暗中の襲撃者
「詳しく話せ」
険しい声で大尉が先を促した。俺としても自分に関わる内容だ。固唾を飲んでレオナール少佐の次の言葉を待つ。レオナール少佐は形の良い眉をひそめ、口を開いた。
「元老院の一部の動きがきな臭い。特に、反戦派と呼ばれる連中がね。……長い戦争によって国力を削がれては、今は外交努力によって表向きは大人しくしている隣国グロイツェもこのまま静観を続けはしまい。例えこちらに不利な条件を突きつけられようと、早々に講和を持ちかけるべきだ――というのが反戦派の建前なのだが、なんのことはない。彼らはロゼルに与して甘い汁を啜ろうとしているのさ」
「そんな! だって、その人たちだってアグネア人でしょう!? どうしてロゼルに与したりするんです!」
思わず声を上げた俺にしっ、とレオナール少佐は自らの唇の前に長い人差し指を立て、制止する。
「金か、地位かはたまた美女か――そんなものでも人は平気で祖国を裏切るのだよ。……国難に託けて、己の保身に走る卑しい売国奴どもめ」
レオナール少佐の顔が忌々しげに歪んだ。けど、すぐにその端整な顔は取り繕うように柔和な笑みを浮かべる。
「おっと、僕らしくない台詞だった。忘れてくれたまえ。……とにかくね、彼らは厚顔にも敵国ロゼルの手先となって講和を強硬に推し進めているんだ」
「……俺は別に反戦派じゃねえがよ。なんせ、この戦争で稼がせてもらってるクチだしな」
大尉は卓上に置かれているランプで煙草に火を付け、ふーっと煙を吐く。
「お偉方は王都でふんぞり返ってあれこれ指示してりゃそれで済むだろうが、徴兵されて戦地に送られ、駆けずり回ってるのは国民じゃねえか。その国民にしてみりゃ、このまま戦争が続くよりさっさと講和しちまった方が良いって奴もいるんじゃねーの。終わりの見えねえ戦争に倦んじまってる奴も少なくねーぜ。それとも、何だ? お偉方は戦争を続けたい訳でもあるってのかよ」
痛いところを突かれた、といった様子でレオナール少佐は物憂げに視線を伏せた。
「その通りだ。耳が痛いよ。……戦争を続けたい訳ならば、ある。いや、ロゼルにこれ以上時間を与えたくはない、と言った方が正しいかな。これ以上の詳しい話は僕の一存では言えない。僕も友人に隠し事などしたくはないのだがね」
「ヤバい話か。まあよ、そんなもんに首突っ込んだら碌なことにならねえからなァ。……おっと、すまねえ。脱線しちまったな。それが、気を付けた方がいいって話にはどう繋がるんだ」
「ああ。……トーマス君がフレデンスタンを倒してしまったことで、反戦派連中は真っ青だ。フレデンスタンは全ロゼル帝国民の誇りだったからね。講和を推し進めようにも、フレデンスタンを討ち取ったことでロゼル帝国民の反感を煽ってしまっては講和に持ち込めず、自分たちの工作が水泡に帰す。と、なれば……もしかしたら」
「おい、まさかよ……トーマスの首を手土産に、手打ちを目論む可能性があるってことか?」
大尉が眉間に皺を寄せてそう言うと、レオナール少佐も難しい顔で頷く。
「そう。……暗殺の可能性も、否定出来ないということだよ」
「いいっ!?」
背筋にぞっと冷たいものが走った。
ちょ、ちょっと待ってくれ。俺は……あんな、偶然と幸運でたまたま討ち取ってしまっただけなのに、殺されなきゃならないの!? そんな自分のことしか考えていないような人たちの都合で、死ななきゃならないのかよ!?
