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戦場の鎮魂歌  作者: 猿道 忠之進
第三章 内通者
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第三章 内通者 Ⅱ



 早朝、補充の歩兵と共に続々と村に入ってくるリオデ大隊の兵士たち、その顔には憔悴の色が色濃く残っている。だが、それでもリオデが村の前で出迎えるのを見ると、たちまちに歓声があがり、士気そのものは瞬く間に回復していった。


 タリボンからの予備隊が無事に到着して、ティオ中隊の任務を引き継いだ。ユストニア軍からの攻撃を防いだティオたちは、後任をタリボンの部隊に任せて村に急いだ。村からの報告では、補充兵の編入後、バスニア砦に出発する。ということだ。


 そんな憔悴した兵士たちは、村の中で一時の休息を取っている。

 正午の太陽が昇るころ、リオデは自分に割り当てられた指揮官用のテント内で、部隊再編の報告書に目を通していた。


 ティオ中隊の損害は予想以上に大きく、戦死傷者が二百名を超えていた。部隊の三割以上を消耗すると、部隊運用というものが危うくなる。これは事実上壊滅を意味する。


 全体の三割、即ち、全大隊人員2600名のうちの780名、これがリオデ大隊のデッドラインになる。

 すでに300名余りをこれまでに失っている大隊に、リオデは不安を感じずには居られなかった。だが、ここで新たに補充の兵が編入される。その不安も解消され、今回のバスニア砦の救出作戦を展開できることは、彼女としてはとても喜ばしいことだ。


「リオデ隊長! ただいま帰還いたしました!」


 指揮を任せていたティオが、彼女のテントに入るなり元気よく言葉をかけてきていた。


「ご苦労様」


 一言だけ声をかけてティオを一瞥すると、リオデは再び報告書に目を通し始める。

 その態度に不満があったのか、ティオは顔をしかめていた。


「機嫌をそこねなくても、いいだろう。その綺麗な顔が台無しになるぞ。白銀の冷血姫」


 リオデはそう言って報告書を机の上に投げ出し、ティオの顔を笑顔で見ていた。


「その呼び名! 隊長まで、そんな呼び名で呼ばないでください!」


 不服そうにするティオに、リオデは声をだして笑う。


「すまない。お前はからかいがいがあるんで、ついな」


 彼女の言葉をきいたティオは、その丸めの瞳を細め、膨らみのある唇を尖らせる。長く伸ばした銀色の髪の毛に、首元からの綺麗なうなじ、喋らなければ女性とも見間違えられるほどの美青年である。王都フロイワには彼の追っかけ女子たちがいるらしいが、リオデは詳しいことは知らない。


