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戦場の鎮魂歌  作者: 猿道 忠之進
第三章 内通者
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第三章 内通者 Ⅰ


 その日は酷く荒れていた。吹き付ける横殴りの雪たちが、頬に張り付いて体を冷やしていく。すでに戦いが始まって何ヶ月も過ぎようとしている。


 ユストニアとの国境に近い位置であるにも関わらず、この高山都市ポルターナは敵の攻勢に晒されていなかった。というのも、ポルターナの地形が幸いしているからである。


 ポルターナ高原と呼ばれる山の上の広大な台地は、山脈に囲まれている。国境に近いとはいえ、ユストニア側は南であり、その南側には高い山脈がそそり立っている。山脈がユストニア軍の侵攻を阻んでいるのだ。自然の強固な要塞と言ってもいいだろう。


 そして、侵攻してこない第ニの理由が、他の高原地帯に出るための道が、西側に二つしか通っていないということだ。一つが山を削って無理に広げられた中央道、もう一つがポルターナを見下ろすことのできる、小さな村を通った狭い登山道だ。双方とも封鎖すれば、このポルターナより王国軍は出ることができない。


 だからといって占領するにしても、ユストニアに直接道が通じていないため、補給物資の問題などが山積していて長期間の戦いは望めない。その上、自然要塞都市のポルターナは、強固な城壁を都市の周りに造っている。駐留しているのは、親衛隊一個連隊の約五千人と常駐している陸軍歩兵隊二千五百人にすぎない。だが、城壁さえあればその倍以上の戦力を容易に防ぐことができる。


 道さえ封鎖してしまえば、脅威にもならない。


 臭いものには蓋というが、まさにその典型例なのがこの都市といっていい。ポルターナは、戦略的にはなんら価値なしと見られているのだ。


 だからこそユストニアは、この資源豊かなポルターナに攻め入ってこない。


 山脈から多くの鉄鋼資源を産出しているこのポルターナさえ、封鎖してしまえば王国は幾らか衰弱する。そのための封鎖でもあった。


「だが、戦局は流れるように動く」


 吹雪いて山脈はおろか、普段なら見下ろせるはずのポルターナも見えない。そんな天候の中、親衛隊員のラスナは、臨時で作られた城壁の上でじっと高原を見据えていた。


「ラスナ隊長! やはり、我が軍はここを見捨てているんじゃないんですか」


 ここ数ヶ月、ユストニア軍の侵攻はおろか、来たといえば敗走してきた第1112旅団の中隊くらいである。味方も敵もそれ以外は、このポルターナの地を踏んでいない。


「ここは王国の心臓部でもあるんだ。鉄がなければ、王国は逼迫して経済は崩壊さ! 見捨てるわけがないだろ」


 そう部下に言い聞かせるラスナは、部下を元気付けるためにそう言っていた。それはけして部下だけではなく、自分を奮い立たせるために言っているようなものだった。

 彼自身、外がどのようになっているのか。戦況は一体どのように動いているのか。全くもって知ることができていないのだ。

 かなりの数のユストニア軍が、この道の入り口に、殺到しているのだ。それくらいしか、彼の手に入る情報はなかった。


 心配になるのも無理はない。


 それに一つ、ポルターナの兵の間で、噂が立っていた。ここ、ポルターナに近々ユストニア軍が攻め込んでくる。そんな不穏な話が浮き上がってきていたのだ。

 というのも、封鎖をしていたユストニア軍が、最近になって数を増しているというのだ。これは斥候隊の報告による確かな情報である。


 敵軍がなんらかの動きを見せた以上は、ここに攻めてくるといっても、なんら違和感はない。

 だが、ポルターナの兵士たちは、これまで何も対策を立ててこなかったわけではない。


 王国軍は敗走してきた一千名近い兵士を、常駐軍に再編成して組み込んでいる。そして、なにより、このポルターナに通じる中央道路を、この再編成した部隊の半分で封鎖しているのだ。


