天気と心情の反比例
名残惜しく落ちる一枚の花びらのように。時の流れはひどく緩慢で。
「あなたが好きです。」
そう言って、泣きそうな顔で笑ったあなたに。
ぼくはどう映っていたのだろう。
着信を告げる携帯の音に慌ててディスプレイを見た。表示されていた文字は期待とは外れ。そのことに落胆している自分に驚いた。
待って、いるのだろうか。彼からの。連絡を。
ぱちんと八つ当たりのように閉じた携帯を放ると仰向けに寝転がる。
『あなたが好きです。』
泣きそうな顔で。もう、泣いているんじゃないだろうかという笑った顔で。そう、ぼくに告げたひと。
「・・・・・・言い逃げなんかするからだ。」
声にだしたのは不満か、不安か。勝手に告白して、勝手に諦めて、勝手に。いなくなって。
「・・・・・・だから自分勝手なんだ。」
言葉にしても逃げていくのは身勝手な暴言だけで。ほんとうに捨ててしまいたい感情は蹲る頭から消えることはない。
寝転がったまま頭を抱えて目を閉じる。浮かぶのは友人だと思っていた彼の笑顔と、そして泣きそうな笑顔だった。
いつから友人ではなくなっていたのだろうと、振り返る。初めて会ってから二年。その割には馬が合ったのか、すぐに打ち解けた。年も近く、趣味も合った。テレビを見ながらどの子がかわいいとか、あの子がいいとか。そんなくだらないこともたくさん話して。週に何度かは飲みに行ったりもして。
「・・・・・・・・・・・はあ。」
出てくるのは溜息と、携帯への八つ当たり。着信のないそれを開いては閉じ、開いては閉じと無意味な動作を繰り返す。
動揺した。
驚いた。
正直、少し引いた。
それくらい、ただの友人だと思っていた。
「・・・・言い逃げ野郎。」
だが戻ってきたら戻ってきたらで、何と返事をしていいのかがわからない。
嫌いではない。むしろ好きだが、それはあくまで友人としての好きだ。恋愛対象として見ろと言われたら、それは。
「あーーーっくそっ、っかんねえよっ、わかるかボケ!! んでこんなことにこんなっ・・!」
ばすばすと叩かれたベッドが不当だと文句の音を上げる。はずみで携帯が飛び、かつんと床に落ちた。その拍子に画面が開く。表示されたのは彼のアドレス。
「---!!!!」
ばすんと。一際大きくベッドが喚いた。
十円禿ができそうだと本気で思った。そのくらい、この一週間考え続けていた。相変わらず連絡はない。姿も見せない。むしろまだこの町にいるのかどうかすら怪しい。
外に出れば足は自然とよく行っていた映画館へ向いた。観たいものがあるわけでもないのに、もう覚えてしまっているのか。空は曇り空で、どことなく雨が来る匂いもする。
降るかな。
思いながら、映画館の自動ドアをくぐった。
「----あ、」
思わず漏れた、という程度の。小さな呟きにも満たないその音をぼくの耳は忌々しいことにしっかりと拾い上げた。聞こえなければ無視することも、気づかぬ振りもできたのに。
俯いていた顔を上げると、そこには一週間振りの彼がいた。
「・・・・・・・・・。」
おろおろと動揺を隠せないらしい彼に無言で近づく。彼が逃げる、追う、逃げる。いつの間にか広くない映画館のロビーで全力の追いかけっこをしていた。
「ちょ、ちょ、怖いっ、顔が怖いっ、」
「・・・・・・・・・。」
「無言も怖いっ!」
幸い。幸いなのかどうなのかわからないが、幸い。ロビーに客はおらず、少ないスタッフが止めたいがあまりに真剣に追っているので止められなくて戸惑っている中を走る。
頭の中に渦巻くのは、それまで考えていた色んなことや、いつからぼくを好きだったとか、どうしてそれを告げたのかとか。とにかく様々なことが浮かんでは消え浮かんでは増えて。