 だが、そんな美青年の顔にも、連日の戦いによる疲れの色が残っていた。


「隊長、本当に茶化すのはやめてください。自分、泣きますよ?」


「泣いたら、私が頭を撫でてやるよ」


 冗談を言うリオデに、ティオは深いため息をついて肩を落としていた。


「そんなに、自分は女々しいですか?」


 苦笑を浮かべるティオに、リオデは笑顔を向けていた。


「そんなことはない。立派に私の代わりを果たしてきた。お前は立派な男だよ」


 そう労いの言葉をかけるリオデに、ティオは暗い表情を浮かべていた。


「ですが、自分の指揮のせいで……。多くの部下を死なせてしまいました」


 野戦病院たる陣地に奇襲を許し、その結果戦傷者のみならず、軍医までも失うはめになったのだ。悔やんでも悔やみきれない、そんな煮え切らない想いが彼を支配している。

 リオデはレイヴァンを失ったときの事を思い出し、戦場の冷酷さに悩む自分をティオに重ね合わせていた。


 そうすることで彼の悩みが、まるで自分の苦しみのようにさえ感じられた。


「私がその任務にあたっていても、結果は違わなかっただろう」


「ですが、自分は奇襲をかけられたんです……」


 リオデの気を紛らわせる言葉、ティオはそれにも関わらず俯いて顔を背ける。彼女は力強く怒声にも似た声を、ティオに浴びせていた。


「だからこそ、無念のまま戦死した部下の想いも一身に背負って戦え!」


 鋭い視線を向けられたティオは、リオデの言葉に顔をまっすぐ見据える。

 部下が死んでいくのは、戦場であるからには避けられない。それをリオデはこの身をもって分からされた。だからこそ、真剣に悩み、そして迷い、懸命に答えを出した。


 死んでいった部下たちの想いも全て、この身に背負って戦うこと、それが指揮官の役目なのだ。と。

 指揮官がそうであれば、兵士たちは何も迷うことなく、その命を投げ出してでも戦いに身を投じることができる。それが、戦場での信頼であり、絆である。


 彼女はそう答えをだして、その信念を貫き通すつもりでいる。


「隊長もいろいろとご苦労を、なさっているのですね」


 リオデが一瞬見せた暗い表情から、ティオはそのことをすぐに察していた。


「まあな。お互いに気苦労がたえない。だが、それがこの指揮官という立場だ」


 それに驚くことなく、リオデはティオの眼を見ながら答えていた。お互いが沈黙し、静寂な空気がテント内を支配する。


「あ、御取り込中でしたか」


 そんな静寂の中、若い兵士がテントの中に入ってきていた。声をかけて指揮官のテントに入ることを知らないらしく、兵士としての基礎を疑われるような態度であった。


「貴様、入る前に合図なりして、名乗らないか!」


 その兵士はティオから向けられた視線に、びくりと肩を震わせて即座に拳を胸の前にあてる敬礼をしてみせる。


「遅れて申し訳ありません! ヴィットリオ・クレツィア軍医長、ただいま着任いたしました!」


 リオデはその名前を聞いて、彼の顔をまじまじと見つめていた。クレツィア……。もしかすると、彼はレイヴァンの親族なのではないか?

 そんな疑問が彼女の頭によぎっていた。


「ヴィットリオといったな。貴様、出身は?」


「は! ポルターナであります! タリボンにて軍医の募集を見て志願し、ここに配属されることとなりました。はれて、兄と同じ部隊に入れるとは、思いもしませんでした」


 聞かれてもいないことをヴィットリオは、次々と喋りだしていた。そして、なにより、彼女を悩ませたのが、レイヴァンの弟かもしれないということだ。疑問を確信にかえるために、リオデは彼を見つめて聞いていた。


「お前の兄の名は?」


「レイヴァンであります!」


 運命のめぐり合わせというものは、時として人を残酷な道へと導いていく。それが今のリオデの状況といっていいだろう。

 嘆息ついて、リオデはヴィットリオを見つめていた。


「言いにくいことなのだがな……」


「は、はぁ?」


 今まで毅然とした態度を取っていたリオデが、急に殊勝な態度へと変化したことに、ヴィットリオは困惑した表情を見せる。そんな彼にリオデは震える口で、告げていた。


「お前のお兄さんは、つい最近、名誉の戦死をとげた」


 親族の前では、けして自分の代わりに死んでいったなどといえない。言いたくない。だが、いずれはこの事実を告げなければならないだろう。


「え?」


 ヴィットリオは言葉を失って立ち尽くす。実感がわかないのか、嘘だといわんばかりの表情をリオデに向けていた。


「そんな、ことが……あるわけ、ないですよね?」


 着任早々に知らされた事実に、ヴィットリオは明らかに動揺していた。つい昨日のように思い出される兄との思い出、それが彼の中で渦巻いては消えていく。


 複雑な心境の中、リオデは再び口を開いていた。


「すまないが、事実だ」


 レイヴァンの遺品は何一つとして持ち帰ることはできなかった。もちろん、遺体を回収することさえできない。むしろ、この戦場で遺体を回収できたら、それはかなりの幸運な戦死者である。