 中央道路の真ん中に強固な防衛陣地を敷き、敵を突破させないために、最前の策の基に動いている。

 守備隊の陣地の前衛には、銃をもった銃兵隊と、城壁の上に備えていた備砲と呼ばれる小型の大砲を配備している。そして、その後方には大型の大砲を二門、配置していた。


 何よりも騎兵による突撃を防ぐための防柵や、何重にも掘られた土堀がある。

 その陣地を、この中央道に三重に作っている。最後の陣地を抜けたとき、ようやくポルターナの高原と、街を囲む強固な城壁に辿りつけるようになっているのだ。


「だが、陣地が強固であっても、いかんせん兵の数が足りなくてはな……」


 ラスナはそう言って嘆息していた。

 それだけの陣地を作っておきながら、その陣地を完全に運用するだけの兵力が、このポルターナには残されていなかった。


 陣地を作ることは、普段、採掘場で働いている鉱夫たちを大量に投入することで、容易にできたのだ。だが、彼らはあくまで穴掘り専門の男たち、シャベルとつるはしを扱うことに長けていても、剣の扱いは一流ではない。さらに、戦が長期化するとすれば、城壁の補強などに重宝される存在である。


 兵士として戦場に投入するわけにもいかない。いかんせん、訓練期間もないままの鉱夫たちを兵士として、平地の陣地に投入するなどもってのほかである。


「本気になったユストニア軍に、たった一千と五百の人数でどれだけ戦えるか」


 ラスナは呟いた後、ものけの空となった村を歩いていた。

 村の住人は全てポルターナに避難させて、いまや四百の親衛隊員がこの村に足を留めているにすぎなかった。どの親衛隊員も士気は孤立したという状況の割に高い。


 村の中央には二台の投石器が配置されていた。旧式でいつ作られたかも分からないような投石器、それが見つめる先はこの村から西側に抜けられる道だ。


 といっても、今や石で作られた城壁で、その先の細い山道は見ることはできない。

 ラスナが投石器を見つめていると、投石器の指揮を任されている親衛隊員が彼の横まで歩いてきていた。


「こんなに古臭いモノ、まさか使うことになるとは思いませんでしたよ」


 彼はそう言って投石器を、吹雪の中、ラスナと共に見上げていた。


「確かにな。陸軍士官学校時代に一応使い方は教わってるけどな。それも知識だけだ。まさか実物を使うことになるとは、思わなかった」


 ラスナの言葉に頷いてみせると、その親衛隊員は嘆息していた。


「こんなものを使わねばならんとはね」


 ラスナはそんな呟きに、顔をしかめながら答える。


「それだけ、切羽詰ってんだ。それに、人を殺す兵器に古いも新しいも関係ないさ」


 ラスナはそういうと、苦笑してみせる。彼の顔に吹き付ける雪がこびり付いていて、親衛隊員もつられて笑みを浮かべていた。


「そうですね。確かにそうです」


「わかったら、さっさと休息をとれよ。もしかすると、これが最後の休息になるかもしれんのだからな」


 ラスナはそういうと、親衛隊員に背を向けて歩き出していた。

 この言葉が真実になるということは、この場にいる誰もが予想していなかった。





「リオデ君、君は本当によくやってくれている」


 村の司令部でフォリオンは、リオデを前にして真剣な視線を向けていた。作戦の会議は、彼女が着てから急ピッチで立てられていった。全てはリオデが持ち帰った情報が、正確であるがゆえのことだ。それに加えて捕虜の捕縛、それに基づいた敵の内情なども得ることができた。綿密な作戦を立て終えたフォリオンは、ホフマンにすぐに軍を動かせるように命じた。リオデもそれにならって、作戦司令室を出ようとしたのだが、フォリオンは彼女を呼び止めたのだ。


 そして、彼女を前にしてフォリオンは、珍しく労いの言葉をかけていた。


「はい。恐縮です」


「君の大隊は、大分消耗しただろう」


 フォリオンの言葉に、リオデは憤怒の思いがこみ上げてくるのを感じる。だが、ここは抑えなければならない。誰の責任で消耗したのか。誰の責任で多くの兵を死なせたのか。そんなことは、今は関係のないことだ。


