第3文 空気が読める阿修羅と読みたくない僕
今回からラブコメ面が入ります。ついでにちょいシリアス面も。
「でも、バットで打ち返した野球ボールを鼻で受け止めて、良く鼻血程度で済んだね、風波さん。貴女もしかしてサイボーグ?」
保健室の先生である朝見晴香教諭が、風波の鼻の具合を診ながら訊く。既に鼻血は止まっていた。
「まさか、れっきとした人です。人一倍鍛えているだけですよ」
「風波さんが頑丈なのは知ってるけど、鼻はどうやって鍛えるのかしら?」
やっぱり、コイツ人間じゃないだろ。
サイボーグではなくミュータントの可能性を考慮しながら、僕は離れた位置で二人を眺めていた。
(……にしてもなぁ)
眺めてはいるが、次第に視点がある箇所に定まっていく。
風波の鼻を様々な角度から診る為に朝見先生が揺れる揺れる。それに合わせて胸に付けた豊満な二つの果実が揺れる揺れる。落ち着いた紫色のブラがチラ見出来るくらい胸元を広げていて、まさに絶景絶景。
「よきかなよきかな」
「……何が良いのだ、康?」
あ、やべ。声に出てた。
こっちまで揺らいでいた意識を固めて眼の前の事に集中する。いつの間にか診察が終わったのか、眉をつり上げた風波が僕の前に立っていた。
近い。めっちゃ近い。既に風波のEカップが僕の胸板に当たっていらっしゃる。朝見先生ほどじゃないが、高校生にしてはこれまた豊満な巨乳が僕の胸板で自己主張してますよ!
おっと、お前は自己主張しなくて良いからな、下の分身。
「……それより、ぼんやりしていたとは言え、気付かれずに僕の眼の前に立つなんて、何者だね?」
一歩、僕は後ろに下がる。
一歩半、風波が前に出る。
oh……悪化しちゃったよ。
「これでも気配を消すのには自信があるのだ。見くびって貰っては困る」
いや、ホント、何者だよ。高校生かよ。後、良い匂いですねゴチになります。
「そんな事より、康。君は何を見て、よきかなよきかな、とうわ言を呟いていたのだ?」
「…………」
何だろう、この威圧感。
下手な事を口走れば意識を刈り取られるような、懐かしい感覚が僕の首元に突きつけられている。風波さんの後ろで、オーラを纏ったムキムキマッチョの阿修羅さんがサイドチェストでポージングしてるしね。お前は筋肉で威圧したいのか、筋肉を見せびらかしたいのか、どっちなのかハッキリしとけ。
「康?」
さらに半歩、風波が僕に近づく。
ヤバイヤバイ。何か言わないとマズイ。お互いの鼻尖がくっつきそうなぐらい距離が縮まっている。だが、言葉を間違えれば持ってかれる。
何かを。
確実に。
阿修羅さんで。そのポージングは確実に見せびらかしたいだけだな。
僕の意思が伝わったのか、にこやかに笑みを浮かべ、キラッと綺麗に整った歯が輝いた。何か仲良くなれそうだなぁ、この阿修羅君。
「康!」
ビクッ、と身体を揺らす。ついにお互いの鼻尖が軽く接触するくらい接近を許してしまった。視界が、彼女の可愛い顔で埋まる。思考が固まる。
僕は、何を考えれば良い?
「荒木くんは、私の谷間に眼が釘付けになっていたのよ。ね?」
突然の助け舟。今まで静観を貫いていた朝見先生が、朗らかな微笑を浮かべて不意に発言する。
気のせいかな? その助け舟。この僕に砲口を向けてないかね?
「……そうなのか、康?」
風波が僕に問いただす。嫌に、静かに。心なしか、瞳の殺気が増してる気がする。破滅の方に通航したかこれ?
(……いや、待て)
安直な考えは良くない。これは起死回生の航路だ。ここで、僕が朝見先生の言葉に同意すれば更に何かしらの進展がある筈。何せ、あの阿修羅君が爽やかな笑顔でサムズアップをしているのだ。未だ言葉を発していないのにこの存在感。信じるに足りる。
さぁ……覚悟の時だ。面舵いっぱい! 気持ち180度くらい!
「……ああ、クランドキャニオンの谷間は最高だぜ!」
今までに無い爽やかな作り笑いを浮かべて、僕は高らかに宣言する。阿修羅君直伝の、渾身爽やか作り笑いだ。今の僕なら歯を煌かせる事が出来そう。
「……そうか」
俯き、おもむろに眼を閉じる風波は一言放つだけ。僕を怯ませる程の威圧感無し。呼吸の乱れ無し。ただ、じっと瞑想しているように見える。
これは……成し遂げたか? 巨大な機雷を回避出来たか? やったぜ?
安心して心も身体も弛緩した瞬間、前触れ無く風波は顔を上げ、その瞳が見開く。
そして、ブレザーを勢い良く脱ぎ捨てた。
「…………あ?」
僕は風波の理解不能な行動に反応する事が出来なかった。ブレザーを脱ぎ捨てた。漢脱ぎだ。これ以上無いくらいの。淀みが無い。ぶっちゃけ素晴らしい。
何故脱ぐ?
混乱している僕に見向きもせず、風波の勢いは更に増していく。Yシャツの第2ボタンを外し、次へと移行しようとした所で、僕の自我はようやく戻って来た。
「――何してんのお前!?」
慌てて風波の両手首を掴み彼女の乱心を止めようとする。その時、Yシャツ越しにほんの薄っすらと風波のブラの色が見えてしまった。何だこれ。朝見先生のブラジャーちら見せ谷間よりも破壊力たけえ! 両手首を掴んでいると言う状況のせいで、あらぬ妄想が浮かぶ! これは下の分身にダイレクトアタック!
