最終章 鉱山都市ポルターナ攻防戦 Ⅰ
大地を震わせる砲撃音、それが次々と山を割るかのごとく響き渡る。早朝から雪の上を、ユストニア軍の第一陣攻撃隊の兵士たちが、歩いて前進していた。
「まだだ、まだ引き付けろ、充分に引き付けるんだ」
対して王国軍の銃兵三百名は、迫り来る兵士を前に、隊列を組んで銃を構えていた。徐々に近づいていく敵歩兵部隊は、張り巡らされた防柵を乗り越えていく。そして、また一歩、一歩と隊列を乱さずに、前進していく。
そこに砲弾が落ちようが、彼らは恐れることなく、隊列を維持したまま銃兵たちに迫っていた。とにかく肉薄していく。
「射程ライン、150ルデンをきりました! 隊長!」
一人の兵士がそう叫んでいた。だが、それでも、小隊長は発砲を指示しない。その間にも、防柵を次々と敵が乗り越えて、この陣地内に向けて前進しきている。
最前列の兵士たちの顔まで、くっきりと見える。そのような距離に迫りつつある。
「射程ライン! 距離100ルデン、まだですか!?」
焦って一人の兵士が、小隊長に対して射撃を催促する。それでも、小隊長は射撃の許可を出さなかった。
「まだだ、引き付けろ!」
ユストニア兵の隊列の、最前列に並ぶ兵士たちの顔が、一人一人、目視できる距離にまで迫っていた。
「射程ライン! 距離50ルデン!」
一人の兵士がそう叫ぶ。後方で、砲兵隊が絶え間なく、二門の大砲を発砲し続けていた。
だが、その砲弾は、時折、敵の分隊を一つ蹴散らす程度で、陣地全体を救うには、頼りなさ過ぎる。
「よく狙え! 撃てえ!」
小隊長がサーベルを振り上げて、全員に聞こえるように叫んでいた。それを皮切りに、ユストニア兵に向けられていた銃が、一斉に火と硝煙、鉛弾を射出していた。
谷を振るわせる発砲音、ばたばたと倒れていくユストニア兵たち、その死体を踏み越えて、次々と後方の兵士たちが前に出てくる。
「次装填! 撃て!」
掛け声に合わせ遊低を引いて、薬莢を排出する。そして、また、一斉に発砲する。
次々と倒れていくユストニア兵、だが、それでも兵士たちの距離は縮まっていく。
五度目の発砲が終ったとき、すでに銃兵の目の前までユストニア兵が迫っていた。
「よし、総員、防衛線を一段階下げるぞ!」
その言葉に従って、銃兵たちは一斉に後方の塹壕に後退していた。銃兵の後ろには、甲冑と鋼鉄の盾、槍を装備した重装甲歩兵の列が控えていた。
グイディシュ王国が誇る、最高の鉄で体を覆った屈強なる兵士たちだ。
銃兵たちは第一防衛ラインから、第二防衛ラインまで、あっさりと引き下がる。そして、すぐに第二防衛ラインである塹壕で、弾込めを開始する。
その間に、重装甲歩兵たちと、ユストニア歩兵による戦闘が開始されていた。
鋼鉄の盾に向かって、走って突撃をかけるユストニア兵達、それを槍と盾を使い、巧みに阻止する王国重装甲歩兵隊、時間を稼ぐには充分な役割を果たしていた。
「塹壕から、合図を確認。総員、そのまま、抑えながら後退だ」
人で壁を作っている重装甲兵は、徐々に後退していく。そして、巧みな槍使いにより、殆ど損害を出さずに、塹壕手前まで後退していた。
前衛を押さえているのは、たった300の重装甲兵のみだ。
「総員! 爆薬点火!」
銃兵隊の小隊長の言葉で、一斉に爆薬に繋がる紐に、火がつけられていた。そして、その爆薬を持ったまま、銃兵たちは一斉に塹壕を飛び出していた。駆けて装甲兵の後ろまで行き、力の限り、爆薬をユストニア歩兵隊に向かって投げていた。
それが一つや二つなら、大した混乱を招かないだろう。だが、銃兵三百の一人一人が、次々とその爆薬をユストニア軍側に投げ込んでいくのだ。
連続して起こる爆発音とともに、ユストニア兵たちが粉々に吹き飛んでいく。最前列で行われている壮絶な戦闘と後方への爆撃は、ユストニア兵の隊列に乱れを起こしていた。