 そう自分に言い聞かせたリオデは、フォリオンを見据えて答える。


「はい。しかし、作戦活動を遂行するのに支障はありません」


「そうか。なら、よいが」


 フォリオンは、そう言って改めて地図を指し示していた。

 リオデの大隊は、偵察結果から砦の西側から、襲撃することが決まったのだ。フォリオンたち本隊は、正面に展開して、砦攻略部隊を迎え撃つ。単純ではあるが、実はこの配置には大きな意味があった。


 砦西側の高台を制圧して、そこから防御の薄い南側に雪崩込み、最終的に敵の逃げ道を遮断することを目的としているのだ。それにはリオデの騎兵隊が重要となってくる。


 今回は騎兵が一千を超える数で突貫をかけ、南を制圧、そのあとを歩兵隊一千が南側を確保した上で、東側制圧にあたる。兵力の差を考えれば、優にフォリオン連隊は、攻略部隊の二倍はある。


 全ての不安定要素を断ち切った上で、ユストニア軍を殲滅する。西側の兵も、リオデの歩兵隊で抑えていれば、挟撃することも可能となる。なにより、こうなった時、バスニア砦は兵を送り出して少なからず加勢すると、フォリオンは見ている。


 それを可能と判断したからこそ、彼はリオデにこの重要な任務を任せたのだ。

 だからといって、本当にこのままフォリオンを信じていいのか。リオデは完全に彼を信用し切れないでいた。


「なに、疑うことはない」


 フォリオンは鋭い目つきでリオデを見ると、そう言葉をかけていた。

 ただの惚気の狸でない。リオデの微妙な表情の変化を、フォリオンは見逃さなかった。


「いえ、疑うもなにも」


「いいんだ。別に隠すことはない。私はそれだけのことをしてきた」


 フォリオンはリオデの言葉をさえぎると、手を組んで下を向いていた。司令室の机の上に肘を立てて彼女から目をそらしていた。それをリオデは複雑な心境で見ていた。

 暫くして彼はその暗い表情をしたまま、険しい表情をリオデに向けていた。


「私は本当に、後悔している」


 その目はけして嘘を語ってはいない。きわめて澄んだ瞳を、リオデに向けている。彼女は黙って直立不動のまま、フォリオンの話を聞いていた。


「私は君を排除するように、南方方面の統合司令部から言われていた。正直、迷ったよ。命令を選ぶか、君を選ぶかでね」


 その苦悩に満ちた表情で苦笑するフォリオンを、彼女は初めて見た。


「だが、結局、流れるままに私は君を追い出そうとした。君の中隊を犠牲にしようとしてね。私は……。本当は迷っていたんだ」


 フォリオンはそう言って、組んだ手を離すと立ち上がった。そして、リオデに向き直る。


「だが、君は私の命令を聞かずに、それを阻んだ。その時、私は救われた気がした」


「なにを、いまさら」


 リオデは怒りを抑えきれずに、口を震わせながら呟いていた。


「自分の、そして、私の部下を殺そうとしておいて、救われた!? なにを言っているんですか!?」


「罵倒してくれてかまわん。私はそれだけのことをした」


 彼は表情を険しく保ったまま、甘んじてリオデの言葉を受け入れていた。ティオの部隊を犠牲にし、自身をも危険に晒そうとしたフォリオンに、リオデは憤慨していた。


「私は……。いえ、もう、いいです」


 リオデはそこで口を噤んでいた。これ以上フォリオンを罵倒したところで、何も変わりはしない。それよりも、彼が今後どうするのかが気がかりだ。リオデは冷静になるために、一息ついて彼を見つめる。


「すまない。だが、私の思いも聞いてほしい。私は本当にいままで血迷っていた。だが、君の気転のきいた行動と、これまでの活躍、それを見て、私も初心を思い出すことができた。軍学校を卒業したときのことを」


