第四十一話 - 四色目 -
イエルアが振りかぶった双剣が、再びユウの身体の中心に吸い込まれていく。
直前まで戦っていたバナーも含め、その凶行を止められる者はいない。
はずだった。
『は…??』
「あれは…なに…?」
双剣は、ユウの身体に突き立つ前に止まっていた。
ユウの身体から生えた両手によって。
『ぐっ…動かぬ!?』
ギチギチと音を鳴らしながら、尚も突き刺そうとするイエルア。
だがそれは謎の手によって防がれている。
そして、その刃が音を立てて粉々に砕けた。
鋭利な刃先を握り潰したのだ。
通常ならばズタズタに切り裂かれたはずの手には傷一つなく、それはスーッと腕を伸ばし、ユウの頭を掴む。
『クソが!!なんだこれは!!』
ユウの身体に入ったせいで、もはや自分の身体でもあるイエルア。
そして謎の手は、ユウの頭の中から、半透明になったイエルアの身体を引っ張り出した。
『グアアアアア!!!!』
精神体まで同化していた状態で、自らの意思とは関係無く、無理矢理引っ剥がされたイエルアは断末魔を上げる。
彼がユウの身体から引き剥がされていき、上半身が露わになる。
それはユウの上半身が自由になったことを意味し、ユウの腕が動き出した。
両手に握った剣をイエルアに向ける。
『おい、やめろ、何してやがる!?』
「……」
ユウは何も言わず、イエルアの首を斬り飛ばした。
今度は断末魔を上げる暇も無く、塵となっていくイエルア。
先程アヤネが真っ二つにした時とは違う、消滅。
『イエルアが…やられただと…?』
上空から戦場を睥睨していたリドニスとルブラム。
そんな二人を見据える様に、ユウの身体の向きが変わる。
『あのガキの中に別の何かがいる』
イエルアの双剣を受け止め、イエルアを引っ張り出したあの腕は、出て来た時と同じ様にユウの身体の中に入っていった。
そしてピクリとも動かなくなるユウ。
心配ですぐにでも駆け寄りたいバナーやマナであったが、その異様な雰囲気に呑まれて動けずにいる。
この戦場にいる全ての目がユウに向けられていた。
【あーーー… よく寝た…】
戦場全体に響くような声が聞こえた。
いや、それは決して大きい声なのではなく、頭の中に直接響くような…
『バ…バカな…この声は…!?』
【おっと、ユウの声で話さねぇと訳わかんなくなるか】
「んん…これでいいかな? ようバナーくん! ケガは平気か?ん?マナちゃんもボロボロじゃないか〜。つーかみんなそうか。ほれ、全体完全回復魔法」
今度はユウの喉を使ってユウの声で話し出した。
リドニスが張った結界の中に煌めく魔法陣。
まだ生きている者は、かすり傷程度のものまで全回復し。
そして地に伏していた者たちでさえも動き出した。
「そんなバカな… これは本当にフルリザレクションなのか! 死者まで蘇らせる程の魔法技術は喪われて久しいはず」
驚愕の表情で話すヤージュ。
その声が聞こえる範囲にいなかったはずのユウ…の中にいる何者かが話しだす。
「あぁ、あいつが張ったこの気色悪い結界の中で死んだ者は蘇生させた。 まだ魂がこの中に居たからな。 我らが全員くたばったらゆっくりと魂喰いしようとしていたのだろうが、甘かったな」
上空から降りて来たリドニスとルブラム。
『貴様… 貴様は…』
「よう、黒に赤!いつ振りだろうな!とりあえず、また死んでくれや」
ユウの姿が消える。
と同時に赤の後ろに現れ…
『ルブラム!』
リドニスが振り向いてからやっと、自分の身に何が起きたか自覚したルブラム。
ユウの手が、先程と同じ様な形でルブラムの身体から飛び出していた。
その先に握られているのは悪魔の肉体に宿る唯一の核。
通常は物理的な攻撃では傷付けられないソレが、この空間での無限とも言える再生能力と復活能力の正体だった。
先程イエルアが消滅したのも、これを破壊したからだ。
「遅いねぇ。お前さん、俺とあいつが消えてから鍛錬サボってたな? 昔からサボり癖があったが、これは致命的だぜおい」
『やめ、やめろ! やめてください!! やめっ…』
カシャンッという軽い音と共にルブラムの核が砕け散る。
ルブラムは恐怖の表情を張り付かせたまま、砂となって消えた。
『…何のつもりだ? 貴様は何故、今更になって現れたのだ。依代となっているその子供とどんな関係がある?』
