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戦場の鎮魂歌  作者: 猿道 忠之進
最終章 鉱山都市ポルターナ攻防戦
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最終章 鉱山都市ポルターナ攻防戦 Ⅷ

「騎兵の足を生かして、村の兵士たちの命を救えるのは、今をおいて、他にない」

 フォリオンはそう言って、城門の前でリオデを見つめていた。城門前から敵が退散し、一時的であるが敵がポルターナの城門前からいなくなっていた。

 昨晩の奇襲攻撃は敵に予想以上の打撃を与えていた。そのおかげで敵軍は再編成のために、陣地を下げていた。

 フォリオンはそこで予め用意しておいた、大胆な救出作戦を展開することを決意していた。ホフマン大隊を中心とした部隊で、城門前を確保しておく。そして、騎兵大隊がその足を生かして高台の村に突入して、残った味方を救出する。という単純明快な作戦だ。

 これを実行するには、ポルターナの守備隊の協力が必要だ。そこで、昨日のうちに、フォリオンは守備隊司令部を説得していた。

 何より、ポルターナの駐留軍を救出作戦に動かせたのは、早朝に届いた伝書を括った軍鳩だった。その軍鳩にくくられた書簡には、ラスナ自らが書いた文書が記されていた。

 現状を記した文書には、こう書かれていた。

“残存兵は二百以下、負傷者も多数。しかし、我々は最後の一兵となってもここで戦い抜く。グイディシュ王国に栄光あれ!”

 短い一文、だが、それが村の部隊の決意を表していた。だからこそ、早急に救出に向かわなければならない。

「絶対に村の連中を連れ帰り、ここに、笑顔で帰ってきてくれ」

 フォリオンは真剣な表情で、リオデの肩に手を置いた。

 その横でホフマンも真顔で彼女を見つめる。

「俺たちがお前たちの帰り道を、絶対に守っておく。絶対に生きてる奴はみんな連れ帰ってこい!」

 リオデは真剣な面持ちのまま、王国式の胸に拳をあてる敬礼をしてみせた。

「リオデ・ジュリア・ネイド少佐、騎兵大隊長として、任務を全うしてきます!」

 二人もまた王国式の敬礼で答礼する。

「行ってこい」

 フォリオンはそう言って、彼女を送り出していた。

 リオデは二人を背に、駆けて自分のグイのもとへと向かった。城門前で整列した騎兵二千四百が、彼女を待ちわびていた。

「リオデ隊長、いつでも出発できます」

 ティオが笑顔で彼女の命令を、催促する。

「帰ったら、俺と結婚でもします?」

 ベルシアはそう言って、彼女を見つめる。それに、リオデは笑みで答えていた。

「お前はいいやつだ。でも、大隊一の女たらしと長くやっていく自信はない」

 どっと兵士たちの間で笑いが起こる。どの兵士もベルシアが、いつもの冗談をかましたのだと思ったのだ。だが、その真意はティオとベルシア、リオデ本人しか知らない。

「そうですね。自分は相応しくないかもしれません」

 ベルシアは笑みを浮かべてリオデに言っていた。

「でも、生きて帰ってこれたら、そのときは頼りにしてるぞ」

 笑い声がおさまらない中、リオデは騎兵用のヘルメットを被りながら、意味深にベルシアに言う。そして、ベルシアの答えを待たずに騎兵槍を持つ手を振っていた。

 彼女の合図で城門の兵士たちが、固く閉ざされた門を、その重い鉄扉を開けていく。

 完全に開いたとき、リオデはグイの胸元に蹴りを入れて、全力で駆け出していた。

(絶対に助け出す)

 胸に決意を秘めて、城門を潜ろうとする。

 その城門の横で、アリナが心配そうに手を胸にあてて、リオデを見送っていた。さすがに危険の伴うこの任務に、彼女は連れて行けなかった。だが、アリナは最後までリオデと共に行きたいと志願していた。

 それでも願いがかなわなかった。そのため、特別な許可を得て、城門の横で彼女を見送ることにしたのだ。

「軍医殿は付いているな!」

「はい! 付いています!」

 リオデの声にベルシアが勢いよく返事をしていた。今回の任務、念のために軍医であるヴィットリオをつけて行軍していた。

 ヴィットリオは後ろのほうを、グイに跨って走っている。なれない騎乗に、この隊列に加わって必死で騎兵達に付いていっている。その様子を見たあと、リオデは城門を出て、高台にある村にまっすぐに走っていた。

