第十話-あの病室-
バナーが毒を受けてから五日後の朝。
つまりこの病院をユウ達が発ったのは五日前。
約四日を掛けて往復し、この病院で解毒薬を調合してもらったのが昨日の夜。
そうして完成した解毒薬が投与されてから約八時間が経過しようとしていた。
解毒薬を点滴で投与されているバナー。
まだ目は覚まさないが、その寝顔はこの数日見えなかった落ち着きを取り戻している。
その病室にいる者はというと。
疲れて眠る者、低い声で会話をする者、窓の外の景色を眺めている者、奇妙な模様が描かれた紙袋を被っている者、バナーの左手を握りながら目覚めを待ち続ける者など、様々だ。
濃紺の帳が退いていき、黄金色の輝きが空の支配率を上げていく頃…
この病室に集まった者達が待ち続けた瞬間が訪れる。
「ん…」
五日間昏睡状態だったバナーが、久しぶりに声を出した。
その様子に、それまで眠っていた者も含めて全員が注目する。
やがてバナーはもぞもぞと身じろぎをして、のっそりと上半身を起こした。
その目をようやく開く。
「はぁ…よく寝た…ん…?どわぁっ!?」
目を開けた瞬間、眼前に迫る友人知人達の顔。
「なになに!?どした!?」
「どしたじゃないわよ!覚えてないの!?」
「え??…あー…そういや、なんかナイフで刺されて…?あっ!?ユリさん!!ユリさんは無事か!?」
ギュッと左手が握られる感覚に気付いたバナーは、その左手の先に涙目になりながら自分を見つめる少女を発見した。
「無事だよ…!バナー君のおかげ…良かった…本当に良かった…!!」
泣きじゃくりながら、バナーの左手を両手で握りしめるユリ。
安心したバナーは、左手をユリに握らせつつ、あの日からの経緯を聞いた。
バナーは顔を真っ赤にさせていたが。
目を覚ました事を医師に伝え、触診や質疑応答の時間を経てから血液検査などをして、毒素が完全に消滅したかを確かめる事になった。
退院はその後だ。
回復作用を司る光魔法は万能ではない。
大小様々な傷を癒す事が出来るが、それは本人の細胞分裂を活発化させているに過ぎない。
人間が一生のうちで行える細胞分裂の回数は決まっており、通常の寿命である百二十年の間ではそれが尽きる事は無い。
だが、大きな傷を何度も光魔法での回復に頼ると、それを超過してしまう事がある。
そうなるとそのまま死に至るので、光魔法の使い手はその使用の是非を慎重に見極めなければならない。
また、失った腕や足を取り戻す事も出来ない。
綺麗に斬られた切断面を綴じ合わせる事ならばかろうじて出来るが、新しく生やす事は到底無理だ。
今回に関しては、解析魔法で体内にどのような異物、つまり毒があるのかを知る事は出来るが、その毒を完全に取り去る事は出来ない。
だからクロウを頼ったのである。
無論、死者を蘇らせる事なども不可能である。
この世界の成り立ちの時から存在する各種の魔法でも、この世界の理を全て超越する事は出来ないのだ。
そういう訳で、地味で時間のかかる検査を数日かけて行い、体内の毒素が完全に消え去った事が確認された。
バナーが目を覚ましたので、ヤージュは学院に報告をする為に一足先に戻り、スカイも帰っていった。
ユリは退院まで付き添うと言って聞かず、ヤージュがまた車で戻って来る明日まで一緒にいる事になった。
検査を終え、健康体を取り戻したバナーは一人で病室を抜け出し、病院の庭を散策していた。
そこに近寄る影が一つ。
「はぁ…やっぱりいたか。病室の窓からここを見た時、あの木の陰にいただたろ。お前…いつこっちに来た?」
「は。お怪我をされたと報告を受け、セントラルから飛んで参りました。とても焦りましたぞ。御身は大事な身なのです。もう少し慎重に…」
「だーもーうるせえ!!学院を卒業するまでは俺の好きなようにやるっていう約束のはずだ!今更口出ししてくんじゃねーよイズミ!!」
「そういう訳には参りません。バナー様付きの執事であるこのイズミ。御身に何かあったとあれば、お亡くなりになったお父上様に申し訳が立ちません。あのお方は大変素晴らしいお方でした…!!一代で今のメイヤード家の地位を築き上げたのは歴史に刻まれている程の立派な功績。残念ながら志半ばでお亡くなりになってしまいましたが、ご立派なご子息様達を遺され、皆様がお父上様の跡を継ごうと日々奮闘されております。バナー様も他のお兄様に負けぬよう…ってあれえ!?バナー様!?バナー様あああ!?」