だが、それでも容赦なく降り注ぐ爆薬に、ユストニア兵は恐怖していた。味方が目の前で肉片となって、自分に降り注ぐのだ。そして、なにより、いつ自分がああなるか分からないという恐怖が、ユストニア兵を支配していた。これでは戦いどころではなく、次々とユストニア歩兵は、戦意を失って後方へと下がっていった。
「て、撤退だ! 全員、撤退! 体勢を立て直す!」
ユストニア軍側から聞こえてきた声に、次々とユストニア兵が後ろに下がっていた。
重装甲歩兵隊はそれを追うこともせず、ただ、過ぎ去った危機を見つめていた。
陣地内の各所から、敵の撤退を見て、歓声が上がっていた。
「まだだ、銃兵隊、即時、前方に展開だ! 手はずどおりにしろ!」
一人の将校が塹壕の中で指示を飛ばしていた。散り散りに逃げていく歩兵たち、その前方には、既に次の敵の隊列が迫っていたのだ。
「敵は波状攻撃をかけるか。さすがに数の差が大きすぎる」
一人呟く将校が再び慌しく動き出した陣地の中で、ポツリと呟いていた。
第一波を防いでも、第二波、第三波、と次々に兵力を投入できる。それに対して、王国軍はたったの一千五百人で、この波状攻撃を防がねばならないのだ。
一人の損失が、これほどまでに大きくなる戦場を、王国軍兵士は初めて経験しようとしていた。
「ポルターナにいる家族、恋人、友人を守るのだ! 全員、なんとしても、この攻撃を耐え抜け!」
塹壕の中から叫び声をあげる将校に、陣地内の全ての兵士たちが雄たけびを上げていた。
ポルターナの中央道ルートで、今、死闘の火蓋が、きって落とされていた。
◆
雪の上で燃え上がる油、それはまるで雪そのものが燃えあがっているかのようにも見える。目の前で起きているありえない事態を把握するのに、カートは叫んでいた。
「総員、被害報告!」
燃え盛る炎、直撃弾を食らった歩兵部隊の兵士たちが、瞬く間に炎に包まれていく。
「負傷者多数! 状況を把握できません!」
叫ぶ兵士、その頭上を、炎を噴き出しながら、大きな壷が飛んでいく。
そして、カートの後方の部隊にも、その被害は拡大していく。目の前まで南側山道ルートの終点、村の城壁が見えている。だが、そこにたどり着いた兵士はいない。
それどころか、城壁の上より浴びせられる銃弾と弓矢によって、多くの骸がその手前で山となっている。
狭い道幅に加えて、登り道、そして、逃げ場のない谷という、最悪の山道を突き進まなければならないのだ。
その地形をグイディシュ王国軍は熟知し、地形をふんだんに利用していた。可燃性の高い油を大きな壷に入れて、油の染み込んだ布で蓋をして、それに火をつける。そして、その大壷ごと、投石器で道に放り込んでいた。
直撃弾を受ければ当然命はない。それに加えて粉々に飛び散った壷からは、大量の油が飛散し、大勢の兵士たちにかかっていた。瞬く間に、火の海に包まれる山道、兵士たちの断末魔の叫びが、谷に響き渡る。
「撤退! 即時撤退だ! 態勢を立て直す!」
カートはそう叫んで、全員に命令していた。だが、この狭い道に、数千の兵士たちがひしめき合っているのだ。その上、この混乱状態である。
撤退を命令しても、一行に長蛇の列は後方に後退しない。
「なにをやっているんだ! 撤退といっているだろうが!」
「隊長! 後方まで命令が伝達されず、後ろの部隊がこちらに来ています!」
報告してくる部隊の兵士が、カートに現状を報告していた。
「現状を見て行動もできんのか!?」
カートは苛立たしく叫んでいた。目の前まで迫っていた城壁が、これほどまでに遠く感じる。その上、多くの兵士が死傷している。
状況の打開策もなく、ただ、前に突っ込んでくる兵士たち、それに城壁の上で一生懸命に応戦する王国軍兵士たち。まさに血みどろの死闘である。
「総員、退け! 退くんだ」
カートは叫んで後方へと足を進める。それに習って次々と部下が続いて、後退していく。
撤退しだしたユストニア兵を見て、城壁の黒ずくめの兵士たちが歓声を上げていた。
一度目の攻撃は、大敗したのだ。
何も策はなく、とにかく城壁に対して取り付くことを目的とした前進だ。それが、この一度目の大敗を招いたのだ。
