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英雄を倒してしまった男の話  作者: やまい
偽英雄の誕生
2/25

王都からの召集命令

 俺は連れられたクローデル大尉の中隊が拠点とする駐屯地で傷の手当てを受けた。

 というのも、英雄の攻撃をまともに受けた腹はとんでもなく腫れ上がっていたからだ。おまけに、衛生兵の触診であばらにヒビが入っていたことも判明した。……あの時は無我夢中で、腹の痛みなんて忘れてたのに、一度寝て起きて落ち着いたら涙が滲むほどの痛みに襲われたって訳だ。

 取り合えず湿布を貼り、包帯を巻いて貰って休んでいると、ぶっきらぼうなノックの音が聞こえた。

「あ、はい。どうぞ」

 顔を出したのはクローデル大尉だ。

 この浅黒い肌をした精悍な容姿の騎兵隊の隊長は、将校という身分のわりに結構気さくで話し易い。貴族っぽくはない気がするが、平民の自分にはその貴族っぽさが何なのかよく分かっていないのだろう。

「ええっと、名前は何て言うんだっけか」

「トーマスです。トーマス・ベイス」

「トーマスな。知ってるだろうが、俺はアルベルト・クローデルだ。階級は大尉な」

 俺がベッドから起き上がり、傷の痛みを堪えながら敬礼すると、大尉は至極適当な答礼を返した。

 かしこまっていると大尉に怪我人だろ、楽にしてろとベッドに座らされた。大尉は椅子を引き寄せてどっかりと腰掛ける。

「具合はどうだ」

「鎮痛薬貰って飲んだら少し落ち着きました。あの……申し訳ありませんでした。助けていただいたのに、お礼の一つも言えなくて」

「あァ、えらい目に合ったばっかりだしな。気にしてねえさ。それに、小隊の連中を助けられなかった。言い訳するつもりはねえけど、何しろあの英雄の遊撃隊の襲撃は予測も出来なきゃ行軍もクソ早かった。褒めたかねえが、流石は英雄サマだぜ。輜重部隊の四小隊が壊滅だ。あの短時間でよくもまあ、あれだけ殺してくれたわ。護衛も含めりゃ八十人近い戦死者出しちまった。お前さんが殺ってくれなきゃまだまだ死んでたぜ」

「……あ」

 英雄に剣を突き立てた感触を思い出し、顔が歪んだ。

 そういえば、人を刺したのは生まれて初めてだ。まさか、その相手が英雄と呼ばれる人間だとは。

「ま、そういうわけで、礼を言うのはこっちの方だ。ありがとな。お陰で兵站は無事……とは言えねえまでも、最悪の事態は防げた。……しっかし、よく生きてたな。おまけに英雄まで討ち取ってよ」

 英雄を討ち取った。俺が。

 いくらその事実を受け止めようとしても、どこか現実味がない。それに、ローシンがいなければ俺は死んでたんだ。生き残ったのもただ、運が良かっただけなのに。

「あれは……ローシンの……同僚のお陰です。俺はただ……怖くて泣き喚いてただけだった。俺、英雄を討ち取ろうなんて考えてなかったんです。ただ怖くて、目の前からいなくなって欲しいって、ただそれだけ考えてて……本当に勇気があったのは、ローシンだ。自分の命も顧みずに、俺を助けて英雄に剣を向けたローシンだけが賞賛されるべきなんです。俺はっ……お礼を言われるようなことなんてしてないんです! 自分が助かりたい一心だっただけなんですよ!」

 そうだ。仲間が殺されたのに、その仇を討ってやりたいなんて思えなかった。ただ自分が助かりたいから、仲間を殺した相手に命乞いして、生き延びたくて英雄を殺した。

 それなのに、褒められていいはずがない。

「英雄も……フレデンスタンも、俺なんかに倒されていい人じゃなかった」

 クローデル大尉はふーっと息を吐いて懐から両切りの煙草を取り出し、いいか、と訊ねた。俺が頷くとランプの火屋を外して火をつけ、煙を吸い込む。

「……まァ、落ち着けよ。英雄は英雄に倒されなきゃいけねえなんてルールはねえ。英雄だって人間だ。人間なら死ぬし、殺せるんだよ。それをやったのはお前の同僚とお前さんだ。同僚は死んじまった。けど、お前は生きてる。礼を言う相手はお前しか残ってねえ。それだけの話だ」

