11話・少女の本当の答えと不思議なソース。
「悪い、キャッタ。もう一回言ってくれ」
あまりによく分からない発言だったため、ラクレットはそう聞き返した。しかし、キャッタの返答は同じでご飯のためとしか言わなかった。
これにはシキも戸惑っている。「私の回復魔法はラクレットさんにも効きます」、とまでは言わないとしても、まさか、ここまで戦いから離れた言葉を口にするとは思わなかった。
だがしかし、キャッタはこれでいて、少し変わったところもある。もしかしたら、本気で言っているのかもしれない。
キャッタは途端に心配になった。それはそれで、なんか思っていたことと違う……と。
「じゃあ、戦闘には参加しないって事でいいんだな」
ラクレットは少し考えた後、そう言った。
良く考えれば、キャッタは戦わないと言っているのかもしれない。それならば安心だと思った。
だが彼女はそれに対する返答で更にラクレットを戸惑わせた。
「いえ、戦いますよ?」
そう言ったのだ、彼女は。それも、いままでラクレットが見た中で一番の笑顔で。
「え?」
「はい」
一応シキは、彼女が普通に戦ってくれると理解はしたようだが、状況を全く知らないラクレットは混乱していた。
「いや、お前は料理を作りに来てくれたんだよな」
「はい」
まずは、前置き。
「じゃあ、戦わないんだよな?」
「いえ、戦いますよ?」
そして同じ返答。
ラクレットは先ほどの答えが自分の聞き間違いだと確認するために聞いたはずなのに、返って来た言葉が同じなので再び自分の耳を疑った。
舌がおかしくなっているから、耳もおかしくなったのだろうかと、果てにはそんなことも考えた。
そして、ぐるぐる回る思考の終着点でラクレットのとった行動は、三度同じ質問をすることだった。
「えっと、キャッタ」
「はい」
「料理を作りに来た」
「はい」
まずは前置き。
「じゃあ、戦わない」
「なんでです?」
逆に訊き返された。
ラクレットはまたしても色々と考えたのだが、最終的には思考停止して、もう一度訊くことにした。
四度目だ、流石に耳も聞き間違えまい。そう願い、ラクレットは繰り返す。
「料理を「作りに来ました」……はい」
まずは、ここまでは理解できた。次こそ問題点。
「じゃあ、「戦いますよ」……え?」
今日は音もおかしい。そう思ったラクレットはシキを見て、今度は彼女に質問した。
「お前のかけた呪い、実は耳にも効果があったりしない?」と……。
シキはしばらくラクレットの顔を真面目な顔で見つめ直した後、「ないです」ときっぱり答えた。
「えー……」
ラクレットは、自分の耳を信じるほかなくなった。
「でもなぁ、ここから先の戦いはかなり危険なんだぞ」
「ええ、ですから、食事は大事ですよ」
「いや、そうじゃなくてな」
微妙に論点が違う。危険であることは分かっているようが、キャッタは戦う前の事を話している。
当然、ラクレットは戦いそのものについて話すつもりだった。
キャッタは至って真面目だ。別にふざけているようには見えない。それなので文句も言いづらい。
「とりあえず、ご飯食べませんか?」
そして追撃のような言葉。もちろん、そこにもふざけた様子はない。
「いや、だから、その前に」
ラクレットはそれでもキャッタを説得しようとはしたものの「色々話したいのは分かりますけれど、その前にご飯を食べましょう」と言われ、結局言うとおりに食事をとることとなった。
「でも、そもそも食べ物なんて持って来ているのか?」
一応、ラクレットはそんなことも聞いてはみた。もしかしたら食べ物を持って来ていないかもしれない。そしたら、この話自体無かった事に出来る。そう思ったのだが。
「はい、私が持って来ています」
シキがそう答えたので食事をすることとなった。
シキは自らのポーチからいくつかパンを取り出した。
「持って来ていると言っても、この程度ですけどね」
パンが有るだけじゃどうにもならない。料理が出来ない環境なのだ。それじゃあ、食事なんて出来ない。ラクレットはそう思った。
「なんだ、パンじゃねぇかよ、ここじゃ料理もできないだろうし、キャッタがいても、どうもならないだろ」
これならば、とラクレットは話を進めようとした。内容は当然、戦闘の事についてだ。
「じゃあ、お前たちは食っていてもいいから、俺は話をさせてもらうぞ」
