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第壱話-日常

 ディスプレイの電源が入った様に、真っ暗だった視界へ光速で光が広がり、一度白く染まる。脳に直接響く機械音と共に、徐々に光量と色彩が自動で調節されていく。


 そして、現実が始まる。


 時刻は午前十一時、設定済みの自動起床プログラムは正確で確認する必要は無い。

 梅雨時期で湿気った空気を肌で感じる。橙色の長椅子で横になっていた体を起こし、首元に接続していた絶縁ビニルに覆われた三十八ミリの廉価な充電ケーブルを引き抜く。


 視界の右上に小さく映る、残存バッテリーアイコンは"満了"の文字を表示している。いつもの様に長椅子へ腰掛けたまま、メッセージと口の中で呟いた。

 そのまま声が少し漏れるのはただの癖。

 脳電子ブレインウェイク用に張り直された人工網膜を通し、目の前の空間に薄い青のウィンドウが幾つか浮かび上がる。大黒ダイコクの旧式、弐四型ニーヨンモデルではホログラムの精度が悪く、宙に浮かぶウィンドウが少しぼやけるが機能に問題は無い。奥の錆びたキッチンが透けて見える、文字を軽く意識しながら下らない話題は指で弾いて飛ばしていく。


『拾四時、拾参番街、海の底』


 アダチからのメッセージ。

 久しぶりに《《イイ》》のが手に入ったらしい、つい口元が緩む。


「拾参番ったら、ジュンの店だっけか?」


 弐四ニーヨンは行き先を自動で検索し、新たなウィンドウを小さなポップ音で表示。現在地からの経路を確認しながら、庫内全ての賞味期限がカウンターによって表示された液晶ドアを開け、冷気が漏れる箱の中に手を突っ込む。

 取り出したのは長期保存が可能なマルカネの食パン。子供の頃から浮気しない、懐かしの味。

 何もつけず頬張りながら、空いた指で隣のボックスの薄いボタンを押し込む。軽い音を立て再生紙で作られたカップが落ちる、同時にガリガリと音を立てながら蒸気が排気口から噴き出していく。ボックスの上部に文字が浮かび、拾伍からカウントダウン。

 零と明滅されカップをボックスから取り出し、水分を奪われた口内に注いでいく。

 駱駝色らくだいろの珈琲は視界の色調に誤作動を起こす程甘い。


「こいつも一度クリーニングしないと駄目かもな」


 食パンと珈琲を交互に口に入れ込み片付けた。


 身支度を軽く終え、洗面台の前に立つ。ボサボサの髪の青年がそこに映る。多分特徴のない顔をしているはず。

 何よりも主張しているゴーグル状の脳電子、傷だらけの銀でレンズまで覆われた形をしている。左目の位置にポツンと嵌め込まれた光学レンズがLEDを反射していた。

 見た目は大黒の弐八型ニーハチモデルだが、中身だけ弐四に入れ替えてある。脳電子の装着型ではなく直結型。ここ二週間は碌に外していないのでそろそろ洗浄しないと衛生的に不味い、眼球硬化症の恐れもある。が、毎度の事なので慣れてしまえば大した危機感は持たなくなってしまった。


 もう一度深く長椅子に体を沈ませる。決まった様に年中同じ事を綴る電子新聞と、最近気になっている善興ゼンコーの直結型脳電子の最新型式、合法違法ごちゃ混ぜの電子ドラッグのページを部屋中に広げていく。ホログラムで流れる広告はご愛嬌。

 それらを横になりながらページをスクロールさせていく。旧式だけれど割と長い付き合いの弐四は、長年蓄積された学習機能でその中から拾いたい情報を自動で検索、拡大。意識したページは脳へ直接情報として流し込んでいく。暫くそのまま時間を潰す。


