第一章 決断の時 Ⅱ
Ⅱ
「リオデ隊長! 村です」
一人の兵士が指を差して叫ぶ。リオデは指の指した方向に顔を向ける。その方角には道の脇に立ち並ぶ家屋が見えた。
道を挟むようにして家屋立ち並んでいるが、丘の上からでは村の中まで見渡すことはできない。
「斥候隊を編成する。騎兵分隊は私の分隊に合流して村に向かう」
「隊長危険です。敵が占領している可能性があります」
そばに付いていた階級の高い兵士のベルシアが、慌ててリオデを止めた。
しかし、彼女自身、自らの目で確認しなければ気がすまない性の人間である。
「敵がいれば既に我々を発見しているはずだ。先手を取られていると考えて行動すれば、どうにかなる」
ベルシアの忠告も聞き入れず、リオデはヘルメットを深く被り、ランスを握り締めていた。戦闘体勢は万全でいつでも出撃はできる。
リオデの様子を見てベルシアはあきれ果てた後、全隊に戦闘隊形をとるように下命した。
全ては彼女に何かがあってはいけないという心遣いと、もしもの時に即座に対応するためである。
ベルシアの命令で銃兵隊は村に対して横列陣を作り、チャンバーに弾をこめた。これを使わない事を祈りつつ二列になり、一画を斥候隊が出られるように開ける。
その間をリオデ達が駆け抜けていった。
着々と戦闘隊形に移行していく隊は、一糸乱れぬ動きを見せている。普段の訓練と指揮系統が整備されているからこその賜物ともいえる。
一気に迫り来る村にリオデは目を見開いて、歯を食い縛っていた。
グイのスピードにではなく、そこに見えたモノに対してだ。
「戦線がないってのは、本当みたいね……」
リオデはそう呟いて村の前に立つカーキ色の軍服を身につけた兵士を見つめた。
彼女らを発見した兵士は、慌てて村の方へと駆けていく。
「隊長! あの村は……」
「分かってる! すぐに撤退したいけど、相手の戦力を見極める事に意味があるのよ」
リオデの言葉に戸惑いつつも、横についていた兵士は、手に収まるランスの柄を握り締めた。彼女自身村に突入をするような真似はしないつもりでいる。だが、それも時と場合を選ばなければならない。
占領された村にたった一五騎で突入したところで、結果は見えている。
だが、今のような状況では別だ。
村の家屋は道を挟むようにあり、敵の正確な数は分からない。その上、村の家屋の細かな配置を知っているのと、知らないのでは後の戦闘で効果は大きく違ってくる。何よりも彼女を突入に駆り立てたのは、敵兵士の配置がおかしかったからだ。
ユストニア兵の歩哨の配置は、村の入り口に一人だけと言うものだった。
普通なら最低でも2人を歩哨に立たせて、その後ろに戦闘要員を十名は配置して、奇襲に備えておくものだ。戦時ならばなおさらのことなのだが、村の入り口にはたった一人しか兵士が配置されていない。
(何かがおかしい……)
リオデはそう思いつつ先頭に出て行き、三個分隊を先導し、村の中に入り込んでいった。
村の道には数名のユストニア兵が、鎧も着けずに剣を持って闊歩していた。
その兵士を標的としてとらえたリオデは、急速に接近しランスの刃を突き立てる。呆気にとられたまま横たえるユストニア兵、その側にいた兵士も次々と悲鳴を上げる間もなく倒された。
リオデ達は周囲を見渡して、村の道を制圧したことを確認する。
村の家屋は約70戸ほど、道には馬が繋がれてはいるものの、兵士の姿は確認できない。
村にユストニア軍が駐留しているのは確かだが、肝心のユストニア軍の兵士が見当たらないのだ。
しかし、あまり長居をすると、命をとられかねない。
「よし、村の配置も掴んだ。撤収!」
力強い口調でリオデは分隊の人間に言い聞かせる。
その姿に女を感じるものはおらず、素直に従って来た道を戻りだした。
最後尾を勤めているのは、もちろんリオデだ。
彼女は規格を逸脱した指揮官である。部隊の最高指揮官でありながら、戦場の第一線に常に立ち兵士達を先導する。そのためか、当初、隊では不思議がる兵士達で溢れていた。しかし、彼女の真直ぐな戦いにかける思いと部下達への気遣いを汲み取って、今では指揮官として信頼されている。
