9話・大きな龍、来たる。
キャッタをベッドに寝かせたシキは横に椅子を持って来て、その隣に腰をかけた。
「キャッタさん、ありがとうございます」
聞こえていないだろうがシキはそう呟く。
「キャッタさんのお蔭で勇者様が助かりました。普通は魔法なんて弾かれてしまうのですが、まさか呪いだけじゃなくて膨大な魔力量という名の対魔法防壁すらもすり抜けるなんて……」
勇者がどうにも出来なかったどころか、呪った本人ですら解くことだって出来なかった。それを普通なら在り得ないことだ。それを何事もないように元々の味を伝えられる。
きっとラクレットを回復させられたこととその力は無関係ではないとシキは考えていた。
キャッタの料理は決しておいしい物ではない。そもそも美味しさでは、ラクレットにかけられた呪いには太刀打ちできない。
ならば、有り得るのは特別な力だ。
「キャッタさん、あなたは、きっと、凄い何かを……」
「………」
シキの言葉に対し、キャッタが言葉を返すことはなかった。……だが、その声は、言葉は、彼女に届いていた。
キャッタには意識があった。ただ、身体がまるで動かなかっただけで。
指先はおろか瞼を開けることすらもかなわない。金縛りにでもあったかのような感覚をキャッタは味わっていた。
それは魔力切れの反動のせいで、意識は戻っても魔力が底を突きているために身体の自由が利かないのだ。
(私が、ラクレットさんを……?)
最初は全く信じることが出来なかった。自分がラクレットを救ったなんて。
だからと言ってシキが嘘をついているようにも思えなかった。
そもそも、自分が意識を取り戻しているということにも気付いていないはずだ。そんな状況で嘘を言う必要もないだろう。
(それじゃあ、本当にラクレットさんを助けたのは……)
だとしたら、自分にも自信が持てる。
自分だからこそ出来る。自分だからこそ役に立てる。
キャッタはラクレットに対して自信を持てる点を見つけた。そして、ラクレットと並べるチャンス、それを手に入れるために動くという覚悟をした。
ラクレットが目を覚ますと、そこは見慣れた部屋だった。
「あれ? 俺は、生きているのか……そうか、多分あいつが何とかしてくれたんだろうな」
そう呟いたラクレットが思い浮かべたのはシキの顔である。
シキの事だから、きっと、なんか凄い薬を持っていて、それを使って治してくれたのだろう。
そう思いながら、死に際だったはずの体を動かしてベッドから出た。
まずは自分がどれだけの期間寝ていたのか確認しなければいけない。それを確認するには、シキに尋ねるのが一番だろう。
ラクレットは、シキの部屋に向かって歩き出した。
まるで身体に痛みが無い。胸を貫かれたというのにこれほどまでに治せるとは、とんでもない薬だ。いや、もしかしたら呪術の類かもしれない。
ラクレットは自分の体をどうやってここまで治したか気になった。時間の他にそれも訊こうと考えて、シキの部屋の扉を開ける。だが、そこには誰もいなかった。薄々そんな気はしていたラクレットだが一応確認だけはした。
「じゃあ、やっぱ、あっちか」
無意識の魔力感知を勘と称し、ラクレットはシキのいるほうへ向かった。勘ではキャッタも一緒にいるらしいが、いる場所は恐らくキャッタのために用意した部屋だ。
「なんで、こんなところにいるんだ? いや、キャッタがいるって事は、まぁ、なんか会話しているのかもしれないけど、着替え中の可能性もあるしな……とりあえず、ノックはしておくか」
ラクレットは、部屋の扉にノックした。
「はい、どうぞ、勇者様」
シキが返答をしたので部屋に入ってみるとキャッタはベッドで寝込んでいて、シキはその看病をするように隣で魔法をかけていた。
「キャッタ!?」
ラクレットはそれを見て、急いでベッドの横まで駆け寄った。
「一体、何があった」
自分が気絶した後に何があったのか、シキは無事のようだが、キャッタに一体何が……。
気になったラクレットはシキに尋ねた。
「ええ……ちょっと、刺激が強過ぎた様ですね。ただ気絶しているだけですから、安心してください」
シキは嘘をつくことにした。ラクレットを治す際に魔力を使い過ぎて倒れたとは言わなかったのである。
ラクレットの傷を治す才能もあるとなれば、ラクレットはなおさらキャッタの事を手放そうとはしなくなるだろう。
キャッタはキャッタでそれでもいいと思うかもしれない。むしろ、喜ぶかもしれない。
だが、それでキャッタがそれを自分のやるべきこととして、魔族内部の争いに巻き込まれ、そのまま死んでしまう事を恐れた。