「やっぱり、善興の参六型サンロクモデルはやばいよなー。1ms更新とか人超えてるだろ」


 独り言が多いのは独身特有の処世術だ。

 ふと、電子新聞に目が止まる。今日は去年と違う話題を考えたようだ。

 記事は政府の公式発表、脳電子の負荷が増える現状に政府主導で外部脳電子の開発を進めるというものだった。


「米国に遅れて五年だろう。外部脳電子ってロボットに出来ないのは分かったし、未来じゃ猿でも連れて歩くのかね。そんな未来におれは生きたくはねーなぁ」


 愚痴だけは平等に吐き出せる、そんな小さな権利を振るっていると視界の左端からポップアップが顔を出す。そろそろ向かわなければ遅刻すると警告していた。


 三重の電子錠と趣味でつけた弐◯(ニーマル)年代の、手動式錠を解錠して、塗料をべったりと塗られた緑の扉を開けて外に出る。自動で鍵の掛かる音を聞きながら錠前にディンプルキーを差し込む、この時のキーの窪みに錠前内部が沿っていく微弱な振動が心地良い。


 色彩の狂った賃貸を後ろに、ここ東京ト黒田ク参拾参番街から同じ黒田の拾参番街にあるジュンの店『革命喫茶』へ向かう。

 少し歩くと出てくる大通りは人でごった返し、意識の外で人の群れを自動認識していく。スーツを着こなす会社員は正規メーカー品といった脳電子だ、ただ口元が微動だにしていない所を見るとイレギュラーパッチを入れてるんだろう。後ろを歩く二人組みの女性は三次元レーザー複合機で切り出した様にミスの無い顔をしている。やはり女性の殆どはサングラス型の装着型が多い。そのまま首元、胸、腰の辺りまで視線が動くと、突然アラートが脳内に響いた。

 視界には警告という文字が目の前に点滅して浮かび、その下に小さく『不法行為の恐れ、これ以上は軽犯罪法第壱条弐拾参号に該当』と表示している。舌打ちしながら意識して認識段階を下げる。人がふいにぼやける様に感じるも、ピントはしっかり合っている。


 自動小売店舗の前を通り過ぎる度に、人感センサーに引っかかりホログラムの人間が各々の製品を勝手に紹介していく。その中で一人の少女に目が止まる。これから向かうジュンの好きな電想アイドルだ、可愛らしくも不敵な笑顔を振りまく少女の頭上には『革命少女・ユキヒメ』と文字が浮いている。

 ジュンの下衆な顔が浮かんでしまい海馬へのシナプスの伝達を一部停止し先を急いだ。




 十四時きっかり、『革命喫茶』の看板の前に辿り着く。押し出しの扉のノブに触れると、電子音と共に『承認』と表示。そのままノブを押して開ける。

 内装は店主の趣味でオンボロ一歩手前のアンティーク調の雰囲気、マホガニーの床と飾られた小物のセンスは悪く無い。


「おー、サトル久しぶりだな。アダチはもう来てるぜ」

「久しぶりだなジュン、相変わらずクサイ店名のままなんだな」

「おま、わかってねーな。革命少女はナウいだろーが」


 一ヶ月振りに来て一ヶ月前と同じ会話を交わす。脳が死んでいるのか、前に進めていないだけなのか。それでもそうやって付き合って来た。


「サトルー、まだそんな弐四型使ってんのかよ。そんな骨董品ジャンク屋でも手に入んねーよ」

「うぜーな、アダチのだって一世代新しいぐらいで大して変わんねーだろーが」

「ギャハハ! でもお前の型式ならLL(エルエル)緩いかんなー。外し放題だろ、スケベだねぇ」


 サトルの脳電子は第一世代の後半でかなりの旧式である、が第一世代の特徴の制限解除ピーキーにより『LAW LOCK』通称LLと呼ばれる電子法規制プログラムを多少は掻い潜る事が可能な脳電子だ。所有自体に違法性は無いが、制限解除は処罰の対象になる。法律が言葉遊びを好きなのは昔から何も変わらないのだ。


