10話・伝説の龍と少女の答え
シキは大量の魔力回復薬と小さなパンをいくつか持ち、キャッタを担いで、外で待っているであろうラクレットのもとへ急いだ。
外に出るとラクレットが待っていた。そこまでは予測通りだったのだが、ただ一点、シキの予想を大きく上回る者がいた。
「こ、こ、これは……な、なんで、こんなところにエンシェントドラゴンが……」
驚いた。そのドラゴンはもう既に絶滅したと、いや、存在していかどうかも怪しまれていた伝説のドラゴンであった。
言い伝えや書物では何度も見るが、恐らく現実で見た事のある人物はいないであろう、そのドラゴンは、今シキの目の前にいた。
「お、こいつ、エンシェントドラゴンっていうのか、生物に詳しいだけはあるな。名前しらねぇから、ずっとドラコって呼んでたぜ」
「いや、結構有名な伝承ですよ、私じゃなくてもきっと知っています。魔界では、ほとんどみんなが知っていますよ。……というか、ドラゴンだからドラコって、いつも通り安直な名前ですね」
呆れたようにシキはそう言う。
「へぇ、有名な奴なのか、お前」
ラクレットがそう話しかけながら、エンシェントドラゴンの顎を撫でてやると、ドラゴンは嬉しそうに唸り声を上げた。
「随分と懐いているようですが、どんな関係で?」
「いや、まぁ、親子みたいなもの?」
「なぜ疑問形で?」
「いや、だって、俺は卵拾って、それを孵化させただけだしな。それが、たまたまドラコだったってだけ、まぁ、そう言う意味では親子的な物だ」
何を誇る訳でもなく、ラクレットはそう話す。ラクレットからしたら、珍しいこともあるものだ、程度にしか思っていないので軽い気持ちで話したのだが、生物マニアのシキには聞き逃せない事だった。
「た、卵? そ、そんなものが……そ、それは一体どこで見つけたのですか!?」
伝説の龍の卵。それがあるということは、伝説の龍はまだ他に存在しているかもしれない。
それに卵から孵化させて育てるとここまで懐くとしたら、もしかしたら自分に懐くエンシェントドラゴンもいるかもしれない。
シキは今自分たちの置かれている状況も忘れて、興奮気味な様子でラクレットに卵の位置を尋ねた。
「落ち着け、落ち着くんだシキ、今はそれどころじゃないだろ。というか、そんなこと言われても俺も覚えていねぇよ、ただの荒野だったし、あの時は随分と適当に魔王城目指していたし」
「そ、そんなぁ……」
先ほどまでとは一変して、ガックリとうなだれるシキ。その様子を見てラクレットはとりあえず安心した。
シキがしないと魔王城までの道のりが分からないし、グラートを追う自信もないので、シキが今ここで急に卵を探しに行くと言い残して去ったとしたら、一巻の終わりなのだ。
そんなことはないと思ってはいるが、主が死んだ際に命を擲って呪いをかけるような少女だ。全く無いとは言い切れなかったが、どうやらそれはラクレットの杞憂に終わったようだ。
「さて、行こうぜ……って、言いたいところなんだがな、シキ」
ラクレットは一つ気になったことがあった。どうしても出発前に尋ねずにはいられなかった。
「はい、何ですか?」
またしてもシキは表情を変え、「どこにおかしな点が?」と言わんばかりのキョトンとした顔を見せるが、当然、ラクレットはそれで誤魔化されはしなかった。
「いや、キャッタだよ、キャッタ。なんで、キャッタを抱えているんだ? お前」
「キャッタさんも一緒に行きたいと言っておりましたので」
「今は意識無いけど人攫いじゃいよな」
シキは何も問題はないと平然とそう答えるも、ラクレットは引き下がらない。
「違いますよ、失敬ですね」
プンスカと可愛らしく怒るシキ。
「ちゃんと本人の口から聞いた言葉です。ですから、そこは問題ありません」
「今回はいろいろと本人の意志じゃどうもならないだろ。流石に俺もずっとは守ってやれないぞ、相手も相手だしな」
「ええ、それも了承済みです、その上でついて行きたいそうです」
「でもなぁ……」
ラクレットはどうしても連れて行きだからない。その気持ちはシキも分かる。いや、普通ならだれでもそう思うだろう。むざむざ人が死にに行くのを見て、止めないはずがない。
「なぁ、シキ、お前、それは本気で言っているのか?」
「いえ、本気なのは私じゃなくてキャッタさんです。まぁ、確かに、私的にもキャッタさんには来てもらいたいですが」
「だが、キャッタは、よほどうまくいかない限りは死ぬぞ。俺だって生きていられるか分からない。一番生きていられる確率が高いのはお前だが、そのお前だって、高確率で死ぬぞ」
シキは笑顔でそう言う。そんな所に向かうというのに、シキは眩しいくらいの笑顔を見せた。
「大丈夫ですよ、死にませんって。なにせ、エンシェントドラゴンの情報を手に入れたんですよ、そう簡単に死ねませんって。それに、勇者様にも生きていてもらわないと困ります。だって、卵探しに付き合ってもらえないじゃないですか」
