第三十一話-アヤネ・ダズリング-
「アヤネが…高等神聖術の使い手…?」
グラディオさんが戸惑っている。
おかしい。
グラディオさんはアヤネさんとずっと行動を共にしていたのに、アヤネさんが何を出来るのか等、聞いていなかったのだろうか。
俺の疑問はよそに、視線が集まっているアヤネさんが静かに口を開いた。
「どうして、分かったんですか?」
この答えは肯定と同義だ。
フマイン師匠は軽く息を吸って話し出した。
「アヤネさんはこの世界で唯一、大樹ユグドラシルと交感出来る存在だと聞きました。
この大陸全土に、エルフがその長命性を損なわずに足る魔力を行き渡らせる大樹なんて存在を、僕は聞いた事がない。
まして、その力を自在に操る存在がいるという事も。
おそらくアヤネさんとユグドラシルはこの世界に唯一無二の存在であり、お互いがお互いの力を利用しているのでないか?と推測しました。
ユグドラシルが魔力を蓄え、アヤネさんが放出する。そうする事で、アヤネさんがこの大陸の何処にいても大樹の魔力をその地へ届ける事が出来る。
そして大樹がこの世界から吸収し蓄える魔力の属性は光です。
光属性は攻防に長けた魔力で、一切を両断する光の剣も、一切を反射する鏡の盾も生み出せる。
そして、癒しの力は光属性のみが発揮出来る力です。
あなたは大樹の守り手でありながら、その力の運び手でもあった。どうやって、あなたとユグドラシルは生まれ、そして育ったのですか?」
スラスラと自身の推測を述べた師匠。
視線によってアヤネさんに正否を問う。
アヤネさんはまだ沈黙していたけど、やがて口を開いた。
「たしかに…私とユグドラシルは繋がっていますが、最初からそうだったわけではないのです。
私がこの大陸で目覚めたのは一千年くらい前です。
その頃はまだ統一された国は無く、南の湿地帯にエルフが。
西の山岳地帯にドラゴンやハーピィが。
東の荒地にドワーフが。
北の入り江には人間が。それぞれバラバラに暮らしていました。
私は、現在フロスタルがある地にて長い眠りから目覚めました。
私はマナさんと同じく天上人です。創成期の終わりに眠りに就きました。
そして、眠っていた私のそばには何故か一本の若木が生えていたのです」
「その若木がユグドラシル?」
「はい。まだまだ資源に乏しかったこの大陸では、各種族間のちょっとした諍いから大規模な戦闘に至る事も珍しくなかった。
私は、尊敬しているある人と同じ様にその戦闘をやめさせたり、時には力を貸して、各種族の発展を手助けしていました。
彼らは東西南北に分かれて暮らしていたので、私は中央に住み着き、ユグドラシルと共にこの大陸が豊かになっていくのを見守っていたのです。
そうして百年程が経った頃。ユグドラシルは大木へと育ち、私と共にいたせいか、魔力を帯び魔力を蓄える聖なる木へと変質していました。
その後、北の人間と東のドワーフとで戦争が起こったのです。
きっかけは些細なものでしたが、その戦火は拡がり続けました。北部にはこの大陸で最大の港があったので、戦争によりそこが閉鎖される事は大陸全土が干上がる事になりかねませんでした。
私は幾度も調停を試みましたが、国を持たず守るべき民もいない私一人の言葉に耳を傾けてくれる余裕は無く…
そんな折、当時のエルフ族の族長が私を訪ねて来て、ユグドラシルの魔力を分け与えてくれないか、と相談してきたのです」
「ユグドラシルの魔力を?それを使って両種族を従えたのですか?」
「いいえ。彼はユグドラシルの魔力を、調停の為に使用すると言いました。その行いを監視する事までも、私に提案して。
私は彼の提案に乗りました。どの道何も手を打たなければこの大陸の各種族は滅びの道を辿る。
彼が悪しき存在でその力を私欲のために使うのならば、私が正せばいい。そう思っていたのです。
結果として、彼はその力を行使して人間とドワーフの争いを止めました。
その功績により発言力を増した彼は、この大陸全土に散らばっていた各部族の代表を集め、この大陸をひとつの国とする事を提案し、受け入れられました。