青い顔をしている俺を見て、レオナール少佐はおっと、と大仰な素振りで両手を広げる。少佐はどうやら、こういう芝居がかった仕草を好んでいるようだ。
「いや、すまない。脅かすつもりはなかったんだ。飽くまでそういう可能性もある、という話だよ。君が一兵士であり、ただの平民ということが、かえって幸運だったかも知れない。君の首にそれほどの価値があるかどうか分からないしね」
「はぁ……いや、それは嬉しいんですけど……喜んでいいのか……複雑ですね」
ハハハ、とレオナール少佐は良く通る声で笑った。
「殺されるくらいなら、いっそ価値のない首の方がいくらかマシじゃないかな」
んん、そりゃそうかも知れないけど……価値がない、なんてバッサリ言われると流石に落ち込むなあ……あるんだ、なんてとても言えないところが、また悲しい。
大尉は煙草を咥えたままうーん、と唸っている。
「……なあ、それだけ分かってて、どうして王は反戦派の連中を野放しにしておくんだよ。粛清でもなんでもしちまえばいいんじゃねーの?」
言われてレオナール少佐は悩ましげに眉を寄せた。
「事はそう簡単ではないのだよ。元老院を構成しているのは押しも押されもしない大貴族たちだ。それに、ここまで分かっていても残念ながら明確な証拠がない。連中、なかなか尻尾を掴ませなくてね。剛毅果断なる王といえど証拠がなくては……いや、証拠があったとしても易々と手を出せる場所ではないのさ。元老院というところはね。……あそこは魔窟だよ。魑魅魍魎の巣食う伏魔殿だ」
「けっ、陰でこそこそ妙なこと企みやがって。だから貴族ってな、信用ならねえんだよ」
吐き捨てるような大尉の台詞を耳聡く聞きつけ、レオナール少佐はむっと唇を結んだ。
「……アル、十把一絡げにしないでくれたまえ。皆が皆、そのような権謀術数にばかりに腐心している訳ではないよ。ほら、僕のように私利私欲に走らない清廉潔白な貴族もいるではないか」
「そういうのが胡散くせえんだよお前は。鬱陶しいから四字熟語並べ立てんな」
「ちょ、ちょっと……喧嘩しないで下さいよ」
目の前で殴り合いなんか始められたら困る。この人たちは喧嘩で知り合った前科があるというし。
おろおろしながら俺が取り成そうとすると、レオナール少佐はからからと笑った。
「喧嘩なんかしないさ。アルは容赦がないからね。よりにもよって顔を狙うのだよ。信じられるかい?社交界に咲く麗しい百合にも喩えられる貴公子の僕の顔をだよ? まったく、呆れた野蛮さだろう?もしかしたら先祖にゴリラでもいるのかも知れないね。その血を色濃く受け継いだのが彼だ」
「……おう、お前のスカしたツラぁ社交界のジャガイモに変えてやろうか? ア?」
「だから、喧嘩しないで下さいってば……」
これも二人の友人としてのじゃれ合いなのだろう。見ているこっちは気が気じゃないけど。
「あーあ、胸糞悪い話のせいで飯が不味くなったぜ」
「そう言うわりに君の周りの料理は綺麗に平らげられているようだよ」
本当だ。大尉の周りの料理、すっかり食べ尽くされてる……
「さて、思いがけなくご馳走も戴いたことだし、名残惜しいが僕はそろそろお暇しよう。僕を待つ可憐な花が待ち草臥れて萎れてしまっては気の毒だ。ああ、君たちの到着は祖父に伝えておくよ。すぐに迎えを寄越すはずだ」
「あ! テッメ、しこたま食いやがって。俺の金だぞコラァ!」
あ、本当だ。レオナール少佐の周りの料理も空になってる……
俺は慌てて自分の分を掻っ込んだ。あんな難しい話しながら、二人ともよくモリモリ食べられるよな。
飯食う手と思考が切り離されているんだろうか。その逞しさは見習……っていいのかなあ。
「ああ、トーマス君。……用心に越したことはない。今宵はたおやかな女性の胸の中で眠るのは諦めて、宿で過ごすといい。閨事の途中に襲われでもしたら、巻き込まれる女性が可哀想だからね」
「俺は可哀想じゃないんですか……」
大尉ぃ、と訴えるような目で大尉を見ると、大尉は肩を竦めた。
「しゃーねーだろ。ま、除隊するまでの辛抱だ。俺も今日は大人しく戻るわ。俺だけ遊んでいくのは流石にお前に悪ィしな」
そんな……綺麗なお姉さん……ここまで来てお預けですか……
「おや、君は除隊するのかい?」
去りかけたレオナール少佐が振り向いて訊ねる。
「え、ええまあ。……お願いしてみようかと」
「ふうん……まあ、軍から離れれば……ううん、どうだろうね。向こうがどう出るか、僕にも予測がつかない。いずれにせよ、反戦派には目を光らせておくけど。……平穏無事にことが運ぶことを祈っているよ。では、失敬」