いつものように悪戯っぽくそう言った彼女の表情は、今から死地に向かう者のものではなかった。
「キャッタさんは連れて行きます」
「なぜだ」
「……それは、言えませんが、その時が来れば分かります」
ラクレットを癒やすことが出来ると言えば、かなり強い理由にはなるかもしれない。
でも、その理由を言っても、きっとラクレットは引いてくれないだろうとシキは思った。
それにラクレットはそんなことはしないと思ってはいても、逆にキャッタを戦闘のメンバーに加えられてもそれはそれで困る。今回はギリギリの戦いになるだろうから、その可能性も否定しきれない。
だから、キャッタのためにも、彼女は奥の手として最後までとっておきたいというのがシキの考えであった。それ故に今はそのことを話さなかった。
「……本当に連れて行くのか?」
「ええ、私も、キャッタさんもそのつもりです」
少しの間、無言の時間が続いた。二人は顔を合わせ、お互いの意見を通そうとする。
そして、しばらくして……。
「分かった」
ラクレットが折れた。
「ありがとうございます」
シキは丁寧なお辞儀をしてそう述べて。
「だが……本当に危ないと思ったら、お前がキャッタを連れてドラコと共に逃げる。それを約束できるか?」
「ええ、もちろん」
「じゃあ、それだけは絶対に守れ。……じゃあ、行くか」
そう言ったラクレットはまるで階段を上るかのように羽を伝って、ドラゴンの背中に上った。
「じゃあ、私も行きますか……失礼します、ドラコさん」
それを追ってシキもドラゴンの背中に乗った。
かなり巨大なドラゴンである。その背中はかなり広く、相当アクロバティックな動きでもしない限りは落ちそうにない。
「それにしても、信じられませんね。まさか自分がエンシェントドラゴンをお目にかかれるどころか、その背中に乗せてもらえるなんて」
「そうか? まぁ、俺も初めて乗るんだけどな。二年間見ないうちにだいぶ成長したなぁ。最後に見た時は、今日の昼に見たドラゴンと同じくらいのサイズでな、背中に跨ったら二人くらい乗れるかなーって言うサイズだったんだけど、まさか、ここまで大きくなっているとはな……」
おかげで国中が大パニックである。
「そんなに成長が早いものなのですか……覚えておきましょう。寿命はかなり長いはずですし、その成長速度ということはもっと大きくなるのでしょうか、それとも我々サキュバスと同じで、成長そのものはとちゅうから緩やかになる感じなのでしょうか」
シキがキャッタを自分の背中から降ろしながら、そんなことを呟いた。
「ほかにも気になることはいくらでもあります。ですから、死ぬわけにはいきませんね。全く……」
小さく呟いたその言葉は、ラクレットのもとへも届いていた。
誰も死なせる気はない。死ぬとしても一人で死ぬ。ラクレットはそのつもりだった。
一方で、シキはラクレットが死ぬのなら、キャッタだけ逃がして一緒に死ぬつもりだった。
彼女の発言には、自分が死なないと共にラクレットも死なせないという意味も込められていた。
そして、目を閉ざしたままのキャッタが思っていることは、誰も死なないで帰ること。そして、またみんなで一緒に生活していくこと。そのために自分が役に立つから、自分だからこそ役に立てるから、ついて行こうとしている。
三者とも他の二人の事を思い、別の考えを持っていた。そんな三人は、今、魔王城へ向かって旅出した。
ドラゴンはその大きな翼を広げ、ふわりと浮かび出した。……ふわりと浮かび出した。
大きな風を巻き起こして上昇したのではない。ふわりと浮かび出した。当然、翼を羽ばたかせたりなどしていない。
「え、えっと、勇者様、これどういうことですか?」
「ん? ああ、こいつの飛び方か? 俺も最初はびっくりしたな。生まれてから一ヶ月くらいは普通にパタパタと飛んでいたんだけど、ある日、突然羽ばたくこともなく、ただ翼広げて浮かび出してな。なんか、魔法で浮いてるっぽいけど凄いよな。まさか、ドラゴンが魔法使えるなんて思わねぇよ」
「そ、それ、本当ですか……? だとしたら、結構怖いんですけど、私」
ドラゴンが魔法を使えるなんて話はシキですら聞いた事が無い。だが、もしも、それが本当なら恐ろしいことになる。ドラゴンの魔力保有量はとてつもなく、魔道士殺しと呼ばれるほどだ。そんな生物が魔法を使えるとしたら、それはとてつもなく恐ろしい。
ラクレットは魔法そのものをよく知らないので初級魔法しか使えない。それでも、普通の魔道士では彼に勝てないだろう。しかし、それと匹敵するほどの魔力の持ち主が魔法を使えるとしたら、それは脅威でしかない。
「えっと、ドラコさん。ドラコさんはほかにも魔法を使えるのですか?」
言葉が分かっていそうだったので、シキはそう尋ねてみた。すると、ドラコは首を縦に振りつつ小さく唸り声を上げた。
「どうやら使えるようだな。まぁ、浮遊魔法なんてかなり高度なものだもんな。それが使えるなら、そりゃ他のものも使えるか」