「おいおい、質問責めかよ。久しぶりに会った母親かテメーは」
『その軽口、変わらないな。質問に答えろ青!!』
「やーだねっ!!」
十指の爪を武器としてユウ=ヴィリディアに襲いかかるリドニス。
ヴィリディアはユウの双剣を用い、リドニスの連続技を完全に防ぎきってみせ、合間に反撃までしてみせた。
『チィッ… 数百年ぶりに貴様と戦うが、腕は衰えておらんようだな』
「おいマジか? 俺の腕は衰えっぱなしだぞ。なんせお前らの前から姿を消してからずっと封印されてたんだからな」
『なんだと? 貴様が封印? 然したる脅威もないこの世界でか?』
「そう、そのはずだった。だけどな、悪魔界では俺たちが頂点だったように、この世界にも頂点に立つ者がいたのさ。俺はこの世界に現界してすぐにソイツに見つかって、ぶっ倒された。そりゃーもう気持ち良いほどの完敗だ。その時から長い間はソイツが持つ封具に封印されてたが、この身体の持ち主が産まれた時にこっちに移されたのさ」
『つまり貴様は、自分に勝ったその者に服従しているということか?』
「見方によっちゃそうなるな。俺は今のところ、アイツに逆らうつもりは無い。というか出来ない。アイツは…それ程までに強い」
『……』
沈黙が降りる。
今この戦場で言葉を交わしているのは二体の悪魔のみ。
その片方、黒く悍ましく不気味な姿をした悪魔は、目の前に立つ人間の姿をした悪魔を見ている。
かつては自分と同じく悪魔界に君臨し、他者を支配していた絶対的強者。
そんな彼が絶対に敵わないとまで言ったその存在は、どういうモノなのか。
思考を巡らせようとした黒の悪魔王は、それを途中で棄却した。
『まあいい。貴様との再会が懐かしく、つい話などしてしまったが、ここは戦場だ。ニブラムとイエルアが消滅したとて、まだこの悪魔王リドニスが残っている。ヴィリディア、貴様が封印されていた間も我は他者を屠り、組み敷いて、踏み潰してきた。それは絶大なる力量の差を生んだのだ』
ゆらり、と体勢を整えるリドニス。
両手の十爪を重ね合わせ、二本の細剣のように束ね、構える。
対するヴィリディアも、ユウの双剣を構える。
それはまさに、ユウが普段取るのと同じ姿勢。
ユウのその姿を知る者は、ヴィリディアの構えを見て僅かに目を見張る。
「ユウだ…」
ポツリと呟かれたその一言は、スルリと戦場を駆け抜け、ヴィリディアの耳に入った。
そして、二体の悪魔を見つめる者達は確かに見た。
自分達がよく知る人物の姿をした悪魔が、口の端を吊り上げ、不敵に笑ったのを。
その笑みは、ユウが時折見せる、周囲を安心させる為の表情そのものだった。
『シッ!!!』
「ふっ!!!」
二体の姿が消え、中央で火花が散った。
激しく重なり、そして離れる二振りの刃。
高く澄んだ音を響かせながら、両者は剣戟を交わしていく。
それはまるで、流麗な剣舞を見ているかの様な。
片方が薙ぎ払えば、片方は受け流し。
片方が突き抉れば、片方は身を躱す。
お互いの攻撃のリズムを知り尽くした者同士が魅せる共鳴。
永遠に続くかと思われたその共鳴は、唐突に終わりを告げる。
実力が拮抗している者同士ならば、なかなか決着が着かずに長引いたのかもしれない。
しかし、ユウは長引けば長引く程に消耗していくのに対し、リドニスの背後には悪魔界に繋がっている魔法陣が浮かんだままだ。
悪魔の魔力の源をその魔法陣を通して補給しているリドニスは力尽きる事が無い。
技やスキルの実力はヴィリディアの方が上なのだが、無尽蔵の魔力を持つリドニスに決定打を与えられないのだ。
ヴィリディアは戦法を変える。
刀での接近戦をやめ、魔力を込めた魔法弾を多数撃ち出してリドニスを攻撃する。
これはリドニスにとっても得意の戦法であり、魔法弾の撃ち合いが始まる。
消耗しているのか、ヴィリディアの放つ魔法弾はリドニスを外し、深紅の結界にぶつかり、弾ける。
その部分を青く染めながら。
青い魔力が結界の一部分を占めた頃、ヴィリディアは肩で息をして動きを止めていた。
リドニスはつまらなそうな表情で地上に降りてくる。
『どうした、疲れてきたのか? 人間の身体は貧弱だからな。そんなものの中に入ってるからそうなるのだ』