 前をさえぎる者はいない。全ての敵は態勢を立て直すために後退した。

 暫くは、少なくとも一日は、そこから動くことはない。

 村の方には僅かな部隊がいるだけで、ユストニア軍は出てきたリオデたちを、追撃部隊と勘違いしていたらしい。敵の本陣が騒然と動き出していた。

 その動きが、空気を通して感じられた。だが、リオデたちの目指した場所は、敵本隊とは全く違う場所、村の山岳ルート方面である。

 その混乱が伝播したかのごとく、村側の敵が接近していくリオデたちを見て、大声で叫び声をあげていた。

 リオデたち騎兵の数は、村に駐留している敵軍を軽く凌駕している。

 動揺しないわけがないのだ。

 それにつけこみ、リオデは村へと続く登り坂を、駆け上がっていた。

 彼女に続き、王国騎兵達が次々となだれ込んで行く。リオデが一番に言葉にならない叫び声をあげると、騎兵達も雄々しい叫び声を一斉に上げていた。

 今、戦場は、王国軍に風が吹いている。

 それを証明するかのごとく、村の前の兵士たちを、王国騎兵隊は蹴散らしながら進んでいた。まるで何もかも飲み込んでいく雪崩の如く、騎兵の真っ黒な隊列はタレンジの歩兵たちを飲み込んでいた。

 村の前にある簡素な城壁の門は開け放たれたままだ。まるで、敵の襲撃など、一つも考えていないように、無防備な城門が目の前にある。

 騎兵達は次々と城門へと飛び込んで、村の中へと入っていく。

 リオデの前に多くの兵が立ちはだかる。だが、彼女はそれを蹴散らし、とにかく奥へと突き進んでいた。

「どけえ!」

 リオデはそう言って次々と目の前に立ちはだかる敵に、槍を突き立てていく。途中、槍の刃が折れたことに気づいて、折れた槍を投げ捨てる。

 腰のサーベルを抜き、そして、また次々と現れる敵を切り伏せていく。

 とにかく、男のようになりふり構わず、鬼を連想させるかのごとく突き進む。それに続いて、次々と騎兵達が陣地に入り込んでいた。

 塹壕を飛び越え、とにかく味方がいると思うほうへ、本能の赴くまま、リオデはグイを操っていた。

 ベルシアとティオが彼女の横に着き、その後ろに多くの騎兵達が続く。混乱して指揮が乱れたユストニア軍、だが、それでも、一箇所だけ、混乱していない場所があった。否、混乱していないのではない。最初から混乱しているのだ。

 そこでは敵味方の入り乱れた戦いが繰り広げられている。

 ユストニア軍の包囲陣地の向こう側、教会の前である。

「味方はあそこにいる! 全軍! 教会前の敵を掃討する!」

 リオデは喉がかれるほど、声を張り上げて、命令していた。ベルシアやティオも同じように叫び、部隊を誘導する。だが、意外にも包囲陣地のユストニア軍は、リオデたちの襲撃に、冷静に対処してきていた。

 包囲陣地の最後尾の隊列の歩兵隊は、手に持つパイクを騎兵隊に向けたのだ。リオデはそれでも、構うことなく、その隊列に向かってグイを走らせた。

「邪魔だああああ! どけええ!」

 その叫びに同調するように、周りの騎兵隊も雄たけびをあげる。グイの騎兵隊は騎兵槍を構えていた。一瞬にして衝突する両軍の隊列、騎兵にパイクが突き刺さり、それと同じように、騎兵槍がユストニア軍歩兵に突き刺ささっていた。

 悲鳴と雄たけび、それが交じり合った。

 リオデはそのパイクの山を突破していた。ベルシアも横にいる。ティオはグイを傷つけられて、転倒していた。しかし、何事もなかったかのように、サーベルを奮ってユストニア兵に向かっていた。

