第二章 補給戦線 Ⅰ
雪の降り積もった高原に茶色い地表を露にした道が、雪原を二つに切り裂くようにして続いている。その上を幾人もの兵士たちが隊列をなして行軍していた。
どの兵士たちにも憔悴の色が見られ、物資を輸送している鳥車が列をなしてその横を通り過ぎていった。漆黒の羽毛に覆われている恐鳥たちは力強い脚力で、荷車を引きながら雪道を歩いていく。黄色く鋭い嘴を前に突き出して、兵士たちを見下ろしながら道を延々と進んでいた。
「俺たちはこの戦いで生き残れるのかな?」
物資を運ぶ鳥車の手綱を握っている兵士が、隣に座っている同僚に聞いた。
「心配するな。開戦から4ヶ月近く経っているのに、ユストニア軍の本隊がバスニア砦に現れたって報告がないんだ。やつらもそうとうに消耗しているさ」
それをきいた兵士は手綱を強く握り締める。
「駐屯地にいた基地長がバスニア砦に兵力を移すっていうのは、砦で決戦が近いからじゃないのか?」
「馬鹿言え。念のために戦力を全て砦に移動させてるだけだ」
鳥車の上で不吉な言い合いをする兵士二人、空の表情も心なしか雲で陰り出していた。
ユストニア大公国がグイディシュ王国の豊富な鉄鋼資源を狙って、このレルジアント地方に侵攻してから四ヶ月が経とうとしていた。
高原地帯を下りたところにある街「タリボン」の攻略部隊を撃破したグイディシュ王国軍は、主力部隊を集めて高原地帯手前にあるラネス平原を決戦の地として選んだ。新たに中央方面軍より派遣された王国の近衛師団もこれに加わり、ユストニア軍に決戦を挑んだ。
ユストニア軍の延びきった補給線では、充分な装備と食料が届かない。だが、体勢を立て直せば、いくらかの勝機はあった。そのため、ラネス平原に主力部隊を集結させていた。それを見越していた王国軍はユストニア軍が充分に準備を整える前に、ラネス平原に殺到し、ユストニア軍の反攻の出鼻をくじいた。
そのため、ユストニア軍は当初のレルジアント地方全域の占領という作戦目標を変更し、鉱脈のある高原地帯の確保という作戦方針に転換していた。
この四ヶ月の間にタリボンを抑えてレルジアント各地に軍を展開することが不可能となったユストニア軍には、この作戦変更は当然の行為であった。
だが、ユストニア軍はスピードを重視していた作戦を遂行していたため、道の交差点にある主要都市しか占領していなかった。そのため、主要道路の外れにある中小規模の街、村、基地、砦には手出しをしていない。
ラネス平原で大敗北したユストニア軍にとっては、高原地帯を勢力下に置くことは急を要することで、王国軍からの反攻作戦を迎え撃つことができる唯一残された作戦である。
そのため、高原地帯の中小規模の軍基地を巡って熾烈な戦いが繰り広げられていた。
タリボン方面の南側高原に位置しているバスニア砦は、開戦当初、ユストニア軍が戦略的価値なしと見ていたため、いまだに攻撃にはさらされていない。
「物資と兵糧、兵員の移動に一ヶ月かかって、ついに俺たちが最後か。駐屯基地が空になったってのもなんだかおかしな話だなぁ」
曇りだした空を見上げながら、兵士は荷車を引く恐鳥のグイに鞭を入れた。この先にあるバスニア砦にむかって、鳥車は速度を上げて走り出す。鳥車に乗った兵士達は実戦を経験していない。とはいえ、休みなしに砦と駐屯地を往復してきた兵士たちは、さすがに憔悴の色を隠せずにいた。もし、この状況でユストニア軍に会敵すれば、王国軍の兵士達の運命は目に見えている。
「まあな。さっさとこの戦争が終わってくれれば、気が楽なんだけどな」
横に居た兵士も冷たい風を肌に感じながら、そう呟いていた。
まるで他人事の様に、あたかも自らは戦闘に加わっていないと言いたげに、呟いていた。
「おい、砦が見えてきたぞ」
暫く無言のまま二人は鳥車を走らせていたが、はるか遠くにそびえる城砦が見えてきていたことを、手綱を握る兵士は指を差して隣の兵士に知らせていた。
「まて、なんだ? 砦から煙が上がっているぞ」
はるか遠くにそびえる城砦、いつもならば何事もなく城砦が彼らを迎えてくれるのだが、今日は違った。青空の下、穏やかな顔を見せていた城砦は、遠くから見てもわかるほど黒い煙で表情を曇らせている。
「おいおい、まじかよ。敵さんが来ちまってるじゃないか」
兵士は手綱を引いてから鳥車をとめて、はるか向こうで繰り広げられる城砦の攻防を、ただ呆然と見つめていた。
