開始から死にかけ
開始から主人公は死にかけています。
ふと気が付いた時、身体が不自然なくらいに重たくなっていた。そして身体が異常なまでに寒く、それに負けないくらいの熱を左腕から感じる。良く熱された鉄棒を押し付けられたという表現が使われているがあれくらいに熱い。さらに身体の重心が右に傾いている。
不自然なところを挙げればキリがないが一先ずはこの寒さをどうにかしようと身体をさする事にした。右手を左肩に、左手を右肩に持ってこようとしてーーー右肩に左手がいかない事に気付く。おかしいなと思い、左手を見てようやく身体の異変の原因に気が付いた。
いつもなら左手があった場所に、左手が無い。二の腕の辺りから無くなっていて、そこから血が流れ出している。
身体の重みと寒気は血を流し過ぎていたから。
左腕の熱は左手が無くなった痛みから。
そして重心の変化は左手が無くなったから。
その事に気が付き、どうして左手が無くなったかを思い出してこんな事も忘れたのかと自虐気味に笑い、そのまま倒れる。無意識の内にここまで来たみたいだがどうやら血を流し過ぎて身体が限界らしい。
このまま死ぬのかなぁ?なんてどこか外れた事を考えながら、意識を失った。
「おい、あれ見てみろよ」
「なんだ?行き倒れか?」
王都の裏路地に、二人の男がいた。表通りに出ればまともな服装をした人間がいるというのに彼らの服装は洗濯もしていないのか汚れている。それはそうだろう。彼らは浮浪者であり、まともな生活を送る事も出来ないのだから着ているものの関心が無い。彼らが気にすることはその日を生きる事のみだから。
一人が指さした先にいるのは倒れている青年。左手が無く、血溜まりに倒れてピクリともしない。
「うわっ、ヒデェなこりゃ。左手が斬られてやがる」
「貴族様にでも逆らったのかね?」
「さぁな?さてっと、このまま死ぬなら金目の物は必要無いよな?」
「あぁそうだな。それなら俺たちで有効利用してやろうぜ」
そう言って彼らは行き倒れている青年の懐を漁った。そうして目的の物はすぐに見つかる。銀貨が詰め込まれた使い古された袋を手にしてニヤニヤと笑う。
「おぉ、結構持ってるな」
「……なぁ、こいつ、ファウルの旦那のところに良く出入りしていた奴じゃないか?」
「……マジ?」
「あぁ、間違いないと思う」
青年の交友関係がわかって浮浪者たちの顔が少し青くなる。彼らの一人が言っていたファウルというのはこの辺りの顔役の事で、彼らもファウルから仕事を回してもらったことで生き永らえた恩もあるのだ。
その日暮らしが精一杯とはいえ恩人に仇で返す程に落ちていないし、そもそもファウルに逆らう気すらしない。ファウルがその気になれば自分たちのような弱者など簡単に消す事が出来るから。
「なぁどうするよ?」
「……見殺しにして旦那に目を付けられたらアウトだ。こいつを旦那の店に連れて行こう」
「おぉ……こいつ生きてるよな?連れて行って死んでたら俺たちが殺したと思われるんじゃ……」
「俺たちが犯人だったら連れて行かずに逃げるわ。それくらい旦那も気づくはずだ。おら、そっちもて」
「へいへい」
こうして浮浪者たちは死にかけている青年をファウルの元に連れて行った。その時に一悶着あった者のファウルは青年を連れてきたことに感謝し、二人はそれなりの金銭を感謝の意として受け取る事になる。
「ーーーあ」
意識が戻った時に最初に見たのは天井だった。最後に記憶があるのは外だったので天井が見えるのはおかしい。誰かが連れてきてくれたのか?だが裏路地の住人で人助けなんてする様な人間がいるとは考えられない。その日暮らしがやっとな彼らには他人を助けるという考えが無いから。
