表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦場の鎮魂歌  作者: 猿道 忠之進
第二章 補給戦線
14/27

第二章 補給戦線 Ⅷ


 リオデは捕虜を捕まえてから、トラークの陣地に戻っていた。憔悴しきった兵たちの目に入ったのは、負傷兵のいない陣地だった。そこに少数の兵士を確認してリオデ達は安堵していた。


 それが、ここに残してきた十名と、先に帰らせたベルシアたちだったのだ。彼女の帰りを待ちわびていたのか、笑顔で歓声をあげて部隊を迎える兵士たち。

 リオデ達は生きて帰ってこられたことを、感謝していた。奇襲を受けて、あれから更に二十名余りの兵士がかえらなかったのだ。ベルシアはアリナと共に、リオデの元へと駆け寄っていた。


「だ、大丈夫ですか?」


 ベルシアが駆け寄ってまず一番にかけた言葉、それが、彼女を気遣うものだった。


「あぁ。それよりも、司令部には行ったのか?」


 血と泥で汚れた頬が、彼女の疲労感を余計に大きいものに見せた。ベルシアは心配そうに彼女を見ながら答えた。


「はい。フォリオン連隊長は報告を聞いて、ここの負傷兵を本部にまで移動させました。それに今、大隊の全戦力を再編成して、作戦の計画を立てています」


 ベルシアは表情を変えずに、彼女に告げていた。


「だから、隊長もすぐに連隊指揮所に戻るようにとのことです」


 リオデは目を見開いて、ベルシアの言葉を聞き入っていた。早急に連隊が動きを見せていることに、彼女は信じられなかったのだ。いままで、彼らはリオデが不利になるように部隊を動かしてきていたのだ。それが、今はバスニア砦のために、連隊が一丸となって動いている。

 リオデはベルシアに視線を向けると、すぐに命令を下す。


「騎兵隊はここで別命あるまで待機させておいてくれ。その間、ベルシア、ここはお前に任せる。それと、部下と共に捕虜を連隊本部に連れて行く」


 リオデの凛と響く声に、彼は笑顔で答えた。


「了解です! 自分にお任せください!」


 ベルシアはあくまで彼女を気遣っていた。どのような状況に陥ったのか。それは彼の想像もつかない地獄だったに違いない。いままで苦楽を共にしていた分、彼女の表情からそれが読み取れたのだ。

 悩みや迷い、自身の感情を無理やりにでも抑えなければ、部隊は全滅する。それが指揮官の宿命というものである。


「このまま、村に向かう」


 リオデがベルシアに背を向けて、自身のグイに跨ろうとした。


「待ってください」


 それをアリナが呼び止めていた。リオデは柔和な笑みを彼女に向けていた。


「なにか?」


「その、少し休んでいかれてはどうですか?」


 アリナはそうリオデに提案していた。あの夜から夜通しユストニア軍の追撃を振り切るために、ここまでとまらずに来たのだ。その疲労を感じないはずがない。


 リオデはそこで今取るべき行動を考えた。フォリオンは彼女を早急に司令部にくるように言っている。全ては作戦を一刻も早く立てるためだ。


 なにより、フォリオンは緻密に作戦を練って、石橋を叩いて渡るほどの慎重な指揮官である。とにかく、新しい情報がほしいのは、最新の情報に基づいて作戦を立て、いかに味方の損害を少なくして勝つかを目的としているのだ。情報を整理して、刻一刻と変わっていく戦闘に合わせて、部隊を動かしていく。その点では、優秀な指揮官である。


 リオデもフォリオンも、想いは一つ、早急なるユストニア軍の駆逐である。


「アリナの気持ちはありがたい。だが、私は他の兵と共に休む暇などない」


 リオデは真摯な瞳をアリナに向けていた。彼女の言葉を聞いたアリナはうつむいたあと、それでも引き下がらずに目線を合わせていた。


「じゃあ、せめて、私の作ったヴェーリィ水を飲んでいってください」


 アリナの気遣いに、口元を緩めてリオデは答える。


「わかった。その言葉に甘えるとするよ」


 アリナはリオデの顔を見て、表情を明るくするとそこから駆けていた。そして、近くにいた兵士に飯盒と焚き木、水を調達しだしていた。


「まったく、活発な娘だな」


「でないと、ここまでやってませんよ」


 リオデの呟きに、ベルシアは温かい目をアリナに向けながら答えていた。


「そう、だな」


 それも同意しなければならない。彼女は家族を失ってもなお、この過酷なガイドに志願してきた。何百、何千という部隊を引き連れて敵の元に誘導するこの死神のような大仕事を、その小さな背中に背負っているのだ。