「あ、あの、兄のいた部隊はどこに?」


 彼女の言葉だけでは、その重い真実はヴィットリオにとって受け入れがたいことだった。

 ゆえに出た言葉が、それだった。


「今は別行動を取っているが、いずれは合流する予定だ」


 リオデは彼の問いに言葉を濁していた。いずれは分かることだ。ならば、早めに知らせておいたほうがいいだろう。そんな考えをヴィットリオは遮るように再び尋ねていた。


「いえ、そういうことではなく、何処にいるんですかと聞いているんです」


 リオデは彼の言葉に、顔を向けて答えていた。


「ここから、12カルデン南東にいったところにある陣地に駐留している」


 彼女の答えにヴィットリオは、言いにくそうに、目を見ながらも口を開いていた。


「その、自分をそこに、今すぐ派遣してもらえせえんか?」


 リオデはその言葉に顔をしかめて見せていた。私的に部隊配置を変えることは、軍規の乱れに繋がる。だが、彼の兄はリオデの命を守って、その体を散らしたのだ。せめて、彼の死を確認するくらいは、容認してもいいのではないか。彼女の頭の中にそんな考えがよぎっていた。


「それはあとで決める。今は自分の持ち場に戻れ」


 リオデの決定に納得がいかないのか、表情をゆがめるヴィットリオ、それを見かねたティオが睨みつけて口にしていた。


「上官の命令は絶対だ。分かったら、さっさと持ち場に戻れ」


「は、はい。失礼します」


 ヴィットリオはティオの目を気にして、すぐに王国式の敬礼をしてみせる。リオデに背中を向けてテントから出て行った。その納得いかない様子の背中が、リオデの目には妙に小さく映っていた。


「たく、とんだ補充兵ですね」


 悪態つくティオはテントから出て行く彼の背中を、その鋭い目つきで見つめていた。


「まあ、そう言うな。軍医を緊急に派遣することはそう容易くできることではない。それに、どこの部隊も軍医は不足している。民間人から医者を引っ張ってここによこしてくるくらいなんだからな」


 リオデはそう言って虚空を睨みつけていた。戦争は長期化し、泥沼の戦いになろうとしている。民間人からも、兵を徴集しなければならないほどに。

 他地域からの補充兵を待っていては、時間がかかりすぎるのだ。特に特殊な兵士、軍医などの医療技術に専門的知識を持った者は重宝される。それゆえ、他部隊からは送ることもできないのが、現状である。


「だからこそ、早くこの戦いを終らせる必要があるんです」


 ティオはその顔に真剣な表情を浮かべて、こぶしを強く握り締める。リオデはその決意を見て、口を噤んでいた。だが、再び沈黙が訪れる前に、リオデはティオに対して言葉をかけていた。


「ところでティオ」


「は、なんでしょうか?」


「戦闘中に怪しい動きをしている部下はいたか?」


 リオデの突然の問いに、ティオは困惑していた。彼女の言葉の意味、それは部下を疑うことを意味している。部下に信頼を寄せている彼女を見て、指揮官としてやってこられたティオにとって、このことは彼を困惑させるのに充分だった。


「いえ、特に。なぜ、そのようなことを聞かれるのです?」


「気になることがあってな。どうも、あの奇襲の一件が解せないんだ」


 リオデが言うことも、一理ある。完璧なる防御体勢を取っていたとはいえなくとも、それ相応に索敵のいきわたるような布陣と警備体制を整えていた。一個小隊規模の部隊がその警備網を潜り抜けて、奇襲をかけられること自体が奇跡のようなものである。


