最終章 鉱山都市ポルターナ攻防戦 Ⅲ
山越えを開始してはや三日が過ぎていた。だが、それでも、ポルターナは見えてこなかった。というのも、兵士の数が多く、思うように進軍スピードが上がらなかったからだ。
道のりも険しく、時には丘陵からの転落者も出てきていた。
また、行軍途中に雪崩に合い、部隊の数名がそれに巻き込まれて、行方不明者まで出ていた。そのための捜索もされたが、結局見つけることはできず、再び行軍を開始するしかなかった。
そんな中でも、兵士たちはしっかりと足を踏みしめて、山岳を登り続けていた。
「ベルシア隊長、いつから自分らは登山家になったんですかね?」
ウィルフィはそう言って、前を歩くベルシアに向かって愚痴をこぼしていた。
「さあな。まあ、こういう任務になることもある。だが、俺たちはまだましなほうだ。歩兵隊や装甲歩兵隊なんて、地獄だぞ」
グイの手綱を引っ張り、ゆっくりと足を進めていく。騎兵達はグイの背中にテントなどの荷物を乗せて、行軍ができるものの、歩兵たちはそういうわけにも行かない。
テントに加えて自分たちの装備や、登山のための食料など、その殆どを身に付けていかなくてはならない。
それでへこたれるほど、王国軍の兵士はやわではない。それでも、体はだいぶ疲れる。それを考慮して、休憩時間も多く取られていた。それも行軍スピードが遅れている一因でもあった。
「まあ、荷車をつかえませんからね。こんな丘陵じゃ」
ウィルフィはそう言って、長々と続く兵士の列を見た。雪の上に蛇行しながら続く隊列、それが蟻の行列か、それともユストニア軍を倒して、ポルターナを救う毒蛇か。それは着いてからでなければ、分からない。
「見ろよ。真上に、おてんとさんが来ている」
ベルシアはそう言って山の頂で欠けている太陽を指差していた。それに重なり、キラキラと雪が光を反射しだす。風が吹き、空気の中で凝固した小さな氷の粒が舞い、それが太陽の光を反射していた。
山一帯がその現象を引き起こし、青空の中、山頂に輝く大きなダイヤモンドと、空気を無数に漂う小さなダイヤモンドが、兵士たちの登山を歓迎していた。
その神秘的な光景に、兵士たちは足を止めて、見入っていた。
「隊長、これは」
ウィルフィは言葉を失い、自然の作り出した光景に圧倒されていた。
「すげえ」
ベルシアもそのまま言葉をなくして、光景に魅入っていた。
先頭を歩いていたアリナとリオデも、その光景を目にして、出す言葉を失っていた。
「綺麗、ですね」
アリナはそう言って、リオデに顔を向けていた。
リオデもそれに頷いて答えて見せた。
「そうだな。お前も初めて見るのか?」
「はい。父からこのことは聞いてました。でも、実際に見たのは初めてです」
アリナは複雑な表情を浮かべて、リオデを見つめていた。
「おい。あれ、あれ見ろ!」
二人の後ろの一人の兵士が叫んで、指をさしていた。その指先には、毛並みの真っ白なグイが、山の傾斜に堂々とたって、その勇姿を見せていた。かなりの距離があるが、けして目視できない距離ではない。
「白いグイか。まさか、この目でみられるとは」
リオデは表情を緩めて、グイのほうへと目を向けていた。元来グイは十羽から三十羽ほどの群れをつくり、暮らしている。だが、極稀に白いグイが生まれるといわれている。
その白いグイは、群れを作らず、単独で行動するといわれている。そして、なにより、王国内でその白いグイを見られることは、縁起がいいことといわれている。
多くの兵士が歓声を上げて、その白いグイを見ていた。
「すごい。本当にいるんですね」
アリナも先ほどの感情をしまいこんで、笑顔を浮かべて白いグイを見ていた。
太陽の傾きが変わり、雪原のダイヤの輝きは、瞬間的に消え去っていた。それと同時に白いグイも山の裏側へと消えていく。
ほんの一瞬の神が起こした奇跡、それを見た兵士たちは心洗われていた。
「こんなことも、あるんだな」
自然の見せるコントラストに、リオデたちは心奪われていた。だが、それもほんの一時。
