(六)-3
薄く目を開けて先生を探した。回転が激しくてなかなか見つけられない。うぷっ! 喉を突き刺すような勢いで胃の中の物が口から出て風にのまれていく。もう駄目だ……。ミズル……俺がいなくても大丈夫かな? ご飯……どうすんだろう……?
とろけた目で光を見つけた。淡い光だけど確かに光っている。あの光は……何?
回転の法則を見つけ、光の見えるタイミングに光へ視力を集中させる。
「……!」
先生! 先生の体が光を放ってる! 意識がはっきりと呼び覚まされた。先生の背中がこんもりと盛り上がったと思ったら、ブラウスを破って翼が現れた。しかしその翼は悪魔の物とは違い純白と呼べる白で心が癒される。と、先生の体がピクリと動いて、……ゆっくりと動き出した。生きてた。先生が生きてた。刺さっていた黒い羽根をポロポロと落としながら静かに立ちあがった先生は次第に髪の毛が銀髪に変わり、顔も凛々しい。いったい、何が起きたんだ?
立ちあがった先生は胸元で手を合わせて口をパクパクと動かす。すると先生の放つ輝きがより強力になって辺りに広がった。竜巻が収まったのはそれと同時だった。急に止んだ風で宙に放り出された俺は肩からコンクリートの床に落ちた。体が動かない。指一本動かす気力もない。
「久瀬君! 大丈夫なのデスか?」
先生がやって来る。見間違いじゃなかった。先生は確かに銀色の髪と白い翼を持っていた。服は血で汚れているものの体には傷もないようだ。
「神の息吹をあなたへ」
先生が白く光る手を胸に当ててくれる。優しい痺れが全身に行き渡ると苦しみも痛みも嘘のように和らぐ。体も自由を取り戻した。
「せ、先生……いったい……」
先生は「隠していてすいませんデス」と困ったように笑った。
「よもやこのような場所で天界の住人に出会おうとはな」
悪魔が言う。先生が天界の住人……。あっ! ミズルが言ってたっけ。この世には悪魔同様、天界の住人もやって来てるって。
「あなたは理性のある悪魔の様デスね。だったら私と揉めることが後々どのような面倒を生むかご存じでしょう?」
「お前らに目をつけられると確かに面倒だな。しかし」
悪魔は俺の方へ顔を向けて「我が目的はそいつの命。よってお前にはこの場から去ってもらいたい」と続けた。
「去りません。あなたとこの子の間にどのようないさかいがあるのかは存じ上げませんが、この子は私の生徒なのですデス。この子に手を出すと言うのなら私はこの子を全力で守りますデス。それにあなたは相当の魔力を消費したご様子。いくら月の下とはいえすぐには回復しないのでしょう? だったら私にも勝機はあるかもなのデスよ」
先生は驚くほどに堂々とした態度で悪魔に言い返してくれた。ありがたい言葉が身に染みる。本当に頼もしい。そうして悪魔は沈黙した。先生と悪魔の睨み合いが続く。
「ふん。良いだろう。今日は我が引こう」
マジか? 助かるのか?
「だが、我は諦めん。お前が目を離した隙に必ずそいつを殺してみせる」
「そうはさせないのデス。絶対に」
「面白い。守って見せるが良い」
悪魔は俺たちに背を向けると、片翼をはばたかせて屋上から空へ飛び立った。脅威が去って行く。とりあえずは生き残れたらしい。
「先生って天使だったの?」
「とんでもない。私は天使ではないのですデス。天使見習いとい言ったところでしょうか。天使になるための最終研修として下界へやって来ているのデスよ」
「最終研修って先生になることが?」
「いいえ。なんでも良いのですデス。研修目的は人との絆を作る事。真なる絆を築き上げることが出来たなら、私はようやく天使となれるのデスよ。それよりも久瀬君。私はあなたにお訊きしたいのですデス。私が気を失っていた間、あなたはあの悪魔とどのようにして渡り合っていたのデスか? そして何故、あの悪魔に命を狙われているのでしょう? また先生が天界から来た者だと知ってどうしてそんなに落ちついていられるのでしょう?」
それらの質問への返答には困った。先生は天界の住人だ。だったら魔界とは敵同士なんじゃないのか? もしそうならミズルの存在を伝えるのはマズいかもしれない。それどころか俺が魔人だって知ったら俺まで先生の敵になるかもしれない。そうなったらまず普通の生活はおくれなくなる。
「……信じてもらう事は出来ないかな」
「何をデスか?」
「今は言えないけど、俺を信じてもらえないかな」
先生の瞳を請うように見つめた。
「久瀬君は間違っていないのデスね?」
この問いに俺は迷いなく力強く頷く。すると先生はしばらく俺を真顔で見つめた後に笑顔をくれた。
「分かったのデス。久瀬君を信じます。だって久瀬君は私の生徒なのデスから」
「ありがとう」
「あの……私の方からもお願いがあるのデスけれど……」
「うん。分かってるよ。先生のことは誰にも言わない。よくわかんないけど、小森たちの前で正体を現わせなかったってんなら、その事は極力内緒なんでしょ?」
「ええ、大事になると研修に差しさわりがありますので。久瀬君、ありがとうございます」
先生が頭を下げると銀色の髪がさらさらと揺れた。こうしてこの夜はひとまず静けさを取り戻した。空には死を覚悟した夜とは思えない明るい月。とても綺麗だった。とても神聖だった。
その後、俺と先生は自分たちの力や正体を隠しつつ適当な話を作り上げ、なんとか悪魔に許しをもらえた事を小森たち伝えると、小森たちが落ち着くのを待って帰宅の途につくことにした。その際、先生が小森たちを家まで送ると強く言いだして、その意見に反対せず小森がギュッと先生の腕にしがみついた時、何かが良い方へ傾いた気がした。確かに先生の気遣いは鬱陶しい。けれどもそれは愛情の裏返し。しかも天界仕込みの愛情なんだから。
小森、俺たちは最高に恵まれてるんだぜ。