そんな様子を城壁の上から、見ていた親衛隊員が呟いていた。
「こうも、うまくいくとはな。予想もしていなかった」
歓声に包まれる城壁の上で、その若い青年の親衛隊員ラスナは、呟いていた。
城壁に取り付かせる前に、投石器を使用した攻撃と、それを抜けてきた敵を、銃と短弓を使用した攻撃で阻むというものだ。
投石器には油を入れた壷に炎をつけて、即席の火炎弾を作って、射出していた。狭い道ゆえ、同じ場所に向かって投げ入れれば、火の海が出来上がる。
それをやっと抜けてきても、今度は弓と銃によって、城壁前で歩兵たちはいとも簡単に倒されていくのだ。
ほぼ一方的な戦いといってもいい。こちらの損害はゼロ、相手方は多数の負傷者と死者を出しているのだ。
「敵の撤退を確認しだい、矢の回収と、敵の負傷者を収容しろ!」
ラスナはそう命令していた。親衛隊の大部分は軍人出身者だ。軍事的業務をこなすことができる。だが、それでも、親衛隊は軍隊ではない。本来の任務は、町の治安を維持することである。たとえ、敵であれ、負傷者ならば収容して手当てをするのは、当然と考えているのだ。
「ラスナ隊長! こちらの医療物資を使うというので?」
一人の親衛隊員が、ラスナを問いただしていた。
「そうなるな。確かに、我々の敵ではある。だが、苦しんでいる人間を、そのままにしておくわけにはいくまい」
親衛隊員ならば、そのくらいの心構えを持っていなければならない。ラスナはそう考えているのだ。
「しかし、我々が負傷したときに、医療物資が不足してしまっては」
その親衛隊員の言うとおり、現在は優勢ではある。しかし、これから劣勢に回っていくかもしれない状況の中、負傷者を手当てする物資がなければ、士気もさがる。
その上、戦うことができなくなる。
「だから、多めに医療物資をここに持ってこさせたのだ。あんずるな。我々が使う分とは、別に確保している」
ラスナはそう言って、笑みを浮かべて見せていた。それに親衛隊員も胸を撫で下ろしていた。そうと分かれば、すぐにでも救助に向かえるものだ。
「門を開けろ。すぐに矢と負傷者の回収に向かうぞ」
若い親衛隊員はすぐに、城壁から駆け下りていた。ラスナはその様子を、一息つきながら見守っていた。苦しんでいる負傷者の声、味方から見捨てられ、その場に放置されている。
もし、自分がそうなったとき、どうしてほしいか。それを考えたとき、ラスナは見捨てることなどできなかったのだ。次々と運び込まれていく負傷者、死体は道の脇に寄せられ、次の襲撃に備えられていた。
ポルターナに続く南北のルートで、死闘が始まっていた。
◆
バスニア砦に駐留したリオデ達は、久々の休息を取っていた。バスニア砦に、フォリオン連隊が殺到したときには、すでにユストニア軍はいなかった。
あるとすれば、そこにあったであろう陣地と、放棄されたユストニア軍の大砲だけであった。
フォリオンはそれに嘆息付いて、行動の遅かった自分を悔やんでいた。もし、もう少し駆けつけるのが早ければ、ここのユストニア軍を殲滅できていたかもしれない。
だが、終ったことはどうしようもない。
後方から続々と王国軍の主力部隊が、山岳地帯、高原に進出していると聞いている。
ここを敵勢力圏から守り抜いただけ、ましということだ。
それもこれも、リオデの気転が功をせいしたからだ。
そこでフォリオンは、リオデ大隊に対して休息を命じていたのだ。とはいえ、この猛吹雪の中、ホフマンの大隊も行軍することはできなかった。
敵味方、双方の軍隊がこの吹雪の中では、どうすることもできず、ただ、自然の猛威が過ぎ去るのを待つしかない。
「リオデ大隊長! ベルシアです。はいりますよ?」
そう言って指揮官専用室に、ベルシアは返事をまたずに足を踏み入れていた。
バスニア砦には幸いなことに、指揮官用の部屋がいくつかあった。簡素とはいえ暖かい布団のしかれたベッドに、机、部屋を照らすガス灯がついている。なにより、一番贅沢なのは、この部屋には小さなシャワールームがついているのだ。
