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英雄を倒してしまった男の話  作者: やまい
偽英雄の誕生
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俄かな暗雲

 大尉の案内で、行きつけだという宿を取った。年代を経てやや煤けてはいることに目を瞑れば過ごしやすそうな木造の宿だ。安い宿なんか寝ている間に、シーツに潜む小さな虫にあちこち刺されることも少なくない。この宿のシーツは洗い晒しで色褪せているものの、綺麗に洗濯されてよく干してある。これならば虫に刺される心配もなくぐっすり眠れそうだ。

 この宿も普段は観光客や旅人相手に商売をしているそうだが、このご時勢では物見遊山の旅を楽しもうなどという酔狂な旅人は少ないらしい。それに代わるようにして利用しているのが己が腕っ節の売り込み先を探す傭兵たちである。

 流石に命のやり取りを生業とするだけあって、いかにも強そうな筋骨隆々とした強面の男たちの姿をあちこちで見かけた。舐められては商売にならないとばかりにふてぶてしく振る舞ってはいるが、意外なほどお互いの衝突は少ない。治安維持のため、城下町の各所に置かれた警備兵が目を光らせているからだ。とはいえ、血の気の多い荒くれが一所に集まっているのだから、口論の末に喧嘩になったりすることも多い。警備兵も心得たもので、人死にさえ出さなければそれでいいと鷹揚に構えているそうだ。

 大尉は同じ宿に宿泊している傭兵連中を横目に、やっぱりここも男くせえとしきりに文句を言っていたが俺はそれほど気にならなかった。いやまあ、男くさいのが良いって訳じゃないんだけど……馬車での旅路の途中で寄った安宿に比べれば雲泥の差だ。少なくとも、虫には刺されずに済みそうだし。

 軍服を脱いで普段着に着替えると、既に着替え終わっていたらしい大尉が待っていた。

「……大尉、あんまり変わりませんね」

 大尉のトレードマークであるだらしなく前を開けたカーキ色の軍用コートが、だらしなく前を開けた灰色のコートに変わっただけだ。

「……お前はなんか農家っぽいねえ」

「パン屋ですよ、うち」

 ごく一般的な麻の丈夫なチュニックと柔らかい皮のボトムだが、垢抜けていないのは自分でも分かっている。大尉は上背があって体格がいいから、どんな服装でもそれなりに見えて羨ましい。……俺もちょっと体鍛えようかな。

 一応これでもパン屋の仕事の他に畑仕事はしていたし、体力もそれなりにはあるはずだ。背も低いというほど低くはないんだけど……ひょろりとして見えるのは骨格から細いのだろうか。どうみても骨太、って感じじゃないもんなぁ俺。

「もう少し洒落っ気のある服ねーのか」

「いや、軍服あれば充分だと思ってましたし」

 ほとんどを戦場で過ごすのだから、支給されている黒の軍服とカーキ色の戦闘服以外まともに用意していない。戦闘時はこのカーキ色の丈夫な戦闘服の上にアーマーや甲冑を付けるのだ。

 俺が考え込んでいると、しょうがねえな、と言いながら大尉は自分の部屋に戻り、ダークブラウンのジャケットをこっちに放り投げた。軍用のジャケットに似たつくりだ。

「やるよ、それ。着とけ」

「え、いいんですか?ありがとうござ……煙草臭いです」

「うるせーな。それくらい我慢しろ」

 少々大きめな大尉のジャケットに袖を通す。ビシっと着こなせれば格好いいんだろうが、丈が合わなくてちょっと不恰好だ。しょうがない。好意を無碍にするのもなんだしな。

 宿を出ると、外はもう夕暮れに差し掛かっている。露天の方角はまだ盛況のようで、賑やかな声が聞こえて来た。飯時ということもあって、どこからか夕食のいい匂いが漂っている。昼から何も入れていない腹がぐう、と鳴った。

「腹減ったな。酒場なら飯も食えるし、先に一杯やるか」

「そうですね。俺もさっきからぐうぐう鳴ってて」

 大尉の背を追いかけて、綺麗に煉瓦で舗装された通りを歩く。故郷の村では日が落ちれば人通りも少なくなるが、ぽつぽつと外灯で照らされた道にはまだ沢山の人が行き交っている。