 アリナはしばらくすると、鼻に香ってくる独特の甘い香りを漂わせながら、二人のもとに戻ってきていた。その手には鉄のコップが二つ握られていて、ベルシアとリオデに差し出していた。


 差し出されたコップを受け取ると、二人はその中身を確認する。中身は甘い香りを漂わせているお湯だった。笑顔を浮かべて二人を見守るアリナ、それにリオデとベルシアも笑顔で返事をした。


「ありがとう」


 一口、唇に付けた瞬間に口から鼻に伝わる何かの香り、詰まっている鼻さえ通してしまうような爽やかさ、そのお湯を喉に通せば、その後に甘い甘味が口いっぱいに広がっていた。その不思議な感覚に、二人は目を見合わせていた。


「これは、美味いな。王都のハーブ水とは比べ物にならない」


 リオデの言葉にベルシアも、首を縦に振って同意する。王国の春夏秋冬、庶民、貴族、人種をとわない定番の飲み物、それがハーブ水と呼ばれる水だ。乾燥させたハーブに水を入れ、その香りを含ませた水を飲みながら、ハーブの香りを楽しむというものだ。


 だが、あくまで香りを楽しむものであって、味はそこまでおいしいというほどのものではない。


「ここでしかとれないヴェーリィといういい香りする草を使って、雪を溶かして煮込んだものです。他にも色々と手順があるんですけど、それは秘密です。これが父の教えてくれたヴェーリィ水です」


 そう言ってアリナは笑顔を青空に向ける。その顔が妙に晴れ晴れしく、切なさを二人に感じさせていた。もう一口、唇に付けた時、リオデはアリナの悲しみを、その甘さと温かさから感じていた。


「ていっても、まだまだ、父の出す味には近づけてませんけどね」


 笑みを崩さないアリナが、顔をリオデに向ける。その虚しくも明るい笑顔がリオデの胸を抉っていた。彼女の笑顔は戦場で散っていったレイヴァンと重なって見えて、彼女の涙腺を刺激する。


「隊長?」


 最後の一口を飲み干したベルシアが、怪訝な表情でリオデを見つめる。両手でコップを持って俯くようにそのコップを見つめて、彼女が動かなくなっていたのだ。


「すまない。本当にすまなかった」


 リオデはゆっくりと目を瞑ると、目に溜まっていた涙を拭い取っていた。

 両親、友人、住む場所、全てを奪われた少女が笑顔を浮かべて、彼女を労っているのだ。自分よりも遥かに悲惨な境遇の少女が目の前で頑張っているのに、自分は何をやっているのか。ただ、部下の死を恐れ、言い訳をするために、部下の中に入っていく。それを部下に指摘されて、永遠と引きずっているだけの、ダメ人間だ。


 こんなことではだめだ。死んで逝った部下たちと約束をしたはずだ。


『ともに、ユストニア軍を追い出そう』


 このままうじうじと中途半端な気持ちを引きずっていては、レイヴァンの死も、何もかもが無駄になる。


「本当にすまなかった」


 急に謝りだしたリオデに、アリナは戸惑いを隠せないでいた。謝られるようなことは、一切されていない。だが、うつむいたままのリオデを見て、アリナは彼女の立たされていた苦境というのが分かったような気がした。


 指揮官としての重圧、けしてそれだけではない何かが、この戦いで彼女の身に起こったのだ。それを悟って、アリナは柔和な笑みのまま、無言で頷いていた。


 しばらくして落ち着いたリオデは、迷いを振り払った清々しい顔をアリナに向けていた。


「このヴェーリィ水、また私のために作ってくれないか?」


「お頼みとあれば、いつでも、なんなりと申し付けください」


 リオデはアリナの言葉を聞くと、手を振って答える。


「では、また私が帰ってきたときに、作ってくれ」


「はい!」


 アリナの元気のよい返事を背に、リオデは自らのグイの元へと向かっていた。

 その胸に、既に甘えも迷いもない。ある想いは一つ、ユストニアをこの地から追い出すことだ。

 彼女の目に快晴の空が、この戦場についてから初めて希望のある青空に映っていた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