戦場では入ることのできないフロに、肩からつかることができるのだ。戦場の疲れを癒すのには、余りにも豪華で贅沢すぎる待遇である。だが、リオデはこのバスニア砦を救った立役者だ。砦の兵士からも歓迎されて、フォリオンよりも先に、この部屋に割り当てが決まった。
ベルシアは鍵のかかっていない扉を開けて、部屋へと足を踏み入れる。軍の制服がハンガーにかけられていて、ベッドには畳まれた下着やシャツが置かれている。その脇にはベルトやサーベルなどの装備品一式が、無造作に置かれていた。
そこから、ベルシアは嫌な、ある意味では幸運な予感を感じていた。
「ベ、ベルシア!?」
体にタオルを巻いたまま、頭を拭きながらリオデが浴室のある一室から出てきていた。それにベルシアは、表情を嬉しそうに緩める。
「隊長、これは失礼いたしました。入浴中だったなんて」
ベルシアはそう言って、リオデを注視したまま動きを止めていた。
「失礼と思うなら、すぐに出て行け。殺すぞ?」
いつになく真面目な表情で言うリオデに、ベルシアは早足で部屋から出て行っていた。
廊下で待っていると、侍女がタオルを抱えて、ベルシアの前をそそくさと通り過ぎていく。そして、リオデのいる部屋へと入っていった。
その過ぎ去り際に、侍女が微妙な笑みを浮かべていたのをベルシアは見逃さなかった。
そうしているうちに、髪を伸ばした長身で銀髪の男が、ベルシアの前に現れていた。一見すれば女性にも見える顔立ちの美男子。歳もベルシアより若く、それでいて大隊長補佐という役職に付いている。
美青年で階級も高い。文句のつけどころのない、高級将校が扉に手をかけていた。
「白銀の冷血姫どの、今はあけないほうがいいですよ」
あえて、補佐官とは呼ばずに、彼の嫌うあだ名で呼んでいた。もともと、ベルシアのことが気に入らなかったティオは、扉の横で腕を組んでいる青年将校を一瞥する。
とても、友好的とは言えない視線をベルシアに向けると、すぐに扉を開けていた。
だが、扉をあけたティオの動きが止まる。かと思えば、その雪のように白い頬を、急に真っ赤に染め上げて甲高い声で叫んでいた。
「し、失礼しました!」
「失礼と思うなら、すぐに閉めろ!」
リオデの怒鳴り声と共に、ティオは慌てて扉を閉めていた。ベルシアはそのやり取りを、下品な笑みを浮かべてみていた。
「こ、この、き、貴様、知っていてわざと止めなかったな!」
「いや、それは語弊があります。ティオ補佐官殿! 自分は開けないほうが良いと忠告しました」
ティオは苛立たしげに、ベルシアを見る。そして、すぐに怒鳴りつけていた。
「貴様! 私をからかっておるのか。開けようとする時に、実力で制止することができただろうが!」
ベルシアは相変わらずの笑みで、意地悪く反論してみせる。
「恐れ多くて、上官殿にふれることなどできませんよ」
ティオはそれ以上何も言わず、腕を組んでベルシアの横の壁にもたれかかっていた。
そして、一つため息をつく。そんなティオを見て、ベルシアはティオに問う。
「でかかったか?」
「え? ああ、結構あったな……。って貴様! なにを言わせるか!」
自然な流れでティオに聞いたベルシア、だが、その質問内容は、とてもよろしいとはいえない。それに気づいたティオは、ベルシアの胸倉を掴んでいた。
「まあ、まあ。落ち着いてください。いいものが見れたんだし、いいじゃないですか」
ベルシアの言葉に、ティオは振り上げていた拳を下ろしていた。納得のいかない言葉、だが、それもまた事実である。ティオは再び壁にもたれかかる。そして、目を瞑ってベルシアに聞いていた。
「で、お前は何の用事で隊長のところに?」
「ポルターナの件を耳にして、リオデ隊長に知らせようかと」
ベルシアはそう言って、天井を見つめていた。この猛吹雪はいつまで続くか分からない。だが、この吹雪がやめば、必ず戦わなければならない。であれば、作戦目標である第1112山岳歩兵旅団の中隊救出に付いて、情報を集めておいたほうがいい。