しかし追い付いて彼の襟首を捕まえた途端出た言葉はそのどれでもなく。
「表出ろコラ。」
どこの不良かと自分でも思った。
雨が降りそうだ。
見上げた空ははっきりとしない色が一面に広がっている。
外に出たものの何も言わずに空を見上げるぼくに、隣に立つ彼は居心地悪そうに手をポケットに入れたり出したりちらとこちらを見たり見なかったり。
放っておいたらいつまでもこの状態なんだろうなあと見上げたままの目が半眼になる。
好き嫌いがはっきりしているくせに、変なところで優柔不断なのだ。彼は。
「・・・はーっ」
溜息を吐くとびくりと隣の長身が震えた。そのままおどおどとこちらをうかがうような逃げたそうな。まあ、彼の心境からすれば逃げ出したいのだろう。告って、しかもそのまま言い逃げした相手が目の前に(隣だが。)いるのだから。
だが逃げたいのはぼくだって同じなのだ。できれば返事などしたくなかったし、言うべき返事だってまだ決まっていない。心境の整理でいっぱいいっぱいなんだ。
「・・・・で?」
しかし会ってしまったのだし。ここで何もせずに逃げてしまえば、多分。
「え・・・・」
半眼で、一言だけ問うと、明らかに泳いだ目でえーと、と意味のない言葉を呟く。
「何で逃げた。」
直球。素直に疑問に思っていたといえばそうだし、しかし逃げた気持ちもわかるといえばわかる。
「え・・。・・・・困るだろ。・・・・・お前が。」
彼らしい。と。思う返答だ。だが。
ぷちん。
キレるには十分な返事だった。
「・・・・・言い逃げされた方が消化不良で胃潰瘍にでもなりそうなくらい迷惑なんだが。」
極力怒気を抑えるように言いたかったのだが、無理だった。
「消化不良で胃潰瘍になるんだったっけ・・」
「何か言ったか?」
「い、や、何もっ」
「で?」
「え、」
「おれが困ると思うなら、何で告げた。」
まっすぐに見た眼は、もう揺らがなかった。そう。この眼で。一週間前のあの日にも。
「好きなんだ。お前が。・・・良い友人という関係を失ってでも、・・・伝えたかった。」
「・・・・・・・・・。」
馬鹿だ。
ぼくは、良い友人であるお前を、失いたくなかったのに。
「馬鹿。」
「え!? ひどい! 必死の告白を!」
「大馬鹿。」
「ひどさが増した!」
ぽつり。ぽつりと。灰色の地面が黒くなってゆく。降り始めた雨に構わず、足を踏み出した。後ろでたじろいだ気配がする。十歩ほど歩き、十分に距離をあけ振り返った。
「返事は保留だ。馬鹿野郎。」
大振りになった雨の中言った言葉は聞こえなかったのだろう。「えー?」と言いながらばしゃばしゃと雨に構わずこちらまで来る。
ああ。本当に。馬鹿野郎だ。
「返事は保留だ!失いたくないなら、失わないように勝手に頑張りやがれ!」
「・・・・え、」
それって、と彼がぽかんと呟いて。
ああ本当に、ぼくは大馬鹿だ。
ここで何もしなければ、多分。何もなく平穏な日々に戻れたのに。彼という友人を、ひとり失うだけで。
ばたばたと叩きつける雨の中、傘を持たないぼくはそのまま進む。とりあえず帰ってシャワーを浴びなければ。風邪をひく。
そんなことを考えながら歩くぼくの後ろでは。
「よっしゃー!頑張るぞー!」
とさっきまでの挙動不審はどこへ行ったのか。通行人が怪訝に見る彼が両手を上げて叫んでいた。
「絶対落とす!」
「往来で叫ぶな!」
ごん、という鈍い音は雨の中にかき消され。
選択を誤っただろうかと小さな後悔と諦めた思考に。
とりあえず、この一週間の鬱々とした気分だけは晴れていた。
天気は、雨。
なにも起こらない。