第六話-深い森の中で-
風を切り裂いて疾り抜ける蒼幻獣。
風を破って走り抜けるヤージュの車。
速度はほぼ互角だが、キリンのリンちゃんはまだまだ余力を残している。
騎手はフレデリカ。
その背中にはユリがくっ付いている。
対して、ヤージュが運転する車のエンジンからは唸り声が絶え間なく聞こえていて、無理をしている事がありありとわかる。
しかし、ここで速度を緩めようものなら、リンちゃんは瞬く間に彼方へと消え去ってしまうだろう。
目的地は一緒なのだから別々に着いてもいいのだが、フレデリカの性格を知っているヤージュとしては、ここで離される訳にはいかなかった。
幸いにして、殆ど同時に目的地である古森【メルタギア大森林】に到着した。
この森は古くから蛇が多く棲まう森として、環境的な面では州立の自然公園として管理されてきた。
観光地としても名のある場所ではあるが、前述の通り蛇が多い為、特に多いとされる深部への立ち入りは申請が必要なのである。
ナオの元に行方不明者や記憶喪失者の情報がいったのは、そこから足がついたからだった。
そして、その森の深部へと至る道の入口に、黒いローブを着た男が数人陣取っているのが見える。
周囲を見回し、お互いに何かを話しているようだ。
見張りなのだろう。
どうやって切り抜けるかを話し合おうとした矢先だった。
「ご心配なく」
スカイが先頭に立ち、男達へと歩いていく。
そして、話したり動いたりしている男達の横を何事もなく通り過ぎて森へと入っていった。
「そういうことか。まったく、ちゃんと説明をしなさいって学生時代から何度も言ってるのに…」
ヤージュがため息混じりに話しながら歩いていく。
「ちょっ、先生!?」
「大丈夫だみんな、あそこまで行けば分かる。ついてきて」
バナーが声を掛けたが、ヤージュは大丈夫だと言う。
顔を見合わせつつもヤージュについて行く彼ら。
程なくして、男達の顔がはっきりと見える距離になった。
そこに至り、バナーが気付いた。
「あれっ?」
走って行ったバナーが男達の顔を覗き込む。
「こいつ白眼剥いてんじゃん!!」
男達の体は違和感なく動いて、口を動かして話をしているのにも関わらず、その顔からは意思を感じない。
不思議に思っていると、突然男達が踊り出した。
右足の靴を脱いでがに股になりながら頭の上へと振り上げたり振り下ろす不思議な踊り。
「うおっ!?なんだ?エキセントリックだな!」
「はぁ…スカイ!出てきなさい!これ以上はやめてさしあげなさい!」
「はーい」
ヤージュの呼び掛けに、近くの木の下に置いてあった段ボールから出てきたスカイ。
その両手を打ち鳴らした瞬間、男達はがくりと脱力して地面に倒れこんだ。
「えっ?何が起こったの?」
「わかんね…本人も知らない自分が出来上がったのかもな…」
「何を言ってるんだ…とりあえず息はあるな」
駆け寄ってきたユウ達が、男達は気絶しているのだと確認した。
「驚かせてごめんね。この人達は僕の魔法で操っていたんだ。通信機の類は持ってないみたいだったから、簡単な受け答えだけ出来るようにして、一昨日くらいから支配下に置いていてね。あ、支配下といっても、さっき僕が魔法を発動させるまでは自分達の意思で動いていたから。起きたら僕達の事は記憶に無いから大丈夫だよ!」
「「「こわっ…」」」
「そういえば、その段ボールは何ですか?」
「あぁこれ?この森の至る所にあるんだよ。蛇が出るからかな?噂では、この森の何処かに何故かロッカーが放置されていて、中には水着美女の写真があるとか、死体が隠されているとか。動くなって言われて、気付いたら寝てた…なーんて話もあるみたいだよ」
「よくわからない話ですね…?」
「数年前には、どこかの国の伝説の諜報部員が隠れているなんて噂にもなって、大々的に森の捜索が行われたんだけど、キツネみたいなマークが見つかったくらいで、誰もいなかったんだってさ」
「ヘェ〜…キツネのマークって、部隊章かなんかですかね?」
「まさか。この噂自体も既に忘れ去られたものだからね。今更真実を知ろうとする人はいないんじゃないかな」
ユウとスカイが話しながら進んでいく。
フレデリカとユリは一番前。
ヤージュとマナが一番後ろに位置取り、周囲を警戒している。
そして真ん中ではスカイがさり気なく、学生三人を守れるようにしている。
その三人も、何が起きても大丈夫なように警戒は解いていない。