 彼女は隊内にユストニアへの内通者がいると、遠まわしにいっているのだ。


「まさか。隊長は内通者がいると?」


 リオデとしても、いないと信じたい。無用な疑いをかけることは、兵士たちの士気に関わってくる。だが、このまま何も確信を得ないまま、作戦を進めることも危険が伴う。


「私もいないと信じたい。だが、密告者がいないという確信もない」


「部下を疑うことは、できません」


 ティオの真剣な反論に、リオデは苦汁の表情を浮かべていた。


「確かに怪しい行動を取る部下はいない。だが、あの一件をただの奇襲で済ますのはな」


「では、何か策があるのですか?」


 問われてリオデはティオに向き直る。そして、すぐに口を開いていた。


「ないことはない。ティオ、この陣地内に噂を流してはくれないか?」


「噂……ですか?」


「ああ、そうだ。これで内通者がいるかがはっきりする」


 不敵な笑みを浮かべるリオデに、ティオはただ彼女を見つめることしかできなかった。





 日が傾きだした頃、王国軍が駐留している村内は、一時騒然となっていた。というのも、タリボンからの予備隊が、ユストニア軍の高級参謀を捕らえたというのだ。そして、その参謀がこの村に一時的に拘留されることになったのだ。その身柄は後日、タリボンに送られる予定である。


 兵士たちの間でもそのタリボンの予備隊の戦功が話題となっていた。リオデがどこを歩いても、兵士たちの話す話題は、あとから来た予備隊に戦功を先越されたという不満ばかりであった。


 その分、兵士たちの士気も高まっていく。


 次の戦いで大きな戦功を挙げてやろう。そんなやる気を起こさせる出来事が、村を支配していた。


「で、だ。アルベート、ここにその参謀閣下がおられるのだが、誰だかわかるか?」


 守衛の話を盗み聞きしていたカートは、ここに参謀が拘留されることを知っていた。

 白髭を生やした老兵の参謀が、カートの前に座りこんでいる。

 憔悴しきっていて覇気もなく、目も虚ろでどこを見ているのかわからない。なにより、なにを考え込んでいるのかわからない。

 彼はここに連れてこられてから、カートたちの問いにも一切答えず、沈黙を貫き通していた。


「さぁ、あっしには上のごだぁ、わかりゃしあせん」


 アルベートはそう言って白髭を生やした老人を見た。どことなく老兵として経験は豊かそうではある。が、それでも参謀という感じはどうもしない。


「まあ、それはそうかもな。俺も参謀とはあったことはない」


 だからこそ、カートは怪しんでいた。参謀というのは作戦を立案して、戦場の後方で戦術、戦略を練る役目の兵隊である。そうそう参謀が捕まることなど、戦場ではよっぽど敵が圧勝していない限りはありえない。


 戦況はユストニアが劣勢であることに変わりはないが、それでも、そこまでの大敗をするような戦いは、まだ起こっていない。


「もしがしで、移動中を襲われだとか?」


 アルベートの問いにカートは喉を唸らせながら、考えていた。

 移動中を襲われたとするならば、王国軍側に情報が漏れていた。と考えるのが普通だ。

 参謀クラスの兵士が移動するのには、最善の警備を敷いて情報漏洩にも気を使う。だからこそ、ここにその参謀がいること自体がおかしい。


「詳しいことはわからんなぁ。お、そうだ」


 カートはそう言って立ち上がって、夕日の明かりが漏れ出す出口に向かって足を歩ませていた。そして、扉の前までくると守衛に話しかけていた。


「守衛さんよ。この参謀がどこで捕まったのか知らないか?」


 もちろんそんな質問に対して、答えが返ってくるわけがない。姿こそ見られないが、きっと守衛は顔をしかめているに違いない。暫く待っても結果は同じ、返ってくるのは虚しい沈黙だけだった。

 あきらめてカートがその場から、また、自分の居た場所に戻ろうとした。


「どうした? 持ち場を離れてなにをやっている?」


 守衛が突然喋りだしていた。だが、それはけしてカートに向けられたものではない。外で何かが起こったのだ。カートはすぐに扉に耳を押し当てて、外から聞こえてくる会話を聞いていた。