重たく身体を起こして周りを見てみれば質素ではあるが一つ一つの質は高そうな調度品が置かれた部屋だった。寝かせられているベッドも柔らかく、シミ一つ見られない。裏路地で倒れたからここは裏路地の近くのはず、そこでこれだけの生活が出来る人物となると俺が知る限り一人しかいない。
「……ファウルの店か」
「ーーーむ、目が覚めたのだな?」
この場所の予想がつくのと同時に、腰くらいまで伸ばした赤髪の女性がノックなしで部屋に入ってくる。スタイルはボッキュッボン。顔付きは可愛いでは無く、綺麗で鋭さを感じさせる目つきの彼女に見覚えがあった。
「レティ、シア……?」
「あぁそうだ。無理をするな、寝ていろ。医者が言うには血が無くなりすぎててあと少しで死ぬところだったそうだ」
「そうか……」
起こしていた身体をベッドに倒すとレティシアが布団を掛け直してくれる。どうやら死ぬかと思ったがファウルに助けられたらしい。
「何か食べるか?」
「喉乾いた……」
「ほら、水だ」
我儘を言ったにも関わらずにすぐに対処してくれたことから予め用意していたのだろう。差し出された水差しの飲み口を咥えて常温の水を飲む。一口飲むごとに身体中に染み渡っていくのが感じられ、そして徐々に眠気がやって来る。
「睡眠薬と鎮痛剤入りだ。今お前に必要なのは休む事だ。ゆっくり休め、ここにお前の敵は居ないからな」
「あぁ……おやすみ……」
「おやすみ、ナオキ」
レティシアに頭を撫でられている事に安堵しながら、再び眠りについた。
「ーーーさて」
ナオキが眠りにつき、呼吸が安定していて峠を越えた事を確認してレティシアは部屋から出て、この店の事務室に向かった。そこにいたのは落ち着きの無い様子で部屋の端から端を行ったり来たりしている肥えた頭の薄い男性。
彼こそがこの店の店長にして、裏路地の顔役でもあるファウルだった。
「……おぉレティシアか!!彼は、ナオキはどうだった!?」
「先程目を覚まして意識もはっきりしている様でした。睡眠薬と鎮痛剤を飲ませて眠らせましたが医者のと言っていた峠は越えたと思います」
「そうかそうか!!それは良かった……」
レティシアからの報告を聞いてファウルは喜び気の抜けた様子で椅子に腰掛けた。ギジリと危ない音が聞こえてきたが気にする様子も見られない。それ程までにナオキの事が心配だったのだ。
ナオキがこの店に瀕死の状態で運び込まれてすでに三日経っている。短いとはいえ深い交友のあったナオキの事を心配していたファウルの目元には脂肪で分かりにくいものの薄っすらと隈が浮かんでいた。
「ところで、噂の方はどうでしたか?」
「……王都中に広がっている。これ見よがしに新聞の一面を独占してまで大々的に広げられている。懇意にしている貴族から聞けば、どうやら宰相とその子飼いの勇者たちが率先して広げているらしいな」
「そう、ですか……」
ファウルの言葉を聞いてレティシアは顔には出さないものの、理不尽を誤魔化すように手を握り締めた。そうする事で爪が手の平に食い込んで血が流れ出すが気にする事も無い。
王都中に広がっている噂とは、ナオキが様々な罪を犯し、勇者たちが彼を断罪したというものだった。ナオキの事を知らない者たちは信じているかもしれないが知っている者たちからすれば信じられない話だった。ナオキは口が悪いもののどちらかといえばお人好しの部類に入る。そんな彼が犯罪を犯すとは信じられないのだ。
ファウルも、レティシアも、この噂を信じていない。ファウルに至ってはナオキの事を囲い、噂の真相を確かめのようとしている程だ。
「……とにかく今は待ちだな。レティシア、お前は引き続きナオキの事を診てくれ。容態が変わったら言えよ?直ぐに医者を連れて来てやるから」
「分かりました。それでは失礼します」
ファウルの言葉にレティシアは一礼して、部屋から出てナオキの元に向かった。