「逃げるぞ!」
横に居た兵士がすかさず手綱を持っている兵士をせかす。
「一体どこに逃げるんだ? 俺たちの駐屯地は空で、行く予定だった城砦はすでにユストニア軍の攻勢にさらされてるんだ。今更どこに逃げても、敵兵だらけに決まってる」
その言葉を聞いた兵士はうな垂れるように肩を落として、溜息をついていた。自分たちだけはこの戦いに参加せずにすむ。補給部隊に入ったのもそのためだ。
兵士は心の中で呟きを繰り返す。
しかし、はるか遠くで繰り広げられている戦闘行為は、現実を物語っていた。
「じゃあ、お前にはどこか当てがあるってのか?」
兵士は八つ当たりをするように、手綱を握る兵士を肘で小突いた。だが、明確な返事が返ってくることはない。突きつけられた現実に、二人とも動揺をしているのだ。舌打ちをしてから、兵士は手綱を握る兵士に言って聞かせる。
「確か俺たち補給部隊には二個小隊の歩兵が護衛についていたはずだ。とりあえず、部隊を全て合流させよう。このまま城砦に向かっても無駄死にして、敵に物資を垂れ流すだけになるからな」
その言葉を聞いた兵士は、無言で来た道を引き返し始めた。彼らの後ろには数十の鳥車が続いている。引き返し始めた先頭の鳥車に続いて、まるで蟻の行列のように、鳥車たちは道を引き返すのだった。
◆
枯れ草を燃やした時にでる煙のような灰色の雲が、空一面を覆っている。空は今にも雪が降り出しそうな雰囲気で包まれていた。
太陽が隠れれば肌を刺すような寒さが、この高原地帯を支配する。だが、その中をこの高地に住む人間は平然と暮らしている。リオデは村人と入れ替わりに入ってきた、同じ連隊に所属している大隊を出迎えていた。
彼女たちの所属する第六近衛師団は、二個旅団から編成されている。一個旅団は二個連隊からなり、そのうちの一つの連隊の指揮下にリオデの大隊は所属している。連隊も二個大隊から構成されていて、リオデ達が足場にした村に一個大隊と、彼女の指揮下の一個中隊が駐留することになった。もちろんこの村の人間は全て高地から避難して、平地にある街のタリボンに向かった。
リオデ達の大隊はこの村に入る前に、分岐していた道で戦力を二つに分散させているため、今は中隊規模での行動しか取れていない。とはいえ、この村を占拠していたユストニア軍歩兵一個小隊を撃破した功績を残している。彼女の部隊は実戦を経験して、着実に成長していた。
「隊長、フォリオン連隊長との作戦会議がこの後控えているとのことです」
村人たちの墓標の前で弔意を捧げていたリオデの後ろに、彼女の補佐役のベルシアが立っていた。気配を感じなかったリオデは、驚いて後ろを振り向いていた。
「わかった。すぐ向かうと伝えてくれ」
リオデの返事を聞いたベルシアは、一礼してからその場をあとにした。
彼女はそれを見送ると再び墓標の前でしゃがみこむ。
時間がなかったため、木の板に名前を書いただけの質素な墓標、それでも墓標があるだけましなほうだ。戦場では墓標さえ立てられず、身元もわからないまま総合墓地に弔われる者が大半なのだ。
(すまない。私がもっと早くに駆けつけていれば……)
結果は変わっていたかもしれない。
リオデは村人の墓標一つ一つを丁寧に回って、弔意を捧げていく。この村はユストニア軍の歩兵隊に占領され、略奪の限りを尽くされた。それでなお、村人達は一方的な虐待、強姦、殺人行為という暴力を振るわれた。
そうなる前に駆けつけてやれなかったことを、リオデは愁い後悔して自らを責め立てていた。リオデがその心情を他人に話したことはない。それでも、部下のベルシアは彼女の様子から、彼女の苦悩を察していた。だからこそ、ベルシアは墓標の前で弔意を捧げているリオデに、気を使って余計なことを言わずにその場から立ち去っていった。
墓標に弔意を捧げ終えると、リオデは即座に立ち上がって村の家屋が集中している方角へと足早々と向かう。
(この戦い、すでに私のものだけではない……)
リオデの顔からは誰かを愁う気持ちは読み取ることはできない。それどころか、何か強い決意を胸に秘めた、凛とした表情をしていた。
山道を挟むようにして並びひしめく家屋たちは、主を失ってどことなく寂しげにしている。その中で多くの兵士たちが休息を取っていた。
リオデはそんな家屋の中で、一際大きな建物の前まで向かっている。そこで同連隊の大隊長ホフマンと、連隊長のフォリオンと会うことになっているのだ。