「だけど……!」

「あのな、フレデンスタンは本物の英雄だ。あの野郎にゃこっちも大勢殺されてる。そんな奴が目の前に出てきたら俺だって怖ェし、命乞いして助かるってなら幾らだってしてやらァ。死にたくねぇのは誰だって同じだ。大体な、フレデンスタンの不意を突いたことがある奴ならゴマンといるぜ? でも誰も殺せなかったんだ。お前ら二人が連携して奴を倒したのは事実なんだよ。それだけは覚えとけ」

「……連、携?」

 鸚鵡返しに聞き返すと、クローデル大尉は煙草を噛んでニヤリと笑った。

「おう。お前とローシンとやらが命がけでやり切った立派な作戦じゃねえか。どっちが欠けても成立しなかった。お前だけじゃあっさり殺されてただろうし、ローシンだけじゃ致命傷にはならなかった。お前らは二人で十回に十回……いや、百回に百回は失敗するような奇跡の作戦を、成功させやがったのさ。戦果は祖国の敵、クソッタレな英雄の死だ。お前らは二人で死んだ奴らの仇を討ってやったんだよ。んで、お前らのお陰で俺たちゃ戦友も部下もこれ以上失わずに済んだ。いい話だろ? ……お前がメソメソしてローシンを犠牲になった悲劇の人にするのは勝手だがな。どうせなら、お前と一緒に英雄を打ち倒した挙句の名誉の戦死の方が格好いいじゃねえかよ、……っと、俺は思うがね。まァ、お前にしてみりゃ戦友を失った事実は変わらねえ。メソメソするのも今は仕方ねえさ」

 連携して、倒した。

 ……大尉の言ったことは、事実を美化しただけだ。でも、俺の悲観的な認識よりも、幾分か救われるような気がした。そんな気がしただけかもしれないけど、少なくともほんの少しだけ、あの出来事の見方を変えてくれた。

 さあて、とクローデル大尉は立ち上がる。

「本部に報告はしたが、返事が来るのはもうしばらくかかるだろ。その間、じっくり休んどけ」

 そういってくるりと背を向けた。頭の中はまだぐちゃぐちゃで、何を言っていいか分からなかったが、何か……とにかくお礼が言いたくて、大尉とその背に呼びかける。

「……俺を助けようとしなければ、ローシンは生きてたかもしれないって考えると、やっぱりつらいです。でも、それでもローシンは俺を助けようとしてくれた。その事実は……大事にしようと思います。あいつは、助けようとしてくれた俺が生き残ったからって、恨むような奴じゃない。勝手な言い分かも知れませんが、そう思いたいです。……大尉の言う通り、ローシンは格好よく死んだんです。俺と一緒に、仲間の仇の英雄を倒したんです。俺のせいで死んだんだって嘆くより、そう言った方があいつも喜んでくれる気がして……すみません、上手く言えないんですけど……大尉の話で、少しですが気が楽になりました。ありがとうございます」

 大尉は背を向けたままひらひらと手を振って部屋を出て行った。



 数日もしないうちに、俺はベッドから起き上がれるようになった。ひどく腫れていた腹は、腫れが引いたと思ったら赤紫と赤と黄色のマーブル模様になっていて、かなりグロい有様になっている。

 ……仲間たちの遺体は、クローデル大尉の指示で故郷に送られた。それでやっと気付いたんだけど、回収された遺体は数が足りなかった。……ノックスの遺体がなかったのだ。もしかしたら、ノックスは何とか逃げて助かったのかもしれない。せめて、あいつが本当に生きていてくれたら俺も嬉しいんだけど。

 もし戦場で死んだなら野ざらしで、運が良くても体の一部のみを届けることになるそうだ。けどここは少し戦場からは離れているし、手の空いた隊員さんたちに手伝ってもらい簡素な棺桶を作って、馬車で送ってもらった。

 英雄の亡骸は、なんと塩漬けにして保存しているらしい。というのも、こちらが勝手に埋葬することは出来ないそうなのだ。なんでも、大抵の場合英雄のような大人物は国葬を賜る対象になるのだという。