「はー……やっぱり人が多いですね」

 きょろきょろと辺りに視線を巡らせながらそう言うと、大尉は田舎に比べたらなと笑った。

「歓楽街なんかもっと賑やかだぞ。呼び付けられたなァ迷惑だが、たまの休暇だと思って羽伸ばすかァ」

「大尉がいなくて、部隊は大丈夫なんですか?」

「さあな。元の傭兵団から引っ張ってきた古参の奴らが多いし、そんなに心配はしてねえよ。フレッグに任せときゃ悪いようにはならねえからな」

 大尉の言葉からは、隊の人たちに対する信頼のようなものを感じる。元の傭兵団から部隊をまるごと軍属に移籍させたというのは聞いていた。それなら、きっと長い付き合いなんだろう。

 ……みんなが生きてたら、俺たちもそんな信頼し合える仲間になってたのかな。

 二年一緒に訓練兵として過ごしていただけでも、こんなに引き摺ってしまうのだ。もしも、もっと沢山の時間を過ごして……そんな仲間を失ってしまったら。

 考えるだけで身震いがする。やっぱり戦争は恐ろしい。

 入り組んだ裏通りを抜けると、ぱっと目の前が明るくなった。

「うわー……」

 辺りはもうすっかり夕闇に沈んでいるというのに、外灯と吊り下げられたランタンに照らされて、この広場全体が真昼のように明るい。広場に面した店の、大きく開け放たれた入り口のテラス席が交じり合い、広場全体が一つのホールのようだ。あちこちに置かれたテーブルの間を縫うように、酒や料理を載せたトレイを持った給仕の男女が忙しなく走り回っている。

「なんだかお祭りみたいですね」

「いつもこんなもんだ。どいつもこいつも憂さ晴らしに来てるのさ。この賑やかさも、ま、やけくそみたいなもんだな。はしゃいで気晴らししてんだよ」

 テーブル席に近付くと、着飾った女がするりと近付いて来た。大尉の耳元で何かを囁くと、大尉は手を振って邪険に追い払う。女は肩を竦めてどこかへ行ってしまった。

「あの……大尉? さっきの女性、お知り合いですか?」

「あ? 娼婦だろ。あと、女じゃねえ。男だ、ありゃ」

「ええっ!?」

 確かにちょっと女の人にしては広い肩幅に違和感を覚えたが、男なの?

 見ればあちこちで綺麗なドレスを着た女や小奇麗な衣服を纏った少年が客に声をかけている。いや、それどころか男装の女性やドレスを着た男の姿も窺えた。男と女を分けるボーダーが曖昧で、妙にカオスな空間が形成されている。ぱっと見ただけでは性別不詳の子も多い。

「……男を買う人なんかいるんですか?」

「男も女も買う奴は買うさ。男が男を買うのも女が女を買うのも禁じられてるわけじゃねえしな。帝国なんかはは国教の関係で同性愛を禁じてるって聞くがよ。俺が元居た国だって男娼くらいいたぜ。お前の田舎にゃ男娼いねえのか」

「は、はあ……町外れに娼館はありましたけど、俺は、その……」

「行ったことねえか。ハハッ。男娼なんて珍しくもねえよ。さっきのはとうが立ってたが、若い美形の男娼なんかはそこらの女の娼婦より人気があるって言うぜ。蓼食う虫も好き好きってやつだ。この辺には娼館がいくつもあるからな。女も男もより取り見取りだぞ」

「はぁ……そうなんですか」

 より取り見取りなら余計に女の子の方がいいと思うんだけどな。ちらと目をやると、可愛いドレスの少女が体にぴったりしたドレスを着た女性と顔を寄せ合ってくすくす笑っている。遠目に見ても、どちらもかなりの美形だ。……ああいうのなら眼福とも言えるのだが。その向こうには、どう見てもオジサン二人が人目も憚らずベタベタとくっ付いていた。

 うーん……いや、恋愛沙汰なんて本人の勝手だけどさ。

「俺んとこじゃ聞かねえが、戦場なんかじゃ女日照りだからなァ。可愛い少年兵に金握らせてケツ貸してくれ、なんて言う奴も多いんだとよ」

「……そんな切羽詰ってるんですか。まさか大尉も」

「あァ?そうさなぁ……オッパイのねえ奴なんか触ってもなあ」

「……同感です」

「ま、そんなことよりまずは飯だ、飯」

「あ、俺が買って来ますよ。食べたいものあります?」

 下っ端根性ってわけじゃないが、こういう時は率先して動くに限る。処世術なんて言うほど大したものじゃない。出来るなら上の人には気に入られた方が得策だ。大尉の場合、他の将校に比べたら断然緩いから比較にはならないけど……亡くなった伍長だって、叩き上げの軍人らしい厳しさでみんな一度は殴られてたからな。