 ユストニア軍はリオデたちの攻撃を止められず、次々と、騎兵達は敵本陣に突き進んでいく。だが、彼女の目指す場所は、まだ先だ。

 再びユストニア兵の隊列が、パイクを突き出して待ち構えていた。

 リオデは覚悟を決めて、そこに身を投じる。突破して続く騎兵達の足を、止めるわけには行かないのだ。

 二度目のパイクの雨、それをリオデたち騎兵は受けていた。彼女はグイの卓越した操作と、サーベルでパイクの先をはじいて、隊列を突破する。

 多くの騎兵達がそこで倒れていく中、ベルシアは彼女の後ろに続いて、突破してきていた。そして、幾らかの騎兵達が、そこを突破することに成功していた。

 後続の部隊はまだ、敵の隊列に手をやいていた。それゆえ、突破はできていない。だが、すぐ目の前には、乱戦を繰り広げる戦場があった。

 突破した騎兵はいまだに十を数える程度、だが、じきに騎兵部隊はここに到達するだろう。目の前のユストニア兵の隊列は、あくまで乱戦となっているほうへと向いていた。突破してきたリオデたちなど、気にも留めていない。

 この二度に渡るパイク攻撃は、突出しすぎたリオデたちを孤立させていた。

「隊長! まだ味方が戦ってます!」

 感極まったベルシアがそう叫んでいた。リオデはそれに、グイの足を止める。そのもとに自然と騎兵達が、集まってきていた。

 リオデは自分のもとに集まった十人余りの顔ぶれを見ていた。

「全員、密集隊形で、あそこに突入する! 覚悟はいいな!?」

 リオデの真剣な表情に、全員が真顔で頷いていた。その十人の一人、ウィルフィは笑みを浮かべて、彼女に言う。

「いまさら、ここまでつれてきといて、覚悟はいいな。は無いでしょう。俺たちは、隊長を信じて、ここにきた。もとより、覚悟は決まってますよ」

 それに他の兵士たちも笑みを浮かべて、同調する。

「よし、お前ら! 隊長を死なせるんじゃねえぞ!」

 ベルシアは兵士たちの笑顔を見て、口調を荒げていう。リオデはそれを見回したあと、叫んだ。

「全員突撃だ!」

 リオデがそう言って、グイに蹴りを入れる。彼女が先頭に立って、菱型隊形の先頭を切って走った。本来、リオデがいるべき位置の真ん中に、ベルシアがいる。彼女のすぐ後ろにはウィルフィが走っていた。

 敵の隊列はあくまで、教会方面に向いていて、リオデたちなど気にしてはいない。

「王国騎兵に栄光を!」

 リオデがそう叫んで、サーベルを振り上げる。騎兵達は槍を、サーベルを構え、敵の背中に突貫していく。

 リオデたちに気づいた歩兵たち、だが、敵兵士が行動を起こす前にリオデが先頭の兵士を切りつける。絶叫と血を噴出しながら倒れていくユストニア兵、あっという間に隊列に穴を開けていた。リオデ達はそのまま、乱戦の繰り広げられている戦地に向かう。

 明らかに劣勢な王国軍と親衛隊、次々と味方が討ち取られていくのが、彼女らの目に映っていた。ユストニア兵はこの騒ぎに気づいたのか、何名かがリオデの前へと立ちはだかる。だが、いとも簡単に、リオデたち騎兵はその障害を排除していた。

「味方だ! 援軍が、救援が来たぞ!」

 突破してきたリオデたちを見た王国兵士たちが、叫び声をあげていた。

 リオデ達は手を振り上げ、残存している兵士の士気を鼓舞する。そのおかげか、今にも消え入りそうだった兵士たちの顔に、覇気が戻っていた。

 乱戦を繰り広げる戦地を駆け回り、ユストニア軍兵士たちを討ち取っていく。

 その縦横無尽に動き回る隊列に、ユストニア兵たちは恐怖していた。

 だが、そんな中、一人のユストニア兵が、勇敢に騎兵の前にパイクを持って立ちはだかる。リオデはその兵士の顔に見覚えがあった。

 過去、騎兵隊を襲撃し、その後捕虜として捕らえ、そして、脱走したという特異な経歴を持つ男だ。

 カート、そう。一度は刃を交えた男、リオデはその顔を忘れてはいなかった。

「これ以上、好き勝手にやらせるか!」

 そう叫んでいたカートは、一人パイクを構えて、立ちはだかる。

「ベルシア隊形を維持したまま進路を左にとれ!」

「は!」

 彼女の言葉に隊形を維持したまま、騎兵達は進路をずらしていた。だが、リオデはそのままカートに向かって突き進んでいた。

 隊から一人離れていくリオデ。それにベルシアは慌てて彼女の元へと、進路を取ろうとする。だが、一度とった進路を、すぐに変更できるものではない。それにくわえて、騎兵隊は運悪く、敵が多数いるところに突っ込んでいた。