 つまり、英雄の本国――ロゼル帝国に返還するまで保存しておかなきゃならないってわけだ。……紛いなりにも自分が殺してしまった遺体のすぐ傍で過ごすのはかなりきついが、どうにもならない。なるべく気にしないように努めた。……限度はあるけど。

 クローデル大尉には休んでて構わないと言われたが、かといって慌しい駐屯地で何もしていないのも落ち着かず、何か出来ることをしたくてパンを焼いて配り歩いたら大層喜ばれた。会話のついでにクローデル大尉の部隊員から、クローデル大尉が元は傭兵団の団長で、その戦歴を買われて五年前に軍に組み込まれたことを聞いた。

 貴族っぽくないとは思っていたが、平民出だったのか。中隊長以上の将校は基本的に貴族であると聞いていたが、例外もあるらしい。

 まぁ、確かに部下の人たちとしゃがんで煙草を呑む姿は、貴族じゃなくて裏通りのチンピラだもんな……

 そのチンピラ……じゃない、クローデル大尉の姿が見える。大尉はここ数日、随分忙しそうだった。前線に輸送を送っていたらしい。護衛も輜重兵も随分やられたせいで、編成が大変だとぼやいていた。

「おう」

 クローデル大尉はこちらに気付いて手を振る。平民出とはいえ、将校なのに相変わらず偉ぶったところがない。大尉につられて普通に話をしてしまっているが、本来ならこんなに親しく話せる立場にないはずなんだけどな。クローデル大尉はその辺には頓着していないようだ。

「食ったぜ、パン。美味かった」

「ありがとうございます。あの……まだ本部から何かしら伝達はないんでしょうか」

 大尉が報告してから結構な時間が経っている。王都にまで連絡が行ったにせよ、もう通達が来てもおかしくない頃合だ。

「あー……そろそろ届くと思うんだがな。まァ、事態が事態だし上も揉めてるのかも知れねえ。お前も宙ぶらりで気分悪ィだろうけど、もうちょっと辛抱してくれや」

「いえ、皆さん良くしてくれますし、気分悪いってことはないんですが……何ていうか……手持ち無沙汰っていうか」

 クローデル大尉はがしがしと頭を掻いた。

「だろうなァ。ま、普段ふんぞり返ってる貴族どもが右往左往してるって思えば痛快じゃねえの。ハハハ」

「貴族どもって……あ、貴族っていえば、部隊の方たちから聞いたんですが大尉は元傭兵団の団長をされてたそうですね」

「おお、まあな。自分で言うのもなんだが、結構活躍しててよ。軍属なんてガラじゃなかったんだが、報酬に釣られてなァ」

 クローデル大尉は指で輪っかを作り、下卑た笑みを浮かべる。この人、黙ってれば男前なのにな……

「はあ、大尉らしいですね……でも、すごいじゃないですか。平民出の将校なんて大抜擢ですよ」

 クローデル大尉は曖昧に笑って口を閉ざす。周りに視線を向け、他に人気のないことを確認するとようやく口を開いた。

「……大きな声じゃ言えねぇが、この国も結構屋台骨が揺らいでてよ。将校が平民出なのも特別な話じゃねえのさ」

「え……でも、噂じゃ連戦連勝で圧倒してるって」

 声を潜めてそう囁いたクローデル大尉の言葉に、俺は驚いて聞き返す。

「本当のことなんか言えねえだろ。特に、前線は厭戦気分が蔓延してるしな。これ以上、士気を下げるような話なんか聞かせられねえんだよ。国民の不安を煽ったら統制も取れなくなるだろ。そうだな……徴兵がいい例さ。元々は自国の軍と義勇兵で充分賄えてたんだ。でも、ジリ貧なんで徴兵に踏み切った……いや、踏み切らざるを得なかったってわけだ」

 俺は信じられないような気持ちで俯いた。

 農業国であるアグネアは、元々農地の保証や農地経営に補助金を惜しまなかった。代わりに、すべての国民が徴兵に応じることを義務付けられている。だから、徴兵と言われてもそれほどの動揺はなかった。

 故郷では、手柄を立てて報酬がっぽりだとか、褒賞で農具を新調したいだとか、そんな暢気な話しか聞こえて来なかったのだ。俺も少しは期待してた。……結局体格で撥ねられて輜重兵になったんだけど。

