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新6.地の文は(説明文ではなく)視点を意識して描写する

小説の書き方には大きく分けて「一人称」と「三人称」があります。


一人称小説はライトノベルでも多く見られるわけですけど、長所は作者のセンス次第で軽快な文章になることだと思います。

『涼宮ハルヒシリーズ』にしましても、『俺ガイル』にしましても、作者の突込みによって地の文は支えられています。

また、恋愛小説のように、登場人物の心理描写が起伏のメインとなる場合は、一人称小説が向くことが多くなります。


しかし逆に、一人称小説だと描写は難しくなり、世界が主人公にとってどう映っているのかを描けないと意味がありません。

もっと言いますと、三人称一視点(主観視点)で置き換えられる一人称小説は、一人称小説の意味を持たないということです。


初心者にとって書きやすいのが一人称と言われますが、ちゃんと書こうと思うと初心者ではできないのが、一人称なのです。



では、三人称小説はどのようなものかと言いますと、ある人物が見た・聞いた・感じた世界を描くのではなく、

あるカメラをとおして見た・聞いた・感じた世界を描くというものになります。

この場合で、カメラをある人物に固定しますと「三人称一視点(主観視点)」小説と呼ばれるものになり、

カメラを広角にして全体を映す事も可能なのですが、この場合は「三人称客観視点」と呼ばれます。


そして、カメラは主観視点/客観視点で統一する必要は無く、読者が混乱しないスピードで動かす事も出来ます。

ファンタジーやSF、異世界などが物語の重要なファクターとなるものは、三人称小説が向くことが多くなります。


なお、三人称小説だと登場人物の内面まで踏み込むことができないというわけではないので、そこで区分する必要はありません。



さて、このサイトで三人称小説を読んでいますと「客観視点」で書かれる方をよく見かけます。

どういう事かと申しますと、例えば「汗がシャツを濡らしているのを感じたのか、雅人は張り付くシャツを引っ張った」と書かれるわけです。

この文章は、カメラは雅人から離れた位置で撮影していることになります。

逆に「汗で張り付くシャツを不快に思いながら、雅人はシャツ引っ張った」と書いてあれば、カメラが雅人の後ろにあるわけです。


このどちらの文章を使うかは、「カメラがどこにあるか?」で違うのですが、カメラが遠いままだとダメという話です。

どうしてダメなのかと申しますと、読者が感情移入できないからです。

小説が小説である以上、読者が入り込める作品を描く必要があると私は思うんですね。

心理や感情なども視点のブレなく地の文に混ぜる技法を「自由間接話法」と言うそうです。


意識するのは、距離感です。

自由間接話法とは、視点保持者の内面にカメラをズームアップした状態だと思ってください。

三人称主観視点は、この距離感(カメラの移動)を使いこなせていることが基本になるわけです。


余談になりますが、カメラの移動が激しい方もよく見かけます。

A君の視点で書かれていたのに、次の行ではBさんになっているというものです。これだと読者は混乱します。

私でしたら、Aの視点で何行か描いた後、客観視点で何行か描き、その後でBの視点で描きます。

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