第二十三話-荒野の八人-
共和国を出航してから数週間後。
俺達は悪魔に支配された国、オルナーテの港にいた。
ビッグエデン・プリンセス号の中から大量の人員と物資が次々と降ろされていく。
おそらくこの船の接近はとっくに察知されているはずで、だからこそ対悪魔用の陣地設営が急がれる。
空の一部を黒く塗り潰す程の軍勢が、いつ襲い掛かってくるか分からないから。
周辺警戒の人員が多めに割かれ、何か異変があればすぐに知らせる事になっていた。
俺とバナーはグラディオさんと共に陣地設営を手伝っていて、アサギとマナとアヤネさんは物資の振り分けを手伝っている。
こちら側はヤージュ先生が、あちら側はフマイン師範が監督しており、こういう事に慣れている二人の指揮のもと、ものすごい速さでチェックリストが埋まっていった。
この港および陣地は、ヴェントス大陸の東端にある。
突き出た半島の更に先端で、背後と左右は海。
守りやすく攻めにくい土地である事は確かで、いくつか候補があった上陸地点の中からここに決定したヤージュ先生の、その場慣れの度合いが推し量れるというものだ。
そして、悪魔は海に近寄らない。
翼を持ち、魔法を熟知している彼らが、有史以来海を渡って他の国を攻めた事がたった一度だけあり、それが最初で最後の事例だ。
その昔、この世界のとある島に顕現した悪魔達は、美しい宝石のような青い海を、島民の血によって真っ赤に染め上げ、動植物と緑溢れる大地を呪いで不毛の地に変貌させた。
それを知った創世の神々は彼らを滅し、以降どの様な経緯でもって顕現したとしても、海を越える事が出来なくした、と言われている。
創世神話と同じくらい、広く世界に知られている話だ。
だが、その分謎が多い。
創世の神々はマナのような人たちだったはず。
彼女たちは世界を創造した後、眠りにつくか、世界に溶け込むか、世界を監視するか、そのどれかに属した。
では、原初の悪魔はどうやってこの世界に顕現したのか?
その事に関する記述はほぼ無い。
その頃の世界は、産めよ殖やせよ地に満ちよ、と人口が爆発的に増加していた。
そんな中で、悪魔を召喚した者とは、一体何者なのだろう。
話を戻そう。
そんな訳で、海を渡れない悪魔たち。
グラディオさんと初めて会った時にいた五体の低級悪魔は、彼ら二人を尾行していた人間の手で召喚されたもので、その人間は悪魔を呼び出した後、身体を乗っ取られ魂を食い尽くされ、この世界から消滅したらしい。
長くなったが、この半島の先端に陣地を置いたのはそういう理由。
前方からの敵に注意していれば事足りるのだ。
二日ほどかけて陣地の設営が完了し、駐留する騎士団員の三百人は後続の七百人の為、そして本格的な奪還作戦の足掛かりとする為、この地を死守する。
そして俺達四人とヤージュ先生、フマイン師範、グラディオさん、アヤネさんの八人は数少ないエルフの生存者たちの集落に向かった。
「この先はいつ悪魔どもが襲ってくるか分かりません。各自、気を緩めないように。グラディオさん、先導をお願いします」
ヤージュ先生の言葉に頷き、グラディオさんとアヤネさんが先頭で歩く。
ヴェントス大陸は大きく、場所が変われば地形も変わり、気候も大きく違う。
廃都フロスタルがあるのは大陸の中心部。
その周辺は盆地で、草原の広がる緑豊かな大地だった。
しかしそれも、リドニスの侵攻によって死の大地と化した。
上陸地点の周辺を含む東部は荒涼とした荒地が広がっている。
何度かヒトの手による開拓が行われたのだが、開拓団と腕利きの傭兵団を、それぞれいくつか悪魔に壊滅させられただけで終わったらしい。
南部は大きな湖があり、それに連なる湿地帯と鬱蒼とした森が広がっている。
豊かな自然と言えば聞こえはいいが、実際には人の手が入らない為に成長が暴走気味であり、森の中の街はいくつも飲み込まれた。
