(五)-2
今日は月がキレイだ。俺の魔力の補充方法もミズルと同様で、俺は昨夜使った魔力を月の光で回復させながら学校へ向かった。ヴァゴスとやりあった時のミズルのように雲を突っ切る高さまで昇り、より近くで月の光を浴びれば魔力は一気に回復するのだそうだが、いかんせん俺にはそんなご都合飛行スキルはないから、地味~に少しずつ回復していくしかないワケだ。まぁ、ミズルのいる我が家まで逃げられる分の魔力があれば充分なんだけどさ。もっと言えばあの悪魔に出会わなければなんの問題もないんだけど。
電柱の影から影へと移動し、その影からそっと手を出して魔力を回復しながら周りに注意を払って進んで行くと、時間はかかったものの学校に辿り着いた時にはけっこうな魔力が回復していた。
九時に少し前の夜の学校。先生たちが何人か残ってんだと思ってたけど校舎内は静かで暗い。体育館と校舎を繋ぐ渡り廊下にある隙間から校内へ入った俺は、昼間とは違い幽霊でも出そうな雰囲気の廊下をひたひたと歩いて教室へ向かう。小森たちが華ヶ崎先生をどこに呼び出したかはわからないが、部活も委員活動もしていない小森たちにとって候補はそんなに多くはないはずだ。
廊下から見ても一日の仕事を終えた二年三組はひっそりと寝静まっている。ここじゃなけりゃどこだろう? 体育館とか? まさかベタに体育館裏? 考えながら一応二年三組の前の方の戸を開けると、顔面に軽い衝撃があって、次は胸。Tシャツが張り付いた肌の表面を液体が流れ落ちて行く。そこで「大っ成功!」と大きな歓声が上がって部屋の明かりがついた。
明かりのもとに照らし出されたのは小森、宮田、橋本、そして灰色のバケツを持った見知らぬ茶髪頭の男が二人。どうやら俺は水をぶっかけられたようだ。
「はぁ? 久瀬?」
俺に気付いた小森は笑顔を消して「なんでお前がここにいんだよ?」と不満げな目をよこした。
「お前らが先生にちょっかいを出すような話を聞いたから様子見に来たんだよ」
「久瀬、本気で言ってんの? 何? まさかお前、一人暮らしを同情してくれたぶりっこセンセーに惚れちゃったの? キモいんだけどぉ」
「そんなんじゃねーよ。お前らが先生を気に入らない理由はわかるけど、やり方があんだろ? 水をぶっかけて何が変わるってんだ?」
「水をかけるのなんてほんの触りに決まってんじゃん。本番はこれからだって。お前も同じ目に遭いたくなかったらさっさと帰れよ」
小森が言うと二人の男が近づいてきて「そう言う事。ってかさぁ、お前のせいで水が無駄になっちゃったじゃん。ほら、水汲んでこいよ」とバケツを胸に押しつけられた。でも俺は二人を無視して小森に話しかける。
「華ヶ崎先生と出会ってまだ二日じゃん。先生が気に入らないならどうして気に入らないのか口で先生に説明したらどうだ? いきなり暴力的な行為に出るのもどうかと思うぜ」
「時間なんか関係ねーよ。あいつはきっと自分のことしか考えてないんだ。生徒に慕われる自分に酔いたいだけなんだよ。だってそれ以外にあんなに私たちに近づいてくる理由がある?」
ない。先生が完全なる聖人であると言うのなら分かるが、そんな人間はこの世にはいない。言い方は悪いが小森の意見は正しかった。熱血教師ドラマに憧れているのかも知れないけど、それもつまりは自己満足のため。そう自分のため。俺たちのためじゃない。
「言い返せないだろ? だから私たちが教えてやるんだよ。私たちはお前のオナニーの道具じゃないんだってな」
「……だったらそれを言ってやれば良いじゃん」
「あのキャラ相手に話すなんて面倒なだけだろ。どうせサムい言葉を使って反論してくるだけだろうからね」
小森が言うと男の一人がさらに強くバケツを押しつけてくる。
「そう言う事だから早く汲んでこいよ。その先生が来ちまうだろうが」
「それでも俺は暴力はいけないと思う。小森、もう少し様子を見たって良いじゃんか」
言うと男が「ぐだぐだ言ってねーでさっさと水を汲んでこいっつってんだろ!」と胸ぐらを掴んできて、俺はその手首を握った。
「少し黙っててくれよ」
「てめぇ、なめてんのか?」
男が顔面を殴って来たけど俺はよけない。額で受け止めてやった。
「ってぇっ!」
手首を押さえてうずくまるのは男の方。俺のダメージはゼロ。
「久瀬、私たちの邪魔をするって言うの?」
「邪魔じゃない。話し合いをするってんなら大人しくしてる」
「じゃあ好きなだけ暴れてみろよ。お前みたいなショボそうな奴が暴れても何も怖くねーし」
今までの俺ならそうだったろうけど、今の俺が暴れようものなら数分でこの教室をぶっ壊すのもあながち不可能じゃないだろうな。
「小森さーん。教室にいるのデスかぁ?」
遠くから聞こえたのは華ヶ崎先生の声だった。
「ちっ! 来ちまったよ。どーする、歩美?」
橋本に訊かれた小森は「こうなったら初めから実力行使と行くしかないよね」と男二人に目をやった。
「久瀬、あんたにも痛い目に遭ってもらうからね」
心臓が止まりかけたのは宮田の笑顔が恐ろしかったからじゃない。
宮田の肩越しに見える後ろの窓。そこには明るい教室の様子が映っているんだけど、よくよく見てみると教室の後ろの窓の端の方にこちらを覗き込むスーツの男がいる。見間違うはずがないし、そもそもこの時間の三階の教室の外に普通の人間がいるはずがない。
昨夜の悪魔!
そして、そしてあの黒い鳥のような心のない眼球と目が合った!