歩く事、一時間ほど。
深部に至るにつれ密集度が増してきた森の木々が、昏い影を落とす中にその建物、カイドゥ遺跡はひっそりと佇んでいた。
「あそこだ。見張りはいないのか…」
「隠れてるのかも。調べてみます」
スカイが魔法を発動させる。
魔法名【はじまりの傀儡師】
スカイの魔力に対抗出来ないモノを操る魔法。
魔力が低い相手なら人間でも鳥でも動物でも操る事が出来る。
主に偵察用に使っているが、戦闘時にも使う事もある。
今回この場で操る対象として選んだのは、この森に棲む蛇。
鳥や他の動物はこの深部には居ないからだ。
時間は掛かったが、やはり遺跡周りには人影は無かった。
「では、行きましょうか…」
ヤージュの言葉に全員が頷く。
先程と同じように隊列を組み、遺跡内部へと入る。
シン…とした雰囲気の中、自らの足音が反響していく。
入り口からすぐ、長い下り階段だった。
靴音は縦横無尽に駆け回り、先客達の耳にまで響いているかもしれない。
壁には蜘蛛の巣や埃、ゴミなどが付着しているが、地面にはそれが無い。
足跡も残っていないという事は、頻繁に人の出入りがあるという事だ。
ヤージュの話では、入学式で元首を襲撃した組織がここをアジトとして使用していたとの話だったが、確かにここは悪巧みをする輩の住まう地としてぴったりだった。
下り階段を降りると広い回廊に出た。
左右の壁には大きな蛇の石像が立ち並び、松明の火がそれらを不気味に照らしている。
「石像の下に骨が…これは鳥ですね。こっちはネズミ…」
「つまりここは蛇神信仰の地だったのか」
「そのようですね。この骨もかなり風化していますから、おそらく数十年から数百年前の風習なのでしょう。松明の火は魔法で着けられていますが、これは先客の人達のものでしょう」
「ふむ…しばらくは居座るつもりなのか…これは面倒だな。やはり遭遇は避けられそうもない、か」
スカイとヤージュ以外に話す者はいない。
静かに話を聞くのが賢明だと理解していた。
再び歩を進め、回廊の突き当たりに行き当たった。
大きく、重そうな石扉。
人が一人通れるくらいの隙間が空いている。
そしてその先からは話し声が聞こえてくる。
スカイが先にスルッと入り込み、暫くしてから手招きがあった。
その扉をくぐった先に、懸念していた先客達がいた。
ユウ達が扉を抜けた先は二階部分で、中央は吹き抜けに、そして二階部分を一周するようにぐるりと廊下が伸びている。
石で出来た手すりの隙間から、先客達がいる一階部分が見える。
その中央は、先程の回廊に並んでいたものよりも大きな蛇の石像が鎮座し、その前には祭壇がある。
そしてその祭壇の上に、大男が胡座をかいて座っている。
周囲の人間に指示を出したり、話しかけていたりする事から指揮官なのだろう。
その男を見たフレデリカが静かに話し出す。
「…間違いない。あの大男がベルジアント卿だ。顔は仮面で見えないが、あの体躯と燃えるような赤髪。そして彼の愛用の得物、ミョルニルがある。本当に彼だったとはな…」
「フレデリカ様、失礼を承知でお聞きします。ベルジアント卿に勝てますか?」
「…分からん。というのも、まともに勝負なんてした事が無いからな。彼が現役だった頃はお互いに指揮官だったし、派遣される戦地も重なった事が無い。私が彼の戦闘を見たのは一度だけ。詳細はこの際だから省くが、彼は…身長が伸びるんだ」
「「「「「…は?」」」」」
「うむ…なんというか…その反応は当然だと思う。だが本当なのだ。彼は巨人と人間のハーフなんだよ。通常でさえ二メートル以上の大男だが、戦闘時には三メートルを越す。その巨体であそこにあるあのハンマーを振り回すんだ。彼の周囲五メートル以内で無事でいられる者はいなかった。集団戦なんて凄いものだったよ。彼は何よりも目立つし、そんな彼が指揮官なんだから敵もこぞって彼を狙う。だが、そんな敵兵士は紙屑のように散っていった。人が密集した戦場に、ポッカリと穴が開いているのさ。彼の周りだけな。どれだけヤバいか、分かって貰えたかな…?」
全員がその光景を想像してしまい、自らの背中を伝う冷や汗を感じている。
やっぱりここは様子見を続行しようか、なんて空気が流れ出したが、その空気をぶち壊す事態が起こる。
「獅子卿!この周辺を嗅ぎ回っていた奴を捕えました!」
「ほほう?楽しませてくれるんだろうな?連れて来い!」