妙に不安になるような言葉を残して、レオナール少佐は颯爽と去っていった。娼館の方角に向かって。
少佐……一人だけ狡いよ……
歓楽街から宿までの道は、入り組んだ裏通りを何度も通り抜けなければならない。おまけに、等間隔に外灯が並ぶ大通りと違ってかなり薄暗かった。大尉は慣れているのか歩みに迷いはないが、一人では迷ってしまうに違いない。暗殺なんて話を聞いたからか、今にもその影から暗殺者が飛び出て来そうな気がして、小さな物音にもびくびくしてしまう。
参ったな……
宿に戻る道すがら、俺は何度も溜息を吐いた。
なんだかものすごい大ごとになっている気がする。
元老院、反戦派、それに暗殺だって? ……おかしいだろ。何でほとんどただの一般市民の俺に大貴族だの政治だのが絡んで来るんだよ。
それもこれも……フレデンスタンから始まってるんだよなぁ……
前を歩いているクローデル大尉がくっくっと肩を揺らして笑いながら振り返る。
「浮かねえ顔だな。そんなにおネーちゃんと遊びたかったかい」
「ち、違いますよ! そっちじゃなくて! もう、やめて下さいよ。俺、別に女好きって訳じゃないんですから。そりゃ、ちょっと残念ですけど……」
「何も機会はこれっきりじゃないだろ。気を落とすなって。で?なんでそんなツラしてんだ?」
「まさかこんなことになるとは思わなくて。俺、もっと単純に考えてたんです。たまたま倒しちゃったことだし、不本意ですけど……褒められて、褒賞でも貰えて、そんなもんだって。それなのに、何で俺だけ元老院だの、暗殺だの……こんな妙な展開になってるんですか? ……大尉、前に言ってましたよね。人間なら死ぬし、殺せるって。フレデンスタンほどじゃなくても、英雄って呼ばれた人は今まで何人もいたんでしょう? そういう人が今まで一般兵に討ち取られたことがなかったって言うんですか? そんなはずないですよね?」
「ああ……」
ほとんど八つ当たりのようにぶつけてしまった俺の疑問に、大尉は思案顔で短く刈った顎髭を指で擦りながら口を開いた。
「確かに、ないことはなかったぜ。軍と軍がぶつかって、手の内を読み合い混戦の果てに一般兵に討ち取られたことならな。そんな戦いだったら、勿論首を挙げた一般兵にはそれなりの名誉と報酬が与えられるが、その首を挙げた個人が英雄になるわけじゃねえ。討ち取ってもねえ指揮官が英雄になるんだよ。素晴らしい采配だった、お前は護国の英雄だ――ってな。そして、強いのは個人じゃなくてその軍自体ってことになるのさ。あの英雄を破ったナントカ軍だ、なんてな」
「……はい、それなら分かります」
「あとは、そうだな。個人が英雄を倒すっつーと……暗殺かね。けど、暗殺者が英雄になることはねえ。戦争がルールに則った『許される殺し』なら暗殺はそのルール外の殺しだからな。ま、どっちも殺しには変わりないから、変な話だがよ。個人で勝ったってところに焦点を絞れば、どっちかといえば暗殺に近いんじゃねえかな。いや、お前は戦場で殺したんだからルール上問題ねえよ。フレデンスタンも作戦行動の一環であそこにいたんだからさ。ただ、輜重の輸送も作戦行動に含めるならやっぱり、指揮官の手柄になるもんじゃねえのかな。この場合の指揮官は……」
「大尉じゃないんですか?それなら、大尉が召集されたのもおかしな話じゃありませんよね」
「そりゃ中隊の指揮は取ってたが、戦術単位なら大隊長じゃねえかなァ。なら、何で俺なんだ? どうもしっくりこねえな。なーんか作為的なモノを感じねえか」
「作為的って……どういう意味ですか? この状況が誰かの得になる――ってことでしょうか」
「そうなる。……本当にその作為ってのがあるとすれば、だがね。推測するにも足らねえ部分が多すぎる」
歩きながら、俺は必死にない頭を振り絞った。
大隊長ではなく、俺と大尉を呼び寄せた理由。仮に、フレデンスタンに関わった人間、とするなら確かに俺とクローデル大尉ってことになるのかな。あの場にいたのは俺と大尉だし。
暗躍する元老院の反戦派。……レオナール少佐は反戦派がロゼル国民を宥めるために俺を差し出そうとしている可能性があると言った。なんで俺なんだ? ただの平民の一般兵に、首の価値なんてないのに? もし貴族である大隊長なら、俺よりはきっと価値があるはずだ。
何かが足りない。……俺でなきゃならない理由に欠けているもの。それって、俺の首の価値?
もし、俺の首に価値があると仮定したら、辻褄が合う……のか?