「まいった。まいった。隊長からそこの参謀を一人にするように頼まれてな」


「なんだと?」


「中の二人を出して、新しく新設した拘留所に連れて行くように頼まれたんだ」


 会話を聞く限りでは、自分たちはこの拘留所から出されてどこかに移されるらしい。

 カートは急いで自分の居たところへと、駆け戻っていた。暫く扉の向こうでやり取りがなされていたが、すぐに扉が開いて三人の目に眩い夕日の光が差し込んでいた。


「そこの二人、立って後ろを向け!」


 中に入ってきた兵士は、カートとアルベートに向かって命令していた。

 二人はそう言って兵士に背を向ける。すると、兵士は二人の腕を縄で縛り上げていた。


「出ろ!」


 手際よく二人の腕を縛り上げると、兵士は二人に歩くように指示を出していた。

 二人はその指示に従って、足を歩みださせる。何の疑いもなく、拘留所に残していく老兵に多少の同情とうしろめたさを感じながら、扉から出ていた。


「ここから自分らはどこに向かうんですかね?」


 村を歩かされるカートは、後ろに付いている兵士に尋ねていた。


「黙って歩け。私の指示通りにな」


 そういった兵士はカートとアルベートの後ろにぴたりと付いて、離れずに歩く方向を指示していた。周囲は静まり返っていて、村には少数の兵士がいるだけだ。殆どの兵士はテントの中で休息を取っているのだろう。


「わざわざ、俺たちが人目につかない時間をえらんだってか」


 それもそのはず、ユストニアに対する憎悪をもった兵士が大勢いれば、それだけ、騒ぎはおきやすくなる。ましてや、情報を聞き出して用済みとあらば、この場で殺されるかもしれない。そんな不安が、カートの頭をよぎっていた。


 後ろを歩く兵士は、あくまで人目にふれないように、村の兵士とは最低限の接触のみで済ませるようなルートを選んでいた。まるで二人を連れていることを、周りから見られないようにしているかのように。


 カートの頭の中に、嫌な思考がよぎって仕方がなかった。この男は自分たちを影で殺そうとしているのではないか。目撃者が少なければ、その分犯行もごまかしやすい。なにより死人に口なしだ。


 彼が「逃げようとしたから殺した」といえば、それで万事解決してしまう。戦場とはそんなものでもある。


(まさか。まさかな)


 カートは首を左右に振って、その不安を振り払った。だが、一行に新しくできたという拘留場にはつかない。それどころか、気がつけば村の外に向かって二人は歩かされていた。

 もしかすると、その考えたくもない最悪の展開なのではないか。


 カートは後ろを歩く兵士に尋ねる。


「村から出ようとしてないか?」


「それがどうかしたか。それよりも黙って歩け」


 兵士は有無を言わせぬように二人に歩くように促す。もしかすると、やはり、その最悪の展開なのではないか。両刃の剣の柄に手をかけた兵士は、黙々と二人を見張っている。


「なあ、あんた。俺たちをこ」


「黙れ!」


 カートの言葉を遮って、怒声を浴びせるように言う兵士、それにカートは確信した。この兵士は自分たちを殺そうとしている。殺したところで、脱走を口実にされれば、この兵士はなにも罰せられることはない。


 カートとアルベートの目の前には、雪に覆われた緩やかな丘陵が広がっていた。空は茜色に染まり、夜の訪れを知らせている。

 村の外れまで二人を連れ出した兵士は、二人に後ろを向いたままで居るように指示を出す。カートとアルベートは目を合わせていた。

 無言の会話、目を合わせるだけで意思の疎通ができる。


(この兵士はおれたちを殺そうとしている)


 だが、両手を縛られている二人にはなす術はない。

 ゆっくりと引き抜かれる両刃の剣、鞘の金属部分と刃が擦れる冷たい音が二人の耳に届いていた。


(こうなれば、覚悟を決めるか)