そう思って、ベルシアはバスニア砦内の兵士から、情報をかき集めていた。そう、全ては今後のためだ。
「そうか。だが、我が隊がポルターナに向かうかは、分からないぞ」
ティオはそう言ってベルシアの方へと向いていた。その言葉に、ベルシアもティオを見つめ返していた。
「どういうことだ?」
「デルマシア高原にな、ユストニア軍の主力が集まりつつあるのだ。その先の都市ゲリアールが敵の目標だろう。占領を阻止するために、我が軍の主力部隊も、デルマシア高原に向かっている」
デルマシア高原、ユストニアに最も近く、レルジアント地方最大の広さを持つ高原だ。その高原の手前には、六万人の住人が住む城砦都市ゲリアールがある。
このゲリアールをユストニア側に押さえられれば、このレルジアント地方で最も鉱物の採掘が豊富なポルターナを占領されたも同然である。
ポルターナに向かうにはデルマシア高原から伸びる二つの道を、通るしかない。ポルターナを獲るには、デルマシア高原を完全なる勢力圏化に置かなければならないのだ。そこで、完全なる勢力圏に置くには、高原の前にあるゲリアールの占領がかぎとなる。
ゲリアールを押さえられれば、デルマシア高原を完全に失うこととなる。
「ゲリアールは占領されてなかったのか?」
「奇跡的に、俺たちとは他の連隊が駆けつけて、占領を逃れたらしい。ゲリアールは敵さんの電撃戦のルートには入っていなかったからな。奴らも、最終的に勝利は難しいと見て、悪あがきで、ポルターナを手に入れようとしているのさ」
ユストニアの電撃作戦では西側ルートか、東側ルートかを選ぶかで、進行速度が違っていた。
東側ルートには都市自体が少ない。しかし、鉱物資源が豊富に出ているため、都市そのものが城砦化しているところが多く、王国軍の駐留部隊の基地が多い。それだけに、障害も大きいのだ。
それに対して西側ルートは、主に商業ルートと呼ばれており、隊商が休憩するための中小規模の都市や村が多いのだ。
鉱物資源を狙ってくると見ていた王国軍は、守備隊を東側に固めていた。そのため、レルジアント地方の西側には駐留基地はあるものの、基地内は空に等しく、防備も薄かった。
何より西側ルートを決定付けたのが、ユストニアとグイディシュの障壁ともなっているガルス山脈を抜けたとき、ラネス平原に直に出られたことだった。
ここを基点にレルジアント地方を、一気に占領していこうとしたのだ。その足がかりが、タリボンの占領である。タリボンを占領すれば、東側の補給ルートを遮断できる。
疲弊していった東側守備隊を、掃討していくのは、とてもたやすいことだ。
だからこそタリボン攻略戦は、両軍が必死でぶつかった最初の戦いといえた。
だが、タリボン攻略失敗と、ラネス平原での大敗を喫したユストニアは、守勢に回った。
西側ルートでは、相次いで王国軍が勝利を収めて、ユストニアから国土を奪還していく。そして、遅れながらも、鉱物資源を手に入れるために、ユストニアは山岳地帯での戦闘を開始していた。
ラネスで敗走したとはいえ、山岳地帯がユストニアの勢力圏に置かれていることには、変わりはなかった。東側での守備の主力であった第111山岳歩兵師団が、数の上で優勢なユストニア軍に破れていたのだ。
そのためグイディシュ王国軍は都市や砦に篭城し、援軍が来るまで、じっと耐えしのぐことしかできなかった。それ以外に、手立てがなかったのだ。
だが、リオデの所属する第六近衛師団や、第七近衛師団など、中央軍集団の援軍投入で、戦局が覆されようとしていた。
「ようするに、俺たちは東側守備隊の救世主ってところか」
つぶやくベルシアは、再び天井を見上げていた。
「まあ、デルマシア高原での戦闘に勝てば、の話だな」
ティオはそう言って、同じように天井を見上げる。ベルシアはそれに嘆息していた。
「主戦力同士の激突か。噂じゃ、西側ルートの敵は、国境まで後退したそうだな」