若い女性でありながら指揮官でいられるのは、そのおかげといえる。
リオデ達の帰りを待っていた中隊は、村から無事に帰還する一行を見て安堵の溜息をついていた。
「すぐにでも突入体制をとっておけ、ケイルは銃兵3個分隊を連れて村の西側に回れ。本隊が射撃を開始したらそれが合図だ。村から出たユストニア軍兵士を撃って撃って撃ちまくれ」
ベルシアは命令を下し、そして素早く隊形を村の地形に合うように配置していく。
そして銃兵隊の縦列を前にベルシアは腰にあったサーベルを抜いた。
それと同時にリオデ達斥候部隊も中隊に帰還する。
「あんまり冷汗をかかせないでほしいもんですな」
帰還してきたリオデにベルシアは一言声をかけると、彼女はヘルメットを脱いで笑みを浮かべていた。
「指揮官が前に出なくちゃ、誰もついて来てはくれないわ」
ベルシアに見せた笑顔は、とても爽やかなものであった。しかし、それが彼女の一時的に緊張から解き放たれ、また、すぐに緊張状態に入らなければならないものであることを、ベルシアは理解していた。
「ケイル達を村の西に配置しました。必要とあれば騎兵隊も一個小隊ばかり配置しておきますが、どうします?」
「そうね。頼むわ」
即決したリオデに、ベルシアは騎兵隊の小隊長に村の西側に移動するように命令を下す。
「敵の様子はどうです? 見た感じでは大したことなさそうですが」
ベルシアの問いにリオデは真顔になって答える。
「村で歩哨を立ててはいたけど、おかしなことに敵が殆んど村に見当たらなかった」
怪訝な表情を浮かべるベルシアは、リオデにきいた。
「敵の数はそんなに多くないってことですかね?」
「そうなるだろうね……」
リオデはそういって西側に配置についた部隊を見てから、ベルシアに言う。
「攻撃を開始するわ」
リオデはそう言うなり、整然と並んでいる部下たちの前を、ノヘルメットを抱えたまま颯爽とグイで駆けていく。そして、部隊の隊列中央前に来ると、グイの手綱を引いて、立ち止まる。
その堂々たる勇姿と、戦場に似つかわしくない美しい容姿を、部下たちは息を飲んで見守っていた。
「皆聞け! 敵ユストニア軍の一団があの村を占拠している。諸君らの同胞が、あの村では助けを待っている。心してかかれ!」
リオデはその場でサーベルを抜いて、そのサーベルを雲に届かんばかりに振り上げる。それと同時に兵士達の雄叫びが、雪原の広がる丘陵地帯に響き渡った。
リオデは銃兵隊の後ろに待機している騎兵隊の方へとグイを進めた。
それを見てベルシアはサーベルを抜いて、横列隊系をとる銃兵隊の横に出た。
「射撃用意!」
ベルシアは声高らかに叫ぶ。すると横列の銃兵隊の前列に位置する兵士達は膝を付いて長銃を前に構えた。後列はその後ろで、直立姿勢のまま銃を突き出している。
「威嚇射撃の後、すぐに騎兵隊で突入する。騎兵隊は私に続け!」
リオデの一言にベルシアは目で銃兵隊の横列を確認した。
ベルシアはサーベルを空に向かって振り上げる。
「構え!」
ベルシアの声に一斉に銃兵達は銃を構える。かちゃかちゃという銃とスリングを繋ぐ金具の音が響き、緊張感が高まる。
「撃て!」
ベルシアは大きな声を発して、サーベルを振り下ろす。
白色の発砲煙が一斉に舞い上がり、それと共に硝煙の匂いが立ち込める。
「次弾装填、構え」
ベルシアの声でボルト式の銃から、一斉に空薬莢が地面に転がっていく。
そして、再び銃兵達は銃を構えて村に向かって銃を構える。
「撃て!」
轟音が雪原を覆い、その行為が二度、三度と、間を置かずに繰り返された。
「全部隊、突撃用意! 銃兵隊は着剣!」
威嚇射撃を終えた銃兵隊は、ベルシアの号令で小銃に銃剣を装着する。
「騎兵隊の突撃を優先させろ! ベルシア!」
リオデの怒号が響き、ベルシアはすぐに命令を下す。
「銃兵隊は、騎兵隊に道を開けろ!」
