただけませんか?」
そして、少女の手の甲に、静かに口づけをした。
まるでお姫様にでもなったかのようだった。実際は魔王なのだが、それでも、今、こんな気分を味わえるなら、悪くないと思い……キャッタは気絶した。
結局のところ、魔王になろうと、キャッタはキャッタのままであった。
その後、キャッタに危害を加えて気絶させただのなんだのと、ラクレットとグラートがもめたりもしたが、それは目を覚ましたキャッタによって止められた。
気づけば、立場が変わっていたような気もする。勇者と魔王。いや、並んだと言うべきだろうか。
今なら、キャッタはラクレットに対して、いつでも正式に結婚を申し込めるだろう。
事実、届いていなかったとはいえ、先ほどはその言葉をラクレットに向けて発することも出来ていた。
だが、彼女はこう思った。
ラクレットがずっと隣にいてくれるならば、今しばらくはこういう日々を過ごすのだって、悪くないと。
お読みいただいてありがとうございます。合間が開いてしまい申し訳ありませんでした。あとがきがかなり長くなってしまったので、活動報告の方に上げることにします。
続きを書くかどうかは分からないですので一応完結ということにさせていただきます。ここまで読んでいただいて本当にありがとうございました。