 カートはそう思って、目を瞑ってから跪いていた。どうせ殺るのなら、一思いに首を一突きして殺してくれ。そんな思いが、彼を雪原に跪かせていた。

 剣を抜き放った兵士は、彼の思いを汲み取ったのか、後ろに立つなり剣を両手で持って刃を彼の背中に向けていた。


「お願いだ。やるなら、一突きでやってくれ!」


 高鳴る心臓の音を聞きながら、カートは震える口調で叫んでいた。

 兵士は無言のまま、剣を振り下ろしていた。

 横でその様子を見ていたアルベートも、剣を振り下ろした瞬間に目を瞑っていた。


 だが、剣の刃が彼を貫くことはなかった。それどころか、きつく縛られていた手の縄を、剣の刃が切り裂いていた。

 予想もしていなかった出来事に、カートは唖然として兵士のほうに振り向いていた。


「ここから、15カルデン南に向かえ。味方が待っている」


 カートが口を開くよりも先に、兵士は口を開いていた。兵士の言葉にカートは混乱していた。王国の兵士が自分を助け、なおかつ、味方のいる位置まで教えてくれる。


「一体、どうゆう風の吹き回しだ?」


「お前は知らなくていい。それよりも、早く部下と一緒に逃げるがいい」


 兵士はカートの問いをさらりとかわすと、すぐにアルベートの縄も切って見せた。そして、その剣を地面に突き刺すと、鞘を取り外してカートに手渡した。


「あんたは?」


「何も聞くな。早く行け」


 兵士はカートを逃げるようにせかすと、その場から立ち去っていく。

 何はともあれ、武器も貰ってここから自由になったのだ。何も悔いることなどない。カートとアルベートはその場から駆け出していた。

 振り返ることもせず、ただとにかく南に向かって二人は走り出していた。


 十五カルデンなら走れば完全に日が暮れる前に、到着することができる。カートは剣を片手に、とにかく雪を踏みしめて走り続けていた。アルベートもその後に続いて、足を動かし続けている。


「隊長、もしかして、あの兵隊は」


「今は喋るな。息が乱れる。走ることだけに集中しろ」


 アルベートの問いに答えることなく、カートは足を動かす。今はなんとしても、あの村から距離をとらなくてはならない。

 空が茜色から、段々と紺色へと肌の色を変えていく。日が完全に暮れだすのに、そんなに時間はかからないだろう。日が暮れれば、敵も追ってはこなくなるだろう。

 かなりの距離を走り続けた二人は、白い息を吐きながら、その場で膝に手をやって休憩していた。


「ここまで、くれば、もう来ないでしょう」


「だろうな。これで、お前も息子に合えるな」


 カートの言葉にアルベートは、笑みを浮かべて答えていた。


「そうで」


 そう言い掛けた時、空気を切り裂くような音が、アルベートの声を奪い去っていた。


「ん? アルベート」


 胸からじわじわと服の上に広がっていく新鮮な紅い色、アルベートは状況を飲み込めず、ただ胸に右手を当てていた。


「た、たいちょお……」

 右手にべっとりと付いた鮮血、それを見た瞬間にアルベートは顔から笑みを消して、その場に力を失って崩れ落ちていた。


「お、おい」


 カートは慌てて駆け寄ろうと、アルベートの元へと足を歩ませていた。そして、雪の中に埋まっていた石に気づかずに躓いて、派手にアルベートの横に倒れこんでいた。

 ほぼそれと同時に、彼の耳元で空気を切り裂く耳障りな音が掠める。


「た、たいちょぅ。そのまま、うごがねえで」


 肺から漏れ出すような弱弱しい声で、アルベートはカートに言っていた。ふと、目を雪原に向けると、二羽の恐鳥とそれに跨る兵士が視界に入る。


「そうか。奴ら、銃で」


「たい、ちょう、じ……分はもう。妻子に、愛して……る、って」


 アルベートはそういったきり、何も喋らなくなる。彼が苦しそうに息をする音も、すぐに聞こえなくなっていた。


「ア、アルベート、おい。死ぬな!」


 無傷のままのカートは、アルベートに声をかける。だが、返事は返ってこない。

 戦場で息絶えた命、たった今消えた兵士の灯火、それでも、自分はここで剣を握って生きている。今は何よりも生き残ることを、最優先に考えなければならない。

 アルベートを貫いた銃弾、それを放った者はグイを走らせてカートに迫っていた。二人の死を確認するためだろう。さっきまで距離のあるところにいたのに、数刻もしないうちに、カートのすぐ近くまで迫ってきていた。