 フォリオンはそう言って天井を見つめ、何かを懐かしむように語りだす。


「国王に、国に忠誠を誓い、この身を、国を守るために捧げる。そんな単純明快、だが、明瞭な目的のある想いを思い出すことができた」


 フォリオンはそういいおえると、リオデを真っ直ぐに見つめる。そして、力強く彼女に言い聞かせるように言う。


「自らの地位を守ることなど、もはや、私にとってどうでもよいことだ。今は一刻も早く、わが国の地にのさばるユストニアを駆逐し、国民を守りたい。それだけだ」


 リオデはフォリオンの目を見て、その思いが嘘偽りでないことを確信した。

 今までリオデを虐げてきたこの男が、彼女と同じ想いを抱いている。だが、それを言うためだけに、彼女を呼び止めたわけではないはずである。


 次に出てくる言葉を、リオデは待っていた。このことはリオデに直接言わなくとも、態度で示すことができる。それをあえて選ばずに、彼女に直接語ったフォリオンは、あくまで部下から目をそらすことをしない、実直な指揮官である。


「君の中隊と騎兵は消耗している。そこで、タリボンから補充兵を要求した。中隊にいた軍医長が戦死しては、部隊の指揮も乱れるであろう」


 フォリオンは威厳のある雰囲気を漂わせて、リオデに険しい表情のまま向いていた。リオデは直立不動のまま、フォリオンと見つめ合う。


「私の部隊に補充ですか」


 それに対してリオデは表情を唖然として、彼に問い詰めていた。


「そうだ。疑いたくなるのもわかる。が、今は疑ってくれても構わない。私はあくまで君に味方すると決めた以上、君の信頼を勝ち取るまで、態度でそれを示し続ける」


 意外な言葉に驚嘆し唖然とするリオデに、フォリオンは有無を言わせぬ目つきで彼女を見た。


「その言葉、ありがたく、お受けいたします」


 王国式の敬礼をしてみせるリオデに、フォリオンもまた答礼を返していた。


「君の健闘を祈る。下がっていい」


 フォリオンはそういうと、リオデに下がるように言ってのける。

 彼女はその言葉に従って、司令室より出て行った。フォリオンの言葉を信じる信じないはあくまで彼女次第だ。


 大隊に補充兵を与えるという態度からも、フォリオンが嘘を言っているとは言い難い。

 どんなに自分が頑張ったところで、味方の支援と信頼がなければ、戦争には勝てない。なにより、生き残れない。そんな不安を、リオデは心の奥底に抱いていた。

 一歩外にでれば、家屋を挟んだ道の脇でホフマン大隊の兵たちが、武器防具の整備点検に追われていた。横を駆け抜けていく兵士や、整備をする兵士たちが彼女に目を止める者はいない。


 それだけに彼らは真剣な思いで、戦いに挑もうとしているのだ。


「これはこれは、リオデ隊長ではありませんか」


 突然後ろから声をかけられ、彼女は振り向いていた。リオデの後ろには偵察任務を決める時に彼女の責任を追及しようとしていたホフマン大隊の将校が立っていた。

 階級は彼女より下とはいえ、彼にリオデを敬うような態度は一切見られない。それを気に留めた様子もなく、リオデは向き直っていた。


「あなたは、たしかホフマン大隊の」


「そう。ホフマン大隊銃騎兵小隊長、ウェリストといいます」


 ウェリストはリオデの言葉を遮るように名乗ると、彼女をねめつけるような目つきで見つめる。明らかに彼女を嫌悪していて、今すぐにでも出て行ってほしい。そんなことを、無言で主張しているような感じのする男だ。