足を止めていた兵士たちは再び歩き出す。
戦地であるポルターナに向かって……。
◆
山道ルートでは大勢の兵士たちが死傷し、中央道の輝かしい戦果とは反対の結果を残していた。それも全ては常識破りな戦法を、行使してきた敵のせいである。
カートは敵の兵士に、正直に感嘆していた。自分の常識を常に打ち破ってくる敵の兵士を、尊敬さえしていた。
(だから、今度こそ、一泡吹かせてやる)
そんな決意のもとで、カートはあるものを、山道ルートから輸送していた。
途中ある細い崖の道では、それを運ぶのに数名が転落していた。だが、それもあの城壁を破るには、必要なことであった。
今、そのあるものを解体して、慎重に兵士たちに運ばせている。そう、全ては、相手の度肝を抜かすために、その常識破りなものを運ばせていた。
◆
「ラスナ隊長! ポルターナに対して、攻撃が始まりました!」
城壁上の親衛隊員がそう叫んでいた。ラスナは急いで城壁に上り、そして、双眼鏡を手にしてポルターナ高原を見下ろしていた。
3門の攻城砲がポルターナの城壁に向かって放たれる。その轟音が村内にまで届いていた。城壁に当たる弾もあれば、遥か手前に落ちる弾もある。それどころか、ポルターナの城壁を飛び越えて、街の中に落ちるものもあった。
それを合図に、総攻撃がかけられる。
どの大砲もポルターナの南西側の城壁に向けられている。
「敵も、馬鹿ではないみたいだな」
ポルターナの南西側の城壁は、最も造りが古く、何度となく改修工事を行っている場所だ。だが、その改修工事も諸事情によって、半分までしか行われていない。
鉄壁を誇る城壁のうち、最も弱体化している部分なのだ。加えて、南西側の地面は窪んでおり、全体的に見て最も城壁の低いところでもあるのだ。大砲の弾がそのまま抜けて、街に降り注ぐこともある。
その弱点を的確に見つけ出し、敵はそこに向けて集中的に攻撃を仕掛けていた。
「くそ! ポルターナが! 味方はなぜこないんですか!?」
口惜しそうに一人の兵士がそう叫んでいた。ここにいる兵士、いや、ポルターナに住んでいる人々、全てがそう思っている。
ラスナもなぜ味方がここにこないのか。焦りを感じずにはいられなかった。
「デルマシアの高原が、ユストニアの勢力圏にあるからだろうな」
いつの間にか横に来ていたエルディガーが、そう言って双眼鏡を覗き込む。
「デルマシア高原が、味方に奪還されん限り、援軍はこない。それに、ここまで敵が攻め込んできているんだ。もしかすると、すでにレルジアント地方は、ユストニアの手中にあるのかもしれん」
双眼鏡を覗きながら、一人呟いていたエルディガーに、ラスナは憤りを感じていた。
今、ポルターナに閉じ込められた上に、敵がここまで侵攻してきている。それを考えると、エルディガーのいっていることにも頷けるのだ。
「そうは、信じたくはないな……」
何もできない自分たちに、口惜しそうにラスナは下に向いていた。
「今は、戦うしかない。味方がこなくても、何年、何十年、何百年でも、このポルターナを守るんだ」
エルディガーはそう言って、城壁から降りていく。その背中を見送りながら、ラスナも城壁から降りていた。
「た、隊長、山道側に敵です!」
その叫びを聞いたラスナは、すぐに山道側の城壁に向かってかけていた。そして、急いで山道側の城壁の上へと駆け上がる。
そこで、ラスナは信じられないものを目にした。
「あ、あれは! 隊長! 敵は大砲を」
そう山道側のルートからでは、どうやっても運ぶことのできないはずの、大砲を敵はこの城壁に向けていたのだ。
すこしずつ近寄ってくる大砲、それにラスナは叫んでいた。
「戦闘要員以外は、城壁より退避だ!」
その叫びに一斉に兵士たちが動き出す。村内が騒然と動き出し、戦闘開始を知らせていた。大砲の後ろには弓兵が控え、騎兵隊の襲撃に備えている。着々と進んでいく発射作業、それに対して、ラスナたちはただ黙って見守ることしかできなかった。