 まさか、それが苦肉の選択だったとは。

「将校が平民にとって変わってるのも、戦場に出たくねェお貴族サマが駄々捏ねたからだ。出陣を忌避して、わざわざお飾りの部隊を拵えやがった。なんつったかな……天馬近衛騎士隊、だったかね。けっ、ご大層な名前付けやがって。王の盾なんて嘯いちゃいるが、王都が攻め込まれるまで腰を上げねえつもりでいるのさ。まァ、王都まで攻め込まれるような事態にでもなったら、どうせケツ捲くって逃げるに決まってらあな」

 フン、とクローデル大尉は鼻を鳴らした。クローデル大尉は貴族が嫌いなのだろうか。いや……貴族が平民に対する態度なんて木で鼻をくくったようなものに違いない。ましてやこの性格で、貴族に混じって将校なんてやっていれば、そりゃあ何かしら衝突することは有り得そうだ。想像に過ぎないが、完全に水と油だもんな。

「……大尉、随分内情に詳しいですね」

「昔取った杵柄ってヤツだよ。俺の私見……っつうか、経験則からの予断も入ってるがね。傭兵なんざほとんど使い捨てだったからな。国の情報はなるべく集めておくことにしてるんだ。切り捨てられたっておかしくねえような状況を回避出来るだろ。犬死はごめんだからな」

「…………」

 沈黙してしまった俺を見て、クローデル大尉は慌てて手を振る。

「ま、明日明後日でどうにかなるって話じゃねえ。それに、言っただろ。俺の予断も入ってる。……まァうっかり話しちまったけど、このことは他言するなよ。ンなことベラベラ喋ってるなんて知られたら、俺の首が飛ぶ……」

 大尉、とほとんど叫びながらクローデル大尉の副官、フレッグ・バスタン中尉がぜいぜいと息を切らせながらこちらに走って来た。付き合いは短いが、普段は冷静で落ち着いた雰囲気の人だと思ってる。こんなにも慌てているということは、何かただならぬ事態が起こったらしい。

「おー、フレッグ。最近慌ててばっかりだな。お前、クールが売りじゃなかったのか」

「そんなもん、売りにした覚えがないですよ。……慌てもしますって。これ、見て下さい」

 バスタン中尉は大尉に突き出すようにして書簡を手渡した。

「あァ? なんだ、やっと上から指示が来たのか? ……おお!?」

 クローデル大尉は素っ頓狂な声を上げて固まる。

「……な、何ですか? あ、俺いないほうがいいのかな」

 もし作戦に関わるような重要な案件なら、一介の兵士である自分が聞いていいものじゃないはずだ。離れようとするとむんずと襟首を掴まれた。

「た、大尉?」

「……お前、字は読めるか」

「え、少しなら……な、何なんです?」

「読めなくてもこの封蝋の印璽くらい分かるだろ」

 言われるまま、書簡に用いられた真っ赤な封蝋に目を凝らした。

 ……麦の穂をモチーフにした、この紋章は……アグネアの国民であれば、誰でも目にしたことのあるものだった。

「お……お……王家の紋章じゃないですか!? な、何で!?」

 クローデル大尉はごくりと喉を鳴らし、素早く書簡を拡げる。

「おいおいおいおい、本部どころじゃねえ。王都から指示が来やがったぞ……えーっと……ああァ!?」

 書簡の文字を目で追うごとに、大尉の手がぶるぶると震えだし……とうとう天を仰いだ。

「な、何ですか。何が書いてあるんですか?」

「しょ……召集するとよ。王都にな……確かにとんでもねえ事態にゃ違いないが……いや、俺の認識が甘かったってのか? いいか、お前と俺の二人に、王都への召集命令が来たんだよ! しかも、アグネアの王様から直々にだぞ!? 謁見しろって書いてあるんだよ! つうか、何で俺まで呼ばれるんだよッ!」

「………………は?」

 大尉の上擦った叫び声を聞いた俺は、それだけ言うのが精一杯だった。

 王都なんて、城下町すら見たこともないのだ。

 それが、登城して、謁見?

 誰が? 俺が? 王様に? 謁見?

 ……考えれば考えるだけ気が遠くなりそうだ。とても想像が及ばない。いや、俺はこれでもかって平民だし、想像出来ないのは当たり前だけど。


 かくして俺は、大尉と連れ立って王都へ向かうことになってしまったのだ。

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