第三十三話-太陽の娘-
俺たちがオルナーテ最大の港湾都市であるダトポルカに着いたのは昼過ぎだった。
クロウ先生に会ったのは昨日の夕方。
更に遡ると、クロウ先生たちがこの国に着いたのは昨日の昼ごろ。
つまり今現在のこの瞬間までは一日程しか経っていない。
それを踏まえて現状を整理すると、やはり頭が理解を拒否しようとする。
だって…
「お前らなぁ… やれるもんならやってみなって言ったのは確かに俺だが、本当に二人だけで悪魔の巣窟をぶっ潰しちまう奴がいるか? あ?」
「クロウ先生、これには深い訳がありまして…!」
「深くなんざねえだろが! リナが突っ込んでロコマが丸め込まれただけだろ!? 浅すぎて金魚すら泳げねえわ!! その他に理由があんのか!?」
「あ、ありません…」
「だよなあ!? おいリナ!! お前も黙ってないでなんとか」
「わたしはリナ! あっちでクロウに怒られてるのがわたしのパートナーのロコマね! よろしく! ちなみにロコマはリィンバースの天才魔導師なんだよ!!」
「聞けやゴラァァァァ!!!!」
それはまさしく、喉が張り裂けん程の絶叫だった。
クロウ先生の怒りが止まるところを知らないので、先に状況を整理する事に。
とりあえず、このダトポルカにはもう悪魔は残っていないという事。
港湾部の大小様々な船は、波による侵食が酷くて使える船は一隻も無いという事。
倒した悪魔たちはここに住み着いていたらしく、車などの人間用の移動手段は無いという事などが確認出来た。
この街が戦略上の要所だったのは、どうやらはるか昔の事らしい。
海を渡れない悪魔たちにとって船で大陸のどこからでも奇襲を仕掛けられるのは、たまったものではないのだろう。
だが、船はもう使えない。
それなのにこの街を数百体の悪魔が守っていた理由はなんだ…?
考えに耽る俺の視線の先には、クロウさんから解放されたリナさんと挨拶を交わしているマナの姿がある。
マナの属性は氷。
リナさんの属性は火の上位属性である炎だ。
お互いに反発し合う属性だけど、どうやら握手した途端に手が溶けるなんて事はないらしい。
それはそうか。
マナといえば、どうやらリナさんの事を一方的に知っているんだとか。
「リナさんはね! まだ帝国も共和国も新興国で小さい領土しか無かった頃、各地の紛争や内戦を戦い抜いてきた英雄なの!! わたしが眠る前にも名前を聞いたし、眠りから覚めた後にも変わらず名前が轟いてた! 救済の聖女とか、戦さの神とか色々呼び名が生まれたけど、最終的に戦火の壊し手が定着したのよ」
「イフリューレ?」
「そう。炎の闘神と、生死の選定者が合わさった造語なの。敵に対しては容赦なく、救いが必要な人に対してはその手を差し伸べる。彼女が現れた戦場は、すぐにその戦火が鎮まる事から、戦火=戦いを壊す者、転じて平和をもたらす者として戦火の壊し手という名前になった」
「「「へぇぇぇ…」」」
俺たちがその逸話に驚嘆の声を上げていると、当の本人は照れながらエヘヘと笑っていた。
「そんなに偉いものじゃないよ。守れなかった人だって沢山いるもん」
空を見上げて遠い目をするリナさん。
有史以来、争いをやめないこの世界。
どれだけの人を救い、どれだけの人を救えなかったのだろう。
チチチ、と小鳥が舞い降りる。
悪魔たちがいなくなり、静寂に包まれるダトポルカ。
柔らかな午後の日差しを浴びながら、数羽で戯れる小鳥をみんなでボーッと眺めていた。
突然、その小鳥が爆ぜた。
パンッ!という破裂音と共に、視線の先にいた小鳥が、その肉体と羽を真っ赤な血液と共に地面にまき散らした。
「え…?」
『ココは、ワタシの庭なんだ。あまり騒がシくシないで欲シい』
ゾクリ、という表現しか思い付かない。
そいつは、突然俺たちの背後に現れた。
「みんな離れて!!」
ヤージュ先生とフマイン師範がいち早く戦闘態勢に入る。
愛用の槍を取り出したヤージュ先生と、腰の刀に手を添えたフマイン師範。
その二人の姿が、消えた。
次の瞬間鳴り響いたのは遠くの建物が崩れる音と、廃船に何かが突っ込み軋んだ音だった。