「話が早いな。西側の脅威が去ったから、第七近衛師団もデルマシアに投入できる。続々と他の師団や旅団もデルマシアに向かっている。参謀本部は、決着をつける気でいる」
ティオはそう言ってフォリオンから聞いた情報を、ベルシアに話していた。
「敵も西に敵が来ないと知ったら、その分、デルマシアに集中できる。ここが本当の正念場だな」
ベルシアはそう言って、扉の前まで歩み寄る。そして、ノックしていた。
「入っていいぞ」
先をこされたと、ティオはベルシアを見つめる。その後ろにすぐ続いて、ティオも部屋の中へと足を踏み入れていた。ベッドの横の椅子に腰をかけるリオデは、軍服を身に付けていた。侍女が三人に礼をして、その場から駆け出て行く。
「二人とも、テントならまだしも、ここは士官の個室だ。今度からノックして、その場で待てよ」
不機嫌そうに二人を見るリオデ、それにベルシアとティオは顔を見合わせていた。
「申し訳ありません。今度から気をつけます」
声を合わせて言う二人、それにリオデは嘆息付いていた。
「で、用件があるのだろう?」
「補佐官殿からどうぞ」
リオデが言葉をかけると、ベルシアはそう言ってティオに言うように促していた。
「報告します。ご存知と思いますが、デルマシア高原に敵が集結しつつあり、我が軍の主力も、そちらに向かっています。おそらく、我々もそれに加えられると思われます」
ティオがそういい終えると、リオデは頷いてみせる。そして、ベルシアを見た。
彼に次の報告を言うように、目で促す。
「例の中隊を調べましたところ、ポルターナに避難したという情報が入っています。ここに来ていた同師団の連中から聞いた情報なので、確かなことかと」
リオデはそれに頷いてみせると、再び考え出していた。ポルターナを完全な勢力圏に置く戦いが、デルマシア高原の戦いだ。であれば、ポルターナは陥落しているのではないか。
だが、ポルターナへの道は長く、入り口さえ封鎖してしまえば、ポルターナからの部隊は遮断できる。
何より、救出目標の部隊が、ポルターナ方面に逃げたのであれば、ポルターナが落ちていない可能性は高い。
「隊長、それと捕まえた捕虜の話を聞きますと、ここを攻略に当たっていた部隊は、もとはポルターナ封鎖部隊の所属と言っていました。このバスニア砦を攻略する時は、まだポルターナには手を出していなかったそうです」
リオデはベルシアからの報告を聞いて、ほっと胸を撫で下ろしていた。そうと分かれば、ポルターナでは、まだ多くの軍人や民間人は生きているのだ。
何より彼らは救援部隊を待っている。
「よかった。本当によかった」
リオデはそう言って、心の底から安堵のため息をついていた。それを見たティオは、不思議そうに彼女を見ていた。今の今まで、都市の無事を聞いて、ここまで彼女が感情を露にするところを見たことがなかったのだ。
その怪訝な表情に気づいたベルシアは、ティオの胸をこついていた。そして、小声で彼に言う。
「あまり、気にしないほうがいいぞ」
ベルシアにそう言われ、ティオは余計にリオデのことが気になった。今まで彼には見せたことのない、切ない表情をしていたのだ。
だが、彼女はすぐに表情をいつもの硬いものに戻していた。
「ありがとう。ベルシア。それにティオもご苦労だった」
「は! 失礼します」
二人は声を合わせて、リオデに背中を向ける。ティオはついでにお礼を言われた感じが、どうにも気に食わなかった。それでも、それを無理やりに胸にしまいこむ。そして、ベルシアと共に部屋を出て行った。
「さっきの言葉、どういう意味だ?」
部屋を出て二人は廊下を歩いていた。ティオは横を歩くベルシアを問いただす。
「そういえば、お前しらなかったのか?」
「じょ、上官に向かって、お前はないだろ!」
「だが、俺のほうが年上だ」
ベルシアはそう言って、ティオに微笑をみせる。彼は観念して首を左右に振って、諦めていた。リオデにさえ軽口を叩くこの男が、今更、自分に対して態度を改めるわけがない。