「止めるな康! そんなに女性の谷間が見たいなら、私の谷間だけを見ろ! 見てくれ! 見て下さいお願いします!」
「落ち着け風波! 出会って全然時間経ってないけど、お前はそんなキャラじゃ無い筈だ!」
後、意味不明な三段活用すんな!
「何故私の谷間は見てくれないのだ! あれか、大きさか! 私の貧相な胸じゃ満足出来ないのか!?」
「胸は大きさじゃねー質だ! 追加でその発言は多くの女性を奈落の底に突き落とす魔法の言葉だから軽々しく言っちゃメッ!」
「なら問題ないだろう!? 康に視姦されるのであれば、私は明日も来世も強く生きられるっ!!」
「問題しかねーよ行為も発言も! まさか、朝見痴女ウイルスに感染したかこれ!? 治るんだろうな朝見痴女!?」
「流石に痴女痴女連呼されると、先生悲しくなっちゃうなー」
るせえ痴女! そう思うなら、まずは胸を強調するの止めろ! 隣で静かにポージングする阿修羅君が汚れるだろうが!
「一先ず落ち着きなさい、風波さん。興奮しすぎると鼻血が再発するわよ? また、荒木くんに鼻血姿を見られたくないでしょう?」
「…………む」
朝見先生の一言により、風波の興奮が収まる。おお……理由は全く分からんが、ともかく冷静になってくれて助かった。阿修羅君が感涙しながら僕の肩に手を乗せる。今更だけど、この阿修羅君僕にしか見えてないようだ。霊感あるのかな僕。
「……すまない。恥ずかしい所を見せた」
「今ので体調に支障を来たしたか心配だから、風波さんは空いてるベットで安静にしてた方が良いわね。そこに座って。横になっちゃダメよ。上も極力向かないでね」
朝見先生がテキパキと指示して風波をベットに移動させる。こう言う所は有能そうなんだけどなぁ……。外見おっとりで大人しそうなのに、何でこうなったんだろう……。
「ん? どうしたの荒木くん? 私のタイトスカートの中が気になるの?」
「タマチャン程じゃないっすね」
暴君だが、痴女よりはマシだ。
「あら、残念。荒木くんのような可愛い子に迫られたら、即堕ちしちゃうのに」
「朝見先生?」
「冗談。冗談よ。だから、冷静にね、風波さん?」
スカウターあったら爆発してただろうな。今の風波の気迫。
「それじゃ、私は散歩に出掛けるから、後は宜しくね、荒木くん」
「はい?」
何いきなり職務放棄しようとしてんのこの人。
「朝見先生、ありがとうございます」
「頑張ってね、風波さん」
見捨てられる風波は何故かお礼を言う。困惑している僕の肩に朝見先生の手が乗った。
「逃げちゃダメよ、荒木くん。必要なら、そこの戸棚にある媚薬や精力剤、コンドームを好きなだけ使って良いからね」
「…………ハイ?」
今、何て言ったこの痴女?
話の展開と保健室の備品について理解出来ない僕を置き去りにして、朝見先生はさっさと保健室を出て行ってしまった。
(……どう言う事……?)
訳が分からず僕は阿修羅君を視線を投げる。僕限定で空気を和ませる彼は、珍しく直立不動で僕を見ていた。
嫌な予感がする。
「二人きりになれたな」
ベットに座っている風波がとても嬉しそうに微笑む。この笑みにこの言葉。これはグラっとくるね。並の男だったら、朝見先生の三種の神器を持ってタイブしている事だろう。
だけど、厳密には二人っきりじゃないんだよね。二人と一体なんだよね。
そう思っていたら、阿修羅君が腕を横に伸ばしてサムズアップしながら、律儀にドアを素通りして出て行った。何も言わずに立ち去る彼の背中は、とても広く感じた。空気まで読めるとは、人であったなら隅において置けなかっただろうな、阿修羅君。
でも、今だけは読んで欲しくなかったかな。さっき感じた予感が膨らんでいくんだよね。僕もサムズアップしながら退場して宜しくて?
「どうしたんだ、康。ドアを見つめていて」
「いや、アイルビーバックしないかなーって」
「…………?」
「それよりさ、この手紙は君が?」
ブレザーのポケットから、自室の窓に挟まっていた手紙を取り出す。何となくだけど、ペースは僕が握った方が良いと感じた。
「そうだ。今度はちゃんと来てくれたのだな」
「悪いね。面倒事は嫌いなんだ」
「構わない。結局、こうして来てくれたんだ。怒る気はないよ」
あえて選んだ神経を逆撫でするような発言にこの返事。こりゃ有耶無耶にするのは無理そうだ。
「藤田に何をしたんだ? 病院送りなったけど」
「呼んでもないのに意味不明な事を言って襲い掛かってきたから、返り討ちにした」
ああ、ごめん。それ僕のせいだわ。
「この写真は? 僕の両親に何かするつもりだったの?」
「良く撮れているだろう? 余りにも見事な光景だったから、君に見せようと思ったんだ」
「……そりゃ、どうも」
何か色々と考えた僕が馬鹿みたいだな……。
「康」
風波が僕の名を呼ぶ。ただそれだけで、保健室の空気が変わっていく。外野の雑音が遮断されていく。無意識に左手を握る。若干湿っていた。
「前から君に伝えたい事があるんだ」
いつの間にか主導権を彼女が握っている。取り返せない。口が開かないから。
「私は、君の事が」
風波の顔は紅い。だが、落ち着いているように見える。僕の顔も恐らく赤い。思わず唾を飲み込んだ。
「好きだ」
濁さずハッキリと風波の口から告げられる。馴染みの無い感情が言霊となって僕の心に届く。彼女の真っ正面な眼から逃れられず、その場で僕の動きは止まってしまった。