 あっという間にパイクをもった歩兵たちが、ベルシアたちの前に立ちはだかる。どうすることもできず、ベルシアたちはとにかく防戦に追われていた。

 そんな彼らをよそに、リオデはカートに向かって、グイで突進していく。

 リオデはこの戦いにおいて、カートとの決着をある種のけじめと決めていた。多くの部下を失ったこの戦い、敵討ちではなく、自分の手でカートを倒し、自分のけじめとする。

 それはカートにとっても同じことだ。

 リオを襲撃したものの、自分のせいで多くの部下が死んでいった。なにより、短い間だがアルベートは彼にとって、気の合う仲間でもあった。その仇が目の前にいるのだ。

 お互い指揮官という立場での、気持ちの整理をつけようと戦いに挑んでいた。

 因縁の一戦、リオデは猛って、カートに向かう。

「一騎打ちか! 粋な計らいをしてくれる」

 カートはそう言って手に持っていたパイクを捨て、腰から剣を抜いていた。

「覚悟しろ! 赤い死神! アルベートの仇はここでとらせてもらう」

 そう言ってカートもリオデに向かって走りだしていた。

 急接近するカートとリオデ、二人の目が合う。その瞬間に二人の剣が交わされていた。

 上部から振り下ろされるサーベルを、カートはグイの前で、転がってよけていた。そして、そのまま体勢を低くとって、リオデの乗っていたグイの足を斬りつける。

 転倒するグイ、リオデは咄嗟に手綱を放していた。

 宙を舞う体、見る見るうちに薄く積もった雪の地面に向かっていく。リオデは思いのほか、冷静にこのことが見えていた。

 地面に叩きつけられる前に、左手を着いて受身をとって、地面に転がり込む。

 それでも投げ出されたときの勢いは強く、リオデは体を地面に打ち付けられる。だが、最悪の状態、グイの下敷きになることは、間逃れていた。

 彼女はその場で、手を突いてすぐに立ち上がろうとする。

 そのとき、左腕に激痛が走っていた。筋肉を引き裂くような痛みが、左腕を襲い、リオデは立ち上がれずにその場にうずくまる。

 受身の取り方が悪く、左腕を痛めていたのだ。

 立ち上がろうとするリオデの耳に、敵の叫び声が入ってきていた。

「あ、赤い死神だ! こいつをとれば、名がはせるぞ!」

 ユストニア兵の言葉に、リオデは激痛に耐えながら立とうとする。だが、腕が使えず、徐々に痛み出した体中の激痛で立ち上がれない。

「手を出すな! その女はおれがやる!」

 カートの叫び声に、駆け寄ろうとしていたユストニア兵たちが動きを止める。

 彼はゆっくりとリオデに歩み寄る。数刻も立たない間に、彼女の背中まできていた。そしてカートは、リオデの長い髪を引っ張り上げて、背中に足を置いていた。

 激痛に悲鳴を上げるリオデ、それでも周りの乱戦と騒ぎは収まらない。

「ようやく、ようやく、答えがでた。俺はアルベートのため、多くの部下のために、あんたを、赤い死神を殺す。それがけじめだ。新たな一歩を踏み出すためのな」

 真剣で冷酷なカートの言葉は、何かの呪縛から逃れようと、必死にあがいているようにも聞こえる。だが、そんな言葉をかけられても、リオデは絶望せず、冷静に周りを見た。

 自分の置かれた現状を、その視界からえられる情報で改めて理解する。回りには大勢の敵が、円を組むように取り囲んでいる。自分はその中心に身をおいている。

「こ、殺されて、たまるかぁぁあ!」

 リオデは渾身の力を振り絞り、全身に走る痛みに耐えながら、腰から装飾の施された短剣を右手で抜いていた。その短剣を引っ張られている髪の毛に向け、刃を深紅の艶やかな長い髪の毛に入れて、切り取っていた。