各種族は東西南北に点在していて、中央には私がいた。
彼は私を紹介し、みんなは私を崇めました。この土地を守る女神だと。だから私の為の都を作ろう、と」
「それがフロスタルなのですね」
こくりと頷くアヤネさん。
グラディオさんは少し離れた椅子に座り、俯いたままだ。
「彼の功績もあり、この地を治めるのはエルフ族という事になりました。
その先頭に立っていた彼は初代の王として君臨した。彼の名は、カイン。
初代と言っても、エルフの寿命は三千年以上。
彼はフロスタルが出来てから二百年前のあの夜までの六百年間、この国を護り、富ませ、発展させ続けました。
いつしか彼は賢王カインと呼ばれるようになり、フロスタルには彼の像が建つほどに。彼の妃のアーシェも聡明な女性で、彼をよく支え、程なくして三人の子に恵まれました。
私は彼らの成長をずっと側で見守り続け、私は私が生まれてから最大の幸せを感じていたのです。
長男のロイドは剣の才能があり、私はしばしば手ほどきをしていましたが、エルフの流麗な剣技は私の無骨な大剣をスルスルとかわすようになり、彼が大人になる頃には私と同等の剣技を修得していました。
次男のルークは怠け癖のある子でしたが、誰よりも優しく、お妃や私といった女性も丁重に扱う紳士でした。
それに、やると決めた事は何があってもやるという強い意志を持った人でした。
三男のオラトリオは幼い頃から本の虫で、王宮の図書室に篭って古今東西の文献を読み漁っていました。
そのせいか賢王直属の文官よりも文才があって、各部族との手紙のやり取りで校正をしていたのを知っています。
そして、王族の誰よりも魔法の才能に長け、彼にしか扱えない魔法も多数あり、フロスタルや周辺地域が花で満ちたのは彼のおかげ。
私は彼らの成長を見守る事にこの生涯を使おうと願いました。
ですが、二百年前のあの日が来てしまった…」
「…リドニスの出現ですね」
コクリと頷くアヤネさん。
「きっかけはフロスタルの近くで旅の魔術師が行き倒れていた事です。
守備隊に保護され、手厚く看病された彼は、快復後に王宮に呼ばれました。
この大陸から出ない人々にとって、外の世界を冒険している人の話というのは貴重な娯楽です。彼の話を聞きたいと思ったのは自然な事でした。
王や王子たちが集まり、みなこぞって彼の話に聞き入りました。
東の果ての黄金の国、西方の軍事帝国の話、光の守護者の話…
どれもおとぎ話の様なものでしたが、とても楽しい冒険譚でした。
ですが彼はその話をしながら、精神汚染の禁術を使っていたのです」
「精神汚染?それはどういう術なんですか?」
俺の問いにヤージュ先生が答えてくれた。
「精神汚染… 土地によって言い方は多少変わりますが、他人の精神を術によって改変してしまう恐ろしい術です。
虫も殺さぬほど優しい人が暴力を厭わぬ凶暴な人に変わったり、平和主義だった国王が急に隣国に戦争を仕掛けたり、それまで見向きもされなかった対象が自分と結婚したくなるようにしたり。
古くから存在する禁術ですが、それを扱える者は少なく、更に効力を切らさぬよう使い続ける事により、術者自身の精神も崩壊していくという恐ろしいものです。
そしてその術者は例外なく、自分が及ぼす影響が最も大きくなるような場所を選んで術を使用します。
つまりこの場合は…」
「そうです。賢王の一族が揃った王宮。側近の者たちも一緒でしたから、王宮を司る者たちほぼ全員がその術者の罠に落ちました。
ですが、その術が使われていたと私が知ったのは、その数日後。
狂気に蝕まれ静かに錯乱した王たちが、悪魔召喚の儀式を執り行うと宣言したその時でした。
そしてその時にはもう全てが遅かったのです。
カイン、ロイド、ルークが先頭に立ち魔術師を守りながら、魔術師が魔法陣を構築していく。私は止めようとしました。ですがロイドとルークの二人掛かりで抑え込まれ、魔法陣は完成してしまった。