「何か御用ですか?」


「そういえば、確か。あなたは兵の補充をするようですね」


 ウェリストはそう言うと、意味深な視線をリオデに向ける。それがなにをさしているのか。彼女には今ひとつわからなかった。


「それが何か?」


 リオデはそんなウェリストの態度など、気にした様子も見せずに答える。


「いえ、兵を補充されるほど、戦場でご活躍しているあなたが、とても、羨ましく見えて仕方がないのですよ」


 リオデが第一線でどのような体験をしてきたのか。そんなことを知らないウェリストは、さりげなく部隊の消耗が激しいことを遠まわしに言っていた。

 彼女はそんな軽々しい挑発にのることなく、毅然とした態度で彼に言葉を返していた。


「たっぷりと休養をとって、これから戦場で存分に活躍できるあなたが羨ましいですよ」


 ウェリストはその言葉に、機嫌を損ねてリオデを睨みつけていた。

 挑発にのらずに、さらりと挑発で返してきた彼女が気に食わなかったのだ。なにより、リオデの存在そのものを、ウェリストはよく思っていない。


「ま、いいでしょう。ところで最近、まことに奇妙な噂が流れていましてね」


 話を区切ってウェリストは鋭い視線で、リオデに顔を向ける。怪訝な表情をして、リオデは彼を見つめていた。


「妙な、噂?」


「そう、あなたも存じているでしょう。ティオ中隊の後方にあった負傷者の治療場所」


 ティオの部隊は村の西側で守備をしており、敵の大部隊の侵攻からその身を挺して村を守っていた。その後方には彼の部隊の負傷者を治療する陣地が敷かれており、警戒網も万全に整っていた。だが、その陣地が襲撃を受けて、多くの負傷者が殺され、軍医もその手にかけられたのだ。


 ティオは即座に援軍を回して、襲撃したユストニア軍を撃退した。だが、被害と士気の低下は避けられず、リオデの出した援軍が到着していなければそのまま全滅していたかもしれないという事件である。


「襲撃の件か?」


「ええ、そうです。なんでも、万全の警戒をしていたとか」


 陣地の警戒網は周囲を見渡せる丘を確保して、そこを中心に歩哨を立たせていた。その歩哨も互いが視認で切る距離を保ちながら、陣地周辺を巡回していた。なにより、その巡回ルートも数刻ごとに、歩哨が通ることになっている。


 敵の大部隊が接近していれば、すぐに気づけるはずなのだ。


「だが、それでも、襲撃をされた。私の言っている意味、わかります?」


 鋭い視線をリオデに向けるウェリスト、彼女は少し考え込んだ。

 抜け目のない巡回監視ルートを潜り抜けて、陣地を襲撃した。はたして、偶然にそのようなことが起こりえるものなのか。ないとは言い切れないが、その可能性は限りなく低い。


 では、なぜそのようなことがおきたのか。情報が漏れていたからに他ならない。

 情報がもれるということは、捕虜になった誰かがその巡回ルートのことを言ったのか。

 だが、ティオの部隊で捕虜になったという話はきいていない。


「なにが、いいたいのですか?」


 リオデは情報が漏れているということは、認めざるをえなかった。それでも、ウェリストの言っている意味を、理解したくなかった。彼は表情を変えずに言う。


「率直に言いましょう。あなたの部隊に、ユストニアと通じている者がいるんじゃないのですか?」


 ウェリストはそう言ってリオデを睨みつけていた。リオデはそのことを認めたくはなかった。部下との信頼、それがこの事件一つで、崩壊しかねないのだ。それどころか、味方同士が疑心暗鬼に陥って、誰も信用できなくなるという事態さえ引き起こしかねない。