 一瞬で支えをなくして、カートは転倒し、リオデは前のめりに倒れる。

 体中の痛みに耐えながら、リオデは地面に落ちているサーベルを握り締める。そして、渾身の力を込めて立ち上がっていた。

 瞬時に殺到してくるユストニア兵たち、リオデは最初に振り下ろされる剣を受け流し、その兵士をサーベルできりつけ、次に来た敵を蹴倒していた。

 死なないための防衛本能が、痛みで死にそうな体に鞭を打って突き動かす。

 彼女の前で倒れていく兵士たち、カートもすぐに立ち上がり、兵士たちに下がるように言う。だが、兵士たちは彼女を倒すことに、必死になっていた。

 カートの言葉を聞く者は、すでにいない。手に握られたリオデの髪の毛、それを見たあと、再び彼女のほうへと顔を向ける。

 負傷してなお、リオデは果敢に攻撃を避けて、受け流していく。だが、数で有利なユストニア兵たちに、徐々に追い詰められている。

「もう、どうすることもできんのか!?」

 カートは忌々しげに、自分の部下を見つめていた。

 だが、その乱戦の中で、一人のユストニア兵が悲鳴をあげて倒れる。その後ろには、腕に包帯を巻いた一人の王国軍将校と、数名の親衛隊員が立っていた。

「戦場は、一箇所じゃない! それを思い知れ!」

 そう言って次々と、将校は大剣を振るって敵を蹴散らしていく。敵の包囲に穴が開き、リオデはそこに向かって走りこんでいた。

「リオデ! やっぱりリオデか!」

 聞き覚えのある声、リオデはその声の方に顔を向けていた。

 黒ずくめで頭には血の滲んだ包帯を巻いている。そして、手には親衛隊に配備される剣を握っている。その男の足取りは、しっかりとしていた。

 包囲網を突破したリオデは、その親衛隊員にむかって駆けていた。

「ラスナ!」

 生きていたことを確認できた嬉しさと、体中の痛みで視界が潤む。だが、リオデはそれでも、サーベルを握り締めて、足をひこづりながら走り続けていた。

 この乱戦、まだ、勝負が決したわけではない。それどころか、ユストニア軍が優勢でリオデ達、残存兵は劣勢である。

 ラスナは腕に包帯を巻いた将校、エルディガーに向かって叫ぶ。

「一旦下がるぞ!」

「馬鹿言え! 目の前まで味方が来てるんだ! 全員、ここに集まって、ユストニアの腑抜けを挟撃だ!」

 エルディガーはそう言って、残存軍を集結させるように叫んでいた。まだ、ここの戦場では王国の兵士が五十人以上は生き残っている。部隊単位で行動すれば、脅威になる数だ。

「総員、前進だ! ここに集まれ!」

 ラスナの叫び声に、生き残りの兵士たちはラスナのもとに駆けていく。それに陸軍も親衛隊も関係はなかった。とにかく、集まっていく。それと同時に、ユストニア兵たちも釣られるように集結して行く。

