17話 宴の後
何千年生きようが
初恋することもある
side 紫苑
幻想卿の宴会は本当にフリーダムらしい。
こうやって霊夢と紫と一緒に片づけをしているが、俺自身いつ終わったのか分からない。ブルーシートを畳んだりゴミを回収している現在は夜である。霊夢はいつも一人でやってるらしいけど、今回は紫も片付けに参加していた。
紫曰く『師匠もやっているなら弟子の私も後片付けをする』とか。
ちなみに藍さんと橙は博麗神社の台所で皿洗い中だ。
紅魔館組はレミリアが酔いつぶれて先に帰った。妹であるフランが呆れ返ってたし、どっちが姉かわからなくなる光景だった。
慧音と妹紅は妖精達と一緒に帰った。小さい子には遅すぎる時間かもしれない。
アリスは人形制作に戻ると言って、爆発しない上海と蓬来を連れて帰った。今度、その人形を見せてもらいたいな。
マイフレンド霖之助は自分の食べたものは片付けて戻っていった。素晴らしい心がけだ。
新聞記者の文は俺からある程度取材した後、妖怪の山って場所に飛び去った。妖怪がわんさか存在するのだろうか?
幽香は背後霊の如くついてきていたが、流石に自分の巣に戻ると言っていた。去り際の『紫苑の家を拠点にしようかしら?』という言葉が聞こえたけど幻聴に違いない。そうだと言って。
左手で持った箒で境内を器用に掃いて塵取りに集めていると、ゴミ捨てに行っていた紫がスキマから上半身を出す。
俺もちょうど掃き終わったところだ。
「お疲れー」
「お疲れ様です、師匠」
縁側に座って一休みをする。
霊夢に頼まれたことは全てやり終えたから大丈夫だろう。
「本当に何もせずに帰りやがったな、宴会参加してたメンバー」
「普段もそんな感じです」
「お前もいつもなら帰るって霊夢から聞いたぞ? 後片付けはちゃんとしろって教えただろ」
「そ、そうでしたわね……」
頬をかきながら明後日の方向を向く弟子。
忘れてたな、コイツ。
「にしても……楽しかったなー。異変解決の度にどんちゃん騒ぎやってるのか?」
「花見の時期もやりますね。理由があれば酒が飲みたいか騒ぎたい連中が多いので」
「頭の中がお花畑かよ」
俺は星が輝く空を見上げた。
「――まぁ、嫌いじゃないけどさ」
「紫ー、紫苑さーん? 終わったー?」
「終わったぞー」
「なら神社の中に入ってきてー。お茶淹れたからー」
紫はその言葉を聞いてスキマを閉じ、俺は靴を脱いで神社内に入った。
幻想卿に初めて来たときにも入ったことのある居間には、お茶をちゃぶ台の上に置く霊夢と、先に座っていた藍さんがいた。橙は藍さんの膝でスヤスヤと気持ち良さそうに眠っている。
俺は紫と藍さんの間に座った。向かい側に霊夢がいる。
なんと茶菓子も用意してあった。これは……おはぎか。
「紫、紫苑さん、お疲れ様」
「あら、霊夢が労いの言葉をかけるなんて珍しいわね」
「片付けしたアンタの方が珍しいでしょ」
刺々しい言い方だけど、仲が良いのだろう。あっちでの俺とアホ共の会話を第三者視点で見ているようだ。
その光景を微笑ましく見守りながら、俺が茶をすすっていると、心配そうに藍さんが話しかけてきた。
手のない右腕を己の手で包み込みながら。
「手のない状態で境内の掃除をしていましたが……お怪我はありませんでしょうか?」
「掃除程度で怪我するほど脆くはな――」
確認してみると手に切り傷があった。片付けている最中に紙とかで切ったのだろうか? ちょうど腕の先あたりが血で滲んでいる。
どうやら俺の手は脆かったらしい。
「いつの間に怪我したっけ……?」
「あの、血が出てますが」
「気にしなくていいよ。どうせ唾でもつけとけば治る程度だし」
笑って誤魔化すけど、実際に能力使えば唾つけるより早く治るのは目に見えている。
ただ余程のことがない限りは怪我を自然治癒力に任せているため、切り傷かすり傷は放置している。細菌入らないように洗って消毒するぐらいかな?