そして魔術師は自らの体を生贄にしてリドニスの召喚を行い、それは成功してしまった。
通常、あのクラスの悪魔を受肉させるには一人の人間の体では到底足りません。しかしあの魔術師は王たちに命じてフロスタルにある全ての墓地を暴き、まだ埋葬されていなかった遺体をもかき集め、玉座の間のすぐ隣に用意していました。
そして魔法陣はその部屋も飲み込む程に巨大なもので、その効力が発揮された瞬間、魔術師はその魂を食い散らかされながらリドニスへと転生した…」
「そんな…フロスタル建国の英雄たちがリドニス召喚に加担していたなんて…」
「グラディオさん、それは違います。精神汚染は術がかけられた者の倫理を崩壊させるものです。それまで悪だと思っていた考えや行動が悪ではなくなるのです。言ってしまえば術者によって操られるのと同じです。カイン王や二人の王子はとても苦しんだはず…」
「ん…?二人の王子?」
「バナー?どうした?」
「いや、今の話だとグラディオさんのお祖父さんであるオラトリオさんが出て来てなくね?生きてフロスタルから脱出して、つい最近まで生きてたんだよな?」
「そう。先程説明した通り、オラトリオはカイン王の近親者の中で最も魔法に長けていました。その力はあの魔術師を凌ぐほどに。
だから彼は精神汚染にレジスト出来たのです。ただ、それは魔力量が高いオラトリオだから出来た事で、他の人の魔法解除が出来る訳ではなかった…
そして静かに狂っていく父と兄を間近に見ながら、その影響が除かれる瞬間を待ち続けた。
その瞬間というのが魔術師の消滅、つまりリドニス誕生の瞬間だったのは、皮肉な話です。
でもオラトリオはその絶望に膝を屈すること無く、その場にいた全員の精神汚染の影響を取り除きました。
そしてリドニスが数千もの死体を取り込みながら受肉していくのを目の当たりにしながらも、正気を取り戻した王とロイド、ルーク、そして王の護衛である精兵たち。
彼らはリドニスと悪魔どもの前に立ちはだかり、どんどん口を開く魔界の門から溢れ出す悪魔の軍勢と戦い始めました。それこそ必死の形相で。
彼らは自分がこの事態を引き起こした事を誰よりもよく分かっていて、そして食い止める為には自分の命を懸けなければならない事もよく分かっていたから。
私はロイドとルークに起こされ、オラトリオと共に逃げろと言われました。
『すまない』という言葉と一緒に。
私はオラトリオと、カインの妃であるアーシェを連れてフロスタルを脱出しました。
王子二人に託されたオラトリオと、そして当時王の子供を身籠っていたアーシェだけは、なんとしても護らなければならなかった」
「…え?」
俯いていたグラディオさんが顔を上げた。
その表情は驚愕に埋め尽くされている。
いや、驚愕の表情といえばこの場にいた全員が浮かべていたはずだ。
だって今まで、賢王カインの子供は三人だと聞いていたから。
四人目がいたとは一言も聞いてない。
「その後、数日をかけてあの結界の町に辿り着き、結界を貼り、そしてそこでアーシェは四人目の王子となる男子を出産しました。
その頃フロスタルは既に悪魔の軍勢に呑み込まれ、人間の生存者は絶望的。
ましてやリドニスに一番近い場所にいた王たちは影も形もないでしょう。ですが、新たなる希望が産まれました。
私は、最後の王子を見守り、育てて欲しいと言うアーシェの願いを聞き入れました。
そして、オラトリオを祖父という事にし、私は戦闘召使いとして戦闘術を教え込んだ。
ロイドのように真っ直ぐで、ルークのように優しく誠実で、オラトリオのように耐え忍ぶ事が出来る子になるようにと。
そうして二百年あまりの歳月を共に過ごしてきました。私は戦闘が少し出来る召使いであり続け、オラトリオは良き祖父として、実の弟を育てました」
アヤネさんはまっすぐにグラディオさんを見る。
「その王子の名は、古代エルフ語で剣を意味するもの。
賢王の最後のグラディオ、貴方はカイン王家の正統なる世継ぎなのです」