リオデが連隊本部として機能している建物に入った時には、すでに多くの作戦関係者が揃っていた。
彼女が入ってきたのを見て、ホフマン大隊の人間の間で、ざわめきが起こっていた。たいていリオデが作戦会議上に来るとこのような声が上がる。内容は女性ゆえに起こる、僻みと侮蔑の言葉である。
その様子を見かねたフォリオンが一つ咳払いをすると、ざわめきも瞬く間に静まり返る。二つの大隊を取り仕切っている連隊長のフォリオンには、それだけの発言力があるのだ。
「さて諸君、我々が立たされている状況だが、ラネスの戦いで勝利したとはいえ、いまだ戦況は油断を許さない状況である」
そう言ってフォリオンは顎に生やした髭をさすっていた。そして、息を呑んで見守る士官たちを見回した後、続けた。
「このレルジアントのガルス山脈のユストニア軍掃討に、南西方面からは第七近衛師団、南東方面からは我が第六近衛師団が尖兵として送られた。両軍の当面の目標は我が領内にのさばる敵の駆逐、掃討、撃滅、追撃である。そのため、ユストニア軍を効果的に殲滅する必要がある。そして作戦遂行を潤滑に行うには地元部隊と合流が必要不可欠となる」
連隊長のフォリオンは簡単に現状を説明していく。リオデの大隊が村を確保した後に、ティオから報告が来ていた。行軍していたティオの中隊は、ユストニア軍の部隊と出くわして、戦闘状態に陥っていた。今でこそ、その戦闘は膠着しているものの、もし、増援を受けたユストニア軍が攻撃をかけてくれば、ティオ中隊の全滅もありえるのだ。もし、ティオの部隊が全滅すれば、この村はタリボンに向かう退路を絶たれてしまう。現状はけして芳しくはない。
二日前にはリオデが出した斥候が、村から東方向に数千人名規模のユストニア軍兵士の移動を確認している。それが、バスニア砦に向かっていることは明らかだった。だが、今彼女が指揮している部隊の数は千名程度で、なおかつ、味方大隊の到着を待たなければならなかった。それゆえに、敵勢力圏内での行動は、斥候にしても無闇な追跡行動などは取れなかった。
「大部隊を前に、震えて俺たちを待ってただけってのかよ」
ホフマン大隊の一将校が、そう言ってリオデを嘲るような目で見ていた。数千名規模の大部隊を前にしておきながら、むざむざと見過ごしたたことを、責め立てているのだ。
リオデの部下、ベルシアはその男の一言に憤慨して、立ち上がって言葉を発していた。
「我が隊の現在の任務は敵の大部隊に察知されずに安全な拠点を確保することです。わざわざその作戦行動を放棄して、拠点も確保せずに、むざむざと敵に立ち向かって全滅しろとでもいうのですか? だいいち、あなた方の行軍が二日遅れたことによって、見過ごさねばならない事態に陥ったのですよ?」
リオデ達の大隊は敵に感知されず拠点を確保することが第一に優先すべき任務だった。それゆえこの村に駐留していたユストニア軍歩兵小隊を一人も逃がさずに全て捕らえて処刑した。さらに、敵部隊の接近がないか、周辺の索敵も怠らず、常に気を配って斥候部隊を出していたのだ。そして、彼女は敵を見つけても攻撃をせずに見過ごして、発見されることがないよう、斥候部隊には命令を徹底していた。
それほど、気を使って拠点の確保をしていたリオデたちからしてみると、苦労も知らないホフマン大隊の一将校にけなされることは、とても堪えられるものではなかった。
なにより、リオデ達が拠点確保に精を尽くしているときに、彼女の大隊の報告書を信用しなかったホフマン大隊は行軍を渋っていたのだ。
そのせいで、敵大部隊の移動を見過ごすはめになったのだ。ベルシアの反論に言葉を返せず、憎々しげにリオデに視線を送る将校、その目には明らかな軽蔑意識が見て取れた。
「味方同士で争っても仕方あるまい。双方の隊の失態が消えるわけではない」
ホフマンがそう言って二人をなだめ、場の空気を和らげる。しかし、さりげなくリオデにも失態があるということを強調していた。
ベルシアが抗議の声をあげようとした時に、リオデが言葉を発していた。
「そうだな。今はそのような不毛な議論をしているときではない」
リオデの意外な言葉に、ベルシアは不満げに席についていた。一応の収まりを見せた会議場を見回して、フォリオン連隊長が再び口を開いた。
「ホフマンとリオデの言うとおり、味方同士で僻みあっていては、ユストニア軍を駆逐することなどできんだろう。双方とも頭を冷やせ」