 リオデは奥歯をかみ締めていた。その可能性が、絶対にないと言い切れない。

 そんな自分が腹かゆく、悔しい。


「どうしたのですか? もしかして、あなたはその犯人を知っているのですか?」


 ユストニアに仲間を売るような人間を、かばっている。そういわれて、リオデはウェリストに初めて自分の抑えきれなくなった感情をぶつけていた。


「そんなことがあるわけない!」


 そう言って、リオデは感情のまま、直情的にウェリストの胸倉を掴みあげていた。見下すような視線を向ける彼は口を吊り上げていた。


「まさかねえ、そこまで感情的になるのは、やっぱり、知っているんじゃないですか?」


「貴様は! 味方を、私を愚弄するか!」


 険しい表情のまま、ウェリストを睨みつけるリオデ、それを彼は笑みを浮かべたまま答える。


「ふふ、そんなことないですよ。ただ不安要素があっては、作戦行動に支障が出るのでね。それを取り除け、と言っているだけですよ」


「上官に向かってその口の利き方、それに、私を疑うなど!」


 リオデは叫びながら、拳を上げてウェリストを殴ろうとした。その様子を見て忙しく動いていた周囲の兵士たちが、動きを止めて二人を注視する。


「やめて頂きたいな。兵が見ている」


 拳を振り上げたままリオデは動きを止める。そして、周囲の兵士が冷たい視線を、二人に向けていることに気づいた。

 歯軋りをして睨みつけるリオデを、ウェリストはあいわらずの笑みを浮かべて見つめていた。その目には、明らかに彼女を嘲笑する感情があらわになっている。


「そんなことは関係ない!」


 リオデはそう言って拳を、ウェリストの顔面に叩き込もうとする。

 彼は目を瞑り、顔に来る衝撃を待ち受ける。その顔に屈辱の表情はない。それどころか、安堵のこもった笑みさえ浮かべていた。

 だが、目を瞑ったところで、彼女の拳はなかなか顔面にとどかなかった。


「それ以上は、やめたまえ」


 彼女の振り上げた手首を一人の男が掴んで、それを許さなかったのだ。リオデは掴まれた手首の方へと顔を向ける。そこには、この大隊を率いる大隊長のホフマンが立っていた。

 長身で短く切りそろえられた銀髪、体の肉付きもよく、筋骨隆々という表現の相応しい大男だ。なにより、その鋭い目つきを見れば、怒りの感情に、冷淡な視線が向けられていることが分かる。そんな彼を見て、リオデは動きを止めていた。


「私の部下が失礼なことを言ったのは、私から謝ろう。すまなかった」


 腕を掴んだ手を放すと、ホフマンはそう言ってその巨体に似合わない会釈をしてみせる。

 大隊の長が、頭を下げてリオデに願い出ているのだ。彼女も手を上げるわけにはいかなかった。


「大隊長に感謝しろ」


 不機嫌そうにリオデはそう言うと、ウェリストの胸倉を荒々しく放していた。

 襟元を直すウェリストは、ホフマンを見ると王国式の敬礼をしてみせる。


「ウェリスト、貴様には話がある。ついてこい」


「は!」


 元気よく返事をするウェリストは、リオデに背中を向けてホフマンに付いて歩いていく。一瞬の静寂は終わりを告げ、再び兵士たちは何事もなかったかのように動き出す。

 リオデはその中で、拳を握り締めていた。

 自分を、自分の部下を、味方が疑ったのだ。それは紛れもない事実なのだ。


「くそ!」


 リオデはその場を歩き出し、ある場所へと足を運び出していた。全ては疑いを晴らすために。それを証明するために。





「まさか、捕まるだなんで、おもいもしながっだ」


「俺が王国騎兵の実力を見くびっていたのが、悪い」


 窓もなく薄暗い部屋の中、カートと農民兵士のアルベートはやることなく床に寝そべっていた。二人はリオデたちに捕まってから、この村までつれてこられていた。

 カートはこの王国軍の拠点の村に着てから、休むまもなく尋問を受けていた。目の前にいる王国軍兵士は、指揮官クラスのカートに詰問していた。


 バスニア砦の詳しい部隊の配置、部隊の正確な数、そして、展開位置までをも聞き出そうとしていた。だが、カートも一筋縄で答えようとしなかった。そのため、いくらかの暴行も受けていた。