一階から響いて来た声。
誰かが捕まったらしい。
そして連れて来られた人物を見て、スカイの表情が凍った。
「あれは…!」
「スカイ?彼を知っているのですか?」
「…僕の部下です」
「なっ!?」
全員が階下の様子を伺う。
獅子卿と呼ばれた人物が話し出す。
「よぉ。お前さん、何でこんな辺鄙なところをウロチョロしていたんだい?」
「道に迷ってしまったんです!この森を散策していたら知らないうちに奥まで来てしまったみたいで!この建物が見えたからとりあえず来てみたら、あの人に連れて来られたんです!」
「ほう、なんだただの迷い人か。ダメじゃないかお前ら〜!迷ってるだけの人をこんなところに連れてきちゃ〜!」
大声で周りの人間に話す大男。
その声には笑いが滲み、周りの男達もニヤニヤヘラヘラと笑っている。
「ま、オレ達の事を見られたからには、お家に帰すわけにはいかないんだよね、分かるでしょ?」
「え…?」
「さぁ、小手調べはお終いだ。お前さんは何者だ?」
「で、ですから、ただの旅行者です!身分証が必要なら、あの人が持ってるリュックの中にあります!だからっ…」
「おーそうかそうか。まぁ落ち着けって。とりあえず握手でもしようか。ほれ右手出して」
「握手…?右手…?」
言われるがまま右手を出したスカイの部下。
その右手を、笑顔のままのベルジアント卿が握り潰した。
---グシャッ---
小さく、しかし確実に響いた、何かが潰される音。
「うあああああああああ!!!!!!!」
この部屋中に響き渡る悲鳴。
しかしそれを覆うかの様に響き渡るのは、周りの男達の嘲笑だった。
「おおっと、ごめんごめん。ほら、オレの手ってデカいからさ、力加減間違えちゃったよ。さっきの話の続きをしようか。お前さんは何者だ?ん?痛くて喋れないかな?だったら、お前さんはもう、いらないなぁ…」
いらない、という言葉と同時に伸びるその大きな両手が、男性の頭に伸びる。
このままでは危ない。
身を隠しているヤージュ達が飛び出そうとした瞬間、ベルジアント卿の右腕に氷の矢が突き刺さった。
「あぁ?」
それに反応したベルジアント卿が周囲を見回すと、その人物を見つけた。
二階部分をグルリと囲むようにある手すりの上に、ユウが氷の弓矢を持ちながら立っている。
その矢じりはピタリとベルジアント卿に向けられていた。
「それ以上はやらせない。その人を離せ!!」
「なんだぁ、ガキィ…!!」
ユウの事を睨み付け、手元にあった人の頭程もある岩を片手で投げ付けた。
ユウは身構えたが、その前には分厚い氷の壁が一瞬で出来上がる。
しかし、その壁にぶつかるより早く、その岩は粉々になった。
今の一瞬のうちにそれをやってのけた人物は、くるりと空中で一回転しながら一階に降り立った。
その人物とは…
「見損なったぞベルジアント卿!!貴殿が斯様に卑怯で小心者だったとはな!!その腐り切った性根、私が叩き直してやる!!!」
髪が逆立つ程の怒りに身を震わせる、フレデリカ・ローゼンバーグ将軍その人だった。
右手には抜き身の刀が握られている。
そしてその隣に降り立つ少女、ユリ。
続いてユウとマナ、バナー、アサギ、ヤージュが降り立った。
「おーおーおー…団体様のご到着だ…てめぇら、見張りの奴はどうした?」
「眠ってもらっています。丁重に拘束した上で、ね」
「てめぇは、共和国のヤージュ中将じゃねぇか。まさかこんなとこでお目にかかれるとはな!」
「私はもう退役しました。あなたと同じくね。やはりあなたは、ベルジアント卿なんですね…」
「ベルジアント。ベルジアントね…ガッハハハハハ!!!」
突然笑い出したベルジアント卿。
ユウ達はその突然の変容に動く事が出来ない。
代わりに一歩踏み出したフレデリカが力強く問う。
「何がおかしい。私は以前、貴殿に会った事がある!その様な仮面をしていても分かるのだ!!」
「仮面?あぁそうか、そういや着けてたな…どれ…」
「なん、だ…それは…」
ベルジアント卿が着けていた仮面。
彼は、顔の上半分を覆うそれを、自らの手で外した。
そしてその下から現れた顔は、人間の顔では無かった。
「おもしれぇだろ?この機械の頭はよ?この身体の持ち主が死んだ時にチョチョイっと改造してこの通りさ。今話してるオレは、てめぇらが知ってるベルジアントじゃねぇよ。記憶と身体は同じだがな。オレは不協和音において獅子の称号を賜ったベルジアント卿だ!!ちゃんと覚えたな!?オレがここで殺してやるから、幽霊にでもなってオレを呪い殺しに来い!!もう一回ブチ殺してやる!!ガハハハハハハハハハ!!!!」