騎兵隊の前に展開する銃兵隊が道をはけて、騎兵隊が突撃するのには充分な幅を開ける。
そこでリオデは大声で叫んだ。
「騎兵隊は私に続け!」
リオデは勢いよくグイの胸元に蹴りを入れて、全力でその場からグイを駆けださせた。
高原を覆う雪は馬の蹄により抉り取られ、茶色の地面が肌蹴ていた。
その上を恐鳥達が縦列を維持して土埃を蹴り上げて疾走していく。
白い雲が空を覆い、雲の影の下となるこの薄暗い高原は荒れ果て、大地を露呈させていた。騎兵達はその大地の上を、ランスを片手にグイにまたがり疾走していく。
黒い羽毛を全身にまとい、主人の騎手を乗せ全力で走るグイ達は、黄色い嘴を前に突き出して村に向かう。
村の入口付近で数名のユストニア兵が、弓で騎兵たちに応射してきている。先ほどの奇襲に気付いた者なのだろう。
放たれた矢は無情にも、リオデ達のはるか手前で地に吸い込まれていた。
リオデには最後の抵抗にしてはあまりにも虚しすぎるように感じられた。だが、感傷に浸っている暇はない。
村の玄関口である農具を収める小さな家屋が、騎兵隊の目の前まで迫ってきていた。
リオデの眼前にはユストニア軍の歩兵が、チェーンのついたメイスを振るい、待ち受けている。
彼女は手に持つ鋭く尖った矛先を、皮とチェーンで編まれたレジストを着るユストニア軍兵士に向ける。
怯むことなく兵士はメイスを振るって走ってくるが、武器のリーチは騎兵隊のランスには及ばない。
ランスの刃がユストニア軍の兵士を貫き、その場に彼を這い蹲らせた。
その上を騎兵達は容赦なく踏みつけて走り抜けていく。
小屋の横を通りすぎ、騎兵達は雄叫びをあげながら、一斉に村へと雪崩れ込む。
高原ではありふれた村の形、道沿いに家屋が並び、外れた場所に教会がたっている。
この形態の村が騎兵隊には地獄に向かわせることを連想させた。
家屋からはこちらの姿が丸見えだが、こちらからは相手を目視する事は限りなく困難な作業となるのだ。それによって発生するのが待ち伏せである。だが、この村ではその心配がなかった。
先ほどの偵察の結果とあわせ、村の家屋からは装備の整っていない兵士が大慌てで走って出てきていたのだ。奇襲をかけられ、うろたえているさまがリオデ達には手に取るようにわかった。
剣を握る事すらせずに逃げ惑うユストニア兵達を、後ろからランスで突き刺す事はいともたやすい事だ。
村の中をまるで家畜でも殺すかのように、騎兵たちは次々とユストニア兵を突き殺していく。決着はあっさりとついた。
ものの数分で、家屋からは逃げ遅れたユストニア兵が、戦意を喪失し肩を落として出てくる。しかし、降伏をしたわけでもない。何より相手は兵士である。
容赦なく騎兵達は彼らに槍を突き立てた。
その地獄のような光景を目の当たりにして、ようやく敵兵士達は降伏を表し、両手を上げる。数十名のユストニア兵の死体が道に転がり、その凄惨たる状況をものがたっていた。
力なく横たわる兵士達の中には、瀕死の者もいるが、今は構ってはいられない。
「被害報告!」
リオデは決着がついたと見ると素早く部下に命令する。
「報告! こちらの被害はなし! 引き続き村の中の掃討に移行します」
部下の声にゆっくりと頷くと、リオデはグイより地面に降り立った。
辺りに響き渡る音はユストニア兵のうめき声と、王国軍兵士の、味気ない勝利に対する落胆の溜息だけだった。
リオデはグイをおりて改めて周りを見回す。
レンガと木を組み合わせて作られたお粗末な家、屋根には藁葺が被せられ、ここが農村ということを思い起こさせられる。
そんな家々が山道を挟み、立ち並んでいる。
リオデはその山道の真ん中で、疑問を抱いていた。
ここに突入してから、村の人間が全く見当たらないのだ。
嫌な予感が彼女の頭を過ぎては消えていく。
彼女はいても立ってもいられずに、部下にグイの手綱を渡して、身の危険を顧みず目の前の家屋に足を進めた。
目の前の一軒の家は、ユストニア兵が服さえ着ずに飛び出てきた家屋である。