彼女は物凄い何かを秘めているかもしれない。それでも今のキャッタは一般人である。
そう簡単にこちら側の世界に引き込むことは出来ない。だから、キャッタがラクレットを治したことは、その時が来るまでシキは誰にも伝えない気でいた。
もちろん、彼女自身にも、いや、彼女自身だけには伝えるべき時が来るまでは絶対に教えないつもりでいた。こちら側にはこないためにも。
そこに自分自身の別の気持ちが混ざり込んでいると、薄っすら気付いていながらもシキはそうすることにした。
「そうか、ならいいんだが……それより、俺の傷はどうやって治したんだ?」
やはり、そう訊いてきた、とシキは思いあらかじめ用意していた嘘を話した。
「私の家に伝わる秘宝を使いました。一度限りとはいえ一応致死レベルの傷でも治せる物だと伝わっておりましたので、一か八か使わせていただきました。無事治ったようで何よりです」
「それなら、俺はこれからは傷を負ってもそれで治せるのか?」
それも推測済みの質問である。シキは言葉を続ける。
「いえ、それは不可能でしょう。あれは、一度きりの物でしたから」
ラクレットは少しの間、黙ってから口を開いた。
「……悪い。秘宝って言うからには大事な物だったんだろ。それを使わせちまって」
二度目だった。こうも真面目に謝られるのは。
根も葉もない話を信じて責任を感じさせてしまっていることに、シキは罪悪感を覚えたがここは嘘をつき通さなければいけない。
「いえ、気にしないでください。あんなものは元々蔵に投げ捨てられてあるようなものでしたから。そもそも、いかなる状態からでも治るなんて誰も信じていなかったですし、私だって使うまでは半信半疑だったのですから」
「ありがとな」
「いえ……」
その台詞はキャッタに言ってほしい。彼女がいなかったら死んでいた。自分は何もしていない。シキは心の中に罪悪感が染み付いていくのを感じた。
「なぁ、少し話したいことがあるんだ、シキ」
「はい、なんとなく予想はしております。魔王の件でしょう?」
「ああ、そうだ。今は、現状では、一応まだ俺が魔王だ」
グラートに負けたとはいえ、まだ魔王が魔王となるための一つの条件を満たしていない以上、グラートはまだ魔王じゃない。
魔王になるには前任の者を倒してから魔王の部屋を出て、その外で待つ魔族に姿を見せる必要がある。それはまだなされていないはずだ。何せ俺がまだ生きているのだから。
ならば、まだわずかだがチャンスはある。
魔王の部屋には機能には魔王の紋章を刻むという物がある。そこにいる者に魔王の印ともなる物を刻むのだ。ただし、それは他に印を持った者が世界にいないという条件がいるのだが、逆に言えば部屋に入るまでは俺が生きていいることすら分からないだろう。
魔王を倒す際普通は王の間で戦うことになるだろうから、魔王を倒しその部屋から出た時点で魔王になるので、本来なら、前魔王の死は確認しなくとも分かるので、こうはならなかっただろうが今回は違った。だから、ラクレットは生きていられたのだ。
ラクレットが生きていると分かったらグラートは恐らくまたこちらに向かって来るだろう。だが、次にきたときはどれほど他の人間に被害が出るのか分からない。だからグラートよりも早く魔王城に辿り着き、それを迎え撃つ。そうしなければいけないとラクレットは思ったのだ。
「なぁ、シキ、俺はいったいどれくらい寝ていた?」
「大丈夫です、まだ日は跨いでいません。キャッタさんがまだ目覚めないのが証拠です」
「分かった……今すぐにグラートを追うぞ」
「はい」
ラクレットが部屋を出て、シキはそれを追おうと立ち上がろうとした。しかし、服に微かな重みを感じて振り返った。
キャッタがシキの裾震え立た手で掴んでいた。
「目覚めましたか……私たちは、行ってきます」
「分かっています、全部聞こえていましたから……それで、いま……なんとか、身体が、動いたところですから……」
キャッタに今までの話を全て聞かれてしまったというのに、魔王の一件があまりにも大きい問題である所為か、シキはたいして動揺はしなかった。
「大丈夫です、必ず戻ってきますから、安心して眠っていてください」
シキはそう言って、服の裾からキャッタの手を離そうとするが、やっとの思いで服を掴んでいるであろうその手は離れなかった。
「大丈夫です、私達を信じてください」
説得するための言葉は少ない。今はそう言う事しか出来なかった。
「そう、じゃな……い、です……」
弱々しく服を掴むその手に反して、彼女の視線からは強い意思を感じた。
「では、まさか……」
「私も……私を連れて行ってください……」