「何やってやがる! 戦闘要員も全て塹壕に退避しろ! ここは兵力の温存が優先だ!」
エルディガーが城壁下より、ラスナ達に叫んでいた。いくら城壁が頑丈とはいえ、所詮は急場しのぎで作られたものだ。この村の城壁は弓矢や銃弾を防ぐことはできるが、大砲の攻撃を防ぐことははなから考えられていないのだ。
そもそも、ここに繋がる山道には、細く切り立った崖の道が多く、砲身が大きな臼砲などの大砲は運べない。大砲の防御など、考えもしていなかったのだ。
だが、目の前にはその大砲が、この城壁を真正面から捉えていた。それでも、ラスナは退去命令を出さなかった。
「馬鹿野郎! はやく降りろ!」
痺れをきらせてエルディガーは、罵倒しながら言っていた。
「黙ってみていろ! 我々親衛隊の意地をな」
ラスナはエルディガーに対してそう言うと、戦闘員を城壁の上に整列させる。そして、親衛隊ポルターナ旅団旗と親衛隊旗を、隊列の両端の兵士に掲げさせた。
真っ黒な布地に赤い糸で刺繍された禍々しい蛇、連隊旗が風に吹かれてはためいた。
「我々親衛隊の決意を、ユストニア人に見せ付けるのだ! 何があってもそこを動くな!」
発射作業の進む大砲を前に、ラスナは親衛隊員に叫んでいた。
◆
「カート隊長、発射準備完了です」
カートに向かってユストニアの歩兵が、発射を催促していた。
「そうか、よし」
カートはそう言って、城壁に顔を向けていた。
「やつら、一体……。なんのつもりなんだ?」
整然と隊列を組み、城壁の上に整列した黒尽くめの戦士たち。それを目にした瞬間に、城壁の両端の兵士が、真っ黒な旗をはためかせ始める。
それを見たユストニア兵たちの間に、動揺の声が上がっていた。この山道ルートにて大砲を運び込んで、敵を動揺させようとした。その意図も、大半の兵士たちが理解していた。
だが、敵は動揺するどころか、城壁から慌てて避難することもせず、整列してユストニア兵を見下ろしていたのだ。
多くのユストニアの兵士たちが、ざわめいていた。敵のその勇姿に、動揺の色さえ浮かべる兵士もいた。
「屈辱だ。最大の屈辱だ」
カートは握りこぶしを作り、テーブルを思い切り叩いていた。度肝を抜こうと持ってきた大砲が、逆に敵兵士たちの決意を、見せ付ける結果となってしまったのだ。
「敵のことなど気にするな! 敵の決意もろとも、この大砲は城壁を打ち砕く! よく狙って、初弾で城壁を吹き飛ばせ!」
カートの命令に、全軍が攻勢にでる準備に入る。大砲の砲兵たちも、城壁に向かって砲を向ける。そして、その後ろで、突撃をかけるための歩兵たちが、待機していた。
「撃てぇ!!」
砲兵隊員の声に、大砲が火を噴いていた。
轟音と爆焔と共に、砲弾が一直線に城壁に向かい飛んでいく。
そして、次の瞬間には、城壁に見事命中していた。初弾命中に、一斉に兵士たちが歓声をあげていた。簡素なつくりだったため、瞬時にして崩れ去る城壁の一部、だが、それでも、損傷していない城壁上の親衛隊員は立っていた。そして、崩壊のしていないところに旗を立てる。
村側からも歓声が沸き上がっていた。
その光景を見て、歓声を上げていたユストニア兵は、更に大きな歓声をあげて対抗する。
異常なまでに興奮している両軍の兵士たち、それにカートは不敵な笑みを浮かべていた。
「攻撃隊! すぐに前進だ!」
カートの一声で、大砲の後方で控えていた歩兵隊が突撃を開始する。歓声をあげて、目の前の敵を倒すべく、一斉に足を踏み出していた。
◆
「総員! 敵襲に備え!」
シュトルヴァーの命令で、崩壊した城壁に親衛隊員たちが取り付いていく。迫り来る敵は、城壁が崩壊したこともあって、大きな歓声を上げていた。
だが、内側でそれを見ていた親衛隊員たちも、負けずと雄たけびを上げていた。両軍の士気が最高潮に達しているのだ。戦場は異様な空気を出している。
ラスナは城壁の後方にある塹壕の中で、治療を受けていた。そんな彼にエルディガーは駆け寄っていた。