西部は山岳地帯。
東西南北で一番寒い地域で、年中雪に閉ざされた霊峰があり、そこには世界最強種の魔物が巣食っているなんて伝説もあるとか。
北部はなだらかな丘陵地帯で、南部の湖から流れ出た大河が中心部のフロスタル近辺を通り、北部まで流れて海へと至っている。
河川部には大きな街がいくつもあり、この国最大の港町が存在していた。
その港町はとっくに悪魔達の手に落ち、長い航海に耐えられる程の大型船は破壊されたか、悪魔達が管理している。
グラディオさん達二人はそんな厳重な監視の目をかいくぐり、船を見つけて共和国まで渡ってきたのだと言う。
「あの時は入念に準備を重ねました。そして、警備が手薄な時に港に忍び込み、自分達二人でも操船可能で、かつある程度の大きさがある船を探し出して、使えるかどうか、大きく壊れている箇所は無いかどうかだけ調べてすぐに乗り込んで。一番近い共和国に着くまでは安心出来ませんでしたし、最初の数日間は船の不調に悩まされたりもしました。ですがなんとかたどり着き、そして今、心強い味方を得て帰って来る事が出来た。ここから、始めていくんですね」
「ええ。なるべく早くフロスタル攻略の糸口を見つけましょう。長期戦は我々には不利で、リドニスにとってはお手の物です。なにしろユグドラシルを手中に収めていますからね」
リドニスがユグドラシルの近くにいる間はこちらの勝機は薄い。
なんとかしてリドニスを玉座の間から引きずり出し、対等な条件で戦えるように場を整えなければならない。
その為にはまず、城内を知っている者との合流が必須。
だから俺達はグラディオさんに先導され、ヴェントス南部の湖水地方の森へと向かっている。
そこに、かの大侵攻から生き延びたエルフの人達が隠れ住んでいる集落があるのだ。
この大陸は文明が二百年前から進んでいない。
共和国や帝国では、同じく二百年の間でも技術の開発と向上が進み続けた。
その結果として、各地に血管のように道路が張り巡らせられ、車はかなり一般的なものとなりつつある。
だがこの地には車が無い。
では代わりの移動手段は何か?
馬だ。
そうと分かっていたから、俺達六人分の馬は共和国から船に同乗して来ている。
陣地から出て、荒野を少し進み開けた所に出た。
そこで馬を呼ぶと、グラディオさんが言う。
そして、大きく息を吸ったグラディオさんが鳥のさえずりのようにも聞こえる口笛を高らかに吹き鳴らした。
遠くから嗎が聞こえる。
それは、力強い蹄の音と共に近付いてくる。
枯れ草ばかりの大地を走り抜け、俺達の目の前に現れたその馬は。
純白で美しい毛並みを持ち、そのたてがみをなびかせている。
その凛とした姿は、気品さえ感じさせる。
「彼女は雷影。世界に五頭しかいない【影】の名を持つ馬の一頭。この国では王族のみに騎乗を許された馬だ」
アヤネさんはグラディオさんの後ろに乗った。
「ここからだと集落までは早駆けでも三日かかる。急ぎたい所だけど、途中の休憩が取れる場所でちゃんと休みながら行こう」
そう言い、雷影を駆けさせるグラディオさん。
…速い。
純白の尾がたなびき、その軌跡が雷光のように。
俺達の馬も強くて速い良い馬だけど、雷影はなにか違う存在感がある。
移動中には何度か敵対勢力との戦闘があった。
悪魔が支配する国、という事で寄り付く奴らもいるという事だな。
悪魔の眷属であるガーゴイル、低級悪魔のインプ、木に悪魔が乗り移ったイビルトレントなど、統制もなにもあったものではないならず者の連中が襲って来た。
先導しているグラディオさんが真っ先に襲われる事が多く、俺やマナなど、遠距離攻撃も出来る者はその援護をしているし、バナーやアサギも駆け抜けていって力を振るっている。
その過程で改めて見たけど、グラディオさんの剣捌きは凄まじい。