「死んだか?」


「死んだんじゃないか?」


 そんな会話がカートの耳に届く。彼は動けなかった。今はここでやり過ごすことをしなければ生き残れない。


「一応、確認しとかなくちゃな」


 そう言って一人の兵士が、グイから降りるとカートとアルベートの元へと近寄っていく。だが、まだ、動いてはだめだ。

 兵士はアルベートの元でしゃがみ込むと、手袋を脱いで首に手を当てる。そして、生死を確認する。そして、次にカートの元へと歩み寄る。

 兵士は同じように、カートの肩の辺りでしゃがみこんでいた。


「うぉお!」


 雄たけびにも似た叫びを上げて、カートはその兵士に飛び掛っていた。手に握る剣を振りかざし、一心不乱に兵士に斬りかかる。

 兵士は完全に油断しきっていた。突然動き出したカートに、驚いて尻餅を着いていたのだ。だが、カートの振り下ろす一撃を命からがらにかわすと、銃で彼の剣戟を受けていた。


 もう一人の兵士は、銃剣を着剣したままの銃で、カートに狙いを定めていた。だが、乱戦となっている二人に、向けて銃を放つことは危険を伴う。

 兵士は銃で狙うのをやめて、グイを巧みに操ってその場を駆け出す。


 カートの狙いはそれだった。とにかく銃を撃たせないこと、それが彼に残された唯一の生き残る方法。そのために、あえて乱戦に持ち込んで、目の前の兵士と戦いを繰り広げている。


 グイを走らせてきた兵士を見たカートは、目の前の兵士に足蹴りを食らわせて、押し倒す。そして、す

ぐに止めを刺しに剣をつきたてていた。それと同時に押し倒された兵士の銃剣も、彼の腹めがけて突き立てられようとしていた。


 寸でのところで銃口を片手で掴み、剣を片手で兵士の胸に突き刺す。どうにか、難を逃れたカートは迫り来るグイに体を向ける。そして、すばやく剣を利き手の右手に持ち替えると、向けられた銃剣とは反対側に転がっていた。


 その避けざまに、グイの足を剣で切りつける。

 甲高い嘶きにも似たグイの泣き声が響いて、走っていた勢いのまま派手に兵士は転倒していた。その兵士に止めを刺しに、カートは兵隊の元へと駆けていた。

 転倒した兵士は、グイと地面に挟まれて圧迫されている。そして、苦しそうにカートを見つめていた。口からは血を吐いていて、もうその兵士が助からないことを暗示していた。


「言葉が分かるだけ、余計に悲惨な戦いになるな……」


 グイに圧迫され苦しそうに息をする兵士を見て、カートはそう言って再びアルベートの元へとかけていた。

 彼は夜空を仰ぎ見ていて、それでいて、瞳の焦点は定まっていない。虚空を見つめるような目をしていた。彼の瞳に反射して映る夜空の星々、それがカートには虚しく感じられてしかたがなかった。


 指でその開いたままの瞳を閉じさせると、彼の近くに自分の持っていた剣をつきたてる。そして、同様に、自分の止めを刺した敵の兵士の銃も地面に突き立てる。

 最後に虫の息の兵士の元へと足を進めた。


「こ、ろしてくれ」


 苦しそうにする兵士はそう言って、カートに頼み込んでいた。近くには兵士が持っていた小銃が、無造作に投げ出されていた。

 カートは無言のまま、その小銃を手に取ると、遊低を引いて残弾を確認する。弾がチャンバー内にあることが分かると、兵士に銃口を向ける。


 そして、容赦なくその引き金を引いていた。

 乾いた発砲音が響き、兵士の最後の願いをかなえていた。


 カートは銃をその兵士の近くに突き立てると、再びその場から走り出していた。何も言わず、ただ、一人で闇の中を、走り出していた。




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