駄目だ。俺が知りたいのは、その先じゃないか。どうして俺の首に価値があるのか、ってことだ。
でもよ、とふいに大尉が立ち止まった。
「なんです?」
「少なくとも、お前の首に価値があると思ってる奴がいるってことは、はっきりしたぜ」
「は?」
どくん、と心臓が跳ねる。ざざざ、と音がしそうなほど急速に血の気が引いていった。
――狭い裏通りの先に、そいつはいた。
ぎらりと物騒な光を放つ、抜き身のナイフを両手に下げた真っ黒な影が立ち塞がっている。
半ばまで顔を隠している黒いフードのせいで口元しか見えない。身に纏っているのは闇に溶け込むような黒い……ミニドレス?
はっ、はっ、と呼吸が浅くなる。息をするのが苦しい。それが恐怖によるものだと気付いた。
本当に……本当に、現れたのか。暗殺者が。
俺を、殺しに来たのか。
「……なんで来てくれなかったんですかぁ」
……………………どこに?
黒いドレスの小柄な暗殺者?は、泣き声でよく分からない非難を浴びせた。
なんで泣いてるんだよ。っていうか、俺より小柄な女の子が本当に暗殺者なのか?
極限まで高まっていた緊張感がものすごい勢いで霧散する。
「待ってたのにぃ。お姉さんがいっぱいで心細かったのにぃ」
いや、だから、どこで?
何で俺たちはこんな裏通りでナイフを下げた女の子にデートをすっぽかされたかのような繰言を聞かされているんだろう。現実感が全くない。
「あの……間違ってたらすみません。……あの、もしかして……暗殺者さんですか?」
「そうです」
頷いて、その暗殺者さんは肩を震わせてひっく、としゃくり上げた。
あ、素直に認めるんだ。
「ほー。俺暗殺者なんて生で見たの初めてだぜ。へー、すげー」
「ちょっと大尉! 何感心してるんですか! 状況分かってるんですか!?」
「うぅっ……待ってても来ないから、一生懸命追いかけて来たんです。ひっく、ひっく……」
だからどこでだよ!
「あの、すみません。どこで待ってたのか差し支えなければ教えていただけませんか」
「お前なんでそんなへりくだってんだ?」
大尉が首を傾げてこっちを見ている。
「いや、あの……刺激しちゃまずいかと思いまして……」
「ひっく……娼館です……会話を盗み聞きまして……アルベルト・クローデルの馴染みの娼館で待っていれば、トーマス・ベイスと二人で必ず来ると思ったんです。……ふぅっ、うっ、うええん」
……俺と大尉の名前まで知っている。やっぱり、本物?俺たちが標的なのか?
しかし、何だろうこの既視感。この素直さは、どこかで。
「おい泣くなって。ほら、アメ舐めるか? うめーぞ?」
「大尉はなんであやしてるんですか」
「お姉さん怖かったよぉ……うえええん」
「だから泣くなってばよー。なんだ?娼婦連中に虐められたんか?それとも取って食わ……食われたのか」
一層泣き声が激しくなる。…………食われたのか。
「大尉……さっきから余裕ですけど、どうするんですか?逃げるなら今のうちじゃないですかね」
「あ? 余裕?」
「まさか、戦うって言うんですか? ……そりゃ、大尉は強そうですけど……何より相手があの調子だし、女の子なんか殴ったら可哀想じゃないですか」
「馬鹿だなァ、お前。得物もねーのにプロの暗殺者相手に戦えっかよ。……相手が一人なら逃げ切れないこともねえかな」
……戦えない? まさか、こんな女の子に暴力を振るうのを躊躇うというのなら分かるけど……大尉の言葉には何か……畏怖のようなものを感じる。
強そうな大尉が、この女の子を恐れている?そんな馬鹿な。
唐突に、あの素直さをどこで感じたのか思い出した。
――どうせ死ぬから、聞かれたことには答えてやろうってやつだ。
フレデンスタンの前じゃないか。
「うっ、うえええん……女の子じゃないです。僕、男です」
「え?」
「あと、一人じゃありません……ひっく、ひっく。……二人です」
突然どん、と突き飛ばされ、俺はよろけて裏通りの壁にぶつかる。大尉が振り向きざまに俺を突き飛ばしたのだ。
「大尉、なにを」
するんですかと口に出す前に、俺のいた辺りでひゅうんと風を切る音が聞こえた。取り残されたジャケットの切れ端が宙を舞う。
「兄さん!いつまで泣いてるの!」
背後から、そっくり同じ格好でナイフを構えた黒づくめの影が、きんきんとした声で怒鳴った。