それがどうしても彼女の頭を離れずにいた。
なぜ兵士が剣も鎧も着ずに下着、しかも裸に近い格好で飛び出してきたのか、疑問が残る。今は昼下がりだ、それ故に休憩をとるにしても、少なくとも装備は整っているはずである。リオデは一抹の不安を抱きながら一歩家に足を踏み入れた。
その瞬間に彼女の背筋に寒気が走った。
嫌な空気が彼女の鼻と肌を通して漂ってきたのだ。
かつて経験しことがないような異様な空気を漂わせるこの家は、彼女の予感が当たっていた事を証明することになる。
一歩、また一歩と足を踏み入れるにつれて、血生臭さが濃くなってゆく。
決して広くはない家、何室かに区分けされた防寒には強い家の一室、そこに足が吸い寄せられるように歩みだす。
リオデの中で誰かが呼びかける「開けてはだめ」と、しかし彼女は腰のサーベルの柄を握り締め、そのドアノブに手をかけた。
決して開けてはならない箱、それをリオデは開けた。
部屋の中には老夫婦と中年夫婦、そしてその子供と思われる少年が、服をひん剥かれ、どす黒い赤色に染まり、倒れていた。
薄暗い部屋は血で染まり、小さな窓からわずかに洩れ出る光を、その血で濡れた床は鈍く反射していた。
慈悲という言葉がないというのを、この時ほど彼女は思い知らされた事はなかった。老若男女、この家に住んでいたと思われる住人は殺害されていたのだ。
子供であろうと容赦はなく、転がる村人の死体は服を剥ぎ取られた上に、両手両足を縛られ、自由を奪われたうえで殺されている。
体のあちらこちらにあざが残り、無造作に重なれられた死体に、安堵の表情などはない。
苦しみに満ちた表情のまま、放置されているのだ。
死後それほどに時間はたっていない。
吐き気と共に怒り、憎しみ、悔しさ、悲しさ、そして苦しさが同時にリオデの胸の内には沸きあがり、全てをその場に吐き捨てたくなった。
「酷い、酷すぎる。あんまりよ……」
リオデの中で様々な感情が渦巻き、出す言葉がなくなる。
彼女はその部屋に背を向けて、頭を押さえながら歩き出した。
だが、完全に探索し終わった訳ではないことを思い出し、彼女は正気を取り戻して再び残りの部屋にも足を踏み入れた。
そう広くはない一室にはまだ温かい食事が用意され、もう一室は生活感のない薄暗い寝室が息を潜めていた。
どの部屋にも異常はないようにも見える。
だが、リオデが薄暗い寝室のドアを閉めようとしたとき、部屋の奥で何かの物音がした。
何か硬いものが、ゆっくりと木の板を静かに叩く音、その僅かな音を聞き逃さずに、リオデは音の方に振り向き、素早く身構えた。
ユストニア兵が自分の近くに潜んでいる。そう直感的に感じたのも束の間、ベッドの横の陰から何かが飛び出てきた。
それを予期していたリオデは、目の前までせまる鈍く光る刃と人の影を確認した。
身をかわすことなく、その刃が握られている腕をとり腹部に刃が刺さる前で受け止める。
その時には既に互いの顔を視認できる距離になり、もみ合いとなっていた。
相手は男のユストニア人、鍛えられているとはいえリオデも女性であり、なおかつ、華奢な体つき、揉みあいとなれば力ではどう足掻いても敵わない。
当然のごとくリオデは力負けし、ユストニア兵の力で押し倒される。
彼女は凄味をきかせて睨み付けるが、男は表情を変えることなく刃を持つ腕に力を入れていく。
リオデの右腕が床に着き、足で押さえられた時に男の刃は止まり、あいたもう一方の手で、彼女の両腕を床につけるようにしていた。
男はリオデの上に馬乗りになり、両腕を右手で押さえつけて自由を完全に奪った。
「ほほう、これが噂の女士官か……」
今まで表情一つ変えなかった男は、不気味な笑みを浮かべた。
意味深に唸り、そして言ったのだ。
「女士官か……」と。
男の手に力が入り、リオデの両手首を圧迫し、彼女の表情を徐々に歪ませていく。
その表情の変わりようを、男は笑みを浮かべて見つめている。
「この豚野郎」
睨みを効かせてリオデは言うが、今の体勢では男を喜ばせているに過ぎなかった。