初めて会った時から腰に帯びていた幅広の両手剣を抜きざまに一閃。
そうすると硬い石で出来ているはずのガーゴイルの身体が紙切れの様に両断されるのだ。
剣の強さもさることながら、本来なら両手で扱うはずのその剣を片手で軽々と振り回しているグラディオさんの強さを感じられる。
故郷を取り戻すという想いのもと、ひたすらに鍛錬を重ねていたのだろう。
気付けば俺は引き絞っていた弓にいつも以上に力を込めて放っていた。
この人の願いを果たさせる為、力を尽くそうと強く思った。
そうして二日が経ち、予定通り三日で到着という目処が立つ。
今日は戦闘が多い。
偵察の部隊がよく巡回しているのだ。
「この辺りにエルフの隠れ家があると踏んで、通り掛かる者を手当たり次第に襲っているのさ。弱い者は村から外に出られない。エルフは日々の糧は少なくても生きていけるから、狩猟や採集は月に一度くらい。奴らはその数少ない時を狙っているのさ」
「集落が敵に見つかる事は無いんですか?」
「今のところはね。お祖父様が張った結界が完全に隠してくれている。すぐ目の前まで来ても悪魔達には感知出来ないし、中に入る事も叶わない。ただ、その結界も魔力の供給が無いからいつ壊れるか分からない」
そうか。
だからグラディオさんは急いでいるのか。
このままだと一族の滅びしか待っていないから。
今日何度目の戦闘か。
一体では相手にならないが、今回は敵の数が多い。
次第に馬を降りての混戦になった。
その最中、アヤネさんが背中に背負った大きな刀を抜き放つ。
彼女が戦うのはこれが初めてだ。
鈴のような音を鳴らしながら抜き放たれたそれは、エルフが鍛えた退魔の剣。
白銀に輝くそれは、悪魔や人狼、吸血鬼などの悪たる者ども全てに対して絶大な威力を発揮する。
華奢な体躯で振り回し、その大剣が撫でた空間に存在し続けられる悪魔はいない。
数分間の戦闘の末、目の前の敵をそれぞれが倒した。
これで終わりかと思って気を抜いた瞬間、グラディオさんの背後に倒れていた者が起き上がったのを、俺の目の端で捉えた。
「グラディオさん危ない!!」
振り下ろされるひどく錆びた鉄の剣。
悪魔に魂を売ったゴブリン、ゴブリンフォールが鍛えたもので、付けた傷に呪いが乗り小さい傷でもとても治りにくいのだと言う。
そんな剣がグラディオさんの顔に迫って…
当たる寸前で止まった。
『ガ…グギ…』
呻き声を上げる下位悪魔。
その口からは鋭い直剣が突き出している。
その剣を握りながらレッサーデーモンの背後から姿を現した男性が声を発した。
「やれやれ…悪魔どもは斃れると灰になる。だからそれまで気を抜くなとお教えしたはずですがね、グラディオ坊ちゃま?」
「数ヶ月ぶりに会ったってのに、最初の会話が説教とはな。助かったよ、ランド」
「よく…お戻りになりましたな」
「すまない、待たせたな… みなは変わりないか?」
「…積もる話はあとにしましょう。とりあえず結界内へ。後ろの方々はお連れ様ですか?」
「ああ。心強い味方だ」
「それは何より。では皆様もどうぞ、私の後に続いてください」
ランドさんに導かれるまま、しばらく進んだ先の荒野に立つ一本の木。
その木にランドさんが手をかざすと、俺達の周りの景色が一変した。
「なんだこりゃ…」
「ほんと、なんだこりゃ、だわ…」
バナーとマナが呆然としている。
グラディオさんが一歩前へ出て、両手を広げながら笑顔で振り向いた。
「みんな、ここが今のフロスタルだ」
見渡す限りの荒涼とした風景に立っていたはずが、今や鬱蒼と生い茂る木々に囲まれている。
鳥のさえずりが聞こえ、足元には小川まで流れていた。
そしてグラディオさんの向こうには、美しい白亜の建物が並んでいる。
窓からは何人ものエルフがこちらを見ているようだった。