それぞれが気を取られた方向に目を向けると、瓦礫の山に埋もれるヤージュ先生、沈みゆく船のデッキに倒れ伏すフマイン師範の姿が見える。
「な…」
『静かにシて欲シいと言ってイる』
あまりにも速すぎる展開に頭が追いつかない。
かろうじて、その正体不明の敵の姿を見た。
長身痩躯の全身が黒衣に包まれている。
腰には幅広の両手剣。
防具と呼べるのは両手に付けた籠手と、頭をすっぽりと覆っている黒い兜。
そこだけ空いている両目部分からは、青い瞳がこちらを見ていた。
「なんなんだ…」
『静かにシてくれレば、何もシない』
禍々しい威圧感に気圧されている俺たち。
だがその空気をぶち壊す存在がいた。
「はーい質問!」
リナさんが右手を上げて声をかけている。
隣にいるロコマさんは顔面蒼白だ。
『…ナニかね?』
「あなたがその糸で吹っ飛ばした仲間を助けに行ってもいいですかっ?」
『フム…好きにスるといい。ワタシはもう行くカら』
「はーい! 行くよロコマ! 私たちはヤージュ先生の方に!」
「俺たちは師範を!」
バタバタと動き出した俺たち。
クロウ先生とヨシキリくん、サザナミくんはまだ黒衣の男を警戒している。
『…ナニかね?』
「ん? 問答無用で俺の仲間をぶっ飛ばすヤツの言葉なんざ、信用出来ないもんでね。アンタが十分離れるまでは俺がヤツらを守らなきゃならん。分かるだろ?」
『…言ったハズだ。好きにシたまエと…』
「師範!!」
俺とバナーとマナは師範が吹っ飛ばされた先の大型船に来ている。
元々船底の穴が原因で浸水していて、船は傾いていた。
そこに師範がぶつかり、その衝撃で更に浸水。
船の喫水はどんどん下がり、もうすぐ沈むだろう。
「いたぞ!!」
デッキ前部からバナーの声がする。
見つかった師範は酷い状態だった。
だけど師範は不死者。
傷は段々と治ってきているようだ。
「ガハッ…!」
「師範!!」
師範が血を吐いた。
こんな姿は初めて見る。
「やぁ、君たち… 無事だったか…」
「はい! 俺たちは大丈夫です! でもこの船がもう沈みそうなので脱出しましょう」
「あぁ、分かった。すまないが肩を貸してくれるかい?」
「勿論…!」
俺とバナーで肩を支え、傾斜が増した事で転がってくるアレやソレをマナに処理してもらいつつ道を開いてもらった。
船を降り、クロウ先生の所まで戻る。
たったそれだけなのに、その道のりは果てしなく遠く感じた。
不意打ちとは言え、フマイン師範とヤージュ先生が負けたのだ。
あの黒衣の男、どれだけの力を秘めているのか。
更に悪い事に、彼から感じるプレッシャーは間違いなく悪魔のそれだった。
やっとの事で辿り着き、クロウ先生に師範を診てもらう。
「あの男は…?」
「ゆったりと歩いて行っちまったよ」
その言葉に安堵している自分に気付く。
それ程までに圧倒的だったから。
少しして、ヤージュ先生を背負ったリナさんが来た。
「いやぁ、油断しましたね… まさかあんなに速いとは…」
「っ… ヤージュ先生!大丈夫なんですか!?」
「ええ、あの建物にぶつかる寸前でなんとか竜鱗化出来たので、身体へのダメージはそれ程ありません。ただ、瓦礫が崩れて来た拍子に頭にぶつかった為、脳震盪気味ですが…」
「ヤージュ、お前の頑丈さにはいつも頭が下がるぜ。思えば前の大戦でもお前だけは治療した事無かったよな」
「はは、そんな事もありましたね。俺に治療させろ、そうしねえと金が貰えねえじゃねえか、って理不尽な発言をした事もありましたっけ」
「仕方ねえだろ。治した人数が多い方が金が貰えたのは確かなんだからよ。っと、ほれ、フマインさんもこれで大丈夫だ。身体は再生中だから少し安静にさせておく必要があるけどな。ヤージュも、脳震盪なら動かない方が回復は早い。しばらく休憩にしよう。あの男も居なくなったしな」
「あの黒衣の男… 何者なんでしょうか…」
「さあな。ただこれだけはハッキリしてる。あいつは敵だ」
「………」
黙って頷くしか出来ない。
でも何か、他の悪魔たちとは違う雰囲気があった。
それが何か分かれば、敵対する理由は無くなるのかもしれない…