「そこまで外してねぇよ、大体スキャンされたらわかんだろ。ってか、早く"アレ"見せてくれよ」

「わかってるって、そう焦んない」


 そう言ってアダチは小さなケースを丸いテーブルの上に滑らせる。ステンレス製のケースを指先でつまみ、スライドさせて中のMPカードを確認する。


「これ、マジもんなのか?」

「マジマジ! 大マジもんよ、出どころはタブーだけど大体わかるだろ?」

「ニシカワかスガイか? あぁ、でもスガイはまだ電監にいたっけか」

「もうとっくに出て来てるよ、今はまだ大人しくしてるけどな。んでさ、これなんだけど……」


 板状個人用電子計算機、当時はタブレットと呼ばれていた物を丁寧にテーブルに置く。


「……また、なんとも年季の入った"ダスト"だなぁ。毎度の事だけど保証はしないからな」

「わかってるってサトルちゃん! 復元終わったらメッセで鳴らしてくれ」


 軽く返事をして、絶縁バックパックにダストを入れる。衝撃緩和材がサイズに合わせて膨張していく。席を立つアダチに手を揺らし、ジュンにとびきりに濃い珈琲を頼んでおく。なんとなく今朝の甘さを中和しておきたかった。


 一分と待たずに目の前に水面まで黒い珈琲が置かれ湯気が遅れて付いてきた、革命少女のマグに口をつける。旨いのは香りだけだが、カフェインが脳に染み渡っていき覚醒するのがわかる。脳電子特有の効果だが、これから体感するものに比べたらアルミ缶を踏み潰す程度にしか感じられない。


 アダチから依頼の前金として受け取ったMPカードを弐四型脳電子のスロットに差し込む。痕跡を残さない為一回コッキリの違法電子ドラッグだ。

『0.8/28PB』とダウンロード表示から数値が秒単位で更新されていく。

 表情に出さないようにしながら心拍の上がる心臓を、珈琲を飲み干し落ち着かせようとする。


『完了』の文字と同時に『Sea floor』とポップアップし、一呼吸置いてから起動させる。光学レンズから変換されていた現実は歪み、一億色を変換してきた色調設定は徐々に減り、天然網膜だった頃よりも下回る。次第に意識の更新頻度も減っていき長めの瞬きを繰り返すように、時間の流れが止まっていくように、スローモーションの世界が途切れていく。