「で、どういう意味なんだ?」
ベルシアに改めて問うティオは、腕を組んで不機嫌そうに彼を見つめる。そんな彼にベルシアは耳打ちして、小さな声で呟いていた。
「ここだけの話だ。隊長はな。婚約者がいるんだ」
「こ、ここ、婚約す」
大声を上げそうになるティオの口を、冷静にベルシアは片手で押さえていた。
「大声は上げるなよ。ばれるとまずいからな。で、その婚約者は今、ポルターナにいるんだ。隊長の補佐をするんだから、そのくらいは知っておけよ」
そう言って小声でささやくと、ベルシアはゆっくりと片手をティオから離していた。
「そ、そんなの初耳だ。僕は信頼されてないんじゃないか?」
「安心しろ、俺だから知りえた情報なんだ。けして、信頼どうのの話じゃない」
ティオはベルシアの目を見つめて、考える。この男は女ぐせの悪さで、大隊一の有名人だ。
どんな女性であろうと、綺麗であればとにかく声を掛けまくる。当然、リオデにも声をかけていたはずだ。そこでティオは初めて、ベルシアの言葉の意味を悟った。
この男はすでにリオデに声をかけ、見事に撃沈されていたのだ。と。
だからこそ、その事実を知りえたのだ。
「分かったなら、いい。とりあえず、このことは絶対に他言無用だ。いいか。もう一回だけ言う。絶対に他の人間には喋るな!」
ベルシアはそう言って釘をさしていた。ティオは珍しくみる真面目なベルシアに、押し黙って頷くことしかできなかった。
◆
リオデはベルシアとティオの出て行った静かな部屋で、ただ、呆然と椅子に座っていた。
「生きている。ポルターナで生きてるんだ」
胸に手を当てて、下に俯く。それと同時に、乾いたばかりの赤毛が、垂れて彼女の顔を隠していた。肩を上下させて、涙を頬から流していた。
そして、ポルターナの無事を聞いて、感極まって嗚咽を漏らしていた。
「彼が生きてる」
ここに来るまで、彼女は今の今まで、ポルターナが無事かどうか、気がかりだった。けして、それを表面に見せることなく、今まで任務を果たしてきた。だが、それも、先ほどのベルシアの報告を聞いて、我慢していた感情が、一気になだれ込んできていた。
嗚咽を漏らしながら、リオデは俯いたまま呟いていた。
「ラスナ……」
そう言って、吹雪いて何も見えない窓に、歩み寄っていた。
窓に移るは白銀の世界、だが、彼女の目には深い緑の広がる敷地が映っていた。
敷地の中にポツリとある小さな噴水は、太陽の光をきらきらと反射していた。
リオデはその光景を窓辺より、見つめていた。彼女は淡い白のシルクのドレスに身を包み、その青い目で愛おしそうに街を眺め続ける。
白い腕で窓に手をかけ、手を太陽にかざし、宙で太陽を握るような仕草を見せる。
リオデは何かを待ち望むように、目を細めて、赤くなる夕日を見つめる。彼女は待っているのだ。その時を期待して、胸を高鳴らせて…。
彼女の部屋のドアが三回、音をたてた。リオデは振り向きもせずに一言だけ告げる。
「入ってください……」
ドアはゆっくりと開き、彼女も扉の開く音に合わせて首を動かす。
「たそがれ時を邪魔したかな?」
彼女の視線は扉の前に向けられ、その前では黒い軍服に金ボタン、赤色の肩章、胸には褒章と徽章をつけ、誇らしげに着飾った男性が立っていた。
「いいえ、そんなことはありません」
リオデは微笑を顔に浮かべ、男性のほうを見ながら言う。彼は表情を一変させて、リオデのもとに近付いた。彼女はその行動を、微笑を崩さずに見つめる。
リオデは胸の高鳴りを感じていた。男性が近付くにつれて、その胸の高鳴りは大きくなる。普段見る彼からは感じられない、温かく女性を包み込む高貴さが、胸の高鳴りを早めていた。
男性がリオデの前まで来ると、立ち止まり跪いた。
彼女は左腕を彼の前に差し出す。その差し出された滑らかで色白の手を、男性は両手でとり、軽く唇を触れさせる。
暫くその体勢のままでいたが、彼はゆっくりと顔を上げて、リオデを見つめた。