「あーうるせーうるせー。あいつがオヤジの事を喋り出すと止まらねーんだよなー。…俺はあのクソオヤジやアニキ達とは違う…。だから、今よりもっと力を付けねーと…」
庭に自分付きの執事を置き去りにして、庭から院内へと続く遊歩道を歩くバナー。
その背中を、とある仮面を付けし者が木の陰から監視していた。
バナーが院内に入った事を確認したその者は、そのまま陽に照らされる遊歩道に出る事はなく、木の陰に入って消えた。
「あら、散歩は終わり?」
「しつこくてうるさい虫が庭にいてさ。明日まで大人しくしてるよ。ユウ達は?」
「みんな一度ホテルに戻ったわ。お風呂に入ったり着替えたりしにね。夕方くらいには戻って来るはず。そうそう、ヤージュから連絡があって、明日の朝にはここに着くそうよ」
「そっか。ようやくアカデミーに戻れるわけだ。ごめんな、俺のせいでみんなに付き合わせちゃって」
「何言ってんのよバナーらしくもない。アンタはいつもヘラヘラしてなさい」
「ヘラヘラっておい!マナちゃんは俺に対して厳しいよね!?」
「そんな事ないわよ。わたしは平等に厳しいわ。ユウと契約した時から、あなた達三人を見守るって決めたんだから。これからもビシバシと厳しくいくし、まだまだ教える事だって沢山あるし、アンタがいないと寂しいし。あ!?ユウ達がね!?ユウ達が寂しそうだからって事よ!!だから、途中でいなくなるなんて許さないからね!」
途中から真っ赤になりながらまくし立てたマナ。
それをポカンと見ていたバナーだったが、しばらくしてくつくつと笑い出してしまう。
「何笑ってんのよアンタ!?」
「はーあ、ただいま!」
「ちょっ!?何!?」
「あーそうだな、マナは何も言ってない。でもな、言わなくても分かっちゃう事って、意外とあるんだぜ?」
「くっ…」
分かりやすく狼狽えるマナと、それを見て忍び笑いとニヤニヤが止まらないバナー。
「青春だねぇ」
「うおわあああ!?ナオ先生!?いつからそこに!?」
「ずっといたよ☆ちなみにバナー君が起きた時もいたけど、そっちの隅で寝ちゃってたんだよねぇ。思ったより魔力の消費が激しくてさ」
「あ、ナオ先生が毒の進行を遅れさせてくれたって聞きました。ありがとうございまし」
バナーがお礼を言いつつ頭を下げた。
そのバナーを跳び箱の様に飛び越えてマナが氷柱で出来た剣でナオに斬りかかった。
「殺す!!」
「はっはっは〜マナ〜?分かりやすいツンデレをしてしまった事が恥ずかしいのかい?ほらほら〜そんな攻撃じゃ当たらないゾ☆ちなみにバナー君、私にお礼なんていらないよ。元はと言えば私が君達に授けた任務のせいだ。本当に、なんとか!なって!よかった!!だから落ち着きなさいマナ!ゆっくり話せないよ〜」
肩で息をしながら攻撃の手を止めるマナ。
気恥ずかしい気持ちも分かるが、その晴らし方としては病室を派手に壊し過ぎだ。
「あとで損害賠償来ちゃうよコレ…まぁいい、話の続きだ。君達を送り込むより前の情報にあった敵戦力なら問題は無いと思ってた。フレデリカ大佐もいたしね。だけど、ベルジアント卿がいた事、そしてあのヴァーリという輩の執念は計算外だった。アカデミーの地下牢に依然として拘束しているロキ含め、あの組織には厄介な者が多そうだ」
「そうですね…あのベルジアントって奴も、フレデリカさんと互角に渡り合ってました。帝国の要人だって聞きましたけど、本当なんですか?何でそんな人があの組織に?」
「その件についてはまだ調査中なんだよね。帝国内にもベルジアント卿が亡くなったなんて情報は一つも転がっていないんだ。まして、改造手術を受けて蘇ったなんて話もね。ただ、数年前に軍を退役した事だけは確かだ。その時点でもう敵としてのベルジアント卿になっていたのか、それともご本人の意思だったのか、それもまだ分からない。私の学院でジャヤが襲われた事から端を発する一連の事柄だけど、もっと根が深いのかもしれない。私の情報網を総動員しても、全然情報が入って来ないんだ。不気味だよ。これからはもう油断なんて出来ない」
「ふーん、アンタがそんな事言うなんて、本当に厄介な奴らなのね」