「とにかく肉ー。ほれ、金だ」

「あれ、これじゃ多いですよ?」

「馬鹿野郎、新兵に金出させたら大尉殿の名が廃るだろうが。俺の顔も立てとけよ」

「やった、ごちそうさまでーす」

 適当なテーブルに大尉を残し、俺は料理を探しに出た。

 屋台や店ではいい匂いのする料理が並んでいて、食欲が否応なしに刺激される。牛や豚は勿論、鹿や兎といった獣の炙り肉。ハーブを詰め込んだ鳥の丸焼きに、魚介の乗ったパスタ。ぐつぐつと煮込まれているのは野菜のスープだろうか。パンも沢山の種類が置いてあるようだ。小麦やライ麦パン……バゲットやフォカッチャ、ガレット、ベーグル、グリッシーニにマフィンまである。ベーコンやローストされた肉の挟まったパンにチーズの乗ったパン、くるみを混ぜたパンも香ばしい匂いをさせている。

 思わず目移りしてしまうような料理の数々に、再びぐう、と腹が鳴った。

 代金は結構貰ったし、食べたことないような料理一杯食べてやろ。

 あれもこれもとどっさり買い込んでテーブルに戻ると、ジョッキになみなみと注がれたビアを傾けていた大尉は目を丸くした。

「おおー、随分買ったな。食うねえお前も」

「へへー、若いんで。まだ注文した分がありますよ」

「ハハ、いいけど、食いきれるのかよ」

「では僕もご相伴に与ろうかな」

 ……ん?

 突然聞こえた声に、大尉と俺は揃って振り向いた。金髪の若い男が立っている。わざと地味に見せているが、仕立ての良さそうなフロックコートはそれなりに値が張りそうだ。

 ……しかし、大層な美形だ。近くのテーブルの娘はおろか、通りがかったのであろうトレイを手にした給仕の女まで頬を染めて見蕩れている。

 誰だろう? ……そう思ってから、さっきの大尉との会話を思い出す。……まさか、また男娼とかじゃないだろうな……と、思っていたら大尉がおうと軽く手を振った。

「レオじゃねーか。なんだよ、また女遊びか」

「やあ、アル。王都に来たのなら顔くらい見せてくれたら良かったのに」

「何言ってんだ。今日着いたばっかりだし、お前のツラなんぞ真っ先に見たいもんでもねえよ」

 はっは、と男は快活に笑って勝手にテーブルに座った。料理を持って来た給仕の少女は、ありがとうと手を握られて恥ずかしそうに真っ赤な顔で駆けて行く。うーん、このさり気なさ。色男らしい振る舞いだ。

「うまそうじゃないか」

「抜かせ。いつもこんな飯よりいいもん食ってんだろ、お前」

「いやいや、こういった食事もたまにはいいものだ」

 言いながら、男は俺に気が付いたらしく軽く会釈する。

「こんばんは。君はアルの部下かな」

「おう。トーマスだ。……トーマス、こいつはレオナール。俺の……あー……」

「口篭ることないだろう。まったく、相変わらずひどい奴だよ君は。……レオナールだよ。アルの友人さ。よろしく、トーマス。僕のことはレオと呼んでくれて構わない」

 ああ、そういえばクローデル大尉の名前はアルベルトだっけ。だからアルなのか。

 よろしく、と差し出された手を握り――俺は首を傾げた。

「こいつはなあ、ボンボンのくせにこういう悪所に出入りする不良息子でよ」

 大尉が意地悪そうな笑いながらレオナールさんを指す。レオナールさんは慣れているのか、肩を竦めて首を振ってみせた。

「僕が進んで出入りしている訳ではないのだよ。光栄にも僕に手折られたがっている名花たちに乞われれば、男としてよもや嫌とは言えまいに」

「……よくそんな気障ったらしい台詞が素面で言えるもんだぜ」

 呆れた様子で大尉はジョッキのビアをぐびりと飲み干す。

「レオさんは、軍の方ですか?」

 俺が尋ねると、レオナールさんは驚いたように顔を上げた。

「……おや、どうして分かったのかな」

「あ、いや。大したことじゃないんです。さっきの握手で、その……剣を持つ人の手だと思ったので。それに、大尉のご友人なら軍の関係者かなと」

「ほう、良く気がつくじゃないか。アルもこの神経の細やかさを見習うといい。君はなんでも大雑把すぎる」

 炙り肉を齧りながら、大尉はけっと口を曲げる。

「生憎と、そーんな繊細さはお袋の腹ん中に置き忘れて来ちまったんでね。……天下の天馬近衛騎士隊の副長様は握って分かるほど剣を振ってるってのかい。いつその剣技をお披露目するのか分からねぇってのに、ご苦労なこった」

