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梅雨が明けると急に暑くなる。しかもこの地域は、梅雨以外の時期でも湿気が多い。
夏でもカラリとした暑さにはならず、じっとりと粘り着くような暑さなのだ。
風が無ければ、不快指数は限りなく高い。
授業の後、檸檬はうっすらと汗を滲ませながら歩いていた。
隣を歩く少年は日下部 亨。檸檬の親友である。
クールで大人っぽい、端正な顔立ちの檸檬と、爽やかで陽気、童顔で可愛い顔立ちの亨は、実は中学校の女子生徒の心を二人でほぼ掌握している。
勿論、全ての女生徒が二人のどちらかに恋をしているという訳ではない。
芸術鑑賞のように檸檬を眺めるのが好きな子もいれば、
亨の笑顔に母性本能がくすぐられまくる少女、
また、アイドルに夢中になるように二人セットでいるのを見ているだけで
幸せを感じる女の子もいる。千差万別である。
だが、二人のどちらにも無関心という女生徒は皆無だ。
興味が無さそうに見える娘も、単にそれを装っているだけなのだ。
こんな二人がこうやって一緒に道を歩くと、
不特定多数の女性の視線がまとわりついてくるのが常だ。
一緒に下校し始めた頃は無遠慮に見てくる女達を煩わしく感じていたが、
気にしていたらキリがないことに思い至り、今ではもう二人とも完全無視である。
「あっちーな!」
亨が掌をパタパタと振るが、殆ど風は起こらない。
「檸檬は暑くないのか?」
「暑い。」
亨に言われて、檸檬は前髪をかきあげながら即答した。
「…そうか?結構平然として見えるけど。」
「そういう顔なの、俺は。」
亨はちょっと笑った。
「確かにそうかも。…こんなに急に暑くなって、桃ちゃん、身体壊したりしないか?」
親友だけに、亨は桃のことを知っている。勿論ダウン症だということも。
何度か顔を合わせたこともあって、一人っ子の亨も、桃のことを、
愛嬌のある可愛い子だと思っていた。
だが、檸檬が桃の将来を担うつもりで、
日々勉強にも運動にも励んでいる姿を間近で見ている。
そして自分にもし妹がいても、
檸檬が桃に対して持っている程の覚悟はできないだろうとも思う。
それ故、檸檬や桃の力になりたいと考えつつも、どこまで踏み込んで良いものか、
何をすれば良いのか、皆目見当がつかない。
ただこうして声を掛けることしかできないのだ。亨はそんな自分を歯痒く思っていた。
「うん。今のところは大丈夫。」
そんな亨の内心に薄々は気付いているのだろう、
たったひとつの言葉でも檸檬は本当に嬉しそうな顔をする。
「暑いと体力の消耗も激しいからね。ちょっと心配だったんだ。」
「ありがとう。」
笑顔のままで檸檬は片手を上げた。
「じゃあな。」
「ああ、また明日な。」
これから檸檬は桃を迎えに行くのである。亨も手を上げて笑った。
そして二人は違う方向へと進む。
暫く進むと小さな声がした。
「…あの、桐島くん…。」
呼び止められて振り向くと、女の子が一人、立っていた。同じ中学校の制服を着ている。更に名札に入ったラインは、同じ学年であることを示す緑だ。
誰だっけ、と思いながら口を開く。
「何?」
その女の子は、顔を真っ赤にして俯き、プレゼントらしき包みを差し出した。
「…好きです。受け取ってください。」
クールな檸檬は、ある意味冷たくも見える。
整った外見で、親しい相手以外には壁とも言える雰囲気を醸し出しているので、
おそらくその少女もかなり勇気を出したに違いない。
だが檸檬は今のところ、この少女に限らず、桃を除く全ての女の子に全く興味は無い。
「悪いけど。」
プレゼントを突き返そうとした時、包装紙に目がいった。
そのプレゼントが包まれていたのは英字新聞である。
そして、そこに載っていた写真にひどく心が惹かれたのだ。
「…プレゼントはいらない。でも、この包装紙だけ貰って良いか?」
女の子は顔を真っ赤にしたまま、
「はい。」
と頷き、丁寧に包みを広げた。
「…ありがとう。」
一言だけ言って、英字新聞を受け取った檸檬は、
そのまま少女に見向きもせず歩き出した。
少女には、そんな檸檬を再度呼び止める勇気はもう無かった。