「府抜けどもは呼んでねえ!」

 エルディガーはそう言って、駆け抜けようとしたユストニア兵を切り倒す。それでも、彼を突破して、何名ものユストニア兵たちは走っていた。

 その先には足取りのおぼつかないリオデがいる。彼女はラスナの元へとかけていた。とにかく、今は彼のもとへと走ることが先決だった。

 彼もまた、リオデに向かって駆けていた。だが、その顔は必死なもの、まるで何かを失うことを恐れているかのような顔だ。

「逃がすか!」

 リオデは包囲を突破して、完全に気が緩んでいた。それゆえ、後ろに迫っていたカートの存在に気づくことはなかった。否、気づけなかった。

 その声でやっと剣を振り上げるカートに気づいて、振り向いていた。

 振りあげられる剣、太陽の光を反射して光った刃に、リオデは尻餅をつく。そう、突然の出来事に、驚いて体の力が一瞬で抜けていたのだ。

 それでリオデはすぐに、覚悟を決めて目を瞑っていた。だが、カートの剣が彼女の肌を傷つけることはなかった。

 彼女の前で、甲高い鉄のぶつかり合う音が響く。

「な!? なぜ、なぜお前はそこまでして!」

 カートの愕然とした声を聞き、リオデは目をゆっくりと開けていた。

 目の前では鍔競り合いを繰り広げるカートとラスナがいる。リオデを守るために、剣を持って彼女を助けていた。だが、ここを突破してきたのは、カート一人ではない。

 次々と二人の前に殺到してくる兵士たち、まだ、味方は集結していない。それどころか、ユストニア兵たちが、彼らの集結を各方面で阻んでいた。まだ、ここに味方が来るのには、時間がかかるだろう。

 エルディガーたちも、目の前の敵の対応で手が放せない。リオデを背にしたまま、ラスナは彼女に言っていた。

「逃げろ! リオデ!」

 ラスナの必死の叫び声、それにリオデは力を振り絞って立ち上がろうとした。だが、一時の安堵とその直後に現れた恐怖が、彼女の振り絞って出した渾身の力を奪っていた。

「体に力がはいらない。ラ、ラスナ、逃げて! 私は良いから!」

 カートの剣を振り払うと、ラスナはリオデに叫んでいた。

「いいわけないだろ! 動けないフィアンセを前に、逃げられるものか!」

 ユストニアの兵が次々と襲い掛かってくる。だが、それは、目の前のラスナではなく、その後ろにいるリオデが標的だった。

「生け捕りにしろ! 奴は動けんぞ!」

 ユストニア兵の声に、リオデは立ち上がろうとする。だが、足腰に力が入らずに立ち上がることができない。それどころか、後ろに下がることさえ、ままならない。

「いかせんぞ」

 ラスナがリオデに手を上げようとした兵士を斬り捨てる。これによって、標的がリオデよりラスナに変わっていた。

 二人を取り囲むように、カートたちユストニア兵が展開していく。

「すまないな。リオデ、結婚式は暫く、お預けになりそうだ」

 そう言って、ラスナはリオデに顔だけ向ける。そして、笑みを浮かべる。そのあと、目の前の敵に、鼓膜を破くような大きな怒声を浴びせていた。

「死にたいやつから、かかってこい!」

 カートとその周りのユストニア兵が、同時に彼に向かって走りよっていた。

 一人目を切り捨てるラスナ、二人目の剣戟をかわして、三人目の剣を受け流していた。身のこなしも完璧なもの、軍学校の稽古の時の彼が、リオデの目に重なって映る。

 次々とくる剣戟を避けて、必要とあらば受け、足をかけて敵をこかす。だが、攻撃が仕掛けられない。

 一人目を斬り捨てても、次々と敵が襲い掛かってくるのだ。

 攻撃などはもってのほか、防御をすることで手一杯だった。

 だが、そんな神業のような体捌きも、一瞬で決着が付いていた。

 ラスナは踏み固められていた雪に足をとられ、バランスを崩したのだ。その瞬間に、目の前に迫っていたカートの剣が、ラスナの体を貫いていた。

 声も上げられないほどの、衝撃、それに、リオデの目から涙が一筋、流れ落ちていた。

 ラスナは力を失って、剣を落とす。そして、カートにもたれ掛かるように、倒れこんでいた。

 カートはその身を支えることをせず、ラスナの体から剣を抜いて、身をかわしていた。

 地面に倒れこむラスナ、その体を乗り越えて、ユストニア兵たちがリオデに迫る。カートもその輪に混じって、彼女に歩み寄っていた。

「カート隊長! 敵が、敵が防衛網をとっぱしてきま、ぐぅ」

 その叫び声が、最後まで続くことはなかった。叫び声をあげた兵士が、騎兵隊の槍に貫かれていたのだ。

「なんだと!?」

 カートは後ろを振り向いていた。エルディガーたちの向こう側で、突破してきた多くの騎兵達が、ユストニア兵を蹂躙していた。そして、隊列を維持したまま、カート達に迫ってきている。

 それはさながら、ユストニア兵を飲み込んでいく黒い津波のように見える。

 剣を捨てて逃げ出すユストニア兵たち、それに歓声をあげる残存軍の兵士たち、既にこの戦場では勝負が決していた。

 カートはリオデを目の前に、歯をかみ締めていた。彼のその苦しみと悔しさの表情が、消えることはなかった。忌々しげに騎兵を見つめ、カートは押し寄せる津波のような騎兵に向かって、剣を握って一人、走り出していた。