☆★☆★☆
『ああ… せっカく、昼寝をシていタのニ。まぁ、イイか』
ーこの二百年で… 私の思考は闇に飲まれつつあるー
ー激しい怒りと憎しみが、私を闇に引きずり込むー
ーだけど、私が怒りと憎しみを向ける相手とは一体誰なのだろうー
ーそれすらも思い出せず、思い出そうとする意思すら曖昧になって、この黒く濁った意識の中に溶けて、混ざり、消えていくー
ー少し前に感じた奇妙な懐かしさは…一体なんだったのだろうー
ー先程の人間たち。彼らからもあの懐かしさを感じたー
ーわたシの名前も、もウ思いだせなクなってシまったー
ーあア…もう眠イ… 全てが、どうデもよくなっテいク…ー
☆★☆★☆
怪我をした二人が調子を取り戻したのは夕方だった。
日も暮れてきているので、この街で野宿する事になった。
幸い、リナさんが暴れた区域から離れると使えそうな建物はまだ残っていて、その中には宿泊施設と思しきものもあった。
元々は港湾で働く者たちの為の施設だったのかもしれない。
休息場所を確保し、大きなテーブルをいくつか見つけ、食事を取る。
みんな口を開かず、黙々と食事を取っている。
昼間のあの男の事を引きずっているのだ。
「あの男、どういった攻撃方法だったのでしょう。彼が両手を振るのは見えたのですが、その直後に後ろに引っ張られるように吹き飛ばされ、気付いたら瓦礫の中でした」
うーんと首をひねるみんな。
「あれ?誰かが何かで吹っ飛ばしたって言ってなかったっけ…」
アサギがポツリと呟く。
「そういえば、確かに聞いたような…」
首をひねる。ひねる。ひねる。
ひねった先にいたリナさんと目が合った。
じっと見つめ合う。
たしかあの時、俺の隣にいたリナさんが何かを言って、それから動き出したんじゃ…
「「あ…」」
俺と目が合ったリナさんが、俺と同時に思い出した。
「それ、わたしだ…」
「…そう、そうだ、確かにあの時リナが糸がどうとかって」
「そう!糸!あの人が腕を振ったら、ヤージュさんとフマインさんの背中に糸みたいなのがピトッてなって、それからビューンッ!って!!」
「糸… と言う事は引っ張られる様な感覚、ではなく、実際に引っ張られていた、という事ですかね。その糸の行き着く先が、あの廃屋であり、廃船だった」
「次は、絶対に勝ちます」
師範の強くはっきりした声。
それを聞いたみんなも静かに頷く。
さて、と言いながらヤージュ先生が手を叩く。
「気分を切り替えてまいりましょう」
ニコッと笑っておどけて見せるヤージュ先生は、いつも通り頼もしく見えた。
「この街の攻略には二日から三日を想定していました。が、結果は一日で終了。明日は港に停泊している船やドック入りしている船、全ての船を調べ、使えるものがないか探します。船が多ければ共和国からの応援部隊が決戦時に上陸、進行出来る場所が増やせますからね。
その後、予定では明後日、我々が最初に上陸した東の軍港に向かいます。
先遣隊の百名と合流し、本隊としての進軍ルートを偵察、確認して、増援の到着を待ちます。
詳しい段取りはその時に決めることになると思いますが、増援到着後にはフロスタルへと攻め上がる事になるでしょう。
グラディオさん達と連絡が取れればいいのですが、我々は東の軍港から進軍。
彼らは西の果ての山脈にいます。
タイミングを合わせて進軍するのは難しいでしょう。
ただ、合図はするつもりですのでそれを見て後詰めとして攻め上がってくるはずです。
…と、まぁこんな所でしょうか」
ヤージュ先生が話し終える。
フロスタルでの戦闘について言及しなかったのは、それがかつてないほどの激戦になると分かっているからだろう。
正直、正攻法で攻めたって勝ち目なんてない。
フロスタルは王を守る為の城。
何重もの城門に守られ、城内は迷路のように入り組んで、侵入者の進軍を阻む。
そして戦う相手は悪魔だ。
悪魔が仕掛けた罠もそこら中に配置されているだろう。
本当に…
俺たちは勝てるのだろうか…?
その日はそのまま休息を取る事になった。
不安に苛まれたまま、眠れない夜を過ごした。