だが、それもキャッタに止められた。
「いえ、ちょっと待ってくださいね。こんなこともあろうかと、私は常にこれを持ち歩いていますから」
そう言って立ち上がったキャッタが取り出したのは、瓶詰の黒い液体。それはラクレットにも見覚えのあるものだった。
「これ、覚えていますか? ラクレットさん」
「ああ、まぁ……」
いつだかの日にラクレットがキャッタの家に行った際に見せてもらったものだ。あの日は料理に使用していなかったが、いつもはどんな料理にも入れているらしい。
「これがあれば、ラクレットさんでも食べられるようになるかな……って思って」
キャッタはそう言って、ソースの入った瓶をラクレットに手渡した。
「お、おう、ありがとう」
一方、完全に話を元に戻す気でいたラクレットは、少し戸惑いつつもそのソースを受け取った。
「はい、勇者様」
「どうも」
そして、シキからも小さなパンを二つほど渡された。
ソースをかけただけで本当に食べられるようになるのか不安になったが、キャッタがせっかく持って来てくれたのだ、きっと大丈夫、と、そう自分に言い聞かせ、ラクレットはパンに浸み込ませるようにたっぷりとソースをかけた。
「い、いただきます」
ラクレットは、ソースで真っ黒に染まったパンを恐る恐る口へと運ぶ。
キャッタの料理とはいえ、いつも食べられるものだとは限らないのだ。それに、パンで失敗する可能性は高い。
だから、最悪の場合も考えて、どんなモノが口に入ってきても吐き出さないように気を引き締めた。
そして、味は……
「はぁ……良かった」
普段なら、まずかったら吐き出して終わりでいいのだが、ここはドラコの背中の上、吐き出す場所なんてあるわけない。
だから、もし食べられないタイプの料理だとしたら、余りはシキに渡すとして、最初の一口は絶対に呑みこまないといけない。それが何よりも辛い以上、ラクレットは食べられるものであることを願ったのだ。
自分が先ほどまで何を話そうとしていたかも忘れて。
「これなら食えるな」
ラクレットのその呟きを聞いたシキは自分の荷物を漁った。
「そうですか、なら、もっとどうぞ」
そして、そう言ってから、ラクレットに追加でいくつかのパンを渡した。
「流石ですね、キャッタさん、あのソースは自家製で?」
パンを夢中で食べているラクレットを放っておいて、シキはキャッタに話しかけた。
「はい、ラクレットさんのために作ったんです。シンプルなサンドイッチとか、そういった料理には使わないこともありますけど、基本的にはラクレットさんに出す料理に毎回入れてるんですよ」
「へぇ、凄いですね」
シキはそう言いながら、キャッタの手を引いて、ラクレットから離れようとする。
「あれ? どこへ行くんですか?」
「別にどこかへ行くわけじゃないんですよ、少し聞きたいことがありまして」
「うん? そうなの?」
「はい、まぁ、ここでいいでしょう」
ラクレットから少し離れた場所で、シキは足を止めた。
「その、さきほどの会話ってやっぱり……」
シキは先ほどのキャッタらしくない会話について尋ねた。
「うん、そう……私も戦うため」
キャッタもそのことを訊かれると分かっていたのか、言葉の先を読んでそう答えた。
「回復魔法の事を伝えればよかったとは思うかもしれないけど……」
申し訳なさそうな表情でキャッタはそう言うが、シキは別に悪いとは思っていない。
むしろ、それが普通であると考えている。どんな誰だって、自分が大事だ。誰かを思えるのは自分を思えるからだと、シキはそう考えていた。
だが、キャッタの答えは違った。
「回復魔法があるからという理由で、油断しても困りますし。その……ある程度の攻撃は受けられるなんて思って、私を庇ったり、あえて攻撃を受けたりしたらいけませんから、内緒にしました。その……ごめんなさい」
彼女はラクレットの事を心の底から心配しているようだった。
「そうですか、そんなことまで……」
キャッタさんは、そこまで勇者様の事を想っているのですね……。シキは、そう思わされた。
「まぁ、それも置いておくとして本題です。これをどうぞ。多分ですけれど、先ほどから、身体の調子はあまりよろしくないでしょう」
シキは魔力回復の薬をポーチから取り出すと、それをキャッタの手に持たせた。
「えっと……これは?」
