離脱
◆
俺はヘリが降下する際の強い風を感じながら、倒れていた女を立ち上がらせた。
夕映えの空の中、女は本来この世界には存在しない筈の相棒の姿をじっと見つめている。
俺は自分の正体を打ち明けるべきか迷う。
姿形は同じだが、彼女の恋人は既に死んでいるのだ。
安全に逃す為には、知っておいて貰わないといけないだろう。
不幸にあった女に追い打ちを掛けるようなマネは、可能ならば避けたかった。
彼女の両肩に手を掛け、顔をこちらに向け話し掛ける。
「俺は、冬富司と言う。あんたの知らない世界から来た元軍人だ。
この身体はディアンからの借り物になる。残念ながらあんたの恋人は死んだ。
奴からは、あんたを救ってくれと言づけられている。命に替えてもそれは守る」
女は俺の顔を見上げ、キョトンとする。
「ディアン。ふざけないで。そういう状況じゃない」
「俺は冗談は嫌いだ。嘘なんて言っていない」
女は、俺の顔の間近に自分の顔を寄せ、まじまじと見る。
「ディアンが死んだって言ったの? 嘘よね? ほら、だって、ここに居るじゃあない?」
「身体はあんたの恋人だが、中身は別人だ。 見たんだろう? 恋人が殺される所を」
彼女は震え、そして敵の残骸を見、それから降下を完了した攻撃ヘリAH-64Dを今一度眺めると、状況を理解したようだ。
泣きはらして化粧もしてないのに、美人と感じていた彼女の顔が、突然に歪み怒りに包まれる。美人の怒った顔は般若に似ると言うが、確かにそのとおりだ。
女は俺に掴みかかって叫ぶ。
「あなた、ディアンの身体を乗っ取ったのね? 返してよ。今すぐ」
「乗っ取ろうと思ってやった訳じゃあない。
ただあんたの恋人の願いに、応えようと思っただけだ」
「あんたの恋人は、死ぬ直前に女を救ってくれと神に祈ったんだ。
神がそれに応え俺を送った……そういう事だ」
女が身体を折りペタンと地面に座り込む。
そして、地面に顔を伏せ泣き崩れる。
後悔の念が湧く。
家族全員を失い恋人も失った女に、今告げる話ではなかったんじゃないのか?
だが、早く移動しろと心の中の軍人としての理性が、俺を急き立てる。
化け物の軍隊が展開してるんだ。 ここにこれ以上いちゃいけない。
この女の精神状態で、彼女にとって異形であろう空飛ぶヘリに素直に乗ってくれるだろうか?
陸路を移動するべきか?
そういえば、召喚可能な兵器類のリストに装甲車両があった。
装甲車両の事を考えると、俺の視覚内にリストが表示される。
――――……――――……――――……――――……――――……――――……
(装甲車両)
機動戦闘車
10式戦車
多連装ロケットシステム 自走発射機M270 MLRS
89式装甲戦闘車
87式自走高射機関砲
軽装甲機動車
――――……――――……――――……――――……――――……――――……
……普通の状況なら、この車両でデートに行きたいって言おうものなら引っ叩かれそうな選択肢が並ぶ。
なんとか逃避行に使えそうなのは軽装甲機動車だ。外観はちょっと頑丈そうなジープだ。
しかしせいぜい馬車しか走ってなさそうな、この時代の街道をそんなもんで走れば、大騒ぎになるのは必至だ。
車両が通れるのは大きな街道だけだろうし、最悪封鎖される恐れもある。
夕闇が迫っている。
夜の闇に紛れ込んで山か森の方へ、ヘリで突っ切って飛んだほうがマシと判断する。
陸路を諦めた俺は、女を出来るだけ優しく立たせるとヘリの方へ向かう。
「あんたの恋人の最後の願いを果たす。俺は味方だ。信じてくれ」
なんとかヘリの側にまで連れて行く。
今のところ、女は俺の為すがままになっている。
聞いているのか、いないのか分からないが俺は話し掛ける。
「こいつは、俺の世界にある空を飛ぶための乗り物だ。これで安全な場所まで連れて行く」
俺はコクピット脇の段差に登り、そこから女を引き上げる。
AH-64Dは複座式で通常なら二名で運用する。
後部にあるパイロット席のキャノピーを跳ね上げ、女を押し込む。
ヘルメットを被せるのは無理だろう。周りの装置類に触れるなと念を押す。
パイロット席のキャノピーを閉じると、俺自身は前部のガンナー席に潜り込む。
前席は主に攻撃用の武器を扱う席だが、操縦も可能だ。後席のパイロットが負傷して操縦出来なくなる状況を想定しており、一人でも全体の操作が可能となっている。
このヘリは俺の使い魔となるので、全部まかしてもある程度動くようだが、俺がやった方が効率は良いだろう。
エンジンは、既に動作中だ。燃料は、まだほとんど消費していない。
ヘルメットを被り、統合ヘルメット表示照準システム(IHADSS)の表示を確認する。
前席ガンナーに与えられた、もう1つの目であるTADSは正常に動作している。
火器管制装置(FCS)、正常に稼働中。M230E1 30mmチェーンガン、オンライン。
ハイドラ70FFAR(ロケット弾)計38発、AGM-114ヘルファイア空対地ミサイル(対戦車ミサイル)計8発、スティンガーミサイル(対空ミサイル)計4発 全て異常なし。
その他多機能ディスプレイ上警告表示無し。航行用装置に異常無し。
ピッチレバーとペダルを操作して大空に舞い上がる。
後のお客さんの事を考えて、出来るだけ急なG(加速度)がかからないように安全運転だ。
振り向いて後部座席を覗いて見る。
彼女は夕暮れの外の景色をじっと見ているようだ。多少でも、気は紛れたろうか?
高度700m付近まで上昇するとアパッチ・ロングボウの名前の由来であるロングボウ・レーダーを対地目標モードで作動させる。
このレーダーは空中だけではなく、地上の敵の発見が可能だ。
コクピットの多機能ディスプレイ上に、地上のスキャン結果が表示される。
大規模な地上部隊が、東8kmほど先に展開しているようだ。
念の為に、レーダーを対空目標モードにしてスキャンしてみる。
この中世もどきの世界で、航空機が存在するとは思えないが。
驚いたことにレーダーに反応がある。
“Airliner-旅客機”と分類の表示が出るが、これはシステムの間違いだろう。
空を飛ぶ何か……まさかドラゴンという奴か? 飛龍とか?
ファンタジー上でしか存在しないと思っていた、空想生物の細かい区別は俺には分からないが。東の10km程先を飛んでいる。
地上部隊が展開しているのと同じ東の方向なので、いずれにしろそちらの方向は避ける事にする。
太陽はもう沈んでしまった。残照があるうちに目的地を決めたい。
ヘリには暗視システムが備えられており、真夜中でも飛ぶのに支障はない。
しかし限定的な視界で目的地を決めるのは骨だ。
西の方向の遠くに森林が広がっているのが、まだ肉眼で確認出来る。
TADSのズーム機能を働かせ、統合ヘルメット表示システムに森林の景色を投影する。
森は80km程先か。いい感じに深い森だ。奥の方なら人も来ないだろう。
軍隊は流石にあの中には進軍しまい。
女を休ませないといけないし、あそこへ行けばなんとか成りそうだ。
俺は声と手のジェスチャーを使って、後席の女に目的地を示し水平飛行を開始した。