最終話
初めは六車線あった道路も次第に減少していく、路面の両脇に敷かれた有機ELが、穏やかに夜空を照らす。モーターは静かに高速で回転し、コンクリートを走るタイヤはリズミカルに振動を伝える。
四輪電駆自動車の群れは散り散りになって行き、カワサキは二人を乗せ隙間を縫って走っていく。
声は風に掻き消える、腰に回された腕に酷く安心する。彼女の下手くそな鼻歌は耳元で鳴っていた。
暫くすると視界に白い蛍が近づいてくる。
耳元で息の漏れる音が聞こえた。
『SEA LINE』
路面で青く発光する文字を割って走ると、左右には海が広がり陸と陸を結ぶ巨大な橋を浮遊型拡散光LEDが真っ白に、ぼんやりと照らす。無秩序に宙に浮かぶ星は夜空の星を隠していた。
「うわぁ……綺麗」
横目に見た彼女の瞳が拡大され、瞬時に視界いっぱいに広がった瞳にピントが合わされていく。
虹彩には白い星がいくつも浮いていた。
キャプチャした弐四を口の中で褒めておく。
ガンっと後頭部を叩かれる、車体が少しだけぐらついた。
「と、う、さ、つ!」
シャッター音も無いのに何故か気付かれる。
と、同時に追跡プログラムのポイントが解除された。
「ユキ、今なんかしたか」
首を横に振って返事をする。
弐四が外したのだがどうにもおかしい。そもそも『LAW LOCK』は犯罪行為抑制の為、日々治療薬は開発更新されている。第一世代は国からの機能制限を受ける前だったからこそ、イレギュラーパッチによって多少は掻い潜る事は可能だ。だけど、あそこ迄の仮想障壁操作、第八防護壁まで組まれている交通網や監視カメラへの侵入、普通に考えたら半年以上はちまちまやらなければ可能とは思えない。それに脳負荷だ、確かに重たかったが十回死んでもおかしくない負荷になるはずだった。
なんらかの原因がユキにあるのは間違いないのだ、だが彼女がそれを分かっているようには到底思えなかった。
「ねー、海ってココのことー?」
「いーや、まだ暫く走る。多分人は居ないだろうからな」
「そこって星より綺麗ー?」
「ああ、海の方が綺麗だ」
楽しみだなぁ、と彼女が言った気がした。
彼女の心音を聞きながら星の群れを通り過ぎる。
透明なチューブ状の海底トンネルで海を少しだけ泳ぎ、弐四の示すルートを追い掛けた。
暫く走ると光源は減り、道路のヒビ割れが目立つようになってくる。前方を照らすライトは光量を強め暗闇を割っていく。いつしか一台と二人だけになり、鉄クズが目立つ街をスピードを緩め進んでいく。
幾つ目かのホログラムで表示された地名を目にして、目的地が近付いて来たのが分かった。
今では人工海水浴場しか無いが、向かうのは天然物だ。綺麗では無いが、人は居ない。
昔は住宅街が並んでいたらしい、一度東京大災害で津波に飲まれ潰れた街。今ではそのまま違法廃棄物で溢れかえっている。
『旧モリヤ海水浴場』
ハンドルを左に切ると誰に知らせるのか、ウィンカーが自動で明滅する。
木屑や錆だらけの半壊した船舶に家庭用電化製品の群れ、寝具に長椅子にステンレス製のドラム缶。幼児向けの玩具と今は規制された薄型ハイプラズマテレビ。ゴミの数を数えるだけで一年は潰せるだろう防波堤に、堰き止められた積もったダスト。
ここの日の出は数秒早い。
空が青と赤で混ざりながら動いていく。月は混ざり合う空に、真っ白に浮いていた。
そのまま細くなったゴミの道を少しだけ進み、浜辺へカワサキのまま降りていく。溝の深いタイヤが砂を撒き散らす。砂地用のエキゾーストパイプの噴出口が可変して、車体を軽く持ち上げ進んでいく。
右手にはまだ紺色の水面、左手にはダストの山。
「空が青くなっていく」
ユキは空をぼうっと眺めている。なるべくダストの少ない砂の上で停止する。バックパックはハンドルに掛けておく。