なんて笑っていたら、思いの外藍さんは難しい顔をしていた。
「唾をつければ治るのですか?」
「え? いや、それは言葉のあやで――っふぇいっ!!??」
後半部分が日本語ではなかったが、それは仕方ないことだろう。
藍さんが俺の右腕の先を舐めていた。
細かく描写すると、右腕の先の傷口を藍さんが艶かしくなめているのだ。唾でもって言ったせいで、ペチャペチャと音が聞こえるくらい濡らしている。
「……どう、れすか?」
どうって、逆に何て言えばいいんだよ。
思考停止していて『(俺の腕洗ってないし)汚いから止めて』なんて言えるはずもなく、上目遣いで聞いてくる傾国の美女に成されるがまま。
「ら、藍! 何やってるの!?」
顔真っ赤の紫のツッコミにようやく思考回路が再稼働する。
霊夢なんて顔そらしてるじゃん。
「紫苑殿の傷口を舐めていたのですが……?」
藍さんが紫に説教されてある間、俺は頬を赤くした霊夢からタオルを受け取って、藍さんの唾液を拭く。
別に汚いというわけではないけど……霊夢から『さっさと拭けよ』ってオーラが出ていた。
♦♦♦
side 藍
博霊神社から紫苑殿の家に戻ってきた日の夜中。
マヨヒガが私たちの家であるはずなのに、紫苑殿の家に帰ってくると安心してしまう自分がいる。
紫苑殿は帰ってくるなり二階の自分の部屋に戻っていった。
現在、居間にいるのは私と紫様、寝ている橙だけだ。
テーブルに向かい合うように席につき、紫苑殿から自由に飲んでいいと言われた酒を二人で飲んでいる。
「まったく……いきなり師匠の腕を舐めていたときは驚いたわ」
「も、申し訳ございません……」
彼の傷口を見たとき、心中では柄にもなく焦っていた。
だから、紫苑殿の『唾をつければ治る』という言葉に反応して、深く考えもせずに舐めていた。あとから思い出すと、頬が熱くなるくらい恥ずかしい。
「まさか師匠に懸想をしているんじゃないでしょうね?」
「そ、そのような……こと……は……」
私は咄嗟に否定しようとして――出来なかった。
なぜだろう、これで否と言ったらいけない気がした。
いつまでも続きを言わない私に、紫様は驚きつつもため息をつく。
「……やっぱり、貴女もなのね」
「紫様も、ですか?」
私は驚きはしなかった。
むしろ紫苑殿と会ったときに、紫様がなぜ最初から幻想卿を創ることに拘っていたのか氷解した。
紫様が紫苑殿を見る目は、霊夢が言うような『狂信』ではなく『愛情』だと。そういえば四季のフラワーマスターも紫様と同じように紫苑殿を見ていた気がする。
「まぁ、別にいいけどね」
「……すみません」
「謝ることじゃないわ。むしろ貴女が人間を本気で愛したことはないでしょう? 嬉しいくらいよ」
「………」
確かに……私が本気で人を愛したことはないだろう。
玉藻の前と呼ばれていたときも、『政治の道具』としてしか男に抱かれたことはないし、紫様の式神となってからは異性と関わったことがほとんどない。そもそも私は妖怪だ。
運命の殿方――という妄想をしたことはあれど、出会いがなかった。
ある意味では初恋なのかもしれない。
「まぁ、打算的な思惑もあるけど」
「??」
「師匠は異性に好かれやすいから、私と藍で固めておけば大丈夫かなって思っただけよ。現在進行形で師匠を狙っている女性はいるし」
「そうなのですか!?」
思い当たる節といえばフラワーマスターぐらいだ。
「えぇ。幽香は確実として、まず紅魔のメイドがいい例ね。吸血鬼の妹と大図書館も怪しい感じかしら? 今日見た限りだと人形遣いも数えた方がいいわ。そして――霊夢ね」
「霊夢ですか? 彼女が一番ありえないかと」
博霊の巫女ほど他人に興味のない人間はいない。
紫苑殿の家を訪ねてくることは多々あれど、あれは食事目当てであるのは明らか。
しかし紫様の考えは違うようだ。
「霊夢の能力が幻想卿でも上位レベルの力よ。それを恐れる人間は多いし、何より彼女は『博霊の巫女』でもある」
「えぇ」
「他の妖怪も、私たちでさえも霊夢を『博霊の巫女』として見てしまうけれど――師匠は違うわ。彼女を一人の女の子として見ている」
「………」
霊夢の〔空を飛ぶ程度の能力〕は、『何者にも縛られない』と言う意味でも強力だ。それを恐れる人間や妖怪も多い。
しかし――紫苑殿は違う?
「霊夢の能力は異常だわ。でも――それ以上に師匠の能力は桁外れ。だからこそ、師匠は霊夢を恐れず接する。彼女にとっては白黒魔法使いと同じくらい貴重な存在となるはずよ」
「歳も近いですからね」
「師匠にとって霊夢は『普通』なのよ。そう考えると……霊夢が師匠に恋心を持つのも可能性としてあるわ」
本人は妹感覚で見てるかもしれないけど、と紫様は笑う。
だが疑問に思うことがある。
「肝心の紫苑殿は……どう思っているのでしょうか?」
「………」
紫様は黙ってしまった。
とても珍しい光景だ。いや、紫苑殿が関わると大抵いつもと違う。
「……分からないわ。異性に興味がないわけではないらしいけど、幻想卿の住人の誰かが気になっている様子はないし。ほら、師匠っていつもあんな感じだから」
「……なんというか、ありのままを周囲に曝け出す人ですが、本心を読みにくい人ではありますね」
「直に聞いてもはぐらかされるわ、絶対」
つまりは紫苑殿の本心が分からない今、『どうやって紫苑殿を振り向かせられるか』ということが課題となってくるか。
……マズい、一番の難問だ。夜伽なら経験で何とかなるけれど、純粋な恋愛はからっきしな私である。
紫様も初恋(1500年間続く)であるからして……大丈夫なのだろうか?
「あ、森近霖之助も候補に入るかしら?」
「さすがにそれはないかと」
紫苑「とんでもない風評被害を受けている気がする」
紫「気のせいかと」
紫苑「こっち向いて言え」