「……高度な魔法で気付いたんですけど、良く考えたら、私達、何で喋れているんですか? こんなに速い速度で飛んでいるのに……もっと言えば、ここ雲の上ですよね、なんで、息が出来ているんですか?」
敵に見つからないように、かつ、グラートよりも早く魔王城に着くために、ドラコは雲の上を高速で飛んでいる。それなのになぜ呼吸も会話も普通に出来るのか。それは、有り得ないはずのことだった。
「あー、そう言えばそうだな……気にしたことなかったけど、確かにおかしいな……うーん、これもお前のお蔭か? ドラコ」
ドラコは首を縦に振り唸り声を上げた。
「そうか、凄いじゃないか。お前、俺よりも魔法が上手いぞ。勇者よりも魔法が凄いとはな……まぁ、大抵は俺よりすごいんだけどな」
凄いなんてものじゃない。息をしたり、喋れるようにしているということは、ドラコが使っている魔法は念動力系統ではなく、風魔法ということになる。もしも、飛ぶ魔法は念動力系だとしても、それはそれで高度な魔法を二系統同時に使用していることになるし、両方とも風系統だとしても風魔法だけで浮遊するのは難しく、その上、ほぼ揺れを感じさせないという神憑り的な魔法を使っていることになる。
シキは恐れた。このドラゴンの存在を。
流石は幾度となく魔界を襲い、大量の魔族を屠ってきたという伝承のあるドラゴンだ。今は敵でなく味方にいることが何よりも喜ばしい。
「勇者様、これなら勝てるかもしれませんよ、簡単に。ドラコさんがいるなら楽勝ですよ、きっと」
そして、シキは安心した。
これだけ強大な存在ならば、絶対に負ける気がしなかったからだ。いくら、ラクレットを倒した相手とはいえ、エンシェントドラゴン相手ならば……。
「あー、いや、それは無理だ」
「え? なんでですか? ドラコさんがいれば、ほぼ勝ちは決まったようなものじゃないですか」
「いや、まぁ、そうだけど……こいつはまだ三歳だし、危険な場所にはだせねぇよ。もしもの事があったら大変だし、キャッタやお前と同じだよ。それに、もしも負けた時にこいつも怪我していたら、俺達が撤退出来なくなるだろ。だからこいつは戦闘に出せないぞ」
「え、でも……」
「気持ちは分からないでもないんだがな、こればかりはどうしようもない。俺の気持ち的にもこいつは戦闘には出させたくないってのもある。だが、一番は逃走経路が完全に断たれるという可能性が生じるから、ドラコは戦闘には出せない」
「そう言われると……どうも言い返せませんね……」
確かにもしもの時に危機から脱する手段は必要だ。そう考えると、確かにドラコは戦闘には出せない。シキは生きる可能性を高めるためならとその場は譲った。
「う、うう……こ、ここは?」
ここでキャッタが目を覚ました。
「キャッタさん……大丈夫ですか?」
「あ、シキちゃん。えっと、ここは? ……天国?」
キャッタは周りをキョロキョロと見渡した後、そのような事を口にした。
地面はよく分からない赤い物質で、周りの風景はどこを見ても空。これは、天国と思っても仕方ないかもしれない。
「大丈夫です、私達はまだ生きています」
「え、でも……これは?」
どうやら、先ほどまでの眠りは意識の伴わない、普通の睡眠だったらしい。
「大丈夫です、ここはエンシェントドラゴンのドラコさんの背中の上です。ドラコさんは、
ラクレットさんと仲が良いので、心配しなくとも大丈夫ですよ」
「そ、そうなんですか……?」
「はい、だから安心してください」
シキがそう言うと、キャッタはすぐに納得したようにその場に腰をついた。
ラクレットが視界に入ったからだろうか、妙に落ち着いた表情をしていた。
「目覚めたか、キャッタ」
「は、はい」
キャッタはラクレットの顔を見る。そして、今までより少しだけ、自分に自信を持てていることをしっかりと自覚した。
「そうだな、労いの言葉の一つもかけたいところだけど、なんでついて来ようと思ったか、まずはそれが聞きたい」
キャッタが無事そうなのを確認すると、ラクレットはいきなりそう尋ねた。
昨日までの、いや、今朝までのキャッタならばここでおどおどしてしまい、ラクレット達が戦っている間、ずっとドラコの背中の上で待たされることになっていただろう。だが、少しだけ自信が持てたキャッタは違う。
「それは……」
シキは、キャッタが何を口にしようと止める気はなかった。
特異な回復魔法を持っていると言ったら命の危険はより増すだろうが、それを本人が本人の口から言うのならば仕方ないと。
キャッタは一般人だ。それも人間の。本来は魔界と何の関係もない存在である。
だから、出来る限り死亡確率は少なくしたい。もっと言えば、そもそも、この戦いに巻き込みたくない。
でも、本人がそうまでしてラクレットについて行くと言うのならば、それは止められない。シキは口を動かしたキャッタをただじっと見て、そう思った。
そして、キャッタは言う。
「もちろん、ラクレットさんのご飯を用意するためです」
その答えは、この場において誰一人として予測しないものだった。