「狂ってる…」
「あぁ…もう、私が知るベルジアント卿はこの世には居ないようだ…」
アサギの独白に答えたフレデリカの声も、小さく掠れたものだった。
「ならば、私の手で存在ごと消してやろう!!」
右手の刀を握り直し、獅子卿ベルジアントへとゆっくり近付いていくフレデリカ。
「ほう、お前さん一人でこのオレの相手をするってのか?」
「あぁ、それが、その身体の持ち主であるベルジアント卿へのせめてもの礼の尽くし方だ」
「いいねいいね、そういうの大好きだぜオレは。さぁ、殺仕合を始めようかぁ!!」
立ち上がり、傍らに立て掛けてあった巨大なハンマー、ミョルニルを手に取るベルジアント。
対するフレデリカは刀を八相に構えている。
そして、この世界の強者同士による激戦の幕が開けた。
ユウやバナー達も加勢しようとしたのだが、ベルジアントの周りにいた者達に阻まれ、そちらの相手に手一杯になっている。
敵方は二十名程。
瞬く間に混戦となってしまった。
「ユウ、危ない!!」
ユウは遠距離からベルジアントに向けて矢を放とうとしていたのだが、マナの鋭い一言に反応した。
間一髪のところで離れた地点で弾けた火球。
壁際にいた男が放ったものだった。
「おぉ、よく避けたな。それでこそ、アイツを殺った奴に相応しい…」
「あいつ…?」
「アイツだよアイツ。お前らの学院で目的を無視して暴走した挙句にアンタに殺られたロキだよ!その氷で出来た弓矢…報告にあったぞ…アンタがユウだな?」
「あぁそうだ。お前は?」
「オレか?オレはヴァーリだ。あの恥ずべき男ロキはな、なんとオレのお兄さまだったのさ!!アンタが殺してくれて清々したぜ!!その礼に、オレに殺されてくれや!!」
叫びながら次々と魔法で出来た火球を投げ付けてくるヴァーリ。
一球が大きくて速い為、矢を構える事が出来ない。
ギリギリの所で避け続けていたが、遂にユウが壁際へと追い詰められてしまう。
「終わりだぁ!!」
足が止まってしまったユウに、特大の火球が放たれる。
マナは近くにおらず、その援護は無い。
避けきれないユウに、特大火球が直撃した。
爆音と爆炎に包まれるカイドゥ遺跡、祭壇の間の一角。
マナやヤージュはそれに気付きながらも、駆け付ける事が出来ない。
「…チッ」
徐々に晴れる煙を見ていたヴァーリが、何かに気付いて舌打ちをした。
そして、煙が晴れた壁際から、三色の魔法の光が見えてきた。
「ふう、間一髪だったなぁユウ!俺様が来なけりゃ黒コゲになってたぜ?」
「そんな事はない。あの程度は俺の魔力でも防げた」
「またまたー!出たよ強がりユウちゃん!」
「その呼び方やめろ」
「こんな時にまで何言い合いしてんのよ。今のは三人じゃなきゃ危なかったわよ」
「わーかってるってアサギセンセー。こういう時のオトコノコの強がりは、生暖かい目で見過ごすのがいいオンナってもんなんだぜ、覚えとけよ!」
「何でこんな時にいいオンナ論を説かれなきゃいけないのよ…」
「お前らも大概、ヨユーだよな…」
完全に煙が晴れた後、光り輝く三色の魔法の光。
その正体は、ユウ、バナー、アサギの強化外装の強化版にあたる魔法、外装空気感の光だった。
魔力が拮抗した三人が同時に強化外装を発動させた為、その魔力が混ざり合って強力な防御空間を生み出していたのである。
発動したのはまったくの偶然だったのだが、それが当然であるかのように振る舞う三人の雰囲気に、ヴァーリは追撃を躊躇ってしまう。
「おいユウ、まだまだやれんだろ?」
「当たり前だウスラトンカチ」
「何だと!?俺のどこがトンカチなんだ!!」
「そういうところよ」
「!?」
「おいおい、本当にヨユーだってか。腹立つなぁおい…オレはあのロキより強いぜ?」
「心配すんな、俺達もあいつと戦った時よりつえぇ!」
「そうか、なら三人で来な。ロキを倒したお前らを倒して、俺の方が使えるって事を証明してやる」
「それはこっちのセリフだ!とっ捕まえて事情を聞き出して、俺達の輝かしい経歴の一つ目にしてやっからな!!覚悟しとけ!!」
それぞれの武器を構える四人。
ヴァーリは先端が三又に別れた特殊な短槍を創り出した。
その先端が赤く煌めいていく。
学生三人組、二度目の戦闘が始まる。