キャッタはか細くも毅然とした様子でそう言った。
「やはり……」
連れて行きたい気持ちがシキにないわけではない。
ラクレットの傷を自然治癒以外の方法で治す手段を持つのはキャッタだけだ。でも、それでも、これから向かうのは魔界だ。普通の人間が生きて行けるような場所ではない。
多くの勇者を目指した人々が魔界に入ったその日の間に死んでいる。
魔王城に辿り着ける者自体、片手で数えられるほどしかいなかった。
そのうちラクレット以外は門を開くことすらできずに死んでいる。そんな世界である。
ラクレットが魔王であるうちはまだ何とかなるかもしれない。
だが、グラートに負けたら? それを考えるとシキはキャッタのことを連れて行きたくはなかった。
それに、万全の装備を整えたわけでは無かったとはいえ、ラクレットは既に一度相手に負けている。その確率も低い物ではなく普通に在り得るものだ。だから、シキは迷った。本当に連れて行ってしまっていいものなのかどうか。
「私、全部、聞こえて、ましたから……全部、最初から……シキさんが、ずっと、私に、ありがとうって、言ってくれている事も、私の事を思って、ラクレットさんに嘘をついた事も、全部、聞こえていましたから……だから、私は、私の力を、分かっています。私なら、癒やせるんでしょう? ラクレットさんの事を……」
かなりふらふらとしながらも、キャッタは身体を起こした。
「ですから、私を……ぜひ連れて行ってください。私も……役に立ちたいんです。足手まといになるようだったら、その場で切り捨てても構いませんからっ!」
全身の力を振り絞った一声。キャッタの想いが全て乗った、言葉を受け止めてなおその意志を拒むことが出来るはずがなかった。
「分かりました……ですが、少しお待ちください。いま、魔力の回復薬を持ってきます。いくらなんでも、その状態のまま来られては意味がないですから」
シキはその意思を尊重することにした。
「……ありがとう……シキちゃん」
そう言って、キャッタはまた倒れてしまった。気絶していたため、先ほどまでは薬を飲ませようにも飲ませられず、シキは自らの魔力を送ってキャッタの魔力を回復させていた。だが、目覚めたということは、あとは薬でも回復させられるはずだ。
最後に呼んだシキちゃんという、同年代の気兼ねなく話し合える友達のような、そんな呼ばれ方にシキは慣れていなかった。
シキは少し恥ずかしそうにしながら、薬を取りに行った。
一方、ラクレットは、久しぶりにあるモノを呼ぼうとしていた。
大きな牙で作られた笛を吹く。音は何もしない。風の吹きぬける音すらせず、ただ、ラクレットの息が抜けていく。だが、その笛はそういうものだ。
ラクレットは念入りに準備をすることにした。あのグラートという男に負けてしまっている。その戦いは人生で初の敗北だった。だから、もう気は抜けない。
いや、あの時だって、気は抜いていなかったはずだ。それなのに負けた。だから、勝てる保証なんて全くない。
喧嘩から、魔王との戦いまで、一度たりとも負けた事のないラクレットを負かした相手である。それも、傷一つ負わず……むしろ、分が悪いと言っても過言ではないだろう。
勇者の時に使っていた鎧を身に纏う。これもまた神殿に落ちていたものだが、不思議なことに、付けると逆に身軽になるし、その鎧は魔族の本気の一撃にも耐える。不思議な鎧であった。
もちろん、そう思っているのはラクレットだけである。
その鎧も伝承では勇者の鎧と言われているものだ。事実、ラクレット以外の人物は着けることはおろか、触ることすらできなかった。勇者以外の者が触れると弾き飛ばされてしまうのだ。
そんな鎧も、ラクレットは軽々しく触れ、そして、普通の鎧のように身に着けた。だから、その神殿があった村でもまたラクレットは勇者としてあがめられたそうだが、面倒だったため、ラクレットはすぐにその村を出て行ってしまった。
全ての準備がそろったところで、ラクレットが外に出ると、そこには巨大なドラゴンが待っていた。
「よぉ、ドラコ……二年会わないうちに、また大きくなったな」
昔、ラクレットがとある石だと思って腰を掛けたところ、それが急に色づき竜の卵となった。
その時、その卵が何なのか分からなかったラクレットは興味本位で孵化させたところ、このドラゴンが生まれたということである。年齢でいえば、三歳ちょっとのドラゴンであるが、その体は巨大でラクレットの屋敷の半分はある。
そんなドラゴンが街中に飛んできたものだから国中が大パニックだったが、そんなことに気付く由もなく、ラクレットはシキが屋敷から出て来るのを待っていた。