 ——海面から体が沈む、空気を孕んだ気泡が体の隙間から溢れていく。


 視界と肉体は固定され、只目の前の光景が薄い青から濃紺へと変わっていくのを見続ける。


 次第に気泡も生まれなくなり、背中が底につくことはない。


 生き物は自分以外には見当たらない。


 海面から歪んで届いていた輝きも視界一杯に広がっていたが、届かなくなっていく。


 紺から黒へ。


 心臓の音は聞こえないが、二秒に一度から十秒、三十、一分に一度とありえないほどゆっくり刻んでいく感覚。


 無くなり続ける自分と寂しさを感じない包まれ続けていく体。


 光が完全に無くなった頃、沈んでいるのか浮上しているのか、はたまた漂っているのか。


 体があったかどうかも分からない。


 一つ二つ、三つ。光の点が増えていく。


 それは急速に増え始め、数に合わせて高揚していく。


 宇宙と星の誕生を一光年単位で早送りで見る。


 輝いては爆発して消える星。星雲は漂い、星団は引かれあい衝突して銀河を作る。


 宇宙は子供が作ったのかも知れない。光の点を集めるのが楽しかっただけだ。


 価値観を光速で更新していく、星の爆発は星雲をバックに花火として打ち上がる。


 人の歴史の何億倍もの時間を一秒で楽しむ。


 生死を光速で繰り返しているようで、溢れない雫はグラスに一杯なのに落ちることは無い。


 暫くすると光の速度を超え光の点は伸びていく、宇宙を駆けて地球が近付く。


 一瞬の内に景色はスライドしていき『革命茶店』に視界は戻る。


 脳内麻薬で酔いすぎたのか、処理エラーが酷い。視界はモノクロのモザイクが掛かり、少しずつピクセルを更新していく。

 ゆっくり、十分掛けてマホガニーの木目を繊細に描く。心臓が跳ね上がったまま戻る気配は無い。


「ダメとは言わないが、見てるこっちはハラハラだな」


 ジュンがそう言いながら二杯目の珈琲を趣味の悪いマグに注ぐ。角砂糖を二つスプーンでかき混ぜる。


「これはおれの生きる術だよ、無けりゃ今頃死んでるさ」


 ほろ苦さの後に甘みが喉を溶かしていく。

 血流がせせらぎに変わる。


 今の日本では本物の星が見える場所など既に無いが、夜はそれでも暗くなる。ジュンと無駄話をした後、都内最大の電子街秋葉原にタブレット用の接続端子を調達しに向かう。

 地面に敷かれた有機ELが発光して秋葉原を下から照らす。回路の技術的な問題は解決し交換の必要が無くなったLEDはこの街を眠らせない、超高層ビル群には映像が流れ続け、頭上にはホログラム広告が所狭しと展開し太陽が昇ろうが落ちようがここでは関係無い。行き交う人々はスーツに袴にビキニとカウボーイ。無秩序な時代選択をしながらアイデンティティを主張させる。それでも脳電子によって瞳を隠しているのは皆一緒で、世界中でそれだけは変わらない。


 路地の裏の裏、床は所々割れて薄暗くなっていく。ここにはミラージュが掛かっているので第一世代の視界制限を解除した者しか来られない様になっている。と言っても警察も馬鹿では無い、定期的に地道な"掃除"を行う事によってネズミは駆除される。


「良かった、まだ此処にあった」


 馴染みの店はまるで博物館だが、見る者によってゴミにも見えるだろう。


「Lightning規格の端子って置いてるか」

「それならそっちの籠に入ってたよ」


 フルフェイスの脳電子に接続された店主が指を指す。

 まるで鉄の虫が群れている様な端子の山から目当ての物を発掘する。ついでに手持ちの少なくなった純銅と黄銅も合わせて懐かしのプリペイドで代金を支払う。


「ありがとさん、もう少ししたらまた掃除が始まる。また探してくれや」

「あぁ、そっか分かったよ。少し寂しくなるか、悪い事はしてないのにな」

「老人の暇潰しさ。代わりは何処にでもいる」

「でも、おれはジイさんから買う事にするよ」


 店主は笑う、声だけで充分わかるもんだ。

 裏口から店を出て、騒がしい街中へと混ざっていく。今日は気分が良いから賑やかなのはいい。Phoenixを敢えてノイズを乗せて流す、音楽は二千年で完成した、と機会は無いが持論を語る準備はいつでも出来ている。


 不意に気付いた、こんな障害物の無い大通りでミラージュを展開している馬鹿な女がいる。

 こんなとこでやるのはよっぽどのドラッグ中毒者か素人が脳を焼き切ったのか。何れにしても一般人には気づかれないだろうが、捕まえてくれと大声で叫んでいる様なものだ。


 面倒事は御免被るので気付かず通り過ぎようとした。


「あの、見えてますよね?」


 一瞬ビビるも問題無い、どうせ間違いだろうしこの人混みの中だ。廃人に知り合いは居ない。


「弍四型の、えーと……サトルさん!」


 驚き過ぎて体が硬直。巧妙に隠蔽していた弍四型と名前をピタリと当てていた。何故か喧騒に掻き消えない彼女の声は、脳を直接揺さぶり動揺する。無言で足早に彼女に近づく。


「あー、良かった合って——」

「今すぐミラージュを切れ。……って、お前、天然網膜か?」


 近づいて彼女の口元を押さえる、十数センチの距離で分かったのは、彼女の瞳が光を反射しブラウンの虹彩に秋葉原を写していたこと。

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