「命がけで士気をあげるか。本当に馬鹿だな。まったく」
負傷して手当てを受けるラスナを、エルディガーは呆れながら見ていた。
「だが、ああしなくては、ならん気がした」
ラスナは手当てを受けつつ、エルディガーの視線に苦笑を浮かべる。
「かすり傷です。命にも戦闘にも支障はないです!」
手当てに当たっていた親衛隊員が、そう言って手際よく包帯をラスナの頭に巻いていた。
「まあ、この程度ですんでよかった」
そう言うとエルディガーは、ラスナの手をとって握手を交わす。その力強く握られた手から、ラスナも彼の気持ちを汲み取っていた。
「俺は持ち場の高原側に戻るからな。絶対に突破させるなよ!」
エルディガーはそう言って、高原側へと走り去っていく。その背中に向かって、ラスナも地から強く叫んでいた。
「当たり前だ! そっちこそ、がんばれよ!」
ラスナの叫び声に、エルディガーは片手を挙げて答えて見せていた。
「さて、戦闘だ! さっきの砲撃で負傷したものはすぐに聖堂側へ運べ!」
ラスナはそう言って立ち上がり、城壁に向かって走り出していた。雄たけびを上げながら前進してくるユストニア兵たち、それに対して、親衛隊員も勇ましい叫び声を上げていた。
双方の叫び声と共に、真剣を交える音が響き渡り始める。ラスナが城壁にたどり着いたとき、そこでは、すでに死闘が繰り広げられていた。
盾を前にしてなだれ込もうとするユストニア兵、それを槍で付いて阻止する親衛隊員。
一進一退の攻防に、城壁前は一瞬で先ほどの、安寧な様相を変えていた。
次々と負傷していく兵士たち、邪魔な死体は足を引きずられて避けられていく。お互いに一歩も引かない攻勢に守勢、その地獄のような死闘に、ラスナも身を投じていた。
「高原側からも、敵が来ました!」
一人の兵士が叫んで知らせる。だが、ラスナはそれに対して、怒鳴り声を上げる。
「今は戦闘に集中しろ! あっちは陸軍との共同部隊に任せるんだ!」
ラスナは突破しようと、瓦礫を乗り越えてきた兵士に、剣をつきたてる。
ユストニア兵の顔が間近に迫るが、体から剣を抜いて、その体を押返す。
「負傷者多数出ています! 予備隊の増援を!」
崩壊していない城壁の上から、親衛隊員の声が聞こえる。それに、対してラスナもすぐに予備隊を回すように命令していた。そんな凄惨な戦闘が繰り広げられている城壁とは、全く正反対の様相なのが、高原側だった。
エルディガーは背中のラスナの部隊のことを案じながら、城壁に駆け上がる。
たとえ、気迫で勝っていようと、ユストニア軍は一千を超える人数で、あの一箇所に殺到しているのだ。どうあがいても、一日は持たない。
それを知りつつも、どうすることもできない自分が歯がゆい。エルディガーは奥歯をかみ締めながら、城壁の外を見ていた。
「あれは、ユストニアの軍隊じゃないな」
エルディガーは村に向かってあがってくる部隊を見て、そう呟いていた。
ユストニア軍の軍服は、カーキ色を基調としていた。それに対して、目の前に迫ってきている部隊は、深紅の軍服に身を包んでいた。明らかにユストニア軍とは、別の所属の軍隊だ。その部隊は村の手前まで来ると、自分たちの国の国旗を高々と掲げた。
「タ、タレンジ共和国!?」
ユストニアとは海を挟んでの隣国である。タレンジは島国で、ユストニアとも友好的な関係にある国だ。ただ、王国とも国交はあるため、そう下手な手出しはできない。
それでいて、この戦いに、参戦してきていた。
「なぜ、海を渡ってきてまで、戦いに!?」
エルディガーは目の前の部隊を見て、考えあぐねていた。
「隊長! 銃兵隊、弓兵隊、配置完了です!」
そんなエルディガーに、彼の横の兵士が配置完了を報告する。
「全員聞け! 敵が何であろうが、気にする必要はない! このポルターナを脅かす不逞な輩を一人でも多く葬り去れ! 銃兵隊、射撃準備!」
エルディガーの号令に、城壁の上にいる銃兵が一斉に銃を構えていた。
この高台にある村を巡った新たな攻防が、今、始まった。