ベルシアは不満そうにリオデを見るが、彼女は首を振ってから抑えるように示す。
「さて、本題に入ろう。我が第一連隊がこのレルジアントの最東の道を抑え、この先にあるバスニア砦までを我が軍の勢力圏に置くというのが現在の我が隊に託された任務である。しかしながら、バスニア砦が敵勢力圏に陥落していないとは言い切れない」
フォリオンはそう言って、作戦会議の机の上に置かれている地図上のバスニア砦を指し示していた。そのあと、渋めの顔をして説明を続けた。
「そこで、リオデ大隊長、君の中隊で威力偵察を敢行し、状況を確認してきてほしい。ついでに、我が連隊の最終任務である第1112山岳歩兵師団との合流のための情報も収拾してきてくれるとありがたい」
フォリオンは両手を顔の前で組み、鋭い視線でリオデを見据える。有無を言わせない威圧感とそれにそぐわない包容感、両方を出して言っていた。
リオデにとって未開の地であるこの高原を、中隊を率いて偵察行為をすることなど、無謀である以外に何でもなかった。それもこれも、全て彼女を潰すために仕組まれているのではないかと、ベルシアは思わざるをえなかった。
これまで王国では女性兵士はいても、女性士官はまったく見られなかった。リオデはそんな中、流星のごとくこの戦地で才能を目覚めさせ、女性士官として活躍していた。
それを僻む身内も多く、彼女を潰そうとする将軍さえいる。ユストニア軍のみならず、彼女は身内の敵とも戦ってきているのだ。とはいえ、どちらにしてもフォリオンの提案した偵察任務を、誰かがを果たさなければならない。
それでも、ベルシアは納得がいかなかった。村に後から来たホフマン大隊が、この村を確保して、リオデ達がこの作戦に借り出されるのは、不公平と感じたのだ。
そんなベルシアをよそに、リオデはフォリオンに向き直って、凛とした口調で言う。
「この大命、果たして見せます!」
曇りない眼で真っ直ぐとフォリオンを捕らえ、はっきりと断言していた。そのリオデの目に何か大きな決意がみなぎっていたのを、フォリオンは見逃さなかった。
それから数刻の時が過ぎ、作戦会議は真夜中まで続いた。リオデたち指揮官が連隊本部より出てきた時には、真っ黒い雲が夜空を覆っていた。
外に出た指揮官たちの肌を切り裂くような冷たい風が、容赦なく吹きつけていた。
「こいつはいっちょ、荒れそうですね」
ベルシアがリオデと共に外に出ると、そう言って彼女を見つめる。
「そうだな」
そう言ってリオデは風でなびく、艶のある長い紅い髪の毛を手でどけていた。
そして、彼女は夜空を見上げながら言う。
「ベルシア、この戦いどうすれば早く終わると思う?」
軽く受け流された上に唐突な質問をされ、ベルシアは戸惑った。それでも彼は、自分なりの答えを見つけて口にしていた。
「ユストニア軍を追い出すしかないでしょう」
「だが、相手はいたるところに、部隊を拡散させて配置している」
リオデは厳しい表情で、ベルシアを見つめていた。その表情にベルシアは、不覚なことに胸を高鳴らせた。だが、それでも、真剣に答えていた。
「しらみつぶしに拠点を潰していく。地道ですが道はそれしかないです」
ベルシアは思ったままのことを口にした。拠点を制圧して敵を無力化していくしか方法はない。この広大な高原地帯では、岩を隔ててその向こうに敵がいるという状況だ。一歩間違えれば気づかないうちに、大部隊が後方にいるという惨事が起こりかねないのだ。
だが、活動拠点を潰されればユストニア軍は撤退を余儀なくされる。ユストニア軍もそれを重々承知しているので、重要拠点の防備は堅固なものになっている。とくに最前線に近いこの周辺域の拠点は、堅固な守りをしいている。
「一刻も早く、もっと効率的に、ユストニア軍を撤退させられる方法はないか?」
リオデは切なげな表情を浮かべ,ベルシアに聞いていた。彼は言葉を詰まらせる。
「それは……。自分はなんにも思いつきませんよ。せいぜい思いついても、そのくらいで」
苦笑を浮かべるベルシアに、リオデもまた苦笑を浮かべていた。
「すまない。変なことを聞いたな。私達の任務はあくまで、偵察と情報収集だ」
彼女はそう言い、苦笑を浮かべたまま付け加えた。
「今の会話は忘れてくれ」
ベルシアは無言で頷いて見せると、雪の降り積もった道に足を踏み出した。
心なしかその足取りが、ベルシアには重く感じられた。