「ラスナ・ファン・エイベルヒ子爵、ネイド家の長女リオデ・ジュリア・ネイドに婚約を申し込みにきました」
リオデは微笑を崩さずに正装に包まれたラスナを見つめる。
彼女の顔はどことなく、ほんのりと赤くなっているようにラスナには見えた。
「この私と、結婚してください」
リオデはその問いに静かに頷いて小さな声で「はい」と、答えた。ラスナは返事を聞いて、立ち上がり、顔を近づけると、それにあわせてリオデも目を瞑り、彼に唇をゆだねる。
リオデとラスナが唇を重ねるのは、これが初めてではない。これまで、ラスナとリオデは数え切れないほど唇を重ねてきていた。
だが、リオデにとってこの時ほど温かで幸福に満ち足りたキスは、彼と初めて唇を合わせたその日以来である。
一瞬の出来事であるにも関わらず、リオデとラスナにはそれが、永遠に続くかのようにも感じられた。
ゆっくりとラスナは顔を離すと、あらためて、夕日を背にしたリオデの顔を見つめた。
滑らかな顎から首にかけてのライン、小さな唇に女性らしい丸く、しかし少しばかり鋭い瞳、適度に高い鼻、艶のある髪の毛が、女性としてのリオデを際立たせた。
ラスナはリオデの両親に結婚の許しを得るのに、何度となく両親のもとに出向いていていた。その苦労も彼女と一緒になれるかと思えば、忘れてしまいそうになる。
「美しい……」
見とれるラスナは目を細めて、改めて彼女を見つめる。
ラスナはリオデの瞳を見ながら、胸元に垂れ下がる長い髪の毛に、ゆっくりと手を忍ばせていく。手は髪の毛を伝って段々と上に行き、顎に伸び、その手が更に首に回される。ゆっくりとあいたもう片方の手を、彼女の腰に置いた。そして、リオデを力強く、だが、優しく抱き寄せる。
二人はもう一度間近に見つめあい、再び口付けを交わした。
彼女はこの口付けが妙に長く、濃厚なことに気付いた。唇を離したときにラスナの顔をまじまじと見つめる。
いつもとは違う雰囲気を、唇を合わせたときにリオデは感じ取っていた。
誰よりも深く愛する。それが抱擁されているときにひしひしと伝わってきていた。
彼もまたリオデの視線に気付いて、彼女に向かい合った。
「私は、まだこれから君に言わなくてはならないことがある」
迷いの無い茶色い双眸は、リオデの不安そうな表情を見据えている。
普段はよく喋るラスナが静かに、より一層真剣な表情をしている。それが何を意味するのか気になって仕方がない。
「言うことがあるなら、早く言ってください」
リオデはラスナを急かすように言う。すると、彼はうつむいて彼女から視線を外した。そして、もう一度彼女の顔を見据える。
ラスナは決心をつけ、彼女に対し口を開いた。
「私、ラスナ・ファン・エイベルヒ親衛隊大尉は、ポルターナに向かうことが決定しています」
ラスナはどことなく他人口調で、自分の身に起こっていることをリオデに告げた。ポルターナは王国南東にある山岳に囲まれた高原にある主要都市のひとつだ。
この王都フロイワからは馬やグイに乗っても、二週間以上はかかる距離にある。
レルジアント地方で、鉄鋼資源を産出する都市である。数ある採鉱都市の中で、鉄鋼の産出量は王国随一だ。
そんな、ポルターナに駐留している部隊も、親衛隊の一個旅団と陸軍の少数の部隊のみである。ラスナはその親衛隊の一個旅団に編入されたのだ。
そして、今この時期、ユストニアとの間できな臭い空気の流れているレルジアント地方のポルターナへの転勤である。もし、戦争が始まれば、ポルターナは被害を受ける可能性が高い。
「帰りはいつに?」
リオデは気になっていることを、彼の身を案じながらラスナに聞いた。
「分からない……。おそらく半年はいなければならないだろう。でも、そのあと、必ず結婚式を挙げよう」
ラスナはそう言って、再びリオデを抱き寄せていた。再び交わされるキス、彼の温もりを感じながら、リオデはラスナの身を思い切り抱きしめていた。
リオデはその出来事を思い出しながら、窓に手を伸ばしていた。
白銀の世界が映る窓に……。