「茶化すなよマナ。今回はたまたま、抵抗力の強いバナー君が毒を受けた。他の誰かだったら助からなかったかもしれないんだ。私は、その事を誰よりも重く受け止めているつもりだ」
「茶化してないわよ。私もちゃんと認識したってこと。アイツらが敵なんだ、ってね」
「そう、敵になってしまった。彼らが帝国に潜り込んでいるのか、帝国が彼らに飲み込まれたのか、それは分からない。共和国に潜り込んでいる可能性も高いし、その他の周辺諸国にも潜んでいるだろう。まずは彼らについての情報を集めていく事が先決。という事で、ユウ君達が戻って来たら私と一緒に学院に帰ろう。ヤージュ先生には話してあるから行き違いになる事はないから安心してね」
その言葉通り、ナオは既にバナーの退院手続きを済ませており、ユウとアサギが病室に帰って来た時には病室と学院を繋ぐ転移門を完成させていた。
「転移魔法は私が開発したもので、私だけが使えるのサ!」
と、ドヤ顔で説明してマナがイラッとしたのはいつもの事だが。
そして、数日ぶりに帰って来たアカデミー。
帰って来て以降の日々は何事もなく過ぎ、彼らは普通の学院生活を送っている。
その間もフマイン師範との修行や稽古は欠かさず、次に戦う時が来た時の事を想定している。
ナオやマナがそう見定めたのと同時に、ユウ達もまた、ベルジアント達の事を相対する敵と認識たのである。
日常の中に潜む確かな危機に気付いてしまったからには、それを無視する事は出来ない。
ならば、その危機や災いが降り注いだ時、それを乗り越える為の力を手に入れる。
ユウ、バナー、アサギは話し合ってそう決めた。
幸いにしてユウ達には優れた師匠がいる。
見守りながら教え導く者も。
一人では無理な事も、力を合わせればきっと。
〜〜〜帝国国内・辺境地域〜〜〜
急速に領土を拡大した帝国国内には、侵略により周辺諸国を滅ぼして得た土地が多い。
そこに住んでいた者達を追い出し、そうして手に入れた土地だ。
だが、新しく街などを作る訳でもなく、荒れた土地が広がっているだけである。
帝国内部には、こうした実利を伴わない強行的な侵略を良しとしない勢力があるとも言われ、帝国が一枚岩ではない事を表している。
そしてここはそんな土地の一つ。
荒れ放題の土地に、ポツンと建つ砦がある。
この国が存在していた時は、防衛の為の重要拠点だったが、滅びた今は役割を失って朽ちていくだけの鉄の塊である。
だが、人が近寄らないその砦内の暗闇で、蠢く者達がいた。
生き残った電力供給により、僅かに点灯している照明。
その光に反射する仮面が二つ。
一つは真紅。
燃え盛る炎の意匠が施されている獅子の仮面。
一つは深みのある美しい暗緑色。
牙から毒液が垂れる意匠が施されている蜘蛛の仮面。
「まさかお前さんが逃げ帰ってくるとはな。よもや、手を抜いたのではあるまいな?」
蜘蛛の仮面の下から射る様な鋭い視線を投げかける瘦せぎすな男。
その視線は巨大なハンマーを軽々と手で弄ぶ巨躯の男に注がれている。
「んん?まぁ仕方ねぇさ。あの遺跡は古かったし、上に乗っかってた地盤はガタガタだった。そんなトコでオレがひと暴れしたら崩れてもおかしくねえだろ。だから気にすんなって!」
「なぜワシが慰められる様な事になっておる!?元はと言えばお前さんが自分にやらせろと言った撤収作業であろうが!」
「まぁまぁ、結果的にあの遺跡は崩落したし、その前に片付けるモンは全部片付けてたし、いくら調査しようとオレ達に繋がるモノは何も出てきやしねえって。そんなに興奮するとまた死ぬぞ?」
「ふん、余計なお世話だ。この身体は前の身体と違って、そう簡単に朽ちたりはせん。それより、他に何か収穫があったと言っていた件はどうなった?」
「おうそれだ!忘れてた!今回邪魔をしてきたガキどもの中に使えそうなヤツがいたんだ。あいつの劣等感はいじくったら面白い事になると思うぜ。そういうのはあんたの得意分野だろ?」
「まったく。そんな話で失態を消せるとは思うのではないぞ。だがその者の情報は後で寄越せ。弄るかどうかはワシが決める」
「へいへい。それより、オレ達をここに呼んだご主人サマはいつになったら現れるんだい?」
「ここにいるよ」
二人しか居ないはずだった空間に、突如として現れた者。
先客である二人と同様に、仮面を付けている。