「え?」

 天馬近衛騎士隊……確か、前に大尉から聞いたことがあったような……

「それって確か、貴族のお飾り部隊だって……あ、すみません!」

 しまった。そんなの本人の前で言うことじゃない。

 うっかり口を滑らせ、慌てて口を塞ぐとレオナールさんは困ったような顔で苦笑した。

「まったく、そんなことを言いふらしているのはアルだろう? 本当に口の悪い奴だ。……まあ、言い返せないのが残念だがね。それにしても、アル。困るじゃないか。一応、僕の立場は伏せているんだが」

「構わねえだろ。こいつは身内みてーなもんだし。伏せたところでお前は目立つしな」

「やれやれ、これだ。少しは友人の立場というものも酌んでくれたまえ。……聞いての通りだ。改めて自己紹介させてもらうが、僕はレオナール・ロイフ・アルブランド。階級は少佐だ」

「えっ、あ、アルブランド!? ……って、師団長のアルブランド卿の……あのアルブランド!?」

 とんでもない名前が出てきた。アルブランド卿と言えば、第一師団長だ。王の信頼厚い歴戦の老将ではないか。

「流石に軍属なら知っているか。クレメンス・ロイフ・アルブランド中将は僕の祖父だ。……ああ、敬礼はいい。ここへはお忍びで来ているのだからね」

「そ、そんなすごい人とお知り合いなんですか、大尉」

「知り合いつーか……まあなあ」

 大尉が苦い顔をしているのを見て、レオナール少佐はくすくすと笑った。

「何、知り合ったのも偶然でね。酒場で殴り合ったのさ」

「はぁ!?」

 思わず大声を上げて驚く俺に、レオナール少佐が楽しげに笑みを深める。どうも、俺の反応をお気に召したらしい。

「アルの貴族嫌いは筋金入りだろう? 歓楽街の酒場で酔客たちと一緒になって、あまりに口汚く貴族を罵るものでね。義憤に駆られた僕は、貴族の名誉を賭けてよせばいいのにアルに論戦を挑んだというわけだ」

「なーにが義憤だ。大体論戦なんて二言三言であとは殴り合いじゃねえか」

「な、殴り合い……」

 この育ちの良さそうな貴族の坊ちゃんが、大尉と殴り合い? 人は見かけに寄らないのかも知れない。

「まあ、僕も酔っていたからね。のちのち身分と階級を明かした後のアルの顔といったらなかったな。あんなに死ぬほど嫌そうで心から不服そうな敬礼は初めて見たよ。いや、その破天荒さも気に入ってね。今日まで友人付き合いさせてもらっているのさ」

 この人はともかく、大尉らしいなあ……と、苦虫を噛み潰したような顔をしている大尉には悪いが、そんな感想を抱いた。

「俺が内情に詳しいのも、こいつからの情報ってわけだ」

「僕の方も、アルには報告には上がらない前線の戦況を教えてもらっているからね。指揮官の中にも、自分の経歴を気にして良い報告ばかり上げる愚か者はいる。こちらも正確な情報は欲しいのでね。持ちつ持たれつと言うことさ。報告に上がっている分なら立場上それなりに耳に入っては来るのだが」

「なるほど……」

 レオナール少佐は皿の上の肉団子を頬張り、意味深な笑みを浮かべた。

「……だから、英雄を倒した男の名前も聞いているよ、トーマス・ベイス君」

 うっ、と俺はもそもそと齧っていたパンを詰まらせ、どんどんと胸を叩く。

「なんだ、知ってやがったか」

 大尉がつまらなそうに肩を竦めた。その様子を見ると、レオナール少佐の驚く顔が見たかったのだろう。

「勿論さ。軍どころか、貴族院まで上を下への大騒ぎだったからね」

「そりゃいいや」

 筋金入りの貴族嫌い――と評された大尉は、その大混乱ぶりでも想像したのか気分良さそうに笑っている。

 レオナール少佐は俺に顔を向けると、ふいに真面目な表情を作った。

「……気を付けた方がいい。国は勿論、フレデンスタンの死に快哉を上げているが……君の存在まで歓迎しているとは限らない」

「……えっ?」

 歓迎してるとは限らないって……どういう意味だ?

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