「どうしてやろうか……」
ニヤつく男は短刀を、リオデの首筋を沿わせて、こわばるリオデの表情と反応を楽しんでいた。
「そうやって、この家の住人も殺していったの?」
彼女の言葉に男は一瞬動きを止めたが、すぐに笑みを取り戻して言った。
「そうだな。家族一人一人を、娘の目の前で殺していったさ、両親は悶えて死ぬ直前まで懇願していたよ、子どもだけは助けてくれ……とな」
それを聞いた瞬間に、リオデの全身に鳥肌が走っていた。
「この下衆野郎!」
部屋に響き渡るリオデの声は、殺気と怒気を帯びていた。
今彼女の目の前にいる男は、この惨劇を引き起こした張本人なのだ。
リオデの内に憤怒がこみ上げてくるが、この状態ではどうする事もできない。
彼女はそれを思うと余計に腹痒く、どうしてもこの男だけは自分の手で殺したいという思いが胸の内から湧き出してきた。
そのせいか、彼女の表情は険しくなり、睨みつける目にも殺気が帯びてくる。この状況に男は満足しているらしく、満面の笑みを浮かべていた。
しかし、このような状況も長くは続かなかった。
突如、男の隠れていた所から、女性の悲鳴にも似た奇声が発せられたのだ。
男はそれに驚き、後ろを振り向こうとしたが、それよりも早くに男の頭が何かで殴られ、衝撃で揺らいでいた。
力を失って、男はリオデの方に倒れ込んでくる。彼女はそれを、自由になった腕で素早く支え、乱暴に押しのける。男をのけてリオデの視界に入ったのは、肩を大きく上下させて息をし、手に陶器の花瓶をもつ少女だった。
下着姿の少女は、ユストニア兵に乱暴された後だったのか、前だったのかは分からない。
ただ、この家の住人である事は分かった。
見かけからして十四、五の少女ではあるが、陶器の花瓶には血がつき、渾身の力を込めて殴った事だけはリオデにも分かった。
少女は暫く肩を激しく上下させながら息をしていた。
だが、時間がたつにつれ、落ち着きを取り戻していく。それに伴って腕は力を失っていき、最後には手からも握力が奪われたのか、花瓶を放して床に落とした。
花瓶は床に乾いた音を響かせて、リオデの足元に転がった。
リオデは呆然と少女を見つめていたが、男の呻き声で自分の置かれた状況に気付いた。
その場で立ち上がり、サーベルを拾い上げて男に止めを刺そうと、剣先を男に向ける。
「隊長! 勝手に動かないでください!」
だが同時にベルシアが、慌てて部屋に入ってきてその行為を止める。
彼女は口惜しそうにベルシアを見たあと、サーベルを腰にしまう。
「すまない」
リオデは一言だけ謝ると、床に転がるシャツとパンツ姿のユストニア兵を家から出すように命令する。
その命令に従い、ベルシアは部下を数名呼び寄せ、敵兵士を運び出していった。
「もう大丈夫よ」
リオデは下着姿の少女にゆっくりと歩み寄り、肩に手を回して優しく言葉をかけた。
しかし、少女はその表情を変えることなく、呆然と立ち尽くしていた。
それも当然のことだろう。家族を皆殺しにされ、その上、それを実行した者に乱暴をされていたのだ。
リオデは質素なベッドの上にあるシーツをとり、少女の肩にやさしくかける。
それと同時に少女は彼女に顔を向けた。
その目は光を失い、どこに焦点が向けられているのか分からない。
「ごめん、ごめんね……」
リオデは自然とその言葉を口にしていた。
もう少し自分が早く来ていていれば、こんな事にはならなかったかもしれない。リオデはそう思うと、胸が張り裂けそうになる。
彼女はそっと少女の頭に手をのせて、綺麗な黒色の髪の毛をなでる。
それに対して、少女は初めて反応を見せた。
口をわなわなと震わせ、目からはすっと水滴が流れ落ちる。
そして、少女はその場に膝を床につけて、声を押し殺して泣き始めた。
まだ敵がここにいるかもしれないという恐怖が、少女からは抜け出ていないのだ。
リオデはその少女を、歯を噛み締めながら強く抱きしめていた。
強く、強く、とにかく、強く抱きしめた……。