銀の狼の意匠が施され、薄闇の中でも鈍い光を放っている。
「おっと。これは失礼を。だが気配を絶って近付いて来るのは感心しねぇやな」
「ふふ。ごめんね。これは僕の癖なんだ。周りの誰も信用出来ない環境で育ったから。僕は争い事が得意じゃないからね」
「ハッ!よく言うぜ。前のオレを殺したのはアンタなのに」
「あの時は結構苦労したね。君はやはり強いんだと実感したよ。もしかして悔しいのかい?」
「負けた事自体は悔しいが、今のオレになれた事を考えれば、どうでもいいさ。今の方が楽しいからな。ただ、アンタの部下でいる事よりおもしれぇ事を見付けたら、アンタの下からは去らせてもらうぞ。その約束は忘れてねぇだろうな?」
平然と、自分の主人を裏切ると断言されて怒りを表す瘦せぎすの男。
不遜な言い草を咎めようとしたその時、彼らの主人が手を上げてそれを制した。
「あぁ、忘れてはいないよ。君にはこれからも上質な戦闘相手を用意していくつもりだ。でもね、その為には他の用事もこなしてもらわなきゃいけない。それが君にとってつまらない事だとしても。分かるね?」
「ふん。まぁいいさ。その後におもしれぇ敵を用意してくれるってんならな。んで?次は何をすりゃいい?」
「ある者達に接触して欲しいんだ。僕たちの仲間になってくれそうな、ある者達に。彼らを説得するのに、君以上の適任はいないからね」
「…察しがついた。確かにアイツら相手ならオレ以外に適任はいねぇやな。いつ出発すればいい?」
「すぐにでも。彼らの住処は知ってるね?」
「あぁ。だが、もう数十年前の話だからな。そこから移動してて、足取りも掴めない…なんて事になるかもしれんぜ?」
「大丈夫だよ。彼らは目立つからね。そんな珍事が起こったら世界中が気付くさ。僕の情報網にもそんな情報は入って来てない。間違いなく、彼らはまだその場所にいる」
「…分かった。仲間に引き入れる為の条件は?」
「そんなのひとつしかないだろう?自由だよ。彼らは歴史上、事あるごとに迫害され続けた。ヒトに捕まり、家族を人質に取られ、無理矢理戦力とされた。それが発端なのに、彼らを無条件に危険だと決め付け、住処を襲い、彼らの種を絶滅寸前にまで追い込んだ。彼らは世界に自分達の自由を認めてもらいたがっている。違うかな?ベルジアント君?」
「違わねぇよ。アイツらは隠れて暮らしながらも、世界に復讐する機会をずっと待ってる。種として強過ぎるせいで子供が産まれにくいのが仇になって、個体数が増やせないでいるのな悩みだがな。しかし、アンタが力を貸すってんなら、ヒトと戦う上での数の不利を覆せるかもしれん。案外、二つ返事で了承するかもな」
「そうなる事を願っているよ。交渉が成立しても決裂しても、その決定が下されたら戻って来て」
「分かった。じゃあな」
得物である巨大なハンマー[ミョルニル]を持ち上げ、颯爽と去って行くベルジアント。
その背中を見送りながらも、先程の事を思い出したのか、瘦せぎすの男が憎々しげに話し始めた。
「よろしいのですか、あんな粗暴な輩に巨人族を仲間に引き入れるなどという重要案件を任せてしまって。私ならば早急に、脅してでも配下に加えてみせますが?」
「それじゃダメなんだよ。彼らは世界中に脅かされてきた。だから自分達が傷付けられる事にとても敏感だ。残り少なくなってしまった一族を守ろうと、部外者を一切受け入れない。君や僕が行ったところで話すら聞いてもらえないだろうね。だから彼が適任なのさ。中の人格は変わっても、彼にはベルジアント卿としての記憶がある。巨人と人間の間に生まれた子供としての記憶がね。その記憶は、彼の意思とは関係無く自分の記憶となっていく。既に彼は、今から自分が会いに行くのは自分の家族なんだ、という意識に支配されているはずさ」
「そこまで考えてらっしゃったとは。先程は差し出がましい事を申しました。お許しを」
「いいよ。彼の中身を造ったのも僕だから。記憶が混ざり合うように術を施したけど、元の人工知能に感情を付与した訳じゃない。それなのに彼は僕の意図した以上の成長をし続けている。今回の接触を通してどの様な感情を持つのか、楽しみだよ。僕の目的の為にもなるしね…」
その言葉を最後に、仮面を付けた二つの影は、闇に溶けるように消えた。