 そのせいか、今のカートの顔は腫れ上がっていて、体中にあざができていた。だが、それだけ、王国軍も焦っている証拠なのだと、彼は確信していた。


 満身創痍、長い徒歩の行軍とで疲れ果てていたカートは、やむなく必要な情報を与えていた。カート自身それに後悔はしていない。

 おそらく、すでにバスニア砦の包囲部隊は、大砲を失ったことで退却の準備を始めている。事実、カートはあることを言われていた。


「君の部隊が帰隊後に、撤退を開始する」と、司令官は彼のみに告げていたのだ。おそらく大砲を守りきれなかった部隊には、懲罰の意味も込めて最後の突撃を命じるだろう。

 もちろん、その後方で撤退の準備をしていることなど、突撃をかけている本人たちは知らない。なんとも酷い懲罰である。


 だからこそ、カートは味方の位置を王国軍に教えた。


「着いた頃には、もうバスニア砦のユストニア軍はいないさ」


 一人笑みを浮かべるカート、かと思えば顔をゆがめていた。表情を変えるだけで、かなりの苦痛を伴ったのだ。なんのために、こんなに耐えたのか。自分でもわからない。


「カート隊長、でも、これで生きて帰れるんでねえか?」


 アルベートはそう言ってカートに顔を向ける。その顔には戦争から開放された者、特有の安堵の表情をしていた。


「だといいな。なんでも噂じゃ、ラネス平原で捕まった味方はタリボンで優雅に過ごしてるらしいじゃないか」


「ええ、わすらもそこに送られるなら、万々歳でさぁ」


 苦笑することもできず、カートはアルベートから顔を背ける。


「そんなに甘くはないと思うんだがな」


 だが、リオデは悪いようには扱わないといった。事実、尋問こそ拷問に近かったが、それでも、その後の待遇はそんなに悪くはなかった。尋問で負った怪我を治療し、捕虜の食事も三食分保障されている。特別に待遇が悪いわけではない。


「ところで、アルベート、お前、かみさんがいるんだろ?」


 話すこともなくなり、アルベートにカートは新たな話題をふっていた。


「はい! わすにはもってえねえくれえの別嬪ですてね。五歳の息子と、お腹にも子どもがいるんでさあ」


 アルベートは嬉しそうにカートを見ながら、話をしていた。カートも妻子いる身だ。その嬉しさは、彼にも身に染みてわかる。なにより、アルベートと同じ年頃の息子が、カートにもいるのだ。自然と頭の中に浮かんでくる息子の顔、それを思い浮かべると自然と表情も緩んでくる。


「生き物が好きな奴でさ、将来は立派な生き物の学者さんになりてぇといってんですよ」


 アルベートはそう言って区切ると、カートに向き直って聞いていた。


「カート隊長も、ご家族がおるんですか?」


「あぁ、お前と同じ位の年頃の息子がな。元気のいいやつさ」


 カートは顔の痛みも忘れて、自分の息子に付いて話をしていた。アルベートは今まで殴られてばかりだったために、カートを嫌味な上官としか思っていなかった。だが、その明るい表情に、彼が自分と同じ親なのだということを感じずにはいられなかった。


 お互いに話が盛り上がり、二人は壁に背をつけて座り込んで話を交わしていた。


「にしても、敵さんも同じような奴がいるんですかね?」


 アルベートの突然の問いに、カートは苦笑して答える。


「この戦場じゃ、敵も味方も、みんな家族をもっている者が殺しあっている。それだけは隠しようのない事実さ」


 カートはそう言って暗い天井を見上げていた。

 その事実だけは、どうやっても揺るがすことのできないのだ。カートはそう思って、敵の気持ちを考えた。家族を守るために戦う兵士たちの姿、必死になって自分の領地、家族、財産を守るために戦う兵士たちを。ユストニア軍からしても、気持ちは同じである。


「そう……ですな」


 アルベートはそう言って、カートに倣って天井を見上げていた。暗い天井が、いつ終るかもわからない戦いを暗示しているようで、二人にはとても重く感じられた。

 そんな、二人が感傷に浸っている間に、誰かが訪ねてきたのか。重く閉ざされていた扉が開いていた。


「カートだったな。お前は出てこい」


 突然の守衛の呼び出しに、面食らったカートは立ち上がっていた。そして、いわれるがまま外に向かって歩き出していた。


「た、隊長」


 心配そうに呼んだアルベートに、カートは無理やりに笑みを浮かべて答えた。


「安心しろ、別に心配するようなことじゃないさ」


 そう言ってカートは拘留所として使われている納屋をあとにした。

 一人の守衛が彼の後ろに付いて歩く。数歩も行かないところにある大きめのテント、そこに向かってカートは連行されていた。そこは彼がこの村に来て、取調べを受けた悪い印象しかない場所だ。


