第一章 決断の時 Ⅰ
大隊の初戦を勝利に導いた隊の長、リオデ・J・ネイドは、高原に通じる道を前進していた。隊の錬度は確実に上がっている。
岩と雪しかないこの険しい山道も、恐鳥であるグイと呼ばれる鳥を用いれば、容易に山越えができる。
もともと高地にしか生息していなかったこの鳥は、体高はヒトより頭三つ分高い大きい鳥だ。黒い羽毛に身を包み、大きな黄色い嘴は、鉄の鎧をも噛み砕く。強靭な足はありとあらゆる道を走り抜けるだけの逞しさをもつ。
そして何よりも一番の強みは、哺乳類にはない肺の器官の一部である気のうを持っており、高地でも長距離を走り続ける事ができることだ。馬では酸欠を起こしかねない高地でさえ、平気で走り続ける事ができるのは、この鳥の特権である。
国土の約六〇パーセントが高地のグイディシュ王国には、グイは戦略的に見ても、とても貴重で強大な戦力となる。そんなグイは主人の操るとおりに足を進め続ける。
「リオデ大隊長、斥候隊の報告が入っております」
リオデの補佐を勤めるティオ・マラドスがその銀色の髪の毛を、鬱陶しそうに首を振って掻き分けて彼女に言った。
「報告?」
彼女は怪訝そうな表情を浮かべ、ティオを問いただす。
「はい」
「何かあったの?」
「この先に道の分岐点があると報告してきております」
この報を聞いたリオデは、顎に手をやり考え込んだ。
現在の目的は、国境を越えてレジルアントの高地に侵入したユストニア軍に包囲され、孤立している王国軍第1112山岳歩兵旅団所属の歩兵一個大隊の救出である。
だが、リオデの部隊のおかれた状況は芳しくない。現地のガイドがいるわけでもなく、何より、自らの隊の正確な位置さえ手探りで探さなければならない状況なのである。
「ティオ、隊を二分して中隊にする。お前が一隊を率いて私とは反対の道に向かえ」
当然と言えば当然の結果なのかもしれない。
部隊を半分に分けて索敵能力をあげるが、代わりに戦闘能力の低下は免れない。
今現在の状況を考えれば、それが最も的確な判断である。
ガイドもなしに目的地に辿りつくことは、不可能ではないが相応の困難が伴う。
第一に救出する部隊の位置も大まかにしか把握をしていない。
「一個の中隊の編制は四個騎兵小隊、二個歩兵小隊、装甲兵、銃兵をそれぞれ一個小隊だ」
「は、すぐに再編成を伝達します」
リオデは考えをまとめて、すばやく行動に移した。
この行動力こそ彼女の魅力であり、指揮官として見習われるところなのだ。
山中で長い蛇のような隊列が足をとめ、再編成を伝達する。
ものの数分で規則正しく並んでいた隊列は、バラバラに崩れて、再び二つの隊列へと形をなくしていく。
「一刻も早くこの戦いを終わらせなくては……」
兵士それぞれが上の命令で部隊を区分されていくさまを、リオデは眺めながら呟いていた。その決意に満ちた目の内には、初戦で見せた悲しみが渦巻いていたのを、ティオは見逃さなかった。
ヘルメットからたれる赤く長い前髪から覗く青い目には、それがにじみ出ていた。
ユストニア大公国による突然のレルジアント地方の侵攻、それは二十年前の時とはかなり違っていた。このレルジアント地方には豊富な鉱物資源が埋蔵されていて、それを目的にユストニア公国は侵攻してきている。
ユストニア軍の兵力、戦況、どれをとっても前回行われたレルジアント戦争の時よりもユストニア軍が優勢だった。
王国軍南方守備隊は次々と撃破され、敗走を余儀なくされて、ついには山岳地帯全域をユストニア軍の勢力圏下におかれていた。
ユストニア軍はそこから更にレルジアントの深部に侵攻を開始し、山岳地帯の手前にあるタリボンの街を攻め落とそうと包囲していた。しかし、戦力を中央から増強したグイディシュ王国軍は、戦力を集中的にタリボンに向けて包囲を打ち破った。
主戦力をタリボンに投入していたユストニア軍は、一時的に撤退、態勢を整えてラネス平原での決戦を挑む。だが、延びきった補給線のせいで充分な状態にないまま、王国軍と決戦を迫られ、ユストニア軍は主戦力の殆どを失った。
ユストニア軍は散り散りに敗走し、パワーバランスは逆転し、山岳にてゲリラ戦を強いられることになる。何よりもユストニア軍は侵攻スピードを上げるために、通り道にある主要都市しか占領しておらず、地方都市や小基地などは野放しとしている。
しかし、今現在その状況も変わりつつある。
ユストニア軍はタリボンの平原での敗走で、山岳地帯を完全に占領することに力を注ぎ始めたのだ。
総合的な兵力では優勢な王国軍だが、山岳地帯のみでのパワーバランスは明らかにユストニア軍が上だった。そして、今もまだ山岳の地方守備隊はユストニア軍の猛攻を受けて疲弊していっている。
守備隊が持ちこたえられるのも時間の問題だ。
一刻も早くユストニア軍を王国領より追い出さなければならない。
そのためには少なくとも、戦線を構築してユストニア軍主力の撃滅を確実なものにしなければならない。
しかし、ユストニア軍との間には明確な戦線は張り巡らされず、小隊規模のユストニア軍と斥候部隊が、山岳の斜面で小競り合いを繰り広げる程度だ。戦況はこう着状態にある。
その状況を打開すべく、リオデの大隊がこの山岳地帯に投入された。大隊規模での山岳地帯進入はリオデの部隊が初めてとなる。
「隊長、隊の再編成完了しました」
ティオは彼女に対して、報告すると彼女はやんわりと答える。
「ご苦労、斥候の報告では南西に続く道と南東に続く道があったのだな?」
ティオにそう確認すると、「はい」という元気の良い返事をする。
彼女は少し考えてから、ティオに命令する。
「私の隊は南西に続く道を向かう、ティオは南東の道に向かえ」
ティオはその言葉に小さく返事をし、率いる部隊に指示をだした。
その目に迷いはなく、指揮官らしく顔付きも引き締まっている。
だが、リオデにはそれが表面的なものと分かっていた。彼は実戦を経験して間もない部隊を率いているのだ。
いくら錬度が高くても、経験を積み重ねた隊にはとても勝ち目はない。
もし、ユストニア軍の大部隊にでも遭遇したものならば、最悪の事態に陥る可能性も少なくはない。恐怖と言い知れぬ不安が彼らを襲っている。
顔には決して出さないが、兵士達の出す雰囲気でリオデには全てが読み取れていた。
「全部隊、進め!」
気迫のある号令でリオデは兵士達に命令した。
まるで兵士達を激励するかのように……。