ユキはすぐに飛び降りて、光始める海へ向かう。
押し寄せる波にひっくり返りそうになりながら引き返し、慌てて靴を脱いでいく。
「おい、危ないぞー」
「大丈夫! ちゃんと見えてるからー!」
近場に人工海水浴場があるからか海はダストの割には青く透き通る。
「海だー! 綺麗だー! 冷たいー!」
笑いながら波の上で彼女は跳ねる。
「太陽だぁー!」
地平線に声を張る。日の出が彼女と海を光らせる。
眩しそうに手で遮っているのに、弐四越しで眩しく感じないのが、何故か寂しかった。
「サトルー、海が透けてるよー!」
容姿はもっと大人で、海よりも綺麗なのに。
幼く笑うのが、惹かれてしまって仕方がない。
弐四が五メートルのルートを表示する。
目的地に辿り着くと、透けて見える浅瀬にダストが砂に埋もれてちらほら見える。
弐四が勝手に小魚を追い掛け始めて少し酔いそうになった。
「これが海かぁ、広すぎるなぁ。これって真っ直ぐ進んだらまたここに戻ってくるんでしょ?」
「あー、多分。宇宙へ出るかここに戻るかのどっちかだなぁ」
「ふーん。信じられないなー」
「信じなくていーだろ、そういうもんだ」
「そっかぁ。……あのさ、わたしさー」
彼女は後ろ手に腕を組んで、波を蹴ろうと右足を引く。
視界にポンっと軽快な音を立てアラートのアイコン。
——彼女の足が吹き飛んだ。
視界へ一斉にウィンドウが開かれ、警告文と電子法に違反した事、罪状で埋め尽くされる。透過する筈のそれらは強制的に何重にも表示され目の前が見えない。
それでも直前のユキが居た場所へ、震える足を踏み出して手探りで探す。
手には波しか捕まえられない。
「ユキっ、どこだ!」
「ここだよー、以外と痛くなかったー」
足が吹き飛んだ様に見えたけどエラーなのか、先程と変わらないいつものとぼけた様な声が聞こえた。
砂を踏む足音が背後からいくつも聞こえる。嫌な汗が止まらない。ユキに手が届かない。海が冷たくて全身が震える。止まらないH2Oは弐四の隙間から頬を伝う。
すると両手を細い指が捕まえてくれた。
冷たい指。すぐに絡めて抱き寄せる。暖かく感じたそれは、流れ出る血なのかわからない。
「大丈夫だからな、絶対助けるから」
「ふふ、助けて貰ってばっかりだ」
「ああ、そうだ。昨日も今日も、これからも助けてやる」
「嬉しいなぁ、なんでかなぁ」
背後から海を潰す足音が聞こえてくる。
ユキの声が聞きたくて心臓が重なるまで抱き寄せた。
「ねぇ、聞いて」
「なに?」
「わたしさ、人工生命体なんだー」
「は? いや……」
「人じゃ無いんだって」
背中に衝撃が走り体が急に痺れる。
視界は埋め尽くされたまま戻らない。
誰かに拘束されているのが分かる、けど何も動かせない。弐四はまるで反応が無かった。
「……!」
彼女の名前を呼んだ筈なのに、喉の奥から吐き出されるのは掠れた様な呼吸だけ。
「サトル、ありがとう」
耳元で聞こえた。
それが最後に聞いた彼女の声。
その後、スーツの男達によって東京トに連れ戻され、警視庁で事情聴取と言う名の視覚記憶のコピーを取られた。数日間の拘束の後、制限解除防止の為に弐四へ第弐世代への物理的な更新をされた。
何故かそれだけであった。他の罪状についてはそもそもなかった事とされていた。ただ一つだけ記憶制限を掛けられた。ユキに関する情報だけ『MEMORIES LOCK』が設定された。
これでもう、ユキに関しては物理的にも間接的にも思い出す事は出来ない。
おれは今、雪という人の事を知らない。
でも雪という名前とブラウンの虹彩は知っている。
いつの間にか持っていた、一枚の『雪』というタイトルのキャプチャ。
画面一杯に広がる、誰かの瞳には白く光る雪が降っていた。