それが何なのかキャッタは分からない様子だが、それも無理はない。
魔力の回復薬などは人間界では作られておらず、普通では手にはいるものではない。
最近になって、稀に魔界から入ってくるようになったが、それも安価な液体タイプのものが多く、丸薬タイプの物はいまだに魔界にしか置いていないだろう。だから、キャッタはそれが何なのか分からなかった。
「これは魔力の回復薬です。これを飲めば魔力が回復します。あまり見ないモノですけど、魔界ではポピュラーな物なので、どうぞ安心してください」
「ありがとうっ! シキちゃん」
「い、いえ、どういたしまして」
真っ直ぐでいて眩しいくらいの笑顔と感謝に少し戸惑う。
その笑顔は人の気持ちを動かすに十分すぎるほどの力があった。それはもう、普段からこんな笑顔を見ているラクレットが、なぜキャッタの事を好きにならないか不思議に思えるくらいに。
キャッタは渡された
「んっ……ん? むぐっ……むぅ……」
キャッタは丸薬を飲み込もうとしたが、飴玉くらいのサイズであるそれをうまく呑み込めずに舌の上で転がしていた。
「ああ、すいません、こちらをどうぞ」
それに気づき、シキは水の入った水筒をキャッタに手渡した。
「味は、結構酷いので、それで一気に呑み込むのをおすすめします」
「ふぁ、ふぁい」
口に変な味を感じ始めていたキャッタは、シキに言われたとおり丸薬を水で一気に流し込んだ。
「確かに……あんまり美味しくはないね」
「まぁ、薬ですから」
酸っぱいような苦いような、言葉には表現しがたい、強いて言うなら気持ち悪い味がキャッタの口の中に残った。
「その水は全部飲んでくれちゃっても大丈夫ですよ」
キャッタの不味そうな顔を見て状況を察したシキは、水筒の中身を飲むことを勧めた。
「あ、ありがとう」
丸薬の味が口に残るのはあまり嬉しくはなかったので、キャッタはシキの言葉に甘えて、口の中を濯ぐようにして水筒の中の水を飲み込んだ。
「大丈夫ですか?」
「うん、もう大丈夫」
味に慣れるまでは不味くて水無しでその丸薬を飲めない事をシキは知っていたので、あらかじめキャッタに渡す用の水を持って来ていたのだ。
不味さの塊のような丸薬だ、水無しで飲んでいるほうが少数である。だが、そんな不味さの塊のような丸薬よりも、ラクレットの呪いは凄まじい。
彼がまともに味を感じられるとしたら、いまやその丸薬が美味しく感じられるくらいに。
それを知っていたシキはまずそうにしているキャッタを見て、少し罪悪感を覚える。
味や食に関してなにかがあるたびに、わずかにだが罪悪感という名の棘がシキの心に刺さるのだ。一回だけなら「悪いことをした」で済むかもしれない。ただ、生きてい行くうえで切っても切り離せない事である以上、その棘が刺さる回数は計り知れない。
そんな中でキャッタはラクレットに救いをもたらした唯一の存在であった。
作る料理はどうしようもなかった呪いを越え味を伝え、使う回復魔法は膨大な魔力の壁を越える。
全体的なスペックを見れば、キャッタは一般的な魔術師よりも下回るはず。でもその力の特異性は他の誰にも見られない。
先ほどラクレットに手渡していたソースも、そのものさえ浸み込んでしまえば恐らく全てが呪いの対象外になる代物だろうとシキは思った。
そう考えるとシキはキャッタの作ったソースのことがすこし気になった。
その作り方にもしかしたら呪いを解く鍵、もしくはキャッタの力の概要のその一部でも分かるかもしれない。
「そう言えばあのソースは一体どうやって作っているのですか?」
そして、純粋な興味からシキはキャッタにそう尋ねた。
「そうですね、うーん」
少し悩む仕草をするキャッタ。教えるかどうか悩んでいる。
そのソースはラクレットのためだけに作ったものだが、シキにも色々とお世話になったので、教えてもいいのではとも思っている。けれど、それでも、やっぱりどうするか悩んだ。
キャッタはシキに対して気になることがあった。ならばちょうどいいと、そこで、交換条件を出すことにした。
「じゃあ、教えてあげる代わりに、一つ質問させて」
「え? あ、はい、どうぞ、なんでも。この際なので別に何も隠すつもりはないですし」
命を懸けた戦いになる。それも高確率で命を落とすであろう。今更になってなにかを隠すことはないと思い、シキはそう答えた。