「はっ。余計なお世話だっつの!そっちこそナメてかかってると痛い目に遭うぞ?」
『吐かせ。この場には貴様以上の手練れはいない。つまり貴様を黙らせれば、他の者もこの場で皆生き絶える。我ら二人の戦いにこの場にいる全ての者の命運がかかっておるのだ。全く手間を掛けさせおって。弱小種族どもが』
「…確かに人間は弱い。いや、人間だけじゃない。単一で生きる事が出来ない者は皆脆弱だ。
個人で得られる力を捨て、集団で生きる事を是とした者たち。
俺もこの世界に来て長いからな。様々な生き方をする者たちを知っている。そのどれもが悪魔王であった俺たちの足元にも及ばない力しか持っていないという事も」
周囲を見るヴィリディア。
その中の一人、この身体の持ち主ととても強い絆で繋がれている者と目が合う。
ヴィリディアの中に、悪魔王だった頃には感じた事のなかった暖かい気持ちが生まれる。
無意識に微笑みながら、話を続ける。
「リドニス。お前がこの世界に顕れるより前にも悪魔どもが噴出した事がある。その時も真っ先に被害を受けたのは人間たちだ。だが、人間たちは結束を知っている。
ひとりひとりの力は脆弱でも、多数の力を集めれば、強大な敵にも打ち勝てる。
それがヒトだ。
お前らのような悪魔には想像すら出来ないだろうな」
『貴様も悪魔だ』
「いや、もう違う」
『なんだと…?』
「俺は多くの人間の心に触れた。その中には悪しき者もいた。だが、そのどれもが自分が守るものの為に命を投げ捨てた。ヒトにはその強さがある。俺はそれを知って以来、悪魔である事をやめた。俺は今、この小僧と、こいつが守りたいものの為に戦う者だ」
『ふざけるな… ふざけるなよ!!! 貴様は我々が治めるべき悪魔界の王の一人だ!!!! 人間のような顔をして、人間のような言葉を放つんじゃない!!!!』
「さすがに人間になったとは言わんさ!! だがな、どんな出自だとしても、その身に心を宿す者ならば、心を入れ替えられる!! 俺はそうして、悪に染まった心を入れ替えようとしている!! だから俺はこうして、お前の敵として立っているんだ!!!」
ヴィリディアの雄叫びに呼応するかのように、リドニスの背後から破砕音が響き渡る。
『なんだ、我の結界が…?』
「グラディオさん!! アヤネさん!!! 行ってください!!!!」
ユウが叫ぶ。
深紅の結界が破れた先。
その先に、一本の大樹が見えた。
「あれは」
誰かが呟くよりも早く、その場を駆け出し、一直線に結界の穴へと走り出したグラディオとアヤネ。
無尽蔵の魔力を補充し続けるリドニスを倒す方法。
それはこの国に根差す、大樹ユグドラシルを用い、魔法陣を破壊する。
そうする事で、この世界と悪魔界との繋がりを断ち、二つの世界を切り離す。
リドニスはバックアップを失い、無尽蔵の魔力も失われる。
そしてユグドラシルが持つ膨大な魔力を操作できるのはアヤネだけだ。
リドニスや他の悪魔たちの居城だった、フロスタル王城。
通常の生命は活動を停止してしまう程の魔力を数百年間浴び続けても枯れなかった大樹ユグドラシル。
その理由はただ一つ。
かつてアヤネや、グラディオの父でありフロスタル王だったカインや王妃、息子達であるロイド、ルーク、オラトリオの三王子、更にはこの地に住む人々が願いを込めたからだ。
決して悪に染まらず、負けず、強く在り続ける事を。
それはこの国への願いでもあった。
先頃戦ったロイドやルークが未だに自我を保っていられたのも、その願いが魂の根底にあったからなのかもしれない。
その願いを叶える為、グラディオとアヤネは走る。
『させるかああああ!!!!』
「皆さん! 二人の援護を!!」
ヤージュの号令で一斉に動き出すマナたちや騎士たち。
無数の矢や魔法が飛び、リドニスへと向かう。
だがその全てを無視して先を走る二人に躍りかかった。
そこに青い影が飛び込む。
手に持った双剣でリドニスの爪剣を受け止め、グラディオ達を守る壁となったのは。
『ヴィリディアアアアア!!!』
「違う! 俺は!! ユウだ!!!」
『まだ我の邪魔をするか人間!!!』
「その為にここに来たんだよ悪魔!!!!!」
リドニスの爪剣を薙ぎ払い、自らの双剣を流麗な動作で振りかぶるユウ。
【アルカナム ルクス・アドアストラ!!!!】