「いつも! お前ら騎兵はいつも、いつも、おれの邪魔ばかり! うおおお!」

 カートは涙を流しながら、騎兵の波の中へと消えてく。

 指揮官を失って、ユストニア軍は壊滅、次々と、敗走していく。

 騎兵達は声をあげながら、撤退していく敵に追い討ちをかけていた。そんな中、リオデはようやく体にもどった力で、ようよと立ち上がっていた。

 左腕を押さえて、倒れた真っ黒な服の男のもとへ歩み寄っていく。

 その手には、何も握られていない。

 力なく横たえるラスナ、リオデは彼の元までくると、膝を地面につけていた。彼の命を奪った雪が、彼の血で真っ赤に染まりつつある。

 リオデはうつ伏せのラスナを仰向けにして、彼の顔を見た。

 彼の瞳が動いて、リオデの顔を捉える。まだ息はある。

 だが、その息も既に虫の息となっていた。

「髪、切られたのか。だ、けど、短いほうが、よく、似合って、る」

 自分の死を悟っているラスナは、そう言って力なく口を緩める。

「ば、ばか。なんで、なんで、逃げなかったの?」

 その顔が潤んだ視界でよく見えない。リオデは次から次に溢れ出てくる涙を、右手でぬぐっていた。目の前で消え行く大切な命、それに、なにもすることができない。

 リオデは膝の上にラスナの顔をのせる。彼は力を振り絞って笑みを浮かべる。

「言った……だろ。動けな、いフィアンセ、おいていけるわけ、ないって」

 リオデの顎を伝って涙が、ラスナの額の上に流れ落ちていた。

「泣くなよ。すこし、結婚の時期が、のび、ただけ、だ」

 ラスナはそう言って、力を振り絞って手を彼女の頬へと持っていこうとする。彼女の涙を拭い取ろうとしたのだ。だが、すでに腕を上げる力も残っていない。

 少しだけ、腕を動かすのがラスナの限界だった。

 リオデはその手をとって、自分の頬に当てていた。

「ごめん、なさいね。私のせいで、私のせいで」

 ラスナの温かい手に、とめどなく涙が流れ落ちていた。

「キス、して、くれるか?」

 途切れそうな小さな声でラスナは呟く。その声に答えて無言のまま、リオデはゆっくりと目を瞑る。そして、彼の手を握り締めたまま、ラスナに顔を近づけて、唇を重ね合わせていた。

 唇を伝って、血の味と柔らかな感触が伝わってくる。それと同時に、小さくはかれた息。

 それを最後に、ラスナは全ての力を失っていた。

 今、自分の愛する者の命の灯火が消えていた。

 認めたくない事実に、リオデは顔を上げることができなかった。

 顔を上げたら、この事実を認めなくてはならないのだ。

 そう、それだけは、彼女にはできない。

「リ、リオデた……」

 彼女の耳に聞こえたベルシアの声が、途中で止まる。唇を重ねる相手が、既に息がないことが分かったからだ。それでも、彼女は顔をあげない。

 暫くラスナの唇のぬくもりを感じていたが、リオデはゆっくりと顔をあげる。

 虚空を見つめる瞳、ラスナの曇りない瞳は、青空を見上げていた。

 雲ひとつない、快晴の青空を。

 リオデはその瞳に、指でまぶたを下ろす。

 今まで抱え込んできた感情が、抑え切れなかった感情が、胸の中から一気に吐き出されていた。頬をとめどなく流れる涙、潤んだ視界、彼女にはもう何も見えなかった。

 そこら中から男たちの歓声が上がり、この戦場での完全な勝利を知らせていた。だが、そんな歓声のあがる戦場で、リオデは一人、大声を上げて泣いていた。

 その彼女の泣き声も、勝利に喜んでいる男たちの歓声で、かき消されていく。

 勝利に沸き立つ戦場の中、ただ、彼女はラスナの冷えゆく体をかかえて、泣いていた。





Fin


エピローグへと続きます。

次が本当に最後になりますね。

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