「また、取調べか?」


「黙って歩け!」


 カートのうんざりした様子など意にかえさず守衛は答えていた。

 大き目のテントの幕くぐり、カートは中へと追いやられる。そして、守衛の兵士は、そのテントの外で槍を持って見張りを開始する。


 カートはテントに入って、驚いていた。この村にきてから、一度も顔をあわせていないリオデが、尋問用の机の後ろ側に座っていたのだ。唖然とするカートに構うことなく、リオデは足を組んだままカートにいう。


「座れ」


 鋭い視線を向けられ、カートは促されるままに彼女の向かいに腰をかけていた。


「どうやら、酷い尋問を受けたみたいだな」


「あぁ、おかげさまで、このとおりね」


 カートはそう言ってリオデを見ていた。当初の予定ではリオデを捕まえて話をするつもりだった。だが、今はその全く逆の立場で、話をすることになっている。その皮肉な状況に自嘲せずには居られなかった。


「で、何か自分に用でも? 言うことは、全部言ったぜ」


 何か用事があるから呼ばれているのは百も承知の上、だが、カートは黙って聞かれるのを待つよりは、自分から話を切り出したほうが相手も話しやすい。

 リオデはカートに鋭い視線を向けると、口を開いていた。


「単刀直入に聞こう。我が軍内にユストニアへの内通者はいるか?」


 全く表情を変えず、見つめる者を切り裂くような目つきで、リオデはカートを見つめる。カートはそれに対して、唾を飲み込んだ。


 彼女の出す殺気にも似た研ぎ澄まされた気迫、美貌のある顔立ちがその気迫をより一層と研ぎ澄まし、彼を圧し黙らせていた。


「そんなことはしらん」


 カートはリオデに圧されながらも、彼女の目を見つめながら答えていた。実際のところ、ユストニア側に内通している王国軍兵士がいるということを、カートは知らなかった。

 いたとしても、たかが一小隊の隊長にすぎないカートにはまず知らされない。


「本当か?」


 リオデは相変わらずの表情のまま、カートを詰問していた。そこで押し黙るわけにもいかず、彼もすぐに答えを返す。


「本当だ」


 まっすぐと彼女の蒼い双眸を、カートは見つめ返す。


「そうか。いるのなら、すぐにでも知りたかったのだがな」


 カートの返答に嘆息するリオデは、額に手をやって椅子にもたれかかっていた。

 しばしの間、二人の間に静寂の間が流れていた。その沈黙に耐えられなかったカートは、口を開けていた。


「用事ってそれだけか?」


「あぁ」


 暗い声で返事をするリオデに、カートは呆気に取られていた。もっと重要なことを聞かれるのかと思っていたのだ。もしかすると、更なる尋問と暴行の嵐が待ち受けているのではないか。そう腹をくくってテントの幕をくぐったのだが、そんなものはなく、カートは拍子抜けした。


「それだけなら、俺はもう、いいですかな」


 そう言って立ち上がるカートに、リオデは再び鋭い視線を向けていた。


「誰が勝手に立っていいと言った。まだ話は終っていない」


 苦笑してカートは持ち上げた腰を、再び椅子に戻していた。


「は、はい」


「お前たち捕虜の身柄は、タリボンに送る予定だったが、タリボンの収容所が一杯でな。暫くは、ここでお前たちは過ごしてもらうことになる。それだけだ。衛兵! 連れて行け!」


 そういうなりリオデは守衛を呼んでいた。捕虜に対する示しというものもある。勝手な行動を捕虜が取ったとなれば、それこそリオデの威信に関わることになる。


 守衛がテントに入ってくるなり、カートの後ろで威圧的な態度で立つことを促した。それに従ってカートは彼女に背を向けて歩き出していた。




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