限界まで後方に引き絞られた両腕が、音を置き去りにして煌めく。
眩い光が槍のように迸った。
フマインが極限にまで高めた剣技で日輪を生み出して闇を焼き尽くすのならば、その弟子であるユウは光をその身に宿し闇を討ち払う。
目で追う事すらかなわず、身体の中心を消し飛ばされるリドニス。
『ヒトの身でこれ程の技を…!!』
「ちょっとは大人しくしやがれ!!」
『まだだ!!』
胴体を消し飛ばされ、下半身だけが塵と化しても、リドニスは胸から上だけを魔力で浮かせ、飛んだ。
ユウは満身創痍で動けない。
マナやバナー、アサギはユウに駆け寄って手を貸している。
ヤージュやスカイ、フマインが追い縋るが、あと一歩足りない。
このままではリドニスの手が、最後の希望を託された二人に追い付いてしまう。
そんな時だった。
地面から黒い影がせり出し、リドニスの前に立ちはだかる。
『邪魔だ死ね!!!』
『死ぬのはキサマだ』
リドニスが振りかぶった両腕が、更に現れた二人によって斬り飛ばされた。
幾度となくヴィリディアが斬りつけても薄い傷しか付かなかった強靭な肉体が紙切れのように切り裂かれた。
呆気に取られるリドニスを、黒い糸のようなものが縛り付ける。
「アイツは…!」
糸を放ったのは、リナやロコマと合流した軍港でヤージュとフマインを吹っ飛ばしたあの黒衣の悪魔。
彼の左右から飛び出したのは、黒髪と赤髪の剣士たちだった。
ロイドとルークは城内で戦闘しているが、黒衣の悪魔は軍港で会っただけで、その正体までは知る由が無かった。
「あれが、賢王カインなのか」
リドニスを追っていたヤージュ達は悪魔たちの会話を聞いていたが、ユグドラシルの下へ走る二人やユウたちはまだ気付いていない。
『カイン…!! 貴様、何をしている!? 我を助けろ!! ロイド、ルーク! 貴様らもだ! 敵は後ろだ!』
「リドニスのおっさん、わりーな。もう俺たちはあんたの呪縛から解かれてんだ」
「然り。なればこそ俺たちは彼ら、ヒトの味方をするのみだ」
『リドニス、キサマはもう終わりだ。彼らが終わらせてくれる』
グラディオとアヤネがユグドラシルの下にたどり着いた。
アヤネが同調を始め、ユグドラシルの力を借り受けようとしている。
『ふざけるな! 奴らを止めろ!! 後ろの者どもを皆殺しにしろ!! その為に飼ってやっていたのだ!! 今こそ我の役に立て、カイン!!』
『愚かな。ユグドラシルの下にいるのは私の息子と、私の盟友だ。後ろにいるのは息子の友人。対するお前はこの場にいる全員の敵。この二百年間は思考が闇に呑み込まれる時間が多かったが、それももう無い。
私や息子たちの剣が向くのは、貴様しかいない』
「そうだぜ大将。ここらが年貢の納め時ってやつだ」
「長く生き過ぎた。もう良いだろう」
『何を… 何を言っている!! これを解けカイン!! 今ならまだ間に合う! もう一度悪魔たちを召喚し、人間どもを殺し、我らの為の国を作るのだ!!』
『貴様の為の、だ。貴様は自分自身以外の何者も信用していない。そんな者が誰かの為に何かを作り上げる事など出来ようはずもない。貴様は…私たちは、罪を償う時が来たのだ』
破れた結界の向こう。
立ち枯れて今すぐにでも折れそうだった大樹。
蕾はおろか葉さえ一枚残らず枯れ落ちていたその樹が。
今は青々とした葉が輝き、生命力に満ち溢れていた。
ユグドラシルは数百年もの間、この国の中心に根差していた。
賢王カインが拓いた都を見守る中で、ユグドラシルはアヤネやエルフたちの魔力の影響を受け続け、生物としての格を上げていた。
大樹から神樹へと。
元の作戦では、ユグドラシルが吸収していた膨大な魔力を用いて、リドニスへの攻撃手段とするはずだった。
しかし神樹へと進化したユグドラシルが保有していた魔力は聖なる力を得ており、純然たる魔力が精錬され、光属性を纏うようになっていた。
その聖なる魔力をアヤネがグラディオのクラウ・ソラスに付与していく。
それに呼応するように、アヤネが背負う大剣も光輝き始めた。
リドニスが生み出した結界内の闇を払っていく聖なる光。
迸る魔力量に驚きながらも、アヤネはグラディオの横に立った。
背負った大剣を手に持ち、グラディオと共にリドニスへと